午前十時の風
自宅の背後にある牛田山、二葉山は今まさに桜が真っ盛り。
川沿いの土手に続く桜の下は、花見を楽しむ人たちで四年ぶりに賑わい、ウキウキする春爛漫の気分が街に充満している。
二年前の回想。
庭で縄跳びをしていると、私の家の前を下校中の小学生たちが甲高い声でしゃべりながら通り過ぎて行った。
子供たちの声に春を感じ、私は竹中郁の「午前十時の風」という短い詩を思い出した。
“いま「春」が
垣根に沿つて喋言て往つた“
思えば垣根と言う言葉はほとんど死語に近いものになっているのではなかろうか。
子供時代、私は高い垣根の上を歩くのを得意とし、遊び仲間から一目置かれていたものだ。しかしサーカスの綱渡りの芸人にならなかった私にはあの能力を人生において生かす場面はついに訪れなかった。
河川敷で準備体操をしていたら、川土手の草むらにテンが姿を現した。去年の夏、この川岸で私と鉢合わせをしたテンかも知れない。その時はよほどびっくりしたのか、彼は後ろ足で立ち上がり、私としばし顔を見合わせることになった。その姿と顔のなんとも可愛かったこと。
見ていると草むらの中を黄色い矢のように跳ねながら姿を消してしまった。
(お前の毛皮は高値で売れるそうじゃないか)と、よこしまな考えが心をよぎる。
私のホームグランドの河川敷の川土手には10本ほどの桜の木があるがこれも今は満開だ。
この一群の桜には私は思い入れがある。
15年前、私がマスターズ陸上の円盤投げを始めた時、当時23歳だった私の息子も私に付き合って円盤投げを始めた。全くの初心者であった彼に、高校時代陸上部で円盤に多少の心得のあった私は円盤の持ち方から教えてやった。
彼はたちまちのうちに私を追い抜き、練習を始めて5か月後の広島市陸上競技選手権では3位の表彰台に立った。私は息子に追い抜かれていく父親の喜びをその時初めて知った。
日曜日、先に河川敷で練習をしている息子に後から行った私が土手の上から「おーい」と手を振る。
小学校に高学年になると、男の子は父親より友達と遊ぶほうが楽しくなる。父と息子がじゃれあうように遊べるのは、周囲の知人たちを見てもせいぜい10歳くらいまでと思われる。中学高校と進むにつれ息子と遊ぶことはほぼなくなり、それは彼の成長を明かすものとは言え、息子との黄金時代のあまりにも短かったことにさみしさを感じたものだ。
しかし一緒に円盤を投げたあの二年間、週一回の日曜日だけとはいえ彼との黄金時代が戻ってきた。
仕事の関係で息子は二年で円盤を投げることはなくなったが、河川敷での「二人部活」は私と息子が一緒に遊んだ最後の思い出だ。
この土手の桜が咲く度に、当時の事を懐かしく思い出す。
桜と言えば谷崎潤一郎の「細雪」の花見の場面を忘れるわけにいかない。
学生時代六年間も京都に暮らしながら、谷崎が「海外にまでその美を謳われているという名木の桜」と絶賛した平安神宮の紅枝垂れを私は一度も見ることなく、それどころか平安神宮にさえ一度も足を踏み入れることなく京都を去った。今となっては何とももったいないことをしたものだと悔やまれる。
ただ京都の桜に関しては一度だけ忘れられない思い出がある。
学生時代、パン屋でのアルバイトを終え、銭湯で汗を流し、夜の十時過ぎた頃、私は自転車で岩倉にあったアパートに向かっていた。
高野川沿いの桜はちょうど満開だった。街灯の光を受けた桜は息苦しいほど密に花の雲を私の頭上に広げていたが、その時私はどういうことかその桜の群れに血なまぐさいものを感じた。
今は夜桜の元を歩いても、花見客が目に入り浮かれた気分になるだけだが、たった一人で夜、ひと気の絶えた桜の下を行けばまたあの殺気が蘇って来るだろうか。
練習を終え、ほろほろ散り始めた川土手の桜を浴びながら自転車で帰宅。
桜の下では幼稚園の子供たちが先生たちとお花見をしていた。
人生の春の季節にある子供と桜はよく似合う。