第99話 マリアンヌ伯爵夫人
アレンナ商会から呼び出しを受けたエレアドは、息を切らせながら支所に戻る。
「ギダン、やったぞ、5日後のバザーに出店許可が出た!」
ギダンは大きく息をつくと、エレアドの肩を叩く。
「よし、第一関門は突破だ。ここからが問題だ」
ギダンは、バザー会場の見取り図と青狼ギルドに割り当てられた場所の位置を確認して呆れる。
変形した五角形の広場、周囲を商会の建物が囲んだ内庭で、中央には噴水、外周に沿って区画が用意されている。
「場所がいいとか悪いとかの前に、トイレの横じゃねえか」
「なはは、俺たちは新参だしな、これが限界だったぜ」
「夫人は?」
「当然、中のトイレを使う」
ギダンはため息をつきながら、会場の見取り図を見て検討を始める。
「露店か?」
「ああ、上を覆う日除けだけだな」
「夫人の目当てはわかるか?」
「このバザーでは、華美なものより素朴なものを好んで買っているようだ。磁器なんかより陶器の焼き物や、それこそ麻の反物なんかだな。隣も焼き物の工房だが、ここは大量生産の安めのものが多いな。つまり夫人のお眼鏡にはかなうまい」
「トイレの通路の向こう側は植木屋か」
ギダンは手で顔を覆い、こめかみを押さえ考え込む。
エレアドは久しぶりに見るギダンの癖を見て、軽く笑いを残し苦豆茶を淹れに行く。
「長い夜になりそうだ」
窓の外が白んできたころ、ギダンは両手を頬に打ち付ける。
「よし、これでいく」
「売り子は、俺の知り合いの食堂の娘数人に声をかける」
「たのむぜ、それとスケイルメイルも販路を作りたいが、アレンナ商会は武具防具の扱いは強いか?」
「扱ってはいるが主力ではないな。だがバザーに中堅どころの武具商も出店するぞ。例の魔導鱗で作った鎧なのか?」
「いや、ノーマルの鎧だが少し仕掛けをしてある。魔導鱗を塗料にして塗り付けて焼いた。今回の鱗には均等に熱耐性が付いている」
ギダンはポケットから一枚の鱗を出すと、エレアドに向かって指で弾く。
エレアドは鱗をしげしげと見つめるが、何の変哲もない鱗にしか見えない。
「目利きでも無理だろう」
「それを目玉に売り出すわけじゃねえが、それとなく言いてえ。ほかのものに比べて熱に強いですよってな。だから武器を扱うところがいいのさ。出元がうちだってのはしばらく隠しておきてえしな」
「ポンダルト伯爵領を出るまでは、か」
エレアドのつぶやきに、ギダンはうなずきを返す。
「実際に試しても大丈夫か?」
「火の魔導具ぐれえなら7割がた遮断するぜ」
エレアドはスケイルメイルを1つ掴むと3階の台所へ向かう。性能を確認するつもりなのだろう。
ギダンは頬を叩いて気合を入れると持ち込んだ荷のチェックを始める。
バザー当日、晴天に恵まれた王都の早朝、ギダンたちはアレンナ商会の中庭に荷を運び入れていた。
それとなく向けられる複数の視線を感じて、ギダンはぼやく。
「おいおい、相当警戒されていねえか?」
「仕方ないだろう。ポンダルト伯爵とエメラルド辺境伯の仲の悪さは、悪化する一方なんだぞ」
「それでよく許可が下りたな」
「大角猪の出所がうちだって噂を流してある。商人なら食いつかざるを得んよ」
ギダンは呆れたようにエレアドを見る。
「なるほど」
「ま、それでなくとも今回、いい毛皮を持ち込んできたろう」
「最近いい狩場が増えてな。精一杯だが、ここは出し惜しみなしだぜ」
「アイリスと言う少年か。早く会ってみたいぜ」
2人は不安を隠して笑いながら、持ち込んだ荷を青狼に割り当てられた区画に運び、積んでいく。
バザーが始まると、人気店の周囲はすぐに盛況になっていくが、青狼の売り場は、知名度に加えて場所の悪さも手伝ってかあまり人が来ず、売り場をエレアドの知り合いの娘2人に任せて、ギダンとエレアドはエメラルド辺境伯夫人を待つ。
「来るか?」
「来る。警護にエメラルド辺境伯の配下が混じっている」
「来ないなら来ないで時間をかけるしかねえか」
ギダンはうなずいて腕を組み、目を閉じて集中すると、周囲の気配を把握していく。
青狼旅団団長ギダン、彼は個の戦闘能力以上に、旅団を率いる統率力と指揮能力、戦局の読み、戦場の支配力に長ける。
魔獣の群れとの戦いが多かったが、時には他国の戦場を渡り歩き、他の傭兵団や盗賊団等とも戦ってきた。
獣人が多いことから、戦場は常に最前線に回される宿命。それを最小の犠牲で旅団を率いてきた、単なる武闘派ではなく知略型の戦士。
この場を戦場と認識し、その感覚と知略をフル回転させていく。
「来た。正面入り口、侍女が2、小姓が2、護衛は6。多いな。しかも手練れだ」
エレアドがつぶやく。
ギダンは目を閉じたまま反物を入れた行李に手をかけ、タイミングを計りながらつぶやく。
「護衛がプロでよかったぜ。射線を押さえて動く。俺たちは敵かよ。だが教科書通りで読みやすいんだよ」
エレアドは赤く染めた毛皮を掴み、ギダンの指示を待つ。
久しぶりにギダンの指揮下に入る。そこには絶対の信頼がある。
我知らず浮かんだ笑みを隠すことなくその時を待つ。
「チッ」
ギダンの舌打ちを受けてエレアドは自然な動作で、赤く染めた毛皮を大きくはたく。
次の瞬間、ギダンは行李から反物を、見せつけるように、大きな動作で取り出す。
「エレアド、見るなよ」
「わかっている」
小さくささやき合い、商品を整理するふりをする。
呉服商の出店で、服や布地を見ていたマリアンヌ伯爵夫人は、護衛の肩越しだったが、ふと目の端に鮮やかな赤を捉え、視線が引き寄せられる。
そこで一瞬だったが目に入ったものは、赤い何かより、鮮やかな緑。
春の森のように萌える緑に眼が引き寄せられる。
良人であるエメラルド辺境伯が好む緑、マリアンヌ伯爵夫人も同様に好む色であったが、見たことも無いような鮮やかな緑に、人もまばらで流行っていないその区画に目を引き付けられる。
はしたない、そう思いながらも早歩きでそこに向かう。
侍女と護衛たちは慌てるが、マリアンヌ伯爵夫人を止めることができず、あとを追う。
少し遠くで見守っていたジエイラも、予想外のマリアンヌ伯爵夫人の動きに慌ててマリアンヌ伯爵夫人を追う。
マリアンヌ伯爵夫人は逸る心を抑え、店先の売り子の娘に話しかける。
「このお店は?」
「はい、青狼ギルドの出店になります」
頭の中で小さく警鐘が鳴るが、それを無視して店を見回しながら、マリアンヌ伯爵夫人は売り子に聞く。
「いま、緑の布のようなものが目に入ったのだけど、商品かしら?」
緑の布など記憶にない売り子の2人は顔を見合わせて奥を見ると、エレアドがにこやかにほほ笑みながら店先に出てくる。
「ございます。初めて王都に持ち込んだ特別な品で、うちの店としては高価なものですのでこのバザーに出すか悩んでおりました」
エレアドは、売り場の机の上を素早く片付けると、ギダンが行李をその上に乗せ、蓋を開く。
「はぁっ」
マリアンヌ伯爵夫人は感嘆のため息を漏らし、エレアドを見てうなずいていることを確認すると、その反物を手に取り、そっと取り出す。
「おお!」
大きくあたりにどよめきが漏れ、ジエイラが目を剥いている。
「これは王都に持ち込んだのは初めて言いましたね。本当ですか?青狼ギルドでは普通に売っているものなのですか?今回はどれだけ持ち込んでいるのでしょうか?」
早口でまくし立てたことに気づいて、マリアンヌ伯爵夫人は頬を赤らめるが、その目は真剣にエレアドを見つめている。
エレアドは内心のガッツポーズをおくびにも出さず、にこやかに応対する。
「これはうち、青狼というギルドで作った新商品ですが、まだどこにも出していません。まずは王都からと今回持ち込んだものです。今回は、試しということで、10反のみ用意してあります」
マリアンヌ伯爵夫人は、まるで大輪の花のごとく華やかな雰囲気でにっこりと笑う。
「全て言い値で買います。それとこの商品、私に預からせていただけないですか?私、これでもエメラルド辺境伯夫人ですの」
「はあ?いや、しかし奥様」
大きく息を飲みこみ、慌てて間に入ったのはジエイラだった。
マリアンヌ伯爵夫人はジエイラを見つめて微笑む。
「すでに青狼ギルドと契約なさっているのかしら?」
「い、いえ、それはまだなのですが」
「では、問題ありませんわね」
そう言うと、マリアンヌ伯爵夫人は侍女から一枚のカードを受け取り、エレアドに渡す。
「明日、朝一番に、我が屋敷に来てください。」
エレアドは驚きながら、そのカードを受け取りギダンに渡す。
「それでおいくらかしら」
慌ててエレアドが値段を告げる。
「今回は試作の持ち込みですので、1反で大銀貨1枚です」
「では10反分、金貨でいいかしら?」
エレアドのうなずきを見て、マリアンヌ伯爵夫人の侍女が金貨1枚を支払う。
後ろで聞いていたジエイラは、武具類がないことの確認だけを小間使いにさせたことを猛烈に後悔し、あの鮮やかな色、場合によれば、1反でも金貨が動くと素早く計算して、顔が青ざめていく。