オリンポスの果実
『オリンポスの果実』は、1940(昭和15)年に発表された田中英光の小説である。
田中英光は早稲田大学に在学中の1932(昭和7)年、ロサンゼルス・オリンピックにボート競技のエイトの代表選手として参加した。
『オリンポスの果実』はその際の経験をベースにしており、主人公が陸上競技の女子代表選手に抱いた淡い想いを、モノローグ形式で描いた小説である。
36歳の時、敬愛する太宰治の墓前で自害した田中は、今では忘れられた作家になろうとしているが、この『オリンポスの果実』だけは、オリンピック選手団がロサンゼルスに向かう旅情にあふれた船旅を中心に展開される青春小説として今でも読み継がれている。
ちなみに田中が「杏の実」としていた題名を『オリンポスの果実』と改めるよう勧めたのは太宰治だといわれている。
この小説はマスターズ陸上をする私とごく細い糸のようなつながりを持っている。
田中英光は『オリンポスの果実』にこのオリンピックに参加した選手をモデルにした登場人物を少なからず登場させているが、陸上競技でいえば実名で出てくる「暁の超特急」と呼ばれた吉岡(吉岡隆徳)の他に「100米の満野」が登場するが、これは100mの代表選手であった阿武巌夫をモデルにしていると思われる。
阿武巌夫は私が高校時代を過ごした山口県の出身であったし、私の叔父はたった一度ではあったものの吉岡隆徳から走りの指導を受けたことがあると聞いたことがある。
また作品中の主人公の「ぼく」こと「坂本重道」は田中英光自身、ヒロインの女子選手「秋ちゃん」こと「熊本秋子」は、陸上競技(女子走高跳)代表選手として出場した相良八重がモデルとされている。
相良八重はロサンゼルス・オリンピックの後、日本女子体育専門学校(現、日本女子体育大学)を卒業し、招かれて広島県三次市の三次高女(現・広島県立三次高等学校)の体育教師として赴任した。
昭和9年から昭和12年まで在籍したとの記録が学校に残っているそうな。
この時期、亡くなった私の父はその三次市の中学生(旧制)だった。
中国山地の山間の小都市にオリンピック選手が体育教師として赴任したとあっては、町ではたいそうなニュースであったに違いない。
ロサンゼルス・オリンピックでは日本の水泳チームは金メダル5、銀メダル5、銅メダル2の大活躍で、若き日、田舎の水泳選手であった父からこの時の選手たちの活躍を何度も聞かされたものだ。
その父が自分の住む町にやって来たオリンピック選手に大きな関心を持たなかったはずがない。
相良八重のことを父の存命中に知っておれば、三次市におけるエピソードや父の思い
を聞くことができたのにと思うが、今となっては詮無いことだ。
誰であれ人、は亡くなると、その人だけが語ることができる物語も一緒に消滅してしまう。
残された者にもはやその物語を聞くすべはない。
年とともに一人また一人と見送る人が増えていくつれ、その思いを感じさせられることが多くなった。