川岸のメロディ
7月7日
朝7時30分、河川敷に到着。
今日も相変わらず重苦しい梅雨空が上空を覆っている。
先日のように河川敷の真ん中で投げている時に雷雨に襲われてはたまらないので、雨の降らないうちに円盤投げから練習を始める。
私が円盤(1K)を一番投げていたのは67歳前後だが、当時は円盤が手からリリースされた瞬間、「いった!」と手ごたえを感じた時には39~40mまで飛んでいた。
ところがこの8月で72歳になる最近は、「いった!」という時ですら、円盤は34mから先にはどうしても飛んでいかない。
かつてプロ野球の強打者であった人が、打った瞬間「ホームラン」と分かった打球が、30歳を過ぎて外野フライにしかならなくなった時、
(そろそろ引退)
と感じたと言っていたが、その感覚と同じだ。
(これ以上飛んでたまるか!)
と、円盤が意固地になっている感じさえ受ける。
その反抗的態度に、こちらも
(ならば飛ばしてやろうじゃないか)
とリキみ、当然飛ばず、私は
(飛ばないのはこいつのせいだ!)
と、円盤に責任転嫁さえするので、両者の関係は当然険悪化する。
テニス選手が自分のラケットをコートにたたきつけている場面を時々テレビで目にすることがあるが、さもありなんと思う。
家に戻って冷静になった私は、この凋落ぶりは加齢によるパワーの低下が原因かとも考えたが、円盤よりさらにパワーが必要となる砲丸投げは60歳代からほとんど記録が落ちていないのだ。
となると円盤投げの記録の低下の原因はパワーにあるのではなく、フォームにあるのではないか。
そう思ってデジカメで撮った自分のフォームを見てみるが、我ながら(なかなかいいフォーム)ではないか。
いいフォームでありながら飛ばないというのが一番悩ましい。
よって改善策の見つからないまま次の試合、中国マスターズ陸上選手権は約一週間後に迫ってきた。
練習中、トンボが二匹飛び交っているのを見た。
まだ7月上旬なので自分の目を疑ったが、今年は現れるのがずいぶんと早い。
この河川敷にトンボがやって来るのは毎年決まって8月の中旬になってからだ。
どうしたことだろうか。
原っぱを色とりどりににぎやかしていた春の草はすっかり姿を消し、クローバーがわずかに点々と生き残っているだけだ。
河岸の桑の実、この赤紫色の甘酸っぱい木の実は私の練習の合間のデザートだったが、鳥にすっかり食べつくされてしまった。
川にかかっている橋の下では、今日はクラリネットを練習している男性が一人、私が聴いたことのない曲を吹いている。
石原裕次郎の「夜霧よ今夜もありがとう」をおはこにしていたサックスの老人はここ二年ほど姿を見せていない。
彼の裕次郎シリーズは、河川敷で一人寂しく円盤を投げる私の耳を、真昼間にもかかわらず夜のムードで随分と慰めてくれたものだ。
河岸でチューバを吹いていた青年もこのところ見かけなくなった。
(山頭火の一句)
兵営のラツパ鳴るなりさくら散るなり