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1番好きな魔法使い系アニメは『リトルウィッチアカデミア』です。
私たちは入浴時間の終わる10分前に浴室から上がった。スキンケアやヘアドライはそれぞれの部屋に持ち越すことにして、首から下はバスタオルでしっかりと水分を拭き取りゆったりとした室内着を着た。私以外の3人はロングスカートで、私だけがズボンを履いている。
「珍しいなぁ」シンディが言った。「まぁ似合っとるけど」
「ホイットニーは昔から室内着はズボンなのよね」ジュディが応えた。
「まぁね」私も応えた。「ほっとするのよね。服が皮膚と密着している面積が多い方が」
「ふーん、そんなもんなんか」シンディは言った。
その間、ディアナはタオルターバンをしようとしてうまくできずにもどかしそうにしていた。……かわいい。
かくいう私とジュディもタオルターバンなんてほとんどしたことがなかった。そこでシンディに指南してもらって、なんとかそれらしく頭に巻くことができた。そうこうしてると後2分で入れ替わりの時間になってしまうので、荷物を持ってさっと大浴場を後にする。
「最後ちょっと慌ただしかったけど、すごくスッキリしたね」ジュディが言った。
「ええ、まったく」私は応える。
「――いい読書ができそうだわ」ディアナがポツリと言った。
1階の廊下に出ると、辺りがやたらと騒がしかった。特に騒がしい方向に目をやると次に入浴する順番の3年生が15人ほど待機していて、そのうちの1人に1年生の10人くらいが取り囲んでいた。
「あ、入学式のショーで真ん中にいた人だ」ジュディが言った。
そう、そこにいるのは赤髪の公爵令嬢、レベッカ・バートンだ。実は彼女は同じ学部なのである。このことは、私がこれから行おうとすることにとって実に好都合だ。自身に火属性の適正があると判明した日は、つい右手を握りしめてしまったことを覚えている。
取り囲む同級生たちはまるでお忍びのポップスターを街中で見つけた時のような高揚を彼女に対し向けている。まさに厄介オタクそのものだ。前世のある界隈だとサセンって言ってたんだっけ、こういうの。
「さっすが『赤髪の白雪』様、えらいべっぴんさんやな」シンディが潜めた声で言った。
赤髪の白雪、それがレベッカの愛称だ。その字は国内に留まらず周辺国にまで轟いている。彼女の美貌を端的に表したいい文句だ。音韻にも秀でている。
改めてみると、本当にきれいな人だな、と私も思う。とりわけはその豊かな睫毛だ。瞬きをする度にそのワインレッドの瞳から溢れ落ちる光の粒のようで、もはや私たちとは別の聖なる生物なのではないかと疑ってしまうほどだ。
その彼女がこれから悪役令嬢にさせられて、その瞳と睫毛から多量の涙を滴り落とすこととなるのだ。
「ほんときれいな人だよね」ジュディは言った。「でもなんか不機嫌そうだね、何かあったのかな?」
レベッカは取り囲む新入生の声にそれなりに丁寧な返答をしていたけれど、それでもどこか虫の居所が悪いような雰囲気が漏れ出ていた。しかし当の新入生たちは盲目的で、そのことに気づいていないようだ。
シンディが答える。「そら入学式の日に目の前で婚約者が別の女の子に優しくしてるの見たら不機嫌にもなるわな。クミルのクラブ見学の時も一部の1年生の中で噂になっとったわ。しかもその女の子もえらいべっぴんさんやったから、そら心んなかグッツグツやろ。まるで彼女の髪の毛のよ」
「シンディ、もう交代の時間になったわ。自分達の階に戻りましょう」そう言って、私はシンディの言葉を遮った。
「そか、そらはよどかなあかんな」シンディは応えた。
私たちは待機している3年生の方へ浅く一礼した後、翻って階段の方へ向かった。
私たちは階段付近ででまた少し話をしてからそれぞれの部屋に戻り、各自スキンケアとヘアドライを行う。ディアナはスキンケアをしないと言っていた通り、シャワールームに入って早速ヘアドライに勤しんだ。私はその間にスキンケアに取り組む。化粧水をたっぷりと使って保湿し、乳液を塗って蓋をした。まぁ、私も最低限のことしかしない。シンディあたりは美容液も使用してるだろうし、もしかしたらボディケアクリームも塗っているかもしれない。ジュディも影響を受けてそれらをはじめるかもしれない。それは個人的に喜ばしいことだ。服装や美容にいま以上に興味を持てば、暴食するなんてことにはならないだろうからだ。ジュディは本当にルームメイトに恵まれた、と私は思う。
「お待たせ」ディアナが私の前にやってきて言った。
「あら、意外に早かったわね」私は応える。
「もとからそこまで長い髪でもないからね」
それもそうね、と言いながら、私はシャワールームに入った。
シャワールームはトイレを取り除いたユニットバスといった様相で、目の前には洗面台、左手に耐水カーテンを挟んで浴槽とシャワーがある。洗面台は広く壁と一体になった収納や台まである。そしてその台の上には、前世のドライヤーに似た物が置かれている。いや、それはまさしくドライヤーだ。ずんぐりとした銃のような形状で持ち手にスイッチがあって押すと温風が出る。違いはそれが魔法、魔力によって動いていることだ。持ち手の底から管が伸びてそれが壁と一体化している。そこから魔力が供給される。寮ならびに学園の施設には魔力を送り込む管が壁や床や天井に張り巡らされていて、様々な設備と接続されている。魔力はまさに前世で言うところの電力なのだ。
『高度に発達した科学は魔法と見分けられない』。前世の有名なSF作家の言葉だ。つまりはこの世界は、その逆のことが成り立っているといって差し支えないのだ。勿論、何がより発展していて何が遅れているかには多々違いがある。
私は手早くヘアドライを済ませる。シャワールームから出て時計を見ると、時刻は19時25分だった。私とディアナはまた作家談義をして20分ほど暇を潰し、部屋を出て階段へ向かった。20時から私たち1年生が食堂で夕食をとる時間だからだ。階段付近には言うまでもなくジュディとシンディが待っていて、私たちはまたわいわいと会話をしながら1階に降りていった。
食堂は先ほど3年生が待機していたところのさらに奥にある。浴場からは3年生が、当の食堂からは2年生が利用を終えてぞろぞろと出てきていた。私たちは上級生が通るために壁際に退いて、横切る彼女らに、おはようございます、と挨拶した。その場にいた他の1年生も同様の対応をする。
今度はレベッカの姿が見当たらなかった。先ほどみたいに取り囲まれるのが嫌で、早めに入浴を切り上げたのだろう。『オールウェイズ・ラブ・ユー』で描写されたことそのままで考えるなら、彼女は同姓に取り囲まれることに承認欲求の充足を感じていたので、よほどエイダとロバートのことが腹に据えかねていたのだと思う(まぁそもそも、彼女が時間一杯まで入浴を楽しむタイプの人間かまでは知らないのだけれど)。
入れ替わりの2分前にはすべての上級生が退場したので(2年生の幾人はそのまま浴場に方へ入っていった)、私たちはさっそく食堂に入った。食堂も魔法による拡張的空間となっていて、内装は白を基調としたリゾートホテルのレストランといった感じだった。ビュッフェ形式で、バランスのいい食事例として張り出された説明書きが壁に張られているが、基本的に自己責任で選択する方針を取っている。私たちはさっそく料理を取りに行った。並べられた料理をひとまず全て見てまわって、それぞれの嗜好に合わせて選んでいく。ディアナはバランスのいい食事例の1つをそのまま採用しただ全体的に量は少なめで、シンディは緑黄色野菜を中心に彩りやよそい方も工夫していて、ジュディはパンと肉料理に偏重し言い訳程度に小さな一皿サラダを付け足していた。私はパエリアがあったので他に魚介系のおかずと大きめの一皿サラダで纏めた。
「ジュディ、明日からはしっかりと食事を管理するからね」そう言って私は釘を刺した。
はーい、と言ってジュディはパンを頬張った。
「シンディもお願いね。両親の目がなくなったこの子の食欲にはとても心配な部分があるの」
「せ、せやねぇ」
シンディもジュディの皿を見て事の重大さを理解してくれたようだ。
その間、ディアナはちびちびとおとなしく食事していた。……かわいい。
皆の食事が終わったのは20時45分くらいだった。私たちは食器を指定された返却棚に置きにいき、その奥に見える洗い場のスタッフに、ごちそうさまでした、と声をかけた。そして食堂を後にし階段で自分達の階に戻り、廊下でまた少し談笑した。談笑の最後、荷物の整頓が終わったらお互いの部屋に遊びに行ったりしましょうね、と約束して、また明日、と言ってそれぞれの部屋に帰った。
私とディアナは部屋に戻ると、ルームシェアのルールについて話し合った。洗濯は別々にすること、読書中でも何かあれば遠慮なく話しかけること、急用の場合は肩を叩いてもよいこと、他にもいろいろ、30分ほど話し合った。
案を出し尽くすと、ディアナは荷物の整理をはじめた。ほぼ手付かずのトランク2つを開けると、一方のトランクには衣服や生活用品、もう一方にはハードカバーのみがぎっちりと詰まっていた。彼女はまずハードカバーをシステムベッドデスク付属の棚に入れていくが、当然全てをそこに収めることができなかった。私はそれ見て、自身の棚のスペースを提供した。彼女はほのかに頬を染めて、ありがと、と言ってくれた。……かわいい。
「近々組立式の本棚を買うから、それまでお願いします」ディアナが言った。
「ええ、喜んで」私は応えた。
彼女は書籍を全てを移し終えると、衣服・生活用品の整理に移った。私もまだ未整理の荷物が少し残っていたので、それを片付けた。お互い整理が完了すると、彼女は『パープル・レイン』の続きを読み、私は『孤児たちはみな唄う』を読んだ。彼女は読書するにあたって、23時に声をかけて、と私に依頼した。私は、ええ、と応えた。
彼女はその23時まで、またトランス的集中力でハードカバーに対峙した。私は何度か体勢を変えて、1度廊下に出て階段横にある給水室(浄水をいつでも飲めるスペースが確保されている)で水を飲んだ。
約束の23時になり、私はディアナに声をかけた。しかし反応がなかったので、さっそく策定したルールに従って肩をポンポンと叩いた。
「ありがとう」彼女は言った。「私は寝る準備をしようと思うけど、あなたはどうするの?」
「私も寝るわ。くたくただからね」
「そう」彼女は応えた。「『孤児たちはみな唄う』はどこまで読めた?」
「3つめの表題作まで読み終わったところよ」私は答えた。彼女はハードカバー版で既に穴が空くほどに何度も読んでいるそうだ。「私は結構ゆっくりじっくりと読むタイプなのよ」
「とてもいいことよ」彼女は言った。「それが本のいいところだもの。自分のペースで物語を進めることができる」
「まったくね」
「全部読み終わったら、感想教えてね」
「もちろん」私は応えた。
私たちはシャワールームで順番に歯磨きをして(ディアナは私の番の間に、水筒を持って給水室に水を汲みに行っていた)、速やかにベッドに入った。時刻は23時15分だった。
「おやすみ」ディアナが言った。
「うん、おやすみ」私は応える。「――ねぇ、寝る前に1つ質問いい?」
「どうぞ」
「何でお風呂の時、私たちに頬を触らせてくれたの?」
「……これから仲良くしたい人たちのお願いは、できるだけ聞いてあげたいじゃない。削り取られるわけじゃあるまいし」
「――ふふっ」私は思わず笑みを溢してしまった。「あなたも、お願いがあったらなんでも言って頂戴ね」
「うん、頼りにさせてもらうわ」
「……ただ1つだけ」私は最後に付け加える。「男の子にお願いされた時は本当に気を付けるのよ」
「――分かってるわ」彼女は応えた。「おやすみ」
「おやすみ」
私は右半身を下にして、泥のように眠ることに努めた。レベッカのエイダに対する攻撃はさっそく明日からはじまる。それに備えなければならない。
次話は明日の20時台に投稿予定です。




