真昼の夜霧
河川敷の地面は昨日まで降り続いた雨のなごりでまだ湿っている。土が柔らかくなっているので投げた砲丸が地面に落ちるたびにめり込み、直径約10センチの穴が次々に出来る。
この河川敷で砲丸を投げるのは私以外ありえないので、シャーロック・ホームズのような名探偵でなくとも無粋な穴を残した犯人を捜しあてるのは容易なことだ。
河川敷の地面を荒らす私の共犯者にはミミズを求めて土をほじくり返す猪がいるが、彼らの乱暴狼藉の跡と比べると私の穴は少なくとも美しくはある。
今日は円盤が34mまで飛んだが、練習を重ねるごとに少しずつ距離が伸び、ベスト記録の38m50に近づいて来ている。
私にとって試合は勿論大切だが、試合までの道中である練習が何と言っても楽しい。
円盤投げという作品を自己流で、試行錯誤しながらより良いものに作り上げていく、そこにこそ楽しみがある。
かつてのオリンピック銀メダリストであるマラソン選手が「練習グランドはアトリエ、試合は展覧会」という言葉を残している。彼我の競技レベルは天と地の違いがあるが私も同じように考えている。
今年(2023年)最初の展覧会である岡山県マスターズ陸上選手権まであと二週間となった。
今年は5月4日が岡山、5日は福岡と二日連続の試合となるが、これは初めての経験で、なんとなくプロのアスリートになったような気分がする。
私が円盤を投げる河川敷はほとんど人がやってこない場所だが、それでも桜の季節が過ぎ、暖かくなるにつれ、近所に迷惑をかけたくないと考える人たちがやって来るようになる。
毎年四月頃から秋にかけて姿を見せるのはサックスを吹く高齢の男性。
私がここで円盤を投げ始めたのは15年前だが、彼はその頃からすでに河川敷の先住者だった。
その人の定位置は橋げたの下の日蔭だが、この河原なら誰はばかることなく思う存分大きな音でサックスが吹けるというものだ。
石原裕次郎の「夜霧よ今夜も有難う」がその紳士のおはこの様だが、夜のムード一杯のそのメロディを聴きながら太陽の下で円盤を投げるのはいささかミスマッチ。
悪くすればブランデーグラスを手にした裕次郎の姿が頭の中にチラつき、集中力がそがれがちだ
「夜霧よ今夜も有難う」は1967年に公開された石原裕次郎と浅丘ルリ子が共演した同名の映画の主題歌としても使われた。
アメリカ映画「カサブランカ」(1942年、ハンフリー・ボガート、イングリッド・バーグマン主演)を下敷きにした作品で、ラストシーンなどはセリフまで含めて見ている方が気恥ずかしくなるほど「カサブランカ」そのものだった。
さて、かのサックスの紳士が「「夜霧よ今夜も有難う」を練習しているうちはまだいいのだが、時によってはこれも裕次郎の「ブランデーグラス」を吹くことがあってこれがまずいのだ。
その歌はこんな歌詞で始まる。
「これでおよしよ そんなに強くないのに…」
つまり、一生懸命円盤を投げている私の背後から
(そこのあなた、いくら練習しても物にはならないのだから、いい加減にして家に帰ったら)
と言われているようで、しかもその指摘は必ずしも的外れではないので苦笑させられる。
「ブランデーグラス」の二番の歌詞はさらに私に追い打ちをかけるようにこう始まる。
「よせばよかった よせばよかったけれど…」
来週もまた私は「ひとり部活」の河川敷に行く。
「ひとりサックス部」のあの老人もやって来るだろうか。
(今日の一句)
・炎天の夜霧よ今夜も有難う