ぶっ倒れるまで 広島県マスターズ陸上選手権 その3
☆前回の続き
円盤投げは32m台で安定はしていたがどうも投げに手ごたえなし。
肩と腰の回転に振り切りを連動させることが出来れば円盤はうまく飛んでくれるのだが、言うは易し、行うは難し。
4投ともファウルしなかったことで今回は良しとしておこう。
妻の3000m競歩と私の砲丸投げの時間が重なってしまったが、競技の途中で何回か妻のレースをデジカメで撮る。
妻は初戦の福岡マスターズの教訓を生かし(あの試合はスローペースで入りすぎたのだ)、最初は男子の先頭グループの最後尾についていった。
福岡マスターズで試合後に声をかけてくれた82歳のベテランH選手、1964年の東京オリンピックの代表だった80歳のN選手にも妻はそれほど遅れずについていくではないか。
(やばい!)
と私は思った。
1周ごとの予定ペースを妻は手のひらに一ボールペンで書いておいた。
200m時点で電光掲示板を見ると、あろうことかあるまいことか最初の200mを1分24秒で入るレースプランだったのが、男子のペースに引っ張られて超オーバーペースの1分17秒で入ってしまっていた。
(まずい!)
と思ったそうだが、こうなったらもう行くしかない。
何とか最後まで持ちこたえ従来の広島県、中国記録を13秒更新しての新記録だった。
ゴール後はぶっ倒れてしばらく起き上がれないのが砲丸投げのピットの私から見えた。
試合後、妻と合流し、コンビニで買っておいた稲荷ずしをスタンドで食べながら試合を観戦。
女子95~99歳クラス100メートルで、マスターズ陸上初参加の川本静子さんがルーマニア人選手の持つ世界記録(30秒16)を抜く28秒85を出したのには競技場全体がどよめいた。
中国新聞の紹介記事にはこうある。
『同町で長男英雄さん(73)夫婦と3人で暮らす。63歳で海運業の仕事を辞めてから30年以上、畑で野菜を育て続けている。20分間の腹筋体操も欠かさない。身長は144センチと大きくはないが、幼い頃から運動神経は良かった。ただ、長く取り組んだスポーツは仕事を辞めて始めたゲートボールだけだという。
以前から町民運動会で家族が走るのを見るたび「私の方が速い」と言うのが口癖だった。半信半疑だった英雄さんに促され、今年1月ごろ自宅前の道路で100メートルを走ると、日本記録より3秒ほど速く、慌てて今大会にエントリーしたという。英雄さんは「今でも信じられない」と振り返る。
10月に山口市で開かれる全日本マスターズ陸上競技選手権大会への出場も検討している。川本さんは「走れるのは元気ということ。なんぼになっても走りたい」と意欲を燃やしている。』
100m競争のスタートラインに立った川本さんは、新聞記事にある通り陸上競技場にはふさわしからぬゲートボール用のポロシャツ姿そのものだったが、そのランニングフォームは正確な腕ふりが最後まで崩れることがなく、ローマオリンピック女子100m競争の優勝者、アメリカのウイルマ・ルドルフの走りを私に想起させるほどの素晴らしいものだった。
もし川本さんが若い頃、陸上競技をしていたならどれほどすごいスプリンターを我々は目にしたことだろう。
95歳になって日の目を見る才能もあるのだということをはっきりと知らされた。
その後、ネットで予約しておいた宿にタクシーで向かうが、これが遠いのなんの、山の中の宿に着いた時にはタクシーのメーターは4,500円になっていた。
ネットで宿を予約する際には、町中からの距離を確認しておくべしという教訓を得た。
夕刻、中国山地の山々を見はるかす温泉につかって汗を流し、夜は二人でビールで祝杯を挙げた。