エレジー先生とハロウィン病
かぼちゃのランタンがないんです、とマユキは言う。
エレジー先生はカルテに買い物メモを書きながら、かぼちゃが足りない人の治療法を考えた。
「まず地面に唐辛子をまくでしょ。それでその上に寝る。鼻に胡椒をかけてもらって転げ回りながら」
「かぼちゃのランタンがいるんです。どうしてもいるんです」
マユキはきっぱりと言った。小さな体で診察室をさっと回り、バランスボールを見つけて抱きかかえた。
「これくらい大きいのはありますか」
「もちろんあるよ。地面に唐辛子をまいて、倒立前転を三千回やってごらん。寝る前には針山の上で五万回跳ねるんだよ」
「僕は寝ません」
「寝ないと朝が来ないよ。エレジーが言うんだから間違いない」
マユキが前にここへ来たのは四年前、小学二年生の時だ。体は小さいままだが、表情や喋り方はだいぶ大人びている。
学校でかぼちゃのランタンを使うこと、ないとハロウィンコンサートに出られないことを話し、マユキは帰っていった。昔のようにいつまでも椅子の下に隠れていたり、本棚の隙間に挟まっていたりはしなかった。
次に来るのはまた四年後かもしれない。
窓の外にはハロウィンの飾りや音楽が溢れ、ケーキ屋の店員は魔女の帽子をかぶっている。こうもりの杖を持った女の子や、おばけのお面をかぶった小さな子たちが笑いながら走っていく。
「暇だなー。エレジーなら簡単にハロウィンを治せるのに」
ハロウィン病はチューンロロペア虫が寄生して起こる病気なので、年に一度殺虫剤を雨に混ぜれば治療できる。そうすれば繁華街は混まないし、行きたくないパーティには行かなくていいし、パッケージが違うだけでお菓子のファミリーパックがやたらと高額になったりもしない。
小学生くらいの子供たちが二列に並び、行進していく。かぼちゃのランタンを持ち、高らかに歌っている。行事のリハーサルらしく、何度も止まって並び方や音程を直している。
あれがコンサートか、とエレジー先生は思う。
「ハロウィン病は厄介だね。集団免疫が毒になるんだ」
エレジー先生は診察室の明かりを消し、最後の患者にパン屋の割引券を処方して帰った。
* * *
マユキは次の日もやってきた。人形のように小さな体で、診察室の椅子に行儀よく座っていた。
「エレジーの言った通りにした?」
「してません」
「そっか。マユキにしては賢いね」
エレジー先生はクッキーの缶を出してきて、電子レンジでミルクを温めた。マユキの好きな雪模様のカップに入れてチョコレートも添えた。
「これを飲みながら鼻で逆立ちすればいいんですか」
「してもいいけど、エレジーはミルクはゆっくり飲む派だよ」
マユキは立ち上がり、エレジー先生のカルテを手に取った。買い物メモにかぼちゃの種が入っているのを見て、ふわりと微笑む。
「僕、ハロウィンコンサートには出ないことにしました。歌は好きじゃないので」
「でもかぼちゃは好きなんでしょ?」
マユキはうなずいた。クッキーを並べ、チョコレートを囲んで雪の結晶のような形を作る。光が当たると本物の雪のように白く輝いて見えた。
北海道の雪が好きだと、四年前マユキは言った。でも北海道には帰れない。マユキは小学生だから、親の都合でこの近くに住んでいる。
エレジー先生はかぼちゃの種を袋に入れ、マユキに処方した。
「適当に埋めれば芽が出るし、適当に見てれば育つよ。エレジーが言うんだから間違いない」
「大きくなりますか」
「なるよ。くり抜いたり火を入れたりしないで普通に食べるといいよ」
エレジー先生はクッキーを一枚手に取り、差し出した。
「これ食べて、帰ったら寝るんだよ」
「寝ません」
「お腹いっぱいにして、あったかくすれば寝れるよ。大丈夫。マユキは病気じゃないからね」
マユキはクッキーを半分とチョコレートをかじった。エレジー先生が立ってカルテの整理をしている間に、残りのクッキーも全部食べていた。
「先生、ハロウィン病は治療しなくていいんですよ。みんなあの病気が好きなんでしょう。なんとなくわかりますよ。だからいいんです」
マユキはミルクを飲み干し、ひらりと椅子から降りた。かぼちゃの種の入った袋を大切そうにしまい、駆け出していった。
作り物のかぼちゃやキャンディで溢れた街を、マユキは走り抜けていく。小さな後ろ姿を、エレジー先生は診察室の窓から見送った。
どんなに鮮やかな色に照らされても、心地よい音楽に包まれても、染まらないものは染まらない。真っ白な星のように、いつまでも一人で走り続ける。
「エレジーもわかるよ。なんとなく」
カルテを破り、今日の買い物メモをポケットに入れる。
カーテンを閉めると、街の明かりは星空と変わらなかった。
おわり