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70代のひとり部活  作者: 種田
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あこがれの人

高校時代、400mの四国チャンピオンだった学生時代の友人にも、あこがれた先輩がいた。

今の私にもそんな人がいる。

私が50代後半の頃、広島県マスターズ陸上選手権に島根県から参加してくる人がいた。人懐っこく話しかけてくる彼の口から、「Mさん」という名前が何度も出た。

彼によると「Mさん」は全日本マスターズ陸上選手権60歳代の部の円盤投げで42m53を投げて優勝した人だそうな。

当時の私と同じ50代後半の人が、かくも熱く称賛するMさんはよほど魅力のある人であろうと私は思ったものだ。


初めてMさんと一緒に競技をしたのは、2012年に広島で行われた中国マスターズ陸上選手権だった。その年、60歳になった私は3歳年上のMさんと同じ部門で競うことになったのだ。

大会初日は砲丸投げだった。

選手の招集場で私はMさんに話しかけた。身長は私より若干低いが、がっちりとして胸板は分厚く、岩のような体をしていた。素朴で飾り気のない人柄に私は好感を持った。

試合はMさんと同記録の10m70で私が二位、Mさんが三位、山口のTさんが10m91を投げで一位となった。

三人が抜きつ抜かれつの投擲を展開し、私はスポーツで競う醍醐味を久しぶりに味わった。


二日目の円盤投げでは、32m98の私が二位、Mさんは37m台を投げて一位だった。

その7年後、私も38m台を記録するようになったが、当時の私にとって彼との5mの差には大きな次元の差を感じた。彼の投げた円盤が描いた大きなアーチは今でも私の脳裏に浮かんでくる。

その後、毎年一回、中国マスターズ陸上選手権で顔を合わすたびに、私は少しずつ彼のことを知っていった。

鉄工場の経営者であると知って、ごつい体をしている理由が分かった。米を作っている農家でもあること。夏には川船でアユを獲る川漁師であること。酒豪であること。大型犬のダルメシアンを飼っており、夏の盛りには散歩の途中でその犬と一緒に川で泳ぐこと等々。

日本海に面した小都市で、自然を身近に生きている人であった。

アメリカのカントリー歌手、ケニー・ロジャースの曲が似合う彼との年一回の試合を私は心待ちするようになった。


2018年10月、鳥取で行われた全日本マスターズ陸上選手権の円盤投げ、65歳代の部で私は36m95を投げて優勝した。

最終試技のサークルに向かう私にMさんは

「あんた、今日は勝てるよ」

と言って送り出してくれた。


かつて42m53を投げた彼が、70歳を前にして30mに届かない投擲を見せることがあった。

自己ベストを10m以上も下回る30mそこそこを投げてサークルから出てくる彼を見て

(Mさんでも衰えるのか)

と寂しい思いがしたものだ。

初めて試合で会った日、私の目の前で雄大な投擲を見せてくれた彼にあこがれ、競技会で彼と競うことが私には何より楽しかった。

私の登るべき山の頂上に彼がいた。

彼が目の前で37m越えを見せてくれたから、私はそこまで行けたのだ。あれがもし35mであれば、私が目指したのはそこまでであったかもしれない。

Mさんの立っているあの山頂に立てばどんな光景が見えるのか、私はワクワクしながら山を登って行ったのだ。しかし頂上に着いてみると、そこで待ってくれているはずの人は、後姿を見せて山を下っていた。

あの山頂で、同じ景色を見ながら彼と試合がしたかった。

私は山頂でポツンと一人、途方にくれた気分だった。


かつてやり投げの日本記録保持者で、1984年のロスアンゼルスオリンピックで5位に入賞し、その後ソウル、バルセロナの2大会にも出場した吉田雅美という選手がいた。

吉田より8歳年下だが、吉田も参加したソウルで銀、バルセロナで金メダルを獲得し、その後さらにアトランタ、シドニーと三大会連続で金メダルを取ったチェコのヤン・ゼレズニーという選手がいた。

ある時、日本で行われた競技会で、テレビ中継の放送席に、すでに引退していた吉田は解説者として座っていた。彼の目の前で招待選手のゼレズニーは失敗投擲を繰り返した。

解説者の立場を忘れた吉田が思わず

「ゼレ、何してんだよ!」

と発した声をテレビのマイクははっきりと拾った。

吉田は彼のヒーローであったゼレズニーに圧倒的に強い選手であって欲しく、その気持ちが思わず言わせた叫びであったろう。


今年も10月の全日本マスターズ陸上選手権で私はMさんと円盤を投げあうだろう。

彼がさえない投擲をしたら

「Mさん、何してんだよ!」

と彼にも他の選手にも聞こえぬ小さな声で私は言うかもしれない。


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― 新着の感想 ―
[一言] 俺の屍を踏み越えて行け! そんな声が聞こえそうです (;^ω^)
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