24:その魔法少女は人狼なりや?
「いい、この駄犬? いきなり人に飛びついたり、頬でもキスしたりしたらダメなの。わかった?」
「はい!」
「……本当にわかったの?」
「はい!」
「……はぁ、ならいいわ」
「はい! エルシャインさんも大好きです!」
「何もわかってない!! 学習能力ッ!!」
エルユラナスを正座させながら説教をしていたエルシャインだけれども、エルユラナスは尻尾をぶんぶん振りながらじゃれつく大型犬のようにエルシャインに抱きついている。
先程までは目を逸らしたくなる程に恐ろしい形相をしていたエルシャインだけれども、今は気力が尽きそうな顔でエルユラナスの好きにさせていた。
「……えーと、エルユラナス? ちょっと良いですか?」
「はい、ご主人様!」
「とりあえず、まずはエルシャインを解放してあげてください」
「はい!」
ハキハキと返事をする様は、今までの彼女とは別人のようにしか思えない。
エルシャインを解放したエルユラナスは、キラキラした目で私を見て尻尾をぶんぶんと振っている。まるで遊んで欲しそうな犬そのものだ。
「今、貴方は自分の状態をどれだけ把握してる?」
「元気です!」
「あ、うん、はい、そうですね。その、随分と前の貴方とは違いますが、何か心当たりは……?」
「説明してもらいます!」
「はい? もらいます?」
微妙に言葉使いがおかしいと思っていると、エルユラナスが目を閉じると彼女の身体が黒い光を纏う。
光が収まると、そこには私たちが知っていたエルユラナスの姿があった。そして、その足下には黒い大型犬が現れていた。
「……では、ご説明させて頂けますか? ご主人様」
ゆっくりと目を開いたエルユラナス。姿だけは以前のままだけれど、その目はどろりと濁ったように澱んでいて妖しげな雰囲気を纏っていた。
もっと具体的に言うと目に光がない感じだ。そんな目で普通に微笑まれても少し怖い。
「……もしかして、ネクロシードと分離が出来るんですか?」
「はい、ご主人様。完全な分離ではありませんが、こうして別行動も出来ます」
「意志はそれぞれ別にあると考えても良いですか?」
「そうですね、二重人格にも近いでしょうか?」
「今、この状態でもお互いの意識は共有されてるのですか?」
「はい。離れていてもお互いがどこにいるのか、何を見ているのか等、把握することが出来ます」
「使い魔のようなものに近いですか」
「あぁ、そうですね。それが近いと思います」
私との会話を楽しむように、エルユラナスは胸の前で手を合わせた。
「はっきりと言えるのは私はこの子の器であり、この子の半身であり、この子のそのものでもあります。私がこの子を受け入れ、この子が私を飲み込む。そういう関係になりますね」
「魔法少女としての力は?」
「この姿であれば以前のままですが、この子の力も借りられますし、先程のようにこの子に私を明け渡せば〝真実の私〟に戻れます」
〝真実の私〟と告げる時に彼女は心の底から嬉しそうな、どこか陶酔したような微笑みを浮かべていた。
見ていれば見ている程、何かがズレているような違和感を覚える。これは興味深い結果だと思う。
「貴方たちは、どちらが本体なのですか?」
「どちらも本体です。私たちは二つで一つ。どちらでも欠けたら成り立ちません」
「成る程。では、貴方の望みは何ですか?」
私の問いかけに、エルユラナスは自分の頬を片手で撫でながらうっとりとした笑みを浮かべる。
「ご主人様に、そしてネクローシスに忠誠を誓い……あの子を、真珠を私のものにすることです」
「……たとえ、彼女を傷つけることになっても?」
「えぇ、だって真実の私は獣だったんです。本当はあの子をどこにも行かせたくなくて、閉じこめて、私だけ見て欲しかった。私だけがあの子の全てになれば良いと思ってた。それをこの子は教えてくれたんです」
膝を折り、足下で座っていた黒い犬を抱き寄せて頬ずりをしながらエルユラナスは笑う。
どうしようもなく取り返しのつかないことになっている。どう見てもそうとしか思えない彼女の姿に、私はそっと息を吐いた。
「心の底から感謝しています。このご恩は忠誠としてお返しいたします、私のご主人様……」
「……もしもですが。私が白久 真珠を殺せと言ったら?」
その問いかけにエルユラナスはキョトンとした顔をした後、何がおかしいのかクスクスと笑った。
「ご主人様がそんな愚かなことを言う筈がないじゃないですか? もしそんなことを言うご主人様がいたら――偽者なので噛み殺しますね? だってご主人様は、私の理解者ですもの」
「……成る程」
これは、なかなかに狂犬らしい。
エルユラナスだけではなくて、黒い犬の方も笑うように犬歯を見せている。
まるで自分の獲物を横取りするな、と言わんばかりだ。必要となればこの子たちは本気で私に牙を剥くだろう。
これがネクロシードに侵蝕された者、絶望を欲望に転化させし者。それ故に暴走しがちなところもあるネクローシスの手駒。
「勿論、貴方の願いを阻むつもりはありませんよ。歓迎します、エルユラナス。ようこそ、ネクローシスへ」
私が手を差し伸べると、エルユラナスは微笑んだまま私の手を取って手の甲に口付けをした。いや、立っていいよって合図だったんだけれど……。
「……また、キスしてる」
ほら、後ろが怖いことになってる。
いや、これは忠誠を誓う一場面のよくある奴。だから違うの、エルシャイン。私は何も悪くないので、無罪は成立しました。これにて閉廷です。
「――これから、どうかよろしくお願いしますね」
エルユラナスがそう挨拶するのと同時に、ばう! と犬も鳴くのであった。
* * *
「お前はどうやったらそうなるのかな~? はい、お手! おすわり! 伏せ!」
「わん! わん! わーん!」
「嘘……何一つ出来てない……! なんてお馬鹿さん……!」
「すいません、夕食までご馳走になってしまって」
「構いませんよ。この子のことをもう少し調べたかったですし」
夕食を終えると、相良さんが犬を構い倒していた。あの犬はかなりのお馬鹿さんなのか、なかなか芸を覚えない。
ある意味で互いに欠けたものを埋めているような関係なのかもしれない。今、こうして言葉を交わしていると文恵さんはとても落ち着いている子で、頭の回転も悪くはない。
でも、彼女の生い立ちを思えば自分から強く出たりすることは苦手に思っていた筈だ。それをネクロシードの力を借りることで真実の自分、言い換えるなら理想の自分になるということなのだろう。
「……犬は嫌いだったんですけど、この子を見てると愛おしく思いますね」
そう呟きながら文恵さんは相良さんと戯れている犬を見つめてぽつりと呟いた。
(……そういえば犬がトラウマになってたんですよね。トラウマとは自分にとって恐怖の対象であり、同時に最も強くイメージする強者の姿とも言えますか。それを纏うことで自分の弱さを克服する、という理屈も立てられますね)
実に興味深い。彼女からサンプルが採れればネクロシードの活用方法に新たな光明を見出せるかもしれない。
「そういえば、この子の名前はどうするの?」
夕食の片付けを名乗り出ていた御嘉がキッチンから戻って来た。その視線の先には芸を仕込もうとしていた相良さんに頭突きを喰らわせて、そのままその上に乗って踏ん反り返っている犬がいる。
それ、一応ウチのボスなので退いてあげてくださいね。はい、良い子ですね。
「リュコスにしようかと思ってます」
「リュコス?」
「狼などの意味を持つギリシア語です。この子と一つになると耳や尻尾が生えて人狼みたいになるので、その意味も込めてます」
「成る程、良いんじゃないでしょうか。では、今日からお前はリュコスですよ」
「わん! わんわん!」
名前を付けられたことを喜ぶようにリュコスは元気よく鳴いた。
想像を超える結果にはなったけれど、概ね良い方に進んだと思って良いだろう。
「さて、文恵さん。よろしければ今後の話をもう少しさせて頂いても?」
「はい。真珠、それからついでに瑪瑙をネクローシス側に堕とすことについてですか?」
エルクロノスとは違って、ついで扱いされるエルユピテルに思わず同情の念が湧いてしまった。
けれど今の文恵さんにはエルクロノス、その変身者である真珠さんしか見えていないのだろう、仕方ないと言えば仕方ないか。
「ん? 今、瑪瑙って言った? もしかして青柳さんの家の瑪瑙ちゃん?」
ふと、文恵さんが呟いた名前に反応したのは相良さんだった。私たち三人の視線が相良さんに集まる。
「瑪瑙ちゃんなら私の知り合いだけど。ほら、あの何でも出来る青柳家のお嬢様でしょう? パーティーで顔合わせたこともあるわよ?」
「……それは、確かに私の知っている瑪瑙のようですね」
「へー、そうなんだー。あの可哀想な子がねぇ、魔法少女やってたんだ。ふーん……」
「可哀想……ですか?」
文恵さんが意外なことを言われたと言わんばかりの表情を浮かべて相良さんを見た。その一方で相良さんは何とも言えないような渋い表情を浮かべている。
「少し時代錯誤な育て方をされてるし、本人もなんていうか……そうねぇ」
頬に手を当てて、そっと息を吐きながら哀れむように相良さんは呟いた。
「――平和な世で生きるには、難儀な子よね」




