草に寝て
子供の頃の思い出。
友人と原っぱの草に寝転んで空を見上げ、過ぎていく雲が何に見えるかと飽きずに話したものだ。人の横顔に見える雲を指さしては「あそこが鼻で、こっちが口…」と友人に説明するが、流れる雲は刻々と形を変え、見えていた横顔は消えてしまう。
しかし次の雲がやって来るので、今度はその雲の謎解きに私たちは夢中になる。
雲一つない快晴の時でも見上げれば飛行機雲を従えて飛行機が過ぎて行くし、鳥も飛んで来て、空を見上げていれば話題には事欠かず私たちは何もない原っぱで時を忘れた。
「三つ子の魂百まで」というが、草に寝転ぶということにおいては、このことわざはいまだに私の中で生きている。
中学の国語の時間に私の想いをズバリと表現している短歌に出会った。
石川啄木の「不来方のお城の草に寝転びて空に吸はれし十五の心」だ。
高校生になって知った詩人、立原道造の作品に「草に寝て…」がある。
それは次のように始まる。
“それは 花にへりどられた 高原の
林のなかの草地であつた 小鳥らの
たのしい唄をくりかへす 美しい声が
まどろんだ耳のそばに きこえてゐた“
当時私が買った文庫本の「立原道造詩集」。
そこには「昭和13年春、浜町公園にて」とのキャプション付きで、両腕を頭の後ろに組んで芝生に寝転び、カメラの方に向かって微笑んでいる立原道造の写真が載っている。
彼が25歳で亡くなる一年前の写真だ。
私の通った高校からは5分も歩けば海だった。放課後、関門海峡を見下ろす小山に上り、海風に吹かれながら松林の中に寝転んで、私は石川啄木の歌や立原道造の世界に遊んだ。
社会人になって住んだ沼津では適当な草原がなかったので私は寝転ぶ場所を駿河湾に臨む海岸に求めた。
仕事が休みの休日の夕方、10キロ以上も続く防潮堤をジョギングした後、波打ち際の、頭上360度視界を遮るものは何もない砂浜に寝転んでは暮れていく夕空を見上げたものだ。
水平線上の茜色の空と雲は刻々と色を変え見飽きることがなかった。
57歳でマスターズ陸上を始めた。
私が円盤や砲丸を投げるのは人がやって来ない河川敷。
「ひとり部活」を終えた私が人目を気にせずに好きなだけ地面に寝転んでいられるとてもいい場所だ。
季節は春がいい。
草に寝ころんで視線を横にやるとそこにはカラスノエンドウ、オオイヌノフグリ、クローバなどの春の野草が繁茂し、横になった私の目線の上まで草が延びているため深い森の中を歩いているような気分になる。
しかし夏はいけない。
地面が焼けてとても寝ていられないし、汗でぬれたジャージに泥が付いて汚らしいことこの上なく、自転車の帰り道ではすれ違う人に振りかえられてしまう。
この河川敷を見下ろす歩道があるが、そこから見ると夏の盛りに草むらに横たわっている私の姿は下手をすると行き倒れか、熱中症で倒れている人に見えても不思議はない。
その姿を見た親切な人が警察に通報するようなことにでもなれば人騒がせなことだ。
さらには、草むらにいるダニに噛まれたのが原因で死亡事故があったことを新聞記事で知ってからは、夏に限っては好きだった草に寝転ぶことをやめてしまった。
昔、ある郊外の山の中にある競技場で行われた陸上の練習会でのこと。
満足のいく練習を終えてバックスタンドの芝生で寝転び、練習の心地よい疲れからウトウトまどろみ、目が覚めると小さな看板が目に入った。
見るとこう書いてあった。
「マムシ注意」
そばの芝生にマムシが潜み、今まさに私にとびかかろうとしている幻想が私を襲い、体が凍り付いた。
私は硬直する体をそっと起こし、おびえた目で周囲を警戒し、「お互い家族がいるんだから手荒なことはやめようぜ」と訴えつつ、抜き足差し足でその場を離れ、運よく生還できた。
マムシにも陸上競技のファンがいることをあの時初めて知ったが、あの物騒な競技場での練習会にはあれ以降二度と参加していない。
(今日の一句)
・草に寝て少年の日に戻りけり