第10話 旅立ち
朝、日が昇り始める。
「エヘヘ、シーザーくすぐったい」
寝惚けたアイリスがスーラをモフモフと撫でている。
「キューーン……」
1晩中大森林を駆け回り、獲物を探していたシーザーが、悲しそうな目でそれを見ている。
エルマは獲物の前に立ち、獲物をつついている。
「肉ってやつか」
ヴァルも獲物の上に止まり、嘴で獲物をつつく。
「ホホホ、これが餞別ですか。なかなかの物ですな」
アイリスは、エルマとヴァルの声を聞くと起き上がり、シーザーが捕えて来た獲物を見に行く。
そこには下顎からの牙が見事な白い猪の魔獣、牙猪の一種、フォレストボアの白化個体、2mを超え、丸々と太っている。
頭部に殊更赤い模様をつけ、全身を赤く染めた巨大な鎧トカゲの一種、アーマースマウグ、赤い個体は特殊個体であろうと思われる全長3mを超えた大型個体。
「へー白いのと赤いのですか。珍しい魔獣っぽいですね」
「両方とも首の骨を折って止めを刺してあるな」
エルマは、手でフォレストボアを突っついて確認している。
「シーザー、もしかして人の領域に向かうこと、気にしてくれた?」
「オン、俺、狼。牙ノ傷、狼ノ傷」
シーザーがアイリスの横で座り、尻尾を振っている。
アイリスはそのお腹に身体を沈め抱きしめる。
「ありがとう、シーザー」
「オン!」
「さて、コレはどうしましょう。猪は狩ったことがありますし、一応解体処理も教わりました。とりあえず血抜きと内蔵を処理しましょうか」
「猪はそうするとして、トカゲはどうすんだ?同じでいいのか?」
「うーん、食べる用途以外の魔獣は、専門の人が解体してた記憶がありますね。薄っすらですけど」
「ホホホ、これは売るか交渉用、このままでも良いですな」
アイリスはうなずく。
「じゃあ、このままでいきましょう」
アイリスの指示に従って血抜きを終え、猪とトカゲを並べて見るエルマ。
「どうしましたエルマ」
「いやな、これをどうやって運ぶんだろうと思ってよ」
ヴァルは獲物を眺める。
「エルマなら担げるのではないですか」
エルマは、手を、枝を伸ばしてフォレストボアの下に差し込み、持ち上げてみる。
「うおおおおお!まだこの身体に慣れてないからわからないんだけどな!俺より相当にでかいし、重いものが上にあるとバランスが取れないんじゃねえか?おっとっと」
「獲物は2つ。ふむ、そうかも知れませんな」
アイリスはエルマとヴァルに声をかける。
「エルマ、ヴァル」
ザッ。
3人は円陣を組むと額を寄せあう。
「せっかくの気持ちを置いていくというのは、ちょっと無理ですよ」
「どうすんだ。ヴァル、魔法とやらで何とかなんねーのか?」
「目立たないようにすると、朝話したばかりですぞ」
「目立つのか?」
「わかりませぬな」
「おい」
「わからぬ以上、出来ぬということですぞ」
「くそう」
「ヤジロベー、ですね」
アイリスがうなずきながら提案する。
「ヤジロベーですと?」
「なんだそれ」
「棒の両側に重りをつけて、真ん中というか、支点でバランスをとるんです」
「ほうほう」
「ふむふむ」
「こんなです」
アイリスは地面に、三角の楔に横棒を足して、ヤジロベーの絵を描く。
「よし」
エルマはまだ若い木を切り倒すと枝を払い、6mほどの木の棒を作り、両端に猪とトカゲを口から刺す。
「それでだ」
エルマは準備ができるとアイリスとヴァルに話しかける。
「ええ」
「ふむ」
「これを担ぐのは俺だと思うんだがな」
「すいません、エルマ」
「まあ儂、鳥じゃし」
「それは良いんだが。俺の背が足りないような気がするところだ」
「確かに足りておりませぬな」
エルマは腕を回し気合を入れる。
「まあやってみるか!ほっ!」
棒の下に潜り込み持ち上げようとするも、やはり高さが足りず持ち上がらない。
「ムムム!だがしかーし!」
「ドリャアアアア!」
ズゴゴゴゴ!
気合と共に、エルマがちょっと細くなり、代わりに伸びる。
さらに頭部から手が生え、担ぎ棒を掴むとそのまま持ち上げていく。
アイリスは呆然としていたが、ヴァルはさもあらんといった風で、エルマを見ている。
「伸びましたね」
「伸びましたな」
「はあー、エルマが1番意味が分かりませんね。やっぱり」
「力技が過ぎるだけですぞ。大地からうまく力を流したようですがの」
「よし、これで運べるな」
そのまま歩き出そうとするエルマだったが、フラフラとして真っ直ぐに歩けない。
「およ、よよよよ。おわわわわわ」
ステン!
そのまま何度も転ぶ。
「これは意外に難易度が高いんじゃねえのか?」
そうつぶやき、歩く練習を始める。
近くに座り、尻尾を振りながらその光景を見ている銀狼シーザーの横に、銀狼王スーラが歩み寄りその場に伏せる。
「エルマ、ヴァルよ。強大なる守護者よ。人の世界に行くと言うのであれば忠告よ。主らが何なのかは知らぬ。いや、我には窺い知ることもできぬ存在であろうがな。我から見ても主らは特異、人の世界であれば尚更であろう。人の言語を解する魔獣は王種かそれに準ずる魔獣以上。切株は喋らぬし、魔獣ですら無いただの鳥も論外」
「ホホホ、忠告痛み入りますぞ」
「喋るなって事か?」
アイリスはじっとエルマとヴァルを見つめながら、衝撃的な一言を放つ。
「そう言えば言い忘れてましたけど、僕は最初からそう思ってましたよ」
ガビーン
「ア、アイリス」
あまりのショックに、エルマは大きく眼を見開きアイリスを見る。
「ホホホ、まあ良いでは無いですか。この先、人に出会った時は念話で会話することにしましょうかのう。我らは魂でつながりを持ちます故、簡単でございますぞ」
「あ、王種に準ずる魔獣以上って、シーザーもしかして!」
「ワオン!」
銀狼シーザーが得意げにアイリスを見る。
「其奴は我の眷属。我が力の一部を得ている。それだけのことよ」
「クーーン」
銀狼シーザーは落ち込んでしまう。
「大丈夫ですよ、シーザーだってすぐに自分の力だけで喋れる様になりますよ」
アイリスは銀狼シーザーのお腹をわしゃわしゃしながら慰める。
「オン!」
「あいつ単純だな」
「エルマもそうですぞ」
「なにー!やるか!」
「やりますかな」
スーラが呆れたように言い争う二人を見る。
「やめよ、強大なるものよ、我が支配域が崩壊するわ」
そういうとカラカラと高らかに笑う。
「よし。行くか」
魔獣を担ぎ上げエルマが声をかける。
「シーザー、中層の境界まで送るがよい。浅層は人が入り込む。我ら魔獣と共にいることを見られてはまずかろう」
「ワカッタ、母上」
「じゃあ行きましょう、スーラ、ありがとう。いつか帰って来ます」
「さらばだ。小さき皇帝よ」
「もー皇帝じゃ無いって言いましたよ。スーラ……、母様!行ってきます!」
アイリスは何度も振り返り、手を振りながらスーラの元を離れる。
暖かく安全だった銀狼王スーラの元を離れ冷たく厳しい世界へ旅立つ。
銀狼王スーラの魔眼は、遠ざかっていくアイリスの背に魂の輝きを視る。
その輝きの中に垣間見えた不思議な光景。
それは、人が背負うものとは思えぬほど過酷な宿命。
巨大な暗黒と、それを貫くアイリスの輝き。
スーラは視た。
あまりに重い運命を背負いながらも歩むアイリスと、それを支え共に歩む数々の光を。
そして、その光の中には見覚えがある狼の群れの姿もあったのだ。
スーラは微笑みながら倒れ伏し、数日の間目覚めることが無かった。