菜の花の初日
3月15日、今日は2023年シーズンの、屋外での最初の投擲練習。
毎年3月の中旬、自転車に乗ってこの河川敷にやってくるのも今年で15年目を迎えた。
午前7時半、広い河川敷には全く人影がなく、見上げれば雲一つない青空が広がっているが、川面を渡ってくる風はまだ冷たい。
今年、この河川敷には10月上旬の全日本マスターズ陸上選手権までの約7ヶ月間、週に一二回投擲練習に来ることになるだろう。
毎年のことだが投擲練習の初日は4か月間積み上げてきた冬季練習がどんな成果と変化を見せてくれるのかと、とりわけワクワクしながらここにやって来る。
その冬季練習だが年明け正月早々、60年ぶりに逆立ちをした。
小学校六年生の時、翌年に迫った前回の東京オリンピックの影響であったのか逆立ちが男子の間ではやった。逆立ち何メートル歩けるかを競ったし、逆立しての競争もやった。中には階段を逆立ちで上下するサーカスの曲芸師かと思われる男子もいたが、今思えば大けがをしかねない危険なことを小学生が嬉々としてよくやっていたものだと思う。
学校も先生方もおおらかな時代だった。
その後約60年間、私は逆立ちとは無縁の生活を送ってきた。
砲丸投げの突き出し、円盤投げの振り切りに腕や肩の強化は必須条件だが、私が持っている一番重いダンベルは10キロなのでずっと物足りなさを感じていた。
どうしたものかと思っていたところ
(自分の体重を使えばいいではないか。しかも何も買う必要はなくタダではないか)
と思いついた。それが逆立ちに挑んだ理由だ。
逆立ちをすれば75キロの体重を自分の腕で支えることになり、さらにそのまま肘の曲げ伸ばしまで出来るようになれば75キロのバーベルを差し上げるのと同じ効果を生むことになるだろう。
思い立ったが吉日と、ある日私は部屋の壁に向かって両手をつき、反動をつけて足を振り上げた。足先が壁に着いた瞬間、右ひじがガクッと折れ曲がり、派手な音とともに顔面から床に崩れ落ちた。たまたま家人が不在だったから無様な姿を見られずにすんだものの、見られでもしようものなら「年甲斐もなくまたやって」と大いに顰蹙を買ったことだろう。
(ついに逆立ちも出来ない年になったのか)
自分の71歳という年齢を忌々しくもはっきりと自覚させられた。
ひっくり返った際、右手の小指をどうひねったものか、その夜から赤く腫れあがって痛み、いつかは治るだろうと放置しているが、3か月たった今も関節が腫れたままだ。
痛い目にあって懲り懲りした逆立ちはメニューから除いたが、今年の冬季練習は心を入れ替えて手抜きをせず地道に取り組んだ。
下半身の強化にはジャンプ系の練習を取り入れたが、その結果太ももの周囲が60センチになり、バッタやカエルを想起させるバネのある脚が出来上がった。
せっかくここまで太くした脚だ、記録に反映してくれなくては。
河川敷はまだ冬枯れの様相だが、菜の花だけはあちらこちらに黄色い花を咲かせている。この花はやがて群生し川岸を黄色で埋め尽くしていくだろう。
菜の花は作家司馬遼太郎が好んだ花で、2月12日は司馬遼太郎の命日「菜の花忌」である。
気温の上昇とともに菜の花に続いて、オオイヌノフグリ、カラスノエンドウ、クローバー、キツネアザミ、ナズナなどの春の野草がこの原っぱをにぎやかに飾り始めるのだ
そして三月の下旬には春の主役の桜が川土手に満開となって目を楽しませてくれる。
3時間近く河川敷を独り占めして大いに遊び、すがすがしい気分で、かつ投げすぎでじんじん痛む肩とともに川土手を自転車で帰宅。




