岡山マスターズ陸上選手権
5月4日(祝)、今年の初戦、岡山県マスターズ陸上選手権。
この岡山県での試合で私のマスターズシーズンは毎年幕を開けるのが習わしだ。例年は5月5日の子供の日に倉敷の競技場で開催されるのだが、今年はそこが改修工事中なので、日にちも一日繰り上がって4日になり、会場も岡山市の岡山県総合グラウンド陸上競技場になった。
試合前日の3日、いつもそうするように小さなノートに試合当日に持っていくシューズやゼッケンその他こまごましたものを書き出して、漏れの無いようにバッグに詰めていく。
同時に朝起きてから家を出て、岡山での試合が終了するまでの、たとえばウオーミングアップなどの場面ごとにやるべき手順もノートに書いていくのだが、その作業をしているうちに徐々に気分が高揚してくる。
試合前日のこの気分がたまらなくいい。
さて、試合当日の4日。
妻の運転で広島駅に向かう。
広島駅6時始発の新幹線に乗り込むなり、妻の作ってくれたおにぎり3個と卵焼きを食べる。円盤投げの試合開始は午前9時半なのでこの時間に食べておかないと岡山に着いてからでは食べるタイミングがないのだ。ゴールデンウイーク中とあって、次の停車駅の福山で自由席の車内は見たところすでに80%の込み具合だ。
6時40分、岡山駅着。
コンビニで試合の合間に食べるパンや飲み物を買い、早朝のまだ人気の少ない、朝日を浴びた清々しい通りを歩いてスタジアムに向かう。
そんな人気もまばらな通りの一軒の店の前に数人の人が列を作っているので、(何事ならん?)と思って店の看板を見ればなんとラーメン屋だ。
朝の7時だというのに狭い店の中はラーメンをすする人で満席だ。小学生くらいの子供の姿まである。
私は飲み屋をはしごした挙句、深夜にラーメン屋ののれんをくぐったことは何度もあるが、朝7時に店でラーメンを食べた記憶はない。
朝ラーメンは私の辞書にはなかった。
岡山には健啖家が多いという新しい知見を得た。
この時間に少なからぬお客を引き付けるラーメンとはどんなにうまいものなのか、
(食べてみたい)
と思ったが、これから私は試合だ。他日を期して後ろ髪を引かれる思い通り過ぎる。
スタジアムのロッカーで着替え、スポーツ公園の木陰でウオーミングアップ。
この公園は木が豊富で、新緑が五月の朝日を浴びてきらめき、空気がうまい。
木陰でフルートを練習する人もいて、その音色と鳥のさえずりがウオーミングアップをする私の耳を楽しませてくれる。
9時より円盤投げスタート。
半年から1年ぶりに顔を合わす選手たちとヤアヤアと挨拶を交わし旧交を温めあう。
競技結果は最悪だった。
70歳代の部では一位であったものの31m28とマスターズ陸上を始めて以降、競技会での最低記録。
試合中にフォームに迷い
(どうやって投げたものか?)
と考えているようでは話にならない。
自分が何をしているのか全く分からないまま競技終了。
11時からは砲丸投げ。
こちらは円盤よりは少しはましで70歳代の部一位(11m07)の大会新記録だった。
しかし最近の練習の出来からして11m50は最低でもと思っていたので、こちらも課題多し。
4kの砲丸がいつもより重く感じられる嫌な予感とともに始まった試合は、投擲サークルから前に飛び出すファウルを恐れて、思い切った突き出しが出来ない。
(何をビビッておるんだ!)
と自分にハッパをかけるが点火せず、不完全燃焼で試合を終える。
(大会の参加費、広島岡山往復の新幹線代、その他もろもろで三万円以上を費やしてこの体たらくか。ムダ金だったな)
我ながらみみっちい思いまでが心をよぎる。
試合後、5月上旬とは思えないほどのやる気いっぱいの太陽の下を、重い足取りで汗だくになって岡山駅まで歩く。
駅の喫茶店でメニューにあるのを見て、衝動的にクリームソーダを注文する。
恐らく50年ぶりのクリームソーダだが、初戦のあまりにもふがいない試合ぶりに、私はどうかしていたのかもしれない。
大学一年生の時、先輩に喫茶店でおごってもらったのが、その時はじめて口にしたクリームソーダだった。緑色のソーダ水に白いアイスクリームが浮かべてあり、なんときれいな飲み物だ、と思ったものだ。
先輩がおごってくれたのはその一回きりだったので、それからは喫茶店に入るたびに決まってクリームソーダを注文したものだった。
半世紀ぶりのクリームソーダは昔の思い出をよみがえらせてくれはしたが、70歳を過ぎた私には作家の開高健の言葉「知恵の悲しみ」をも思い出させた飲み物だった。
夕方、ヘトヘトになって広島の自宅にたどり着く。
どうしたわけか、風呂上がりのたった2本の缶ビールでグデングデンになり、ほとんど気絶状態で寝る。