ホース面
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
時間って本当に流れているんだろうか? つぶらやはそう感じたこと、ねえ?
時計って便利なものがあるおかげでよ、俺たちは今が何時なのか、くわえて何年何月何日なのかもわかることもあるわな。
道具を使わなかったとしても、太陽の位置とか腹の減り具合とかで、おおよその時間を判断できる人もいると聞く。おかげで生活習慣もばっちりなのだとか。
だが、俺は時計とか時間の存在はあまり好きじゃない。
特に制限時間が決められているのが嫌いだ。テストだろうと、スポーツだろうと、その他の時間に縛られるものすべてがな。
その時間が終わるときになって、強く思っちまうからだ。あと一分、あと一秒あれば、最高のパフォーマンスができたんじゃないか、と。
もちろん「限られた時間内でそれができないお前が悪い」という声もあるだろう。けれど俺には、それがあきらめに近いニュアンスに聞こえるんだ。
――いつか命が終わるとき、きっと俺は思うだろう。「あと3年、いやあと1年あれば……」とな。
そんな絶対に止まらないはずの時間。これをめぐる俺の記憶を、ちょいと思い出しちまってな。
お前のネタになるといいんだが。
かつて住まっていた俺んちは、一階のベランダへ降りると、そのまま柵もなく車の駐車スペースへつながる。来客用の正面玄関は別にあり、駐車スペースの更に脇には犬小屋などを置ける幅があった。
俺が物心ついたときには、そこへぽつんと小屋だけが残されていたっけ。俺が生まれる数年前に飼い犬が急死し、そのときのことを忘れたくないから、置かれ続けているらしい。
はなはだ疑問だ。当時を知らないから失礼かもしれないが、俺の知らない存在なんだ、その犬は。いわば、この世にいたかどうかも分からない存在。
そのようなもののために、わずか数歩分とはいえ、家の敷地内を使ってしまうなんて。
――今後、必要になるもののために、開けておけばいいのに。
すでに屋根の一部がはげかけている犬小屋を見て、俺は疑念を抱かざるを得なかったよ。
件のベランダと駐車スペースとの間、数メートルの空間には、母親の用意した花壇がある。
時期的に、これから芽吹くであろうものたちばかりで、買ったときの種の袋が、それぞれの植わった場所の近くに、標識のごとく刺さっている。
母親が中心に手入れをしているが、その母親が出かけているときは、俺たち他の家族が水やりを受け持つことがあった。
その日は俺が一番早くに家へ帰ってくるんで、久々にホースを駐車スペースの隅にあるホースへつないだ。蛇のようにとぐろを巻くホースは、すべて伸ばせばざっと10メートル以上はある。
蛇口をひねって、水より早くホースの先へ向かう俺。内を走り、シャワーになっているヘッドへ走る水の感触。俺はその口を花壇の一端へ向けた……はずだった。
がっちり握っていた俺の手を、シャワーヘッドごとホースがすっぽ抜けていった。
小さいころに何度か、同じようなへまをしたことがあるが、それは水の勢いを全然把握していなかったからこそ。蛇口はそこまで元気よくひねったつもりはないのに。
ぽーんと飛んだヘッドを追って、巻かれたホースもまた勢いよく伸びていく。これまで溜まっていたうっぷんを晴らすように、ひとりでに伸びるホースは、敷地を越えて車道へと飛び出してしまった。
ほんの一瞬だった。
ヘッドごと飛び出し、横たわった車道数メートル。そのヘッドにほど近い部分と、もう少し手前側を、乗用車の左右の前輪が踏みつぶしていったんだ。
ホースはゴム製だ。てっきり人が踏むよりも、もう少し深く大きいへこみが付くだけで済むと思っていた。
それが、あの車の前輪はいともたやすく引きちぎってくれたのさ。右にひかれたヘッドは道路の向かいへ。手前側のホースは大きくのたうって水を飛び散らせつつ、敷地側へ舞い戻ってどくどくとコンクリートの床を濡らしていく。
ただの水のはずなのに、俺にはそれがケガに苦しむ蛇のように思えたんだ。
俺はいさぎよく、ホースを取り換える。水やりが済んでほどなく、母親が帰ってくる。
真新しいホースの姿を見とがめたのだろう。俺にどうしてホースを取り換えたのかを確かめてきた。
俺はただホースが破損したことだけ伝え、細かいことは話さなかったよ。要点は「取り換える理由」だし、故障以外にないだろう。
その場は母親も引き下がり、俺はすぐ自分の部屋へ戻ってしまう。もうホースの一件は意識の彼方で、今日の晩飯の心配ばかりしていたんだ。
次の日。たまたま日直で、家を早くに出ることになった俺は、犬小屋の前を通り過ぎて「おや?」と思う。
昨日まで、はげていた屋根の一部が直っている。新しい板を貼ったにしては、つやといい色合いといい、周りのパーツとなじみすぎていた。
それこそ、長い間ずっと一緒に歳を重ねてきたような、そんな「お仲間」感がするんだ。
記憶違いかなと、しばし小屋を眺めてから、俺は学校へ向かう。
一抹の不安を覚えながら、授業は何事もなく終わり、部活もなかった俺はまっすぐ家へ帰るも、家の壁が見えてくるところでつと足を止めた。
あの犬小屋だ。
ここを離れる前に、小屋の状態は見ている。屋根以外にも、小屋の入り口には数か所、刃物で切られたような跡が残っていたんだ。
それがない。やはり何かで埋めたような痕跡も見当たらず、もとからそんな傷などなかったような感じだ。
かといって新品に買い替えたという風でもない。屋根と同じで、今朝見たくすみ具合と同じ、いや少しばかり色合いが明るくなっただけの姿は、やはり年季を経たものに思える。
――わざわざくたびれたものを新しく用意する……わけないわな。意味不明だ。
首をかしげながら、小屋の前を通りかかったとき。
俺の履いていたスニーカーに、歯が立てられた。
いや、厳密にはそう思えただけだ。だが、小屋に近い側のスニーカーの側面はじわりと唾液らしきものが滲み、ほどなくぶちりと音を立てて、一部がちぎれ飛んだんだ。
足は大丈夫だ。でもその生地にまでくっつく唾液を見ては、俺もビビる。玄関に飛び込んだ俺は、夕飯を作っている母親のもとへ向かうや、いまのことを説明した。
ねぎを切りかけていた母親はすぐ手を止めると、昨日のホースの件を詳しく俺に尋ねてくる。
あのちぎれた一件を話すと、「それだ」と言わんばかりに顔を引きつらせる。
ベランダに出た。てっきり話で聞いた通り車道へ出て探すのかと思いきや、母親は花壇の近くに置いてある小さいシャベルで、土を掘り出したんだ。
まさかと思った。跳ね飛んだ瞬間はタイヤに隠されて見えなかったが、確かに敷地の外だったんだ。それがどうして敷地の内側に……。
そう思う間もなく、母親は数センチ掘った土の中から、あのちぎれたホースの一部を見つけてしまう。
けれども、異状だった。まだ芽吹いてもいないのに、地中を埋め尽くすほどに張った無数の根がホースを取り巻き、締め付けている。
もっと信じられないのは、母親がホースを引っ張ったときだ。
離すまいと抵抗を続ける根っこたちを、なおも引っ張ると、だしぬけにぐらりと、犬小屋が揺れたんだ。
「やっぱり」と険しい顔をしながら、母親はシャベルの刃先で根っこを切断、ホースを取り出してしまう。
するとどうしたことか。小屋の屋根がはがれ、入り口にバツン、バツンと傷が入り、色があせていくじゃないか。
母親は、この植物たちを育てているのは、時間がちゃんと動いているか見たいからだと話してくれた。こいつらに限らず、世にあるあらゆるものは気まぐれで、ときに時間の流れに逆らいたくなるのだと。
今回はあの犬小屋が望んだことらしい。放っておいたら、あのまま飼い犬も完全に戻ってきたかもとも話していたよ。だが小屋自身も時の流れを判断するために置いているのだと。
それを認めないあたり、母親も時間は前へ進んでいくべきだと、考えているのだろうな。




