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70代のひとり部活  作者: 種田
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歌う医者

今回もテーマはマスターズ陸上から離れ、私の経営していた外国語スクールが静岡県の沼津にあった時代(21年前まで)の思い出話。

下記文章中の年代は全て当時の数字である。


チェックの背広に派手なネクタイを締めた中年の紳士が、私の教室にやって来た。

見れば、手には大きなラジカセを下げている。


ラジカセのセールスマン? まさか。

紳士が、あわただしく紙袋から取り出したのは、「三大テノール愛唱歌」と銘うった楽譜である。

私の事務所には外語スクールの看板がかかっている。

彼は、何か勘違いしているに違いない。

もしかして、危ない人?


その紳士はIさんといい、近くにある総合病院に勤務する医者であった。

彼は、一年前から、かねてより念願であった歌曲を歌うため、音楽教室で声楽の勉強を始めた。

そこの先生におだてられその気になったのか、Iさんはイタリアのナポリ民謡や、オペラのアリアを十曲選んでCDを自作することにした。

ついては、イタリア語の歌詞の意味が理解できなくては、歌に感情がこもらない。

詳しく意味を教えて欲しいという事で、私の教室においでになった。

ラジカセのセールスマンではなかったのである。


イタリア語となれば私の出番だ。

お任せください、と引き受けた。

十曲の楽譜には、それぞれイタリア語の歌詞がついている。

明後日から始めたい、とおっしゃるので、その晩早速「オーソレミオ」の予習を始めた。

見慣れない単語が出てくる。「いかんな、まだまだ勉強不足だな」と思いながら辞書を引いてみるが見当たらない。

又、知らない単語が出てきた。これも辞書に載っていない。

その時になって、やっと、日本でよく知られているナポリ民謡はナポリ語で書かれていることを思い出した。


ナポリ民謡で思い出すのは、一九五五年のアメリカ映画「旅情」である。

アメリカ人の女性秘書ジェーン(キャサリン・ヘップバーン)は長年憧れていたベネチアへ一人旅にやってくる。

彼女の乗った汽車がサンタルチア駅に着く。

駅から出ると、そこは運河に面した船着場。

水上バスに混じって、ベニスの風物詩、ゴンドラも客を乗せて出て行く。

櫓を操りながら、ゴンドリエーレは自慢ののどを聞かせている。

しかし、耳を澄ませてよく聞くと、彼らが歌っているのは、なんと「サンタルチア」。

これは、ベニスから遠く離れた南部イタリア、ナポリの歌である。

東北地方の港町に行ったところ、南国土佐の「よさこい節」で迎えられた、といったところだろうか。

「サンタルチア」が聞こえるのだから、これまたナポリ生まれの太陽がいっぱいの歌「オーソレミオ」も歌われていただろう。

「ほんとは違うんだけどよ」という顔で歌っているベニスのゴンドリエーレの顔が目に浮かぶ。

冬、運河の上を霧が流れる。聞こえるのは櫓の音と、波の音だけ。

そんな時も、相変わらず、場違いの、元気いっぱい太陽サンサンの「オーソレミオ」が、ベニスの運河の上を流れているのだろうか。


万策尽きた私はIさんに電話をして、歌詞がナポリ語で書かれているので少し分からないところがあるのだが、と恥じ入りながら告げた。

すると、そんなこともあろうかと、ナポリ語の辞書を取り寄せてあるとおっしゃる。

当方のイタリア語の実力を、私に会う前から見抜いていたかのような言葉だ。

早速その辞書を借りて、何とか約束の日までにレッスンの準備を終えた。


レッスン当日、Iさんは、前回と同じく、大きなラジカセを下げてやってきた。

逐語訳と解説を終えたところ

「歌ってもいいですか」

とおっしゃる。

「ぜひ」

と答える。


彼はすっくと立ち上がって歌い始めた。

むせび泣くようなテノールが、私のぼろ教室の壁を振るわせ始めた。

初対面の人の前で、イタリア民謡を歌う人を、私は始めてみた。

初夏であった。

ご近所の窓は開け放されている。私はさりげなく窓を閉め、エアコンを入れた。隣の部屋では中国語のレッスンをやっている。静かになり、やがてざわめく気配がした。

Iさんは、オーソレミオの一番を歌い終えた。やれうれしや、やっと終わったか、と思いきや、人の気も知らないで、彼は二番に入っていった。そして「君こそ輝く太陽 君こそ輝く太陽」と最後のフレーズを、イタリア語で朗々と歌い上げた。

私の教えを忠実に守ってくれて、発音もよければ、感情もこもり過ぎるくらいにこもっている。

私は拍手をした。

心の中では、かつての浅草オペラの大スター田谷力蔵そっくりだと思ったが、そんなことはおくびにも出さず、心にもない歯の浮くようなお世辞さえ言った。

「パバロッティみたいでした」

「からかわないでくださいよ」と謙遜すると思いきや、驚いたことにIさんは当然という顔で、

「でも私の歌の先生からは、声の質はカレーラスに似ていると言われます」

と、恥じらいのかけらも見せずとんでもないことを言った。

私の賛辞に力を得てか

「ではもう一曲聞いてください」

と言った。

もうたくさんですと、誰が言えよう。

ナポリ民謡「カタリ カタリ」が始まった。ふだんなら、私も好きな曲だ。

歌が終わろうとする時、彼の携帯に電話が入った。彼の病院からのようだ。彼は電話で患者の容態を聞き、指示を与えた後

「失礼しました」

と言って、あろうことかあるまいことか、又最初から歌いなおした。

そこはもう聞きました、とは言えず私はひたすら早く終わってくれと祈った。

私の祈りが通じたのか、Iさんは三曲目を歌うことはなく、私はやっとプライベートなリサイタルから開放された。

「いやあ、いいものを聞かせていただきました」

零細外国語スクールにとっては、いかなるお客様も神様である。リップサービスを惜しんではならない。

「来週もお願いします。私は今、これに夢中なんです」

と言って、彼は嬉々として帰って行った。


次回の曲はトスカの「星は光りぬ」と、愛の妙薬のアリア「人知れぬ涙」。

あの調子では、来週もまた彼は歌うだろう。

ご近所の皆さんにも、またドラマチックな熱唱を聞いていただけるのか。

私も「田谷!」という掛け声だけは出さないよう気をつけよう。

ところであの大きくて重そうなカセットデッキ、何故Iさんはいつも運んでくるのか。

使いもしないのに。

謎だ。

その後、私のスクールが広島に移転してからのこと、Iさんから手紙が来た。年末に、彼の勤務する病院のホールでクリスマスオペラコンサートをするとのこと。優秀な内科医の彼も、彼の「オペラ病」を治療するすべは知らないようで、進行するに任せるしかないようだ。その日、私は5時間かけて広島から出かけて行き、パジャマ姿がほとんどの客席で彼のアリアを聴き、また5時間かけて広島に戻ってきた。


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いつもと全く違う雰囲気に 違和感がw 出逢いは 人生を変える 縁を大切に (๑•̀ㅁ•́๑)✧
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