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7. 三年前の奥穂高岳の出会い

(三年前の奥穂高岳の出会い)


 三年前の夏……

 私は憧れの奥穂高ジャンダルムを見に来た。

 幸運にも天候に恵まれ、巨大な岩の塔が谷も向こうにそびえ立っていた。

 周りの円錐形の尖った山々とは違い、ジャンダルムは巨大な円柱形だ。

 美しい山とは言えないが、その存在自体奇妙なのだ。


 私は、岩場に座り込み、小休止。

 スマホを出して、ジャンダルムの写真を撮ろうと思った。

 しかし、私の座っているところからでは、岩場が映りこんでしまって、ジャンダルムの全体の神々しさが出ない。

 仕方なく疲れて重い体を引きずって、崖の淵までと思い歩みを進めたところ、待っていたストックにつまずいたのか、前のめりによろけた。

その弾みでスマホを落としそうになり、余計に持っていたスマホをかばおうとして、更に足が進んで、崖から飛び出してしまった。

私の目の前には、三千メトルはある断崖絶壁の底が見えた。


「あー、……」と、叫ぶ暇もなく、誰かだ私の腕を掴んだ。

 思わず藁をもつかむ思いで、その腕を手繰り寄せ……

 いつしか、私は男の胸にしがみ付いていた。

「危ないよ……、大丈夫かい……」

 私は、震えが止まらず、ただただ男の胸に顔を埋めていた。

「……、怪我はないかい?」

 その優しい言葉にも、答えられなかった。

 でも、ぎゅっと目をつぶった闇の中で、嗅ぎなれた匂いがする。

「……、何……、この匂い、油絵具の匂い」

 その油絵具の匂いで、いつもの落ち着きを取り戻せた。

 そして自分をよく見ると、この男に抱きかかえられていることが分かった。

 私は、そおっと目を開けて男を見た。

 彼も心配そうに私を見ていた。


「こんな岩場で駆け出しては危ないよ」

「ちょっと、ストックにつまずいたみたいで……」

「でも、怪我がなくてよかった……」

「……、絵描きさんなんですか? 油絵具の匂いがします」

「今ちょっとジャンダルムの絵を描いていてね」

「私も絵を描くんですよ……」

「そう、奇遇だねー、何処から来たの?」

「松本市内ですけど……」

「それなら近くていいねー、僕も松本だよ……」

「そうなんですか! 本当に奇遇ですね……、ドラマだとここから恋が始まるところですね」

「同じ絵描き同士で、山も好きなんだろう?」

「はい、もちろんです!」

「だから、君となら仲良くなれそうだよ……」

「本当ですかー、私でいいんですか?」

「もちろんさー、君でないと駄目なんだ……」

「どの女の子にも言っているんでしょう?」

「こんなことは、初めてだよ。今もしっかり抱きしめているじゃないか」

「本当にそうですねー」

「私も前々から思っていました。結婚するなら趣味は同じ方がいいって」

「それはそうだね、理想のカップルだ……」

「山を下りたら、結婚しましょう!」

「山を下りたら……?」

「……、山を下りたら!」

「僕は、山を下りられないんだ……」

「じゃー、どうするの?」

「一つ、お願いしてもいいかな?」

「……、何?」

「この絵を僕の妹に渡してくれないかな?」

「妹さんは、何処にいるの?」

「松本だけど……、じゃー近いじゃない」

「でも、僕は山を下りられないんだ」

「しょうがないわねー、私が持って行ってあげるわ」

「助かるよ……」

「それで、住所は……」

 彼に抱かれて、そんな話をしていたところ……


「もしもしー、もしもしー、具合でも悪いですか?」

 私は、はっとして目を開けた。

 そこには、細身の美男子ではなく、ひげ面の壮年の四人組の男たちがいた。

「……、すみません、ちょっと疲れちゃって」

 私は、慌てて起き上がり、大丈夫なことを示した。

「まだ先は長いよー」

 そう言って、男たちは行ってしまった。


 私の足元には、ジャンダルムの破けた絵が一枚置いてあった。

 あれから、何度も思い出しては考えている。

 あれは夢だったのか、でも夢だとするとこの破けた絵が何なのか分からなくなる。

 彼は、この絵を誰かに届けて欲しいと言っていた気がする。

 でも、何処なのかわからない。


 私は、奥穂高にしばらく滞在したが、あの男の手掛かりはなかった。


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