第7話 毒の王
毒王アッシュマンバ、複数の毒牙を持ち、様々な毒を操る毒の王。
胴回りは2mを超え、全身は木陰に隠れてどれほどの長さを持つのか不明。
金色がかった灰色の鱗、頭部には無数の金色の目、その目はすべて複数の瞳を持ち、周囲を忙しなく観察している。
この毒の王は、迷宮に産み出された迷宮起源の特殊個体。
個体名は無く、ただ獲物を飲み込む事のみを本能に刻まれた悪食の王。
『喰らえ、喰らえ、喰らえ!』
毒王は巨木に絡みつき、幹の間をすり抜けていく。
周囲の樹々には何度も毒の王が利用したのであろう、樹の皮が剥がれた跡が中空に白い道を生み出している。
「おい、蛇ってやつー、俺を無視するなよ!」
エルマは見上げながら叫ぶが、毒王アッシュマンバは切株のエルマを一瞥する事もなく脇をすり抜けていく。
「くっ!俺が無視されるとは……しかし敵対もしないやつを倒すのもなあ。これは困ったぜ。アッハッハ」
エルマは来た道を戻るように毒王を追いかけていく。
毒王アッシュマンバの複数の瞳は、向かってくる銀狼シーザーを捉え、チロチロと出し入れする舌は、食欲を刺激する臭いを感じ取る。
銀狼シーザーを獲物と判断したのか、毒王アッシュマンバは、飛ぶように樹々を抜け銀狼シーザーに襲いかかる。
アイリスは急速に近づいてくる魔力の塊を感じとる。
「シーザー!」
呑み込まんと大きく開かれた顎を躱し、距離を取った銀狼シーザーだったが、すでに毒王アッシュマンバの巨体で周囲をぐるりと囲まれており、逃げ場を失っていた。
ヴァルが首をかしげる。
「む、アイリス、あやつめ、毒を発生させておりますぞ」
「シーザー!大丈夫ですか?」
「毒ヨリモ囲マレタ。マズイ」
「毒は儂にお任せくだされ」
ヴァルはシーザーとアイリスの周辺に結界を張り、毒素を寄せ付けない。
『喰らえ、喰らえ、飢えを満たせよ』
上空で鎌首をもたげた毒王アッシュマンバは、全ての眼でシーザーを見つめ、感情のないその瞳にシーザーを納めると、一気に銀狼シーザーを飲み込もうと首を伸ばす。
シーザーは青ざめ、アイリスを守らんと必死で飛ぶ。
毒王アッシュマンバの大きく広げた口がシーザーを捉えた瞬間。
シーザーは死を覚悟し、背のアイリスだけでも、とアイリスを咥え、飛ばそうとする。
ズパンッ!
いきなりその首が斬り飛ばされ、シーザーが着地したその脇に落ちる。
「アイリスの敵なら、俺の敵って事だな」
エルマが笑いながら木の棒を振り、歩いてくる。
「1撃ですよ……」
「母デモ倒セヌ毒王ヲ……」
アイリスは驚き、銀狼シーザーが震えて、尾を後ろ脚の間に丸める。
「アイリス!」
ヴァルが警告を発する。
唸りを上げ毒王アッシュマンバの尾がアイリス目掛けて振り下ろされる。
ドガァァン!
轟音が響く中、
アイリスは目の前で弾かれる尾を、目を閉じることなく見ていた。
「ホホホ、いい胆力ですぞ」
「ヴァルの結界はすごいですね。だけど首を落とされたのにすごい生命力です。蛇種は魔獣の中でも特に生命力に優れていると聞きますが、これ程とは……」
頭部を失った胴体がのたうちまわり、周囲の巨木をなぎ倒していく。
「おい、どうすんだこれ、細切れにすりゃいいのか?」
銀狼シーザーは尾を巻いたまま、怯えた目でエルマを見る。
「切株、物騒ダナ」
「ホホホ、そうですな、アイリスに任せましょうかの」
「え、僕ですか?無理ですよこんな大っきいんですよ」
アイリスは手を大きく広げた後で、無理だと手を胸の前で交差させ×を作る。
ドガァァン
のたうちまわる胴体が、ヴァルの魔力障壁に阻まれる。
「キャン」
「大丈夫ですぞ。アイリス、儂が魔力を制御しますのでな。氷の魔術でいいしょうかのう。撃ち込んでくだされ」
「僕の魔術だと、傷一つつけられないと思いますけど」
エルマがアイリスの肩を叩く。
「今のアイリスなら結構いけると思うぞ。ヴァルに任せて撃っちゃえよ。ドカーンて」
「うーん。わかりました。一応、これでも中級の魔術まで習いましたから。えっと」
アイリスはうなずきながら辺りを見回す。
「あ、これこれ」
ポキッ
アイリスはエルマの枝を1本折ると杖に見立てて詠唱を始める。
「いたっ、え?」
「穿て 冷たき巫女よ 心なき慈悲を見せよ 貫け氷の槍」
詠唱とともにアイリスの上空に出現した数百の氷は、メキメキと音を立て巨大化していく。
「アイス・ファランクス!」
のたうち回る毒王に巨大な氷の槍が一斉に放たれる。
ズドドドドドド!
凄まじい勢いで撃ち込まれていく300はあろうかという氷の槍。
「え、ええええええ。うっそ!」
氷の槍は毒王アッシュマンバの強靭な鱗をたやすく貫き、大地へと縫い付けていた。
「何でこんなことに……槍って5本くらいしか出ないはず……」
「クゥーン」
銀狼シーザーは尾を巻いたまま鼻をアイリスに摺り寄せ、親愛の情を示している。
「ホホホ、しかしこの魔術というものは効率が悪すぎますのう」
「な、なんでこんなに魔術が強力になったんですか」
「アイリスの魔力の管理は儂が行っておりますのでな。ちょちょいっと強めに出力しましたのじゃ」
「ちょちょいって」
アイリスは呆れながらヴァルを撫でる。
「ホホホ、そこ気持ちいいですぞ」
「毒王ヲ無傷デ倒スナド我ニハ信ジラレヌ。母上ガ正シカッタ。スマヌ」
アイリスは銀狼シーザーの喉元を優しく撫でる。
「気にしていませんよ、シーザーは僕を守ってくれました。あなたには感謝しかありません。ありがとう」
「クゥーン」
「おい、無傷じゃねえぞ!、ここ、ここー!」
エルマが、アイリスに折られた枝の跡を示しながら抗議する。
「いや、結構自分で千切ったり捥ぎったりしていたから、いいかなって」
「痛かったんだぞー」
そう言いながら、折れた枝跡をアイリスに主張する。
「ホホホ、これはあれですな、撫でてほしいのですな」
「え、そんな子供みたいな」
そう言いながらもアイリスはエルマを撫でる。
「ゴワゴワですね」
「木の幹ですからのう」
「へへへ」
機嫌を直したエルマが、毒王アッシュマンバの死骸を見やる。
「ところで、これどうすんだ。このままでいいのか?」
「うーん、冒険者たちなら皮を剥いだり、素材を取ったりするんでしょうけど」
「肉食ウ、デモ毒王、毒。食ベレナイ」
「ホホホ、穴だらけにしてしまったのは失敗でしたかな」
「ムム、ムムムム、ム!」
エルマが唸り始めアイリスが撫でる。
「どうしましたエルマ」
「ヤヤヤヤ」
エルマはうろうろしながら枝で頭を摩ったり、足を上げ四股を踏んだり落ち着かない。
「ヴァル、エルマは何しているんですか」
「さあ?」
ヴァルは首をかしげる。
「さあって」
「うおおおおおおおおおお!なんかよくわからんが、なんかの衝動が来たーー!」
エルマが突然叫ぶと、毒王アッシュマンバの巨大な頭部に向かって手を伸ばす。
伸ばした先からバキバキと音を立て根が生え、毒王の頭部に刺さり伸びていく。
ズウウウウウウウウ
低い唸りが始まると毒王アッシュマンバの頭部は徐々に萎び、頭蓋となり、最後は砂塵となった。
「おおおおおおお!」
エルマは胴体にも根を伸ばし、吸収を始める。
「ホホホ、これは物質体を魔力にまで分解して、吸い取っておりますな。ふむ、これは切株と言うより、植物としての能力にエルマの能力が加わった所為なのでしょうかのう」
「死した魔獣を魔力として吸収する。まるで迷宮のようです」
「俺、吸ワレタクナイ」
アイリスは少し青ざめ、銀狼シーザーは震える。
低い唸りが止んだ時、あれほどの巨体だった毒王アッシュマンバは跡形もなくなっていた。
「ンゲップ。んー、思ったほどじゃねえな、これ」
エルマはヴァルを振り反りながら説明を始める。
「このぐらいかな。旨くねえしな」
枝でほんのちょっぴりの隙間を作る。
「ホホホ、アイリスの身体のこともありますのでな。魔力は少しでも多い方がよろしいでしょう。さて、スーラも決着を付けたようですぞ。儂らも戻りますかな」
毒王アッシュマンバの死と炎孤王ハギノヒの敗北、人知れず起きた大森林の勢力図の変化。
それは大森林に向けられた悪意に対する嚆矢。
誰も知ることのなく放たれたその一撃、アイリスの第一歩はここから始まる。