春のうた
ウォーミングアップを終えて円盤を投げ始める。
フラフラと力なく飛んでいく円盤が何となく投げられるのを嫌がっているように見える日がある。
(飛ぶ気がないなら力づくでも飛ばしてやろうじゃないか)
と力むものだから、円盤もますます意固地になって
(飛んでたまるか)
という反抗的な態度に出る。
円盤との和解は出来なかったが広い河川敷を独り占めしてトレーニングをするのは何と爽快なことだろう。
春爛漫の中、一人で贅沢な時間を生きている気分になる。
ターンしての本練習では32mが本日のベスト。
2019年までは、シーズン最初の練習ではいつも35mを越えていた。ところが2020年からその距離がだんだん下がっていき、今年はさらにグッと低い地点からのシーズンインになったが、まあ、小さく生んで大きく育てるという言葉もある。
私の今年の伸びしろは大きいと考えることにしよう。
10月の全日本マスターズ選手権まではまだ半年以上時間があるのだから。
去年のことだが河川敷の可憐な青い花をふと思いついてデジカメで写真に撮り、家に帰ってパソコンで調べてみた。
ああ、君がイヌノフグリだったのか!
積年の謎が解けた。
小学校で教わった記憶がある草野心平の詩に「春のうた」があるが、ここにイヌノフグリが登場する。
ほっ まぶしいな
ほっ うれしいな
みずは つるつる
がぜは そよそよ
ケルルン クック
ああいいにおいだ
ケルルン クック
ほっ いぬのふぐりがさいている。
ほっ おおきなくもがうごいてくる。
ケルルン クック
ケルルン クック
この詩はまさに私のホームグランドであるこの河川敷の春のウキウキした喜びを歌っている。
毎年春がめぐって来るたびに、私は半世紀以上前に教わったこの詩を必ず思い出す。
この詩の「ほっ」「ケルルン クック」というそれまで耳にしたことのない表現が小学生だった私の頭にしっかりと刻印されたようだ。
小学生だった頃の娘と息子にこの詩を教えてやったものだが、二人は今でも覚えているだろうか。
河川敷でトレーニングを始めて14年間、ずっと「小さな青い花」だったのが去年からは「イヌノフグリ」という名を持った。名前を知ったことでただの野草から今では会えば挨拶をかわしたいほどの親しい花になった。
「野に咲く花の名前は知らない…」
と始まる歌がある。
私の学生時代、一世を風靡した京都の学生三人が結成したフォークグループ、ザ・フォーク・クルセダーズの「戦争は知らない」(作詞:寺山修司、作曲:加藤ヒロシ)だ。
今ではめったに耳にすることのなくなった歌で、三人のうち健在なのは北山修氏だけになってしまったが、ふとした折に耳にすると、時の流れの速さを思わせられる。
「帰って来たヨッパライ」「イムジン河」「悲しくてやりきれない」「青年は荒野をめざす」など、学生時代を同じ京都で過ごした私にとっては忘れられないフォークグループだ。
私の子供の頃-昭和30年代の広島には原っぱがいたるところにあった。
夏には雑草が繁茂し、大きな土管や材木が放置されていたそこは子ども達の格好の遊び場で、蛇もいたし、トカゲもいた。蝶もバッタもとんぼもやって来た。私は友達と藪の中に秘密基地を作り、そこにビー玉や牛乳瓶のふたなどの宝物を貯めこんだものだ。
遊具など一つもなくとも、当時の子供たちは自分たちでいくらでも遊びを作り出して楽しんだ。
「原っぱ」と言う言葉は今では死語になっているようだが、そこには雑草にまじって、よもぎもどっさり生えていた。母は私の摘んできたヨモギで草餅を作ってくれたものだ。
他の草の名前も、それを使ってのいろいろな遊びも知っていたが、今ではきれいさっぱり忘れてしまった。女の子たちはクローバーを編んで首飾りを作っていたが、そういえばこれも京都出身者たちで結成されたグループサウンズ、ザ・タイガースには「花の首飾り」という曲もあったなあ。
ボーカルの加橋かつみ(トッポ)の歌声もまた唯一無二のものだった。
春が深まるにつれ、この河川敷には私の子供時代そのままに様々な野の花が咲いていき、さらに季節が巡るにつれて、71歳の私のますます楽しい遊び場になっていく。