25:空に昇る煙に何を思い出すのか
スマホから軽快なBGMが流れている。私はソファーに横になりながらゲームに集中していた。
そんな私の頭を膝に乗せた状態で御嘉がぼんやりとしながら時間を過ごしている。
「ずっと出かけてることが多かったから、こうしてのんびりするのって初めてだね」
「そうですね」
「そのゲーム、楽しい?」
「無料でも遊べますよ。遊ぶだけなら」
「……ちょっと危ない気配がするから止めておくね」
ゲームの妨げにならない程度に私の髪や耳を指でなぞる御嘉。その感触が心地好かったのでキリの良いところでゲームを切り上げる。
「あれ、止めるの?」
「御嘉を構いたくなりまして」
「……そっかー」
軽く瞬きをした後、ニコニコと笑みを浮かべる御嘉。そんな彼女と視線を合わせて、お互いの指を絡め合う。
ただそれだけ。それ以上に何かする訳でもない。言葉もあまり出て来ない。そんな無言の時間なのに、御嘉が側にいるというだけで心が落ち着く。
「……ずっと」
「……ん?」
「ずっと、こんな時間を過ごせるならいいですね」
「そうだね。私もそう思うよ」
何かする訳でもなく、何かに追われる訳でもない時間。
それなのに満たされているという実感が湧いてくる。この時間に名前をつけるとするなら、それこそ幸せという名前以外にないだろうと思う程に。
「……ねぇ、理々夢」
「何ですか? 御嘉」
「今回、相良さんに任せて良かったの?」
平和な時間は少しだけ遠退いた。相良さんのことを思い出してしまえば幸せだった心地よさが去っていく。
その代わりに胸に過るのは少しの不安と、それ以上に胸を絞める切なさだった。
「あの人が自分から動くなんて滅多にないんですけどね」
「そうだよね。普段はあんなだけど、やる時はやる人なのはわかってるし。でも、今回は相良さんが動かなきゃいけなかったのかな?」
『――エルユピテルについてなんだけど、今回は私に任せてくれないかしら? きっと一番、私が適任だから。二人は疲れでも癒しておいて』
エルユピテルが相良さんの知り合いだった。それは有り得る話だ。ネクローシスも魔法少女もお互いの正体を隠して普段の生活を送っているのだから。
だから私たちよりも当人を知っている相良さんが動く、というのはわからない話でもない。ただ……。
「……感傷でしょうね」
「感傷?」
「相良さんは表情を取り繕うのが上手いんですけど、それでも取り繕えない時があるんですよね」
エルユピテルの正体を知ってから、どうにも相良さんは彼女のことを気にしているようだった。
その時の相良さんの表情を思い出す。私はその表情が、彼女がどんな思いな時に浮かべるものだったのか知っている。
『クリスタルナ。――私は、皆が誇りに思える女王だったか?』
――あれは、自分に仕えた騎士たちの死を看取っていた時の表情と同じだったから。
* * *
風に揺れて、空に昇った煙が流れて消えていく。
家では吸うことはない煙草を吹かせながら、私は落下防止用の柵によりかかって夕焼けに染まる空を眺めている。
「……理々夢ちゃんはお酒は許してくれるけれど、煙草は壁に汚れとかつくから勿体ないって怒るのよねぇ」
だから吸うなら外で吸うように言われてたのだけど、冬に一度、理々夢ちゃんが取っていた限定商品を間違って食べてしまい、ベランダで煙草を吸っている間に内側から鍵を閉められるという報復を受けてから家では吸わなくなった。
別に煙草は好きで吸っている訳ではない。銘柄だっていつもバラバラだし、ただ咥えているだけの時もあった。
『口寂しいなら飴でも舐めてればいいじゃないですか』
火もつけずに煙草を咥えていた私に、理々夢ちゃんがその代わりと言わんばかりに棒付きのキャンディを突っ込んで来たこともあったな。
ふぅ、と息を吐き出すと煙が再び空へと消えていく。どうしても煙を見ていると感傷的になってしまう。空に昇る煙というのが過去を思い出させてしまうから。
煙草を吸うことが目的なんじゃなくて、ただこの行為に意味を見出してしまうだけだ。感傷的になるのも、そういう気分になりたいからで。
「……ここは喫煙所じゃないですよ」
ふと、後ろから声が聞こえた。私は振り返りながら声の主と向き直る。
「誰も見てないし、携帯灰皿は持ってるわよ」
「そういう話をしたい訳ではありませんが。……お久しぶりです、王蔵 相良さん」
「久しぶりね、瑪瑙ちゃん」
そこに立っていたのは学生服姿の青柳 瑪瑙、私が待っていた待ち人だった。
彼女は抜き身の刃のように鋭さを私にぶつけながら目を細めている。
「……ネクローシスだったんですね」
「うん。驚かせちゃったかしら?」
「驚かないと思いますか? ……やはり文恵は貴方たちの手に堕ちていたんですね」
「ちゃんと文恵ちゃんは貴方にお便りを届けてくれた?」
「ここにいることが答えだと思いますが?」
今にも斬りかかってきそうな刺々しさだ。警戒が滲み出ていて、一切こちらに気を許す気はないと言わんばかり。その様を目を細めて眺めてしまう。
あれから文恵ちゃんには何事もなかったかのように学校に通って貰っている。とはいえ、何か様子が変わってしまったことは近しい者なら気付いてしまうだろう。その上で演技をする必要はないと文恵ちゃんには伝えておいたけれど。
「それにしても、よく素直に来たね。それとも近くにエルクロノスでも隠れてるのかな?」
「……それもわかってて聞いてますよね? 私が一人でここに来なかったら文恵に何かするか、もしくは文恵を利用して何かするつもりだったのでは?」
その問いかけに私は曖昧な笑みを浮かべるだけで返す。ここは明確に答えない方が相手の疑惑を育てることに繋がるから。
「目的は何ですか? 私も貴方たちの手駒に加えたいとでも言うつもりですか? そのつもりなら、私は――」
「――たとえ死ぬことになろうとも、決して裏切ることだけはしない」
「……なっ!?」
「当たったかしら?」
煙草の火を消して、そのまま携帯灰皿にしまい込む。動揺を顔に出してしまった瑪瑙ちゃんは先程よりも険しい表情を浮かべた。
「……読心術でも使えるんですか?」
「そんなの使えないわよ。予想出来たのは経験が長かったから。貴方のことを知っていれば、貴方が友人を裏切るなんて真似に手を染めるとは思っていなかったわ」
「……知った風に語りますね」
「それでも外していなかったでしょう?」
私が微笑みながら問いかけると、瑪瑙ちゃんの頬が忌々しそうに引き攣りかけた。
けれど、それをすぐに隠してしまうのだから立ち直りが早い。目だけはさっきよりも鋭さが増しているけれど。
「別に貴方を裏切らせるつもりで呼んだ訳じゃないわよ。ただネクローシス側の話は聞きたかったんじゃないの? ミトラの話を聞いて疑いを持ってしまったんでしょ?」
「……まさか、そのためにわざわざ私を呼び出したと? 自分の正体を明かしてでも?」
「そうよ」
「……何故? 理解が出来ません」
「それは単純に私が貴方を気に入っているからよ。ちょっと親切にしてあげたかったの」
「私を惑わそうとでも? それともおちょくっているんですか?」
彼女の手の中に光が集まり、タロットカードのように象られていく。
いつでも変身が出来る状態の彼女に向けて、私は両手を広げながら柵に背中を預ける。
「もし攻撃するなら一撃は譲ってあげる。そうしたら話を聞くつもりになってくれるかしら?」
「……何を言ってるんですか」
「それとも一撃で私を殺す? 貴方にそれが出来るというのならこの首を斬ってみなさい。先に言っておくけれど、私の死によって文恵ちゃんには何も起きないし、何も起こさせるつもりはないわ」
「……言葉でだけなら、何とでも言えます」
「そうね。じゃあ、試せばいいと思うわ。どうぞ」
そう言って私は目を閉じて無防備なまま、彼女の前に立ち続ける。
目を閉じれば聞こえてくるのは街の喧騒のみ。私はただ瑪瑙ちゃんの反応を待つ。
「……わかり、ました」
それは苦しげに吐き出された声だった。目を開けば変身の予兆は消えていて、苦々しい表情で瑪瑙ちゃんは私を睨んでいる。
「無防備な人を斬るなどと、それが敵であっても私には出来ません」
「えぇ」
「それでは話を聞きましょう。――貴方の話を聞いて信じるかどうかは別ですが」
「そういう言うと思ってたわ。――話をしましょう、信じるかどうかはご自由に」




