第1話 弟ができました 前編
春──出会いと別れの季節。
御巫光海・十六歳、十年前に生き別れた弟と再会しました。
◆◆◆
私の両親は喧嘩ばかりしていた。
母はバリバリのキャリアウーマンだった。正直父より仕事ができたらしい。でも父は、母には主婦になってほしかった。仕事が好きな母は、当然それを拒否する。
そして、私が生まれてから無くなったはずの父の遊び癖が再び到来、浮気をするようになった。家のことは何もしないクセに女と遊んでばかり。そんな父に勿論母はブチギレ。
二人目、つまり私の弟がまだ二歳の頃にとうとう母の堪忍袋の緒が切れる。離婚届ともう一枚、慰謝料三百万円の請求書を突きつけるも、拒む父。そこで一度夫婦別居になり、その後裁判になったが結局母が勝った。
だがしかし、ここで一つ問題があった。これでも一応会社の社長だった父は、「後継者が必要だ」とか何とかの理由で弟の親権を取ってしまったそうで。当時はまだ小さなアパレル会社で働いていた母は、金銭的な理由と別居時弟は父親といた期間の方が長かったことで弟の親権までは取れなかったらしい。
────とまあ、この騒動からかれこれ十年経って、母勤務のアパレル会社が大成功し今ではなんと世界にまで進出している。一方父はというと、離婚後徐々に経営が傾き、ちょうどアパレル会社が上手くいきだした七年前に倒産したんだとか。それ以降は全く知らない。
離婚当時の私は五歳でまだ保育園児。今の話は全部祖母から聞いたもので、ぶっちゃけなんも覚えてない。そのため、残念ながら弟の顔すら思い出せないのだ。というか、今の今まで自分に弟がいたことを忘れていた。
そう、今の今まで。
たった今、思い出した(多分)。けど……あれ? 弟って、一人じゃなかった? なんか目の前にいるの、四人なんですけど。
「と、ゆーわけで。光海、あんたの弟たちよ。ちゃんと面倒見てあげてね」
「……………………はい?」
一、二、三、よん…………ワン、ツー、スリー、フォー…………何度数えても四人。たち? 弟“たち”??
「いやいやいやいや、待って待って……聞いてないんだけど!?」
「えー? 言ったじゃない、あの人死んだらしーから弟戻ってくるって」
「“弟”でしょ!? 弟“たち”って何!? てか四人もいたっけ!?」
「あー、なんかアタシと別れた後色んな女と遊びまくって、何回か結婚離婚と繰り返したみたいよー?」
「みたいよーって…………つまり腹違い?」
「ま、こっちの三人はそうなるわね」
「……ん? ちょっと待って、さっき死んだっつった?……私の父親死んだの!?」
「なんでそんな初耳みたいな顔するのよ」
「初耳ですよ!?」
「あれ、言ってなかったか」
「『あの人に連れてかれてたあんたの弟、一緒に住むことになるから隣の部屋片付けておいてー』とは言っていたが、父死んだらしいってのは初めて聞きました!!」
「え似てるー!! 今のアタシの真似?? すっごい似てるー!!」
「ちょっ……そこじゃなくてっ…………全くこの母親は………………はあ〜……」
私と母の怒涛のやり取りを、四人の弟はぽかんと口を開けたまま眺めていた。
うちの母はこういういい加減なところがあるけれど、子どもが大好きなのだ。それ故に、幼い子どもを置き去りにして家を空け、挙句の果てに死んでしまった父を心底嫌っている。
今まで母が家にいない時は、毎回祖母が私の世話をしてくれていた。けれども、近頃は祖母の体の調子が優れずなかなか会えていないので心配だが、私ももう高校生なので自分のことぐらい多少はできる(多分)。
とにかく、父親が死んで四人の子どもを母が引き取ることになったらしい。しかし多忙な母はあまり家にいられないので、私が面倒を見ろと。そういうわけだ。
「んじゃ紹介──っつっても三人の方は私も会うのまだ数回目だけど。この子が湊叶。中学……一年生だっけ?」
「……小六です」
おいおい……十年も会ってないとはいえ息子の学年うろ覚えなんかい。彼は彼でえらく他人行儀だし。……まそれもそうか、十年ぶりに会う母親と急に親しくしろとか言われてもって感じだよな。多分私に対してもそうだろうけど。
「で、小学五年生の花奏くんと、二年生の颯汰くんに一年生の結都葵くん」
三人は丁寧にぺこりと頭を下げる。か、かわいい…………。
──じゃなくて!
「ママはいつまでこっちいるの?」
「ん? えーっとね、入学手続きやら転入手続きやらがあるから……あと二週間弱かなー」
「に、にしゅうかん…………」
またしても深いため息が出る。だってそれ以降は、誰も家のことしてくれる人おらんやん。イコール一番年上の私がほとんどしなきゃじゃん。
(い……嫌だ…………というか無理…………絶対無理…………)
「そんでもって、こっちが話してた光海よ」
いきなり(?)自分を紹介され、「よろしく」とも言えずに慌ててお辞儀だけした。
「とりあえずタクシー捕まえちゃお」
………………時々自由すぎるにも程がある母についていけなくなる。
色々と諦め始め歩きだすと、何かに引っ張られた。見ると、なんとも可愛らしい少年が私の服の裾を掴み、大きな瞳をこちらに向けているではないか。
(ぐっ…………かわいいっっ)
名前は確か……結都葵くんといったか。「どうしたの?」としゃがんで声をかける。が、じっと見つめてくるだけで何も答えない。──やばい、先刻の母との言い合いで怖がらせちゃったかな…………?
「……ぁ、ぁとで」
そう言い残し、結都葵くんはそそくさと母の後ろへ走っていってしまった。声が小さくて危うく聞き逃すところだったが、ああ、“後で”って言ったのね。いや可愛すぎか?………………ま……まあ、悪くはないかも。
──自分って結構ちょろいのでは、と思った。
ところで、言い忘れていたが私はアニメ、漫画、声優さん……がとにかく大好きないわゆるオタクと呼ばれるものである。小遣い及びバイト代の大半をそれらに費やし、休日は勿論のことどうしても行きたいイベントは学校を早退して……なんてこともあった。
きっかけは小学三年生の時。十数年続く大人気探偵ものアニメの劇場版を初めて観に行った。それまではアニメは毎週観ていたものの、映画の方は自宅でブルーレイでしか観たことが無かった。しかし、初めて映画館で観たその時、あまりの迫力と臨場感に衝撃を受けたのを今でもよく覚えている。それが、沼への第一歩だった。
──そしてここ最近、私はあるものにどハマりしている。
“少年”
である。
長年自分は一人っ子だと思い込んでいたので、ずっっっと「弟とか欲しいな……」と思ってはいた。まさかこんな形で、しかも四人とは全くの予想外だが。
それで何が言いたいかというと、一か月前そんな私にとって最高のゲームが配信されたのだ。その名も『癒しの天使育成計画』。
もっと他に良いタイトルは無かったのかとツッコミそうになったが、内容は素晴らしいのでこの際タイトルとかもう気にしていない。
RPGを好み、乙女ゲームや育成ゲームなどには触れてこなかった私がまさかここまでハマるとは、と自分でも驚いている。
近頃は(ダークファンタジーやミステリーが多いから仕方ないのだが)好きな作品の鬱展開が多く、どんどん良いキャラが闇堕ち又はお亡くなりになられてしまう(これ少年漫画あるあるだと思う)。その上何が悲しいって、何故か私は死んでしまうキャラを好きになること多いのだ。現に、既に七人程推しが他界している。
そんなこんなで心が沈んでいた時に、件の少年育成ゲーム・通称『ジェル育』が事前登録を開始し、先月配信スタートしたわけだ。ジェル育って略し方もちょっと無理があるのではないかとツッコミを入れたいところだけれど、私を癒してくれる恩があるので気にしていない。
ジェル育との出逢いエピソードはさておき、「オタバレしたくない」というわけではないのだが、もし“少年が好き”ということを知られたら、きっと「俺たちのことそんな目で見てたのかよ……」とか「怖〜いつ襲われるか分かんな〜い」とか思われて軽蔑された挙句、口を聞いて貰えなくなる──だけならまだマシだけど家を追い出されるor家出されてしまったりもするんじゃ…………!?
(そんな最悪の事態だけは回避しなくては……!!)
“弟が四人”ってことに驚いただけで、弟ができたのは素直に嬉しい。その上あんなに可愛いのだから、尚更仲良くなりたい!!────ということで、今日から私の『オタクは公表してもいいがショタ好きだけは何がなんでも隠し通すぞ大作戦!』が始まった(私のネーミングセンスについては触れないでもらいたい)。
ちなみに言っておくと、さっきの久しぶりの母との再会と弟たちとの対面は東京駅でのことだった。弟たちはそれまで神奈川にいたそうで、母は海外出張から帰国してきたわけだ。で、ワゴンタクシーに乗って現在進行形で自宅へと向かっているのだが……。
(気まずい……)
颯汰くん、結都葵くん、花奏くんと母は疲れたのか寝ている。
一方最高学年の湊叶……くんは頬杖をついて窓の外を眺めていた。
そもそもこの空気は気まずいというのだろうか。単に私が、どんな話をすればいいのかとか何をしたらいいのかが分からずそう感じているだけかもしれない。
…………私も寝ようかな。と思った時、我が家が見えてきてしまった。いつの間にか近くまで来ていたのだ。
「ママ起きて、着いたよ。あっそこ右に曲がってください」
目を細めながらゴソゴソとカバンの中の財布を探す母を見つつ、あとの三人を起こすべきかと考える──前に、先に起きた花奏くんが低学年組二人を起こした。
タクシーを降りた弟たちの第一声は「でかっ」だった。ずっとここに住んでいる私はすっかり慣れているが、移動中に見せてもらった四兄弟の前の家と比べると、我が家は少し大きいと思う。母一人でこれは普通に凄い。こんなだけれど、なんだかんだで尊敬はしている。
「どうしたの? 荷物重いでしょ、早く入りなさい」
家の前で呆然と立つ少年四人に母が声を掛けた。同時に「お姉ちゃんなんだから弟の荷物ぐらい持ってあげなさい」と低学年組二人のリュックサックを渡された。
なんで私がと言おうとしたが、先程のタクシーの中で眠っていた母と弟たちの姿を思い出し、まあこれぐらいはいいか、と素直に持つことにした。
リュック二つを左手に、閉じかけたドアを右手で抑える私に、颯汰くんと結都葵くんが寄ってくる。
(どうかしたのかな……ひょっとして自分で持ちたかったとか、では多分ないと思うけど、何か取り出したいのかな……どうやって話せば…………)
「ありがと!」
「!?」
そう言い、にっこりと笑う颯汰くん。笑顔が眩しい。その後に続いて、結都葵くんも口を開く。
「ぁ…ありが……とう…………お、おねえ……ちゃん」
「!?!?」
ああ。
(な、と、唐突なクリティカルヒット………………)
脳内に“おねえちゃん”のセリフがこだまする。予想外の攻撃を食らった。
(これ私もつかな。全然大丈夫じゃないよ???? 控えめに言ってむり……心臓……)
目を見開きながらフリーズする私を心配してくれたのか、颯汰くんが。私の手を引いて。「だいじょーぶ? いこ?」と。顔を傾けて。クリックリの目で見つめてきた。
(…………………………)
駄目だ、私には……刺激が強すぎる…………。
半ば意識がとんだ状態で、ふらふらとした足取りでリビングへ向かった。そして母に言う。「無理」と。「このままじゃ心臓がいくつあっても足りない」と。
「何言ってんの光海。また始まったか……」
母は私がオタクであることも少年好きであることも知っている。故に、このように呆れたような反応をする。
だって、だって…………!! と、何に対するでもなく、特に意味も無い「だって」を心の中で繰り返した。
家に到着したのが夕方だったので、部屋の掃除やら荷解きやらをしていたら夜になっていた。
十数ヶ月ぶりの母の料理はやっぱり美味しい。テーブルを六人で囲んで食べたが、私は料理に集中して顔を上げないようにしていた。