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「ただいまぁ」
私は部屋の扉を開けながら言った。くたくたに疲れていて、その声は老犬のように弱々しいものだった。時刻は17時15分。陽が傾き、光に赤みが交わってくる時間だ。それはカーテンからの木漏れ日にも顕著に現れている。しかしその中で、ディアナは先ほどと寸分違わぬ姿勢で読書に勤しんでる。私の帰室に気付けないほどのトランス的集中力を維持している。もちろんそれはディアナの時間だけが止まっているとか、そういうわけではない。彼女の広げるハードカバーのデザインが先ほどと変化している。ディアナは数時間前とは別の作品あるいは続きの作品を読んでいるのだ。それは彼女の時間も確かに進んでいることを意味している。
私は再び邪魔にならないように、静かに靴を脱ぎスリッパを履いて、自身のシステムベッドデスクの前に移動した。そのまま椅子に座って、彼女がページを繰る音に耳を澄ませながら3分くらいボーッとした後、自身の荷物の整頓に移った。ジュディとの外出を回想しながら。
ジュディが制服のまま階段の前で待っているという予想は見事に外れてしまった。私が階段の前に行った時、ジュディの姿はまだなかった。ジュディが来たのはその5分後だった。私服に着替えていて、待たせてごめん、と言いながら小走りでやって来た。
私は素直に言った。「てっきりあなたなら、はやく出掛けたいからと制服のまま来ると思ってたわ」
「私も最初はそのつもりだったんだけどね」彼女は言った。「ルームメイトの子と結構意気投合してね。2組でシンディ・ハウパーって言うんだけど。どんな洋服を持ってきたのって話になって見せあいっこしてたら、それいいじゃん! 着てみてよ! それでそのままお出掛けしたらいいじゃん! って」
「ええ、私もとてもいいと思うわ」私は言った。「入学の記念に買って貰ったの?」
彼女はコバルトブルーとホワイトを組み合わせたロングワンピースを着ていて、首まわりとウエスト部分の両端に白い紐飾りがあってきれいに結んである。足もとのライトブラウンの革のサンダルと、とてもよく調和している。
「そうなのよ」彼女は答えた。「今度の休みに御披露目しようかと思っていたんだけど、ホイットニーにもよく言ってもらえてよかったわ」
「それはどうも」私は応えた。「私も着替えてきた方がいいかしら? 新しく買ってもらった服なんてないけど」
「いいよ、そのままで。私もお腹ペコペコだもん、さっそく行こうよ」
「ふふ。ええ、行きましょう」
私たちは軽やかな調子で階段を降りていく。その中でジュディが質問した。「ねぇ、ホイットニーのルームメイトはどうだった?」
私はディアナのことについておおよその説明をする。物静かだけれど発言は結構直接的で、1度何かに集中すると周囲へのアンテナが効かなくなる、そういう女の子だと。それを説明し終わる頃には、私たちは寮の外に出ていた。日差しはまさにいまが盛りといった状態だった。グラウンドでは左右とも運動系クラブの説明会のような催しが開かれている。
「話を聞く限り、ホイットニーに似てるね」ジュディは言った。
そう? 、とは言うけれど、内心そんな気はしていた。
「うん、文言だけを抜き出したらね」ジュディは答えた。「でも、反応が悪くないってことはいい子なんだよね」
「そうね、得意には感じなかったけどね」私は応えた。「そう言ったら、シンディさんもあなたと似ている気がするわ」
「私もそう思ってるの。でも、私はシンディのことは得意よ。うんうん、大得意だわ。もう2人目のマブダチって感じよ」
彼女の口からマブダチなんて言葉を聞いたのははじめてだった。
「――お得な性格してるわね、あなた達」私は言った。「まぁお互い、いいルームメイトに恵まれたんじゃない?」
「そうだね」
ジュディは、にひひ、と人懐っこい笑みを浮かべた。
街道沿いに到着すると、私たちは喫茶店に入って軽めの昼食をとることにした。ジュディが15時過ぎにもティータイムをしたいと要望したのと、入学式前に彼女が単独で街道沿いに寄った時もその前に宿でしっかりと朝食を食べた上でスイーツをつまんだことを白状したからだ。朝食を抜けば街道で食べ歩くことが丸分かりになるからと、彼女は両親にも黙っていた。学園全体を先んじて見て回りたいと方便を使ったらしい。少しツッコんだらボロっと口に出した。ちなみに、苺をまるごと挟んだシュークリームとレモネードをいただいたそうだ。
喫茶店に入店し着席してメニューを見て、私がハムとレタスのサンドイッチとストレートティーだけにしましょうと提案すると、彼女はしぶしぶながら従った。
思えば、ジュディと2人でお店に入るのははじめてのことだった。私たちの住む地域はこういったお店が建ち並ぶ街とは大分離れていて、お互いが近隣にささやかな土地を所有する家同士とはいえ、同時的に自分達の土地を空けて街へ出掛ける機会なんてこれまでになかった(前日の宿泊がはじめてのことだったのだ)。そして、私たち2人だけで出掛けるなんてのももっての他だった。あまりにも危険だし、十分な護衛を雇えるほどの金銭的余裕もなかった。だから、ティータイムや交遊はそれぞれの屋敷の敷地内で行われていた。それぞれの取り寄せ物やお土産を持ち寄って、時には他の同世代も呼んで、それなりに楽しくやっていた。でも、いまのように自分達でお店を選んで自分達でメニューを見て自分達で注文をする、こういった機会はやはり素晴らしいものだ。そしてその機会を安全に提供できるのも、この学園の存在意義の1つと言ってもいいかもしれない。
この昼食で、私は1つ嬉しい発見をした。
街道沿いのお店は全て、男爵未満の貴族階級の出身者が経営している。この国の施策として、それらの相続権のない子息やまだ婚姻のない息女に国の重要区域周辺の営業権を賦与したり、奉公を斡旋している。貴族としての地位は維持したまま。それは何よりも血を守るためだ。平民に下る者が増えれば、それだけ魔法の才能の絶対数が減ることになる。魔法の更なる発展を促すためには、そういった囲い込みが必要になってくるわけだ。まぁ、私からしたらどうでもよいことだ。ちなみに、五爵の相続権のない子女たちは概ね政治・教育・教会・軍事の方面にいく。
しかし、貴族出身者だけで店舗運営の全てがまわるというわけでもない。なので平民の奉公も受け入れている。私たちが入った喫茶店は紳士――領地運営以外で生計をたてる貴族男性の総称――が経営しているが、スタッフの多くが平民出身だった。私たちの注文を伺ったのも平民の20代前半に見える女性だった。耳飾りを着けていなかった。細身のボブヘアーの地味めな人だった。私が注文を伝えると、そんな彼女に対してジュディはよろしくお願いしますと、笑顔で提供をお願いしていた。彼女は少なくとも、接客の範囲においては横柄な態度を見せない。それが知れただけでとても嬉しかった。今日くらいは食事量を多めに見てあげてもいいかなと、私は思った。
昼食を終えたのは13時40分くらいだった。喫茶店を出ると、幾つかのアパレルショップをまわった。ジュディは私やルームメイトに服を褒められたことが嬉しくて、また別の衣装が欲しくなったそうだ。しかし両親から持たされた所持金にも限りがあるので、今回はウィンドウショッピングだけを楽しんだ。そこでもジュディは誰に対しても友好な姿勢を保持していた。そして次の仕送りで買えそうなものを幾つかピックアップして記憶に留めていた。
約束の15時になると、私たちはジュディが入学式前に寄ったスイーツショップに赴いた。苺をふんだんに使った各種スイーツを扱っていて、赤と白ばかりが目につく店内だった。私たちはそこで、苺ジャムとクリームを添えたスコーンをホットのミルクティーで頂いた。ミルクティーは甘さが控えめで、スコーンととても相性がよかった。ジュディはスコーンのおかわりを所望して、私は先ほどのこともあったのでそれを許した。
私はその許可に付け加える。「でも今日だけよ、それに、あまり食べることにお金を使いすぎると目当ての服だって買えなくなっちゃうわよ」
「そうなんだよね」ジュディは言った。「私もここで働こうかしら、求人も出てたし」
一部のお店では学園生の短時間勤務、前世でいうところのアルバイトを募集しているところもある。学園も募集を正式に了承している。社会勉強であったり、それぞれの家の経済状況の差違に配慮した結果である。
「いいんじゃない。そこまでは私が面倒を見ることではないし」私は応える。「でも、まかないがあれば気を付けることね。店長さんも考えてくれるとは思うけど、ちゃんとお肉になりづらいものを頂くのよ」
「うん、分かってる」
彼女はあまり分かっていなさそうな顔をして言った。まぁいい、全ては体重が正直に教えてくれることだから。
次話は明日の21時台に投稿予定です。




