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第2章開幕です。章題は「Michael Jackson」の楽曲より。
「じゃあ、また後でね」ジュディが言った。
ええ、と私は応える。
現在、私たちは火操学部の女子寮の中にいる。
東側の各学部の女子寮は、クラブセンターを右に曲がって暫くのところに集合して建てられている(男子寮は左に曲がって暫くのところに離れて建てられている)。各学部棟とは違って、寮の外観は概ね無味乾燥だった。コンクリート建築の、大きめなビジネスホテルといった様相だ。ただ学部によって階数が違った。火操学部の女子寮は7階建てで、1階がエントランスと食堂と大浴場に、2階より上が居住スペースになっている。私たちはいま、4階の階段付近に立っている。
「……なんか、朝よりいい顔になったわね」ジュディは言った。「いや、ここ最近で1番いい顔をしてるかもしれない。なんか引き締まった感じ、顔の血色もよさそうだし」
「――やっと覚悟がきまったのよ、いろいろとね」
入学式の全てのプログラムが終了すると、まずは同席した両親・家族が学園の指示に従って退場した。次いで新入生の私たちが入場とは逆の順番で退場する。大ホールを後にすると、私たちが向かったのは入場前に横切ったグラウンドの右側だった。そこで先に退場した両親・家族が学部ごとに集合して私たちを待っていた。私も自身の両親と合流して、暫しの別れの言葉を交わした。案の定、弟は涙を浮かべて寂しがった。私はしゃがんでその頭を撫でてあげながら、「あなたが将来入学する学園を先に調査しておくわ、報告を楽しみにしておいてね」と言った。弟はしぶしぶだろうけど、うん、と頷いた。決められた対面の時間が終わると、弟は母の足もとに身を寄せながら帰っていった。その後ろ姿を見て、私は自身の思っていた以上に寂しい気持ちでいっぱいになった。
その後、私たちは先生のもとに集合して寮の鍵をもらった。そして寮の説明を受けた。
「この後はみんなで寮に向かってください。そして同室になるルームメイトと顔合わせをしたら、後は自由時間になります。学園の施設を見学しても構いませんし、街道沿いに遊びに出ても構いません。初日から大問題を起こさないようにだけお願いします」
私たちは、はい! と大きな声で返事をした。先生はそれを見て、また気持ちよさそうに微笑んだ。
「明日は教室に8時半に集合してください。お昼過ぎまで幾つかのオリエンテーションを実施します。それでは解散」
先生は足早に学部棟の方へ歩いていった。私たちは指示された通りぞろぞろと寮へ向かった。その道中、ジュディは私と同部屋じゃないことが確定し嘆いていた。私が401号室で彼女は418号室、それぞれ同階の端々に別れてしまった。
「それは喜ばしい限りね。じゃあその調子のまま街道沿いの美味しいものを食べに行きましょう!」
ジュディはずんと右腕を上げた。階段近くの壁にかけられた時計は12時40分を示している。
「分かったわ。でも、くれぐれも食べ過ぎないでよね。そして食べたぶんはしっかりと運動するのよ。あなたのご両親から言われてるのもあるけれど、何よりもあなたが不健康になるのが1番嫌なんだから」
「分かってるって」ジュディは応えた。「じゃ、ルームメイトとの挨拶が終わったらまたここに集合ね」
「りょーかい」と私は返事をした。
私は418号室へ向かうジュディの背中を少し見送ってから、翻って401号室に向かった。
端部屋といっても、階段から1分もかからなかった。私は部屋の扉に手を掛ける前に一呼吸置いた。血縁のない人間とのはじめての共同生活、どれほど覚悟を決めても、やはり緊張はする。騒がしくない人がいいな、逆に細かすぎない人でもあって欲しいな、協力的な人がいいな、そして協力したくなるような人だといいな、そんなことを考えながら、私はひとまず扉のノブを捻った。ノブは最後まで回って、鍵が開いていることが分かった。もうルームメイトは中にいるようだ。
はいりまーす、とだけ私は言って、扉を開いた。
部屋は縦長で10畳ほどの空間が確保されている。入ってすぐ右側に大きめの靴箱、左側に玄関クローゼットがある。靴箱の隣にトイレ、玄関クローゼットの隣にシャワールームが設置されている(上下水道の設備は万全だ)。それらを通り抜けた広い空間の左右の壁際にはそれぞれ、所謂システムベッドデスクがある。向かいの壁にははきだし窓があってカーテンが掛けられている。奥はベランダになっているのだろう。時計がトイレ横の壁に掛けられている。
ルームメイトは扉から見て左側のデスクに座っている。読書をしていた。年季の入った分厚いハードカバーを卓上に広げている。
「はじめまして、今日から一緒の部屋になりますホイットニー・ブリンソンです」私は玄関先に立ったまま、簡潔な自己紹介をした。「ごめんなさい、出掛けたかったかもしれないのにお待たせしたでしょうか?」
「――気にしないで、ずっと本を読んでいるつもりだったから」ルームメイトはそう言うと、視線を本から私に向けた。「ディアナ・ローズよ、よろしく」
ディアナは真っ黒なおさげ髪と瞳を持つ小柄な女の子だった。そしてかなり幼い容貌だった。見た目だけなら12,3歳くらいにしか見えない(エイダも小柄ではあったけれど、年相応には見えた)。顔のパーツが全体的に丸っこくて、肌が遠めから見てもモチッとしてるのがよく分かる。ブラックパールのイヤリングを身に付けている。
ディアナは続けて言った。「――あなたは確か、入学式前に廊下で大声をだしてた3組の人よね」
「あれはちょっと、その、ビックリしたと言いますか……」
「印象に残ってたから言ってみただけよ、常に騒々しい人じゃないことは一目見て分かるわ。――私は4組よ」
「そうなんですね」私は応えた。「4組なら授業で一緒になることもありますね」
学園のカリキュラムには体育も存在する。魔法を操るにも運動のできる方が何かと都合がいいからだ。他に選択の音楽や美術もあって、4組とはその際に合同で授業を受けることになる。
「そうね、だから敬語なんていらないわよ。同い年なんだし、これからタメで話しはじめる機会を探るのも面倒でしょ?」
「う、うん。そうね」私は応えた。「改めて、よろしくね」
「――うん」彼女は頷いた。「さっきの口ぶりからすると、あなたはこの後誰かと約束をしているんでしょう? はやく行ってあげなさいよ」
「そうね、その通りだわ」私は応えた。「自分の荷物を確認したらすぐに出ていくわ。また夕方以降にお話でもしましょう?」
「――うん」
彼女の視線は既に本の方へ降りていた。
もの静かそうなのはよかったけれど、あまり得意なタイプではないな。それがディアナに対する第一印象だった。
私は靴を脱ぎ白のスリッパに履き替えて(スリッパは新品が靴箱の上に置かれていた。ディアナも履いている)、右側のシステムベッドデスクの前に移動した。そこには先日、自身で荷物を詰め込んだ大きなトランクが置かれている。もとは馬車に乗せていて、私が降車した後に別の場所で両親が職員に引き渡し、入学式中にここに運び込まれたわけだ(そういった説明をあらかじめ受けている)。ディアナの足もとには同サイズのトランクが2つある。
私はポケットにしまっておいた鍵を取り出してトランクを解錠する。今朝も確認したけれど、再び忘れ物がないかを見ることにした。物によっては可及的速やかに両親に連絡して送って貰わなければならない。衣服・スキンケア用品・メイク用品(派手でなければ授業中でもメイクOKになっている)・書籍・小物バック・エトセトラ。どうやら忘れ物はないようだ。
私は次いで、制服で出掛けるか私服で出掛けるか思案する。先生は出掛ける際の服装について言及はしなかった。実際どちらでも構わないのだ。ゲームにおいてはどちらの生徒もいた。エイダもその日は制服で街道沿いに出掛けていた。ルームメイトが同じ平民で、その彼女に誘われた。彼女の存在がまた、エイダのシナリオでは重要になってくる。
結局、私は制服のまま向かうことにした。ジュディのことだ、着替えるなんてことは微塵も考えずに既に階段の前で私が来るのを待っているかもしれない。私は誰かに待たされるよりも、誰かを待たせる方が100倍嫌いだ。私は引っ張り出した一部の荷物をトランクに戻した。整理整頓は後回しだ。施錠もしようかと思ったけれど、ディアナの手癖を疑っているように見えそうなのでやめた。どう見積もってもそんなことをするタイプには見えないし、魔法で守られたこの学園で証拠・痕跡を残さず窃盗を働くのは無理に等しい。とりわけ魔法が未成熟な新入生にとっては。
私はトランクをもとの状態に戻すと、足早に玄関に向かってスリッパを脱ぎ靴を履いた。「じゃあ、行ってくるわね」
ディアナは今度は返事をしてくれなかった。視線はハードカバーに釘付けで、無視というよりは気が付いていない感じだ。トランス的集中力で読書をしている(先ほどまではルームメイトが来るまで加減していたのだろう)。羨ましくなるほどだ。無理に返事を頂戴するのも悪い気がしたので、そのまま部屋を出た。できるだけ物音を立てず、扉の開閉にも注意して。廊下に出ると、さっそく速足で階段に向かった。廊下は同級生の声と足音で混沌とした様相を呈している。
次話は明日の21時台に投稿予定です。




