12:――誰よりも美しい人生を歩みたい
『――やはり、ネクローシスの人も変身してないと誰か見分けが付きませんね』
長年、魔法少女をやっていれば違和感に気付くことが出来る。
あまりにもおかしな広告を見つけて、久しぶりに笑って。一体、どんな人がイタズラをしているのだろうかと、好奇心に釣られて住所の場所まで足を運んでみたら、そこが長年の宿敵たちの拠点と思わしき気配がしているのだから驚いた。
そして踏み込んだ先で、私は彼女と再会した。
――ネクローシスの幹部が一人、クリスタルナ。
彼女と直接戦ったことは少なかったけれど、それでも彼女の使ってくる幻や罠には嫌な記憶しか思い出せない。
そんな彼女が私の前に無防備を晒しているなんて、本当にどうしてこんな状況になっているのだろう、と笑ってしまいそうになった。
それにほんの少し、久しく感じていなかった希望が湧いていた。
クリスタルナが出したと思われる求人広告、まるで冗談みたいな話だとは思ったけれど、それがもし本当だとしたら……。
このまま魔法少女なんてやっていても、私に先なんてない。
もう死ぬしかないのか、なんて思うぐらいなら……博打に身を委ねても良いと思ったから。
彼女と話してみると、なんだかあまりにも普通で拍子抜けしてしまった。
いつしか私も思うままに喋っていることが多くて、それも新鮮だった。
いつもは言葉が出る前に、本当にこの言葉は適切かどうかを考えてしまっていたから。
普通にやり取りが出来る。肩に力を入れずとも話が出来る。
ただそれだけのことなのに、それがどうしようもなく私にとっては救いのように思えてしまった。
『――〝死ねる権利〟、ですね』
でも、それもまた正しくなかったと思い知らされてしまった。
最近までぼんやりと死にたいと考えていた私は、クリスタルナ――正体を隠している際は言神 理々夢と名乗っている彼女から聞いた話に衝撃を受けた。
もう終わりにしたいと思っていた私は、それでも終わることは出来なくて。
ネクローシスである彼女たちも似たような思いを抱いたのかと、そう考えてしまった。
でも、ぴったりに同じにはならないこともわかっていた。
だって、私は死のうと思えば今からでも死ねる。終わることを選べる。
でも、理々夢さんたちは終わりを選べなくて。その事実を知ってしまったら、自分が一番不幸だと勘違いすることも出来なくなってしまった。
『……それじゃあ、私が疎ましかったんじゃないですか?』
『何故ですか?』
『何故って……貴方たちの邪魔を一番していたのは私ですから……』
『仕方ないことです』
『仕方ない……?』
『――何をどう言おうとも、私のたちのやっていることは〝悪〟だからです』
どうして、そんなにハッキリと自分を悪だと言うことが出来るのだろう。
間違っている存在だと言われているのに、それでも悪であることを選べるは何故なのだろう。
望みを叶えるためにはその方法しかなくて。でも、その方法は人から認められるものではなくて。
それでも、迷いもなく選ぶことが出来る理々夢さんは一体どんな思いで言っているのだろう。
それを邪魔し続けた私が、本当は恨んでいないのかどうかも気になってしまった。
『恨んでいたとして、鈴星さんは何かするべきだと思うんですか? 貴方が私たちを阻んでいたのは間違いなく正しいことですよ。私たちは自分たちのやっていることを正当化するつもりはありませんから。……今の貴方だってそうじゃないんですか?』
同じだと、理々夢さんは言ってくれた。
そんな筈はないのに。私と貴方たちは立場が違って、むしろ貴方たちは私を許さないと思っていい資格がある筈なのに。
理々夢さんが煎れてくれた、思わず苦みで顔を顰めてしまうコーヒー。でも、その火傷してしまいそうな程の熱は今の私には心地好かった。
だから、たとえ苦痛があると言われても彼女たちの仲間になる処置を受けるのに抵抗はなかった。
むしろ、苦しくても耐えなければ彼女たちに申し訳が立たないと思う程だった。
――けれど、私を堕とすための処置はそんな罪悪感を綺麗さっぱり消し飛ばしてしまう程に強烈だった。
『ぅ……ぁっ、ぐ、ぁ? ぁ? ぇ? あ、あぁ、ぎっ、ぃぃっ、アァアアアアアアアアアアアアアアアッ!?』
私は自分が感じた感覚を適切に言い表す言葉を思い付くことが出来なかった。
それでも無理に言葉をするとするなら、それは不快感の暴力だった。
あらゆる五感が少しずつズラされている。ズレた感覚を知覚した脳が正常な自分を思い出そうとするも、感覚そのものが捻られていくような幻痛。
何かが触れている訳でもないのに、あらゆる場所が触れられているような気さえしてくる。
感覚が断線する。無理矢理繋げられる。ズレた感覚が知覚する世界そのものをおかしくしていく。
おかしいのは自分なのか、世界の方なのかもわからなくなっていく。
防衛本能のように脳が正常の自分を思い出させようとしてくるけれど、無駄に終わる。
もう吐きそうだ。いっそ吐いてしまいたい。でも、吐くという行動も正しく行えない。
殺して、いっそもう殺して欲しい。
心臓を抉り出して、喉を掻きむしってしまいたい。
死への誘惑が私をバラバラにして、あらゆる私を剥き出しにしていく。
バラバラになって剥き出しになった私、それを飲み込むように闇が広がった。
消えていく。
私が、全部。
何も残さず。
消えて、なくなって。
私が、死んでいく――。
『エルシャイン……いいえ。――鈴星 御嘉、私を見て』
――声が、聞こえた。
息を吹き込まれた。何かがズレてしまった感覚を正常に繋いでいく。
誰かが私に触れてくれている。表面も、裏面も、奥底さえも剥き出しになって、それを丁重になぞるように。
『ほら、受け入れて。向き合って。怖くないですよ。目を背けたくなっても、その闇は貴方の一部です。恐れないで、全部溶け合って、ほら、一つになりますよ』
――声が、聞こえる。
誰かが私に触れた感覚で、私は自分を取り戻して行く。
私自身を思い出すために、私は声に従って闇を見つめる。
闇の中にキラキラとした光が見える。それが私自身だと理解する。
お母さんの背中に憧れる私。
魔法少女になると決めた私。
ネクローシスと戦ってた私。
高校生になって微笑んでいる私。
段々笑顔を無くしていく母を見ている私。
入社した先で嘲笑と陰口を聞いてしまう私。
――あぁ、なんて醜い、ままならない人生。
夢なんて何一つ叶わなかった。
最初から何もかも間違っていた。
それに気付くことなく走り続けた。
あまりにも愚かしくて、無様な人生。
こんなの綺麗じゃない。立派でもない。
嫌い、嫌いだ。こんな醜い私なんて嫌いだ。
いっそのこと、この闇で全て塗り潰して欲しい。
『――もっと、醜悪に美しく堕ちてきて。可愛い人。私が、いつまでも抱き締めてあげる』
――声が、囁く。
誰かが私を抱き締めてくれている。こんな醜い私を。
こんな私を認めてくれるの? 受け入れてくれるの?
――受け入れるべきなのは、お前自身よ。エルシャイン。
懐かしい声を、聞いた気がした。
闇の中に誰かがいる。その誰かを私は知っている気がする。
でも、思い出せない。思い出さなきゃいけない気がするのに。
――醜いわよね。何も知らずに、それが正しいと信じて突き進んで。
心に響く言葉だ。誰かの言葉に私は深く共感してしまう。
そうだ、何も知らなかった。言い訳だけれど、本当に何も知らなかったの。
――やり直したいわよね。今度こそ、正しく、美しく、そんな自分になりたい。
なりたかった。そんな自分になりたかったんだ。
――じゃあ、私たちは一緒ね。
そうだ、この闇は私と一緒だった。
この光も、私。この闇も、私。貴方も、私。
――それでいいのよ。それじゃあ、私の代わりにあの子をよろしくね。
とん、と背中を押されるように。
全てのズレすらも飲み込んで、私は再び私に還っていく。
指の先、足の先から徐々に感覚を取り戻していく。
そして全ての感覚を取り戻して、ゆっくりと私は目を開いた。
目を開いた先、そこにいてくれたのは――。
「――あぁ、その姿。凄く綺麗ね……」
私を綺麗だと言ってくれる貴方が、クリスタルナがいてくれた。
私は綺麗になれるのかな。もう一度、望んだ人になれるかな。
答えはない。でも、必要ない。もう必要なものは貰っていたから。
今までの自分を脱ぎ捨てるように、私は今の自分を心の底から受け入れた。
* * *
回想に浸っていたのは、果たしてどれだけの時間だっただろう。
一秒か、十秒か、それとももっと長かったのか。それはもうわからない。
「教えて、貴方の絶望を。貴方の心の闇を」
その問いかけに、私は一度唇を震わせてから俯く。
そして――心からの笑みを浮かべて、相良さんと向き合う。
「今までの私はとても愚かで、滑稽で、醜かったんです」
何も知らなくて、盲目で。
何も変えられず、無様で。
何も果たせない、愚者そのもの。
あぁ、あまりにも醜くて吐き気がする。
だからこそ、今度こそはと祈りを込めて呟く。
「私は、私が思うままに美しく生きたいんです。ただ、私のために」
私は間違った。それはきっと、誰かのために生きようなんて思ったから。
「誰かに強制される人生も、誰かに目隠しされて利用されるのも、自分の意志一つで何も出来ないお人形さんなんてもうごめんです。私の意志を貫いて、今度こそ美しかったと誇れる人生を歩みたいです。その為になら――死んだって構わないです」
一度、死ぬような思いもした。
自分の意志で生きていない人生なんて死んでいるも同然だ。
今度はその全てを自分のものにして生きたい。生も、死も、全部私の思うままに。
「これが今の私です、相良さん。お気に召してくださいますか?」
私の問いに、相良さんはニンマリと笑みを浮かべた。
「えぇ。――今の貴方は、とても最高ね?」




