最低の笑み
深夜、バイトが終わって家に向かって自転車を走らせていた僕は信号に引っかかった。場所は割と大きな交差点。人もまあ、ぱらぱらとはいる。早く家に帰りたい。
赤信号を睨みつけながら待っていると、
「すみませ〜ん」
そんな声が聞こえた。それもどうやらこちらに向かって発せられている。少し後ろを見やればおっさんがこっちに近づいてきていた。
そのおっさんは薄汚かった。そもそも、おっさんという生き物は大抵薄汚いものなのかもしれないが、近づいてくるおっさんが持つ薄汚さは僕が慣れ親しんできたものとは違っていた。僕の地元、田舎なのだが、そこのおっさんは溌剌とした薄汚さがある。汗と日焼けから醸し出される薄汚さ、ある種健康的とも言える薄汚さだ。それに対して目の前にいるおっさんは陰気で燻んだような嫌な薄汚さを感じさせた。
一体こんな夜更けに何だというのだ。今日もまた何事もなく一日を終えようというこの時に。ああ、早く家に帰りたい。僕は面倒臭いという態度を隠さずにおっさんの次の言葉を待った。
「すみません、実は僕、今お金がなくて家に帰れないんです」
おっさんは悲しそうな表情を作りそう言った。
お金がない、そう来たか!
どうやら、僕は物乞いに出会ってしまったらしい。しかもまあ、絵に描いたような薄汚さを持つおっさんの物乞いにだ。近くで見たおっさんの薄汚さはいっそ天晴れと言ってしまいたい程に完璧だった。僕が出会ったおっさんの外見の特徴を挙げよう。黒い服に黒いズボン、それらは少し縒れている。背格好は低く、荒れた肌、痘痕のある顔、禿げかかった頭(そのくせ側頭部にはしっかりと毛が残っている)、黄ばんだ歯をしており、そして魚のようなギョロリとした目で僕を見ている。一つ一つの特徴は別にそう珍しいものでもないし、それ自体に薄汚さが宿るものでも勿論ないし、僕もいずれ経験するものであるかもしれない。僕は何もそれらを貶めようとして言っているのではないことを理解していただきたい。しかし、それらが合わさって、そのおっさんが醸し出す独特の雰囲気というものがあり、それは本当に完璧なまでに薄汚かった。もしかすると内面から滲み出ている類のものなのかも知れないが。
まあ、おっさんの見た目の話はここまでにしよう。問題なのは彼が物乞いである点で、僕がこれまでの人生で全く関わりを持って来なかった類の人間であるということだ。僕は事前準備をしっかりとする派である。旅行の前には行き先の観光地に加えその土地の歴史なんかも調べるし、災害に備えてハザードマップを確認し懐中電灯や水、食料の準備をしているし、試験には一夜漬けではなくしっかりと勉強をした上で臨むようにしている。それらは臨機応変な対応が苦手であるという僕の弱点を補うためのものである。そして僕は残念ながら、物乞いに遭った場合の想定をこれまでして来なかったのだ。だから一体どう対処しようかと僕は決めあぐねていた。
あれこれ考えているうちに、前方の信号は青になっていたが、話しかけられてしまった手前、何も言わず立ち去るのも気が引け、かと言ってこの場を離れるような気の利いた言葉も咄嗟には出て来なかった。
「家に帰れなくて、困っているんです」
家に帰れなくて困っているのはこっちだ!心の中で叫んだ。実際、そう叫んでサッと立ち去ればよかったのかも知れないが僕にはできなかった。僕は人の話をきちんと聞くし、困っている人を放っておけない程度の良心を持つ人間なのだ。この性格は人が好いとも言う。八方美人なんかも当て嵌まるのかも知れない。人によっては偽善者と蔑むだろう。
勿論、僕がお金を恵む筋合いは一切ないのだが、僕の中に住み着く厄介なこの良心という存在は目の前のおっさんの話を聞いてやれと僕に囁く。そしてそれとは別に、得体の知れない目の前のおっさんが僕に対して突飛な攻撃的行動をとる可能性もある。そのようなリスクを避けるためにも少し会話を試みようかと思った。
「家はどこなんですか」
僕はそう返してしまった。するとおっさんはすかさず家の住所を答えた。どうやら電車で暫く行った所にあるようだ。その容貌もそうだが、すぐに返答するあたり怪しさがプンプン臭ってくる。もしかすると、このおっさんは物乞いではなく、人の良心に漬け込みなんとか騙眩かして金をせしめようと言う詐欺師といった方が適当な存在なのかも知れない。ついでに名前も聞いた。答えてくれたが、果たして本名なのか。
「こんな夜中でどうやって帰るんですか」
僕が口にした次の疑問がそれだった。そしてそれは、なんとかこのおっさんのおかしな所を探し出して(まあ、見た目からして何からしておかしな所しかないのだが)、その話の正当性や妥当性に一撃喰らわせようとした言葉だった。
「駅で寝泊まりします」
何ということでしょう。
駅で寝るそうだ。そこから更に話を聞いて分かったのは、おっさんはここの最寄り駅から電車で少し行ったところにある大きな駅で寝泊まりするつもりであると言うことだ。そこは深夜に暖房はついているのだろうか?季節は冬、きっと寒いぞ。嘘八百なのかも知れないが心配になる。
「それから明日の朝に電車で帰ります」
「いくらかかるんですか」
「千二百円です」
僕はスマホを取り出しておっさんの家の近くの駅とここからの電車代を調べる。どうやらちょうどそれくらいになるようだ。僕は少し時間をかけて調べ物をした。
そうして、かれこれやっているうちにおっさんが言う駅までの最終電車は出てしまったのだが、一体どうするつもりだろうか。今度は路上で寝泊まりしますとでもいうつもりなのか。僕がそんな事を考えているとも知らず、おっさんは時間など特に気にした様子もなく依然として調べ物をする僕を見ている。
全くおかしなおっさんだ。怪しすぎる。が、万が一本当に困っている時間にルーズなおっさんなのかも知れない。おっさんから漂ういかにも冴えない雰囲気がそんな考えを肯定させる。とすれば、僕はこのおっさんの大きな駅で寝泊まりプランをぶち壊してしまったことになってしまう。
そこで、今度は別の言葉を口にした。僕の中に湧いた別の疑問だった。
「じゃあ、どうやってここまで来たんですか、どうやって帰ろうとしていたんですか」
そう言ってやるとおっさんはすかさず言った。
「今日ここで、仕事のお金が貰える予定だったんです。でも、突然それがなくなってしまって」
困った風にそう言いながら、おっさんはポケットから財布を取り出して僕に見せて来た。
「ほら、全く持ってないんです」
そう言って広げられた財布には、驚くことに全く何も入っていなかった。本当におっさんの言葉通りの意味だ。お札は勿論だが、小銭一つ、クレジットカードやポイントカード、身分証、レシート一枚入っていない黒い折りたたみ式の安っぽい空っぽの財布をよく見えるように広げて見せてくれる。
いや、いくらなんでもそれはおかしいだろう。僕はそう思った。誰だってそう思うだろう。本当に何も入ってない財布なんてリアリティに欠け過ぎている。
せめて小銭くらい入れておけよ。用意周到が行き過ぎちゃってるよ。というかそもそも大人なら今日もらえるお金なんか当てにせずに帰りの交通費くらい用意しておけよ。キャッシュカード携帯するとかさぁ!
あれこれ突っ込みどころ盛り沢山の財布を見せられた僕の内心は荒れに荒れていた。何だこのおっさんという感情に、面倒臭いなという気持ち、早く帰って眠りたいという睡眠欲に、でも億が一本当に困っている人かもという疑い。僕には良心が囁くわずかな可能性が酷く疎ましく思えた。だがこいつに耳を貸さねば、僕はこの先、特に夜寝る前や僕が精神的に疲れている時に、こいつに散々詰られることになるので無視する訳にもいかないのだ。僕の中に住むこいつは本当に良心なのだろうか?もっとタチの悪いヒロイズムか、或いはそれに類するエゴイズムか何かなのかもしれない。
目の前にいるのは薄汚いうだつの上がらなさそうなおっさんである。このおっさん、その見た目から同情は誘えるが、肝心の手口までその見た目通りにお粗末なものと来ている。酷すぎていっそ憐れみさえ感じる。このおっさんは本気でやっているのだろうか?怪しさが一周回って寧ろ全部本当の話なんじゃないかと思い始めてくる。
「住所を教えてくださったら、後で返金しますので」
僕の悩みも知らずおっさんはそう言ってくる。それはもっと受け入れられない要求だ。名前も住所も知っているがそれでもやっぱり得体の知れないおっさんに返金してくれるからと嬉々として住所を教える奴は流石にいないだろう。これは、あれだろうか。交渉術のドア・イン・ザ・フェイスという奴だろうか。もし、分かってやっているなら、或いはこの手の常習犯としての経験的手法であるなら、中々に見事ではなかろうか。
それとも得体を知ればいいのだろうか。いっそご飯を奢るからと適当な店にでも言って楽しく談笑してみるのもいいのかも知れない。同じ食卓を囲めばちょっとした幸福感や仲間意識が生まれるとどこかで習った気もする。同じ釜の飯を食うという諺もある。いやでも、やっぱりこのおっさんと一緒に飯は食いたくない。
一体どうしてやろうか。おっさんは静かに僕の言葉を待っていた。
飯を共に囲むことを棄却した僕のとれる行動は二つに一つ、お金を渡すか、渡さないか。全く僕がどうしてこうも悩まなければならないのか。ただ帰宅しようとしていただけなのに。何だかだんだん腹が立って来た。
日本は福祉国家のはずだろう!善良(?)な一市民であるこのおっさんに少しのお金を貸して助ける制度すらないのか!新自由主義の波はここまで来たのか!ああ、悲劇だ!憂うべき格差社会だ!
などとどうしようもない怒りを適当に国にぶつけて、適当な思考と適当な知識を適当に飛躍させて気分を落ち着かせる。誰かに話しても戯論寂滅となるような取り止めのない思考だ。
気分はだんだん落ち着いて……それと同時に僕の心に去来した影が一つあった。格差社会、そう格差社会だ。このおっさんはいわば持たざる者であり、僕との関係においては圧倒的に不利で弱者の筈である。そして僕はこのおっさんが欲してやまない筈の千二百円を好きにする権利があるわけだ。
目の前の薄汚いおっさんは、この千二百円欲しさに一体どこまでするだろうか?
それは僕の中に芽生えた暗い楽しみだった。
もし仮に、これが欲しければここで土下座しろ、そう命令したならこのおっさんは土下座するだろうか?最初に述べたように人がまばらにはいるこの場所で。あるいはそんなことできないと憤慨するだろうか。それともやっぱり土下座一つで千二百円ならと思ってくれるだろうか。それできっとこの物乞いか詐欺師か分からぬおっさんに悪意があれば、土下座した時こう思うのだろう。
まんまと騙されやがって、と。
頭は下げていても、騙されている僕が馬鹿だと思っていやがるのだ。そんな頭を踏みつけてやったらどんな反応をするだろうか。今度こそ本気で怒るだろうか。それともそれすら甘んじて受け入れるだろうか。このおっさんにとっての千二百円の価値の境界線を確かめるのは魅力的な実験だし、どちらにせよ、不愉快な思考をしているその頭を踏みつけられたならきっと僕は愉快になれるだろう。そうだ、少しずつ踏みつける力を強くしてやろう。その額に地面の味をゆっくり、けれども徐々に徐々に鮮明に教え込むのは楽しそうだ。僕の良心を刺激し、懊悩の中に僕を落とし込んだこの目の前の存在が苦しげに軋みを上げる様はきっと僕を満たすだろう。
あるいは思いっきり蹴り飛ばしてしまおうか。それともそれはやめて、靴を舐めろと命令してみようか。それも靴底を。おっさんはどんな顔をするだろう。困った困ったという顔をやめて、悲しみを演出する垂れた目の形をやめて、助けてくれというアピールすら忘れて、きっと面喰らった素の顔になるだろう。まるで得体の知れない者を見るように僕を見て、嫌々ながらも千二百円の為に舐めてくれたら嬉しいなぁ。金を放り投げて拾わせるのも一興かも知れない。風に舞った千円札を追いかける姿は滑稽に違いない。
もしかすると、民草に強く当たるような貴族というのはこんな気持ちだったのかもしれない。何の根拠もないが、僕は何となくそう思った。僕は歴史に造詣が深い訳ではないので、貴族に対して何となく横暴なイメージを持っている程度である。高尚な貴族の方々には大変申し訳ないが、彼らは自分が絶対的優位に立っていて、相手を好きにする権利を持っていると錯覚するのではないか。人間の暗く醜い欲望が発生し増幅され、きっとどこかで箍が外れてしまうのではないか。今僕が目の前の薄汚いおっさんに対して抱いたような思考を実行に移してしまうのではないだろうか。それはきっと特別な愉悦だ。
あれこれ考えた僕は思考を止めた。これはいけない。
自分の中にある野蛮とも言える嗜虐性にハッとする。自らの優位な立場を自覚してからのサディスティックな思考の流れは自分でも驚く程自然に湧き上がったものであった。自然と、目の前の薄汚いおっさんをどうにかして苦しめたくなる。僕を悩ませるこの存在が酷く疎ましく、それが惨めな姿を晒すことを願ってしまう。そんな自らの気持ちに僕は酷く戸惑うと同時に自己嫌悪した。
僕は冴えない一介の人間であるが、少なくとも自分が出来る範囲で立派な人間になろうと思っている人間である。甘っちょろく、理想主義な部分もあるが少なくともそうありたいと思っている。黒洞々たる夜に消えた下人のような選択を迫られることもなく、また彼のような覚悟を獲得した訳でもない。そんなただの人間の僕から、その筈の僕から湧き上がった加虐的思考は僕が本来忌むべきものだ。しかも僕が抱いた相手を傷つけんとする感情の根は完全に愉悦、ストレスの発散にある。その点において生存をかけていた彼のものより劣る、浅ましく悍ましい気持ちの悪い感情だ。酷く歪な唾棄すべきエゴイズムだ。
これはきっと冬の寒さと、バイト終わりの身体的疲れと、そこから来る眠たさのせいだ。そうに違いない。そうであってほしい。僕が必死に自己暗示をかけているというのに、僕の思考に横暴を許したものぐさの良心は身勝手にも僕を攻め立てた。
お前がそんな奴だとは思わなかった。お前は最低だ。そんなことを考えるなんてどうかしている。
お前は目の前の人間を信用せず、悪者と決めつけ散々な横暴を働いたのだ。しかも誰にも咎められぬ場所で。恥を知れ。お前の思考は罪だ。そして罪には罰が必要だ。
僕の中に住むそいつは贅沢にも罰を求めてきた。ああ、本当に自分のエゴイストっぷりにはほとほと嫌気がさす。どこまで身勝手になれば気が済むというのか。そしてそれを跳ね除ける強さを僕は生憎と持ち合わせてはいなかった。それこそが僕という人間であった。
そこから僕はいかにして自分の罪悪感を振り払うかという方向へ思考を加速させた。そうなった時の当然の帰結、この苦しい猜疑の懊悩から抜け出す最もシンプルな手段は目の前のおっさんにお金を渡すことだ。僕にとってこのおっさんが本当に困っている善良な人間なのか僕を騙そうとする悪意に満ちた人間なのかは最早大して意味を持たなかった。前者なら、僕は躊躇わずしてお金を渡せばいい。千二百円とは決して安くなく、僕の一時間と少しの労働に値する訳だが、それで誰かの助けになれるならそう悪いものではない。後者なら、僕に話しかけた時点でおっさんの勝ちである。準備不足で、知識不足で、正義という字面すら烏滸がましい奇妙で中途半端な良心を飼っている僕に話しかけたおっさんの見る目があったということだ。天晴れと言って、勝負に負けた僕が千二百円を渡してもいいのかも知れない。
千二百円とはなんとも妙な額だ。これが一万円とかになってくると僕はもっと渋面を浮かべただろうが、そうではなく少し頑張れば出せなくもない値。もしかすると、決して施せない訳ではない千二百円という金額は考え抜かれたおっさんの策略なのかも知れない。
僕の思考がまたおっさんを悪者前提にしている方向へと向かったのを良心が咎めた。どうもいけない。
実は僕は懐疑主義者のつもりではあるが、その下地にあるのは割と素直に人を信じてしまう性分だ。人間は大体いい奴ばかりだと思っている。生まれつきなのか幼少の頃の環境のせいなのかはわからないが、いつか獲得したその性分を今ここで存分に発揮すべきだと僕の良心は叫び出す。僕の良心は人を信じたがっていた。誰かを騙すより騙される方がいい。そんな綺麗な言葉で僕を納得させようとする。
お前も目の前のおっさんを悪人前提にしているではないか!
また、こうも言う。お前が抱いた嗜虐心が貴族的だというのなら、その務めとしてのnoblesse obligeを果たすべきだ、と。ちょっと上手いこと言ったと誇っていやがるのだ。
僕は良心に促され、千二百円を差し出す尤もらしい理屈をいくつも考える。そこに正当性も、論理的整合性もいらない。ただ僕が納得できるくらいの綺麗な形さえあればいい。千二百円で見えない何かを買ったと満足できるようなものであればいいのだ。
贖罪。免罪符。酒の席での話のネタ。寄付。施しを与えるものとしての優越感。貧富の格差の是正への貢献。資本主義を謳歌する僕に要求された対価。懊悩から抜け出すための費用。猜疑の渦から抜け出す唯一の道。早く眠りにつくための代金。明日の目覚めが良いものとなるための薬。悪い夢にうなされないための方法。誰かを救ったときの喜び。良いことをしたと言う充足。おっさんに攻撃的行動をとらせないようにする料金。おっさんの幸せ。おっさんの命……
そして、僕は見つけた。僕が納得できるものを。それは僕がよく知るものだった。お金を求められたのは今回が初めてであるが、このような良心の呵責に苛まれた時に僕がよくたどり着く結論がやはり今回も最もしっくりときた。
それは、僕の良心の連続性、そう、僕を散々に苦しめるこいつを今のまま生かし続けるための費用である。本当にどうしようもないやつではあるが、僕の短い人生の中で常に一緒だったやつでもあるので、愛着がある。千二百円。それの支払いを惜しめば、僕はきっと僕の中に住まうこいつに致命的なダメージを与えてしまう。そうすれば、夜な夜な僕を詰るこいつはきっと僕が今まで連れ添ってきたやつとは随分変わってしまっていると思うのだ。僕の良心の価値は千二百円ぽっちなのか?いや、違うだろう。僕はそう安くはない。そんな意地が芽生えるのは僕の中では酷くありふれたことだった。
僕は意を決した。千二百円を渡そう。そして渡すからには、きっと目の前のおっさんはいいおっさんに違いないと思うことにする。典型的な酸っぱいブドウ、認知的不協和である。これまで散々頭の中で悪し様に言って誠に申し訳ございません。
僕はポケットの財布を取り出し、お金を確認する。そこには千二百円以上しっかり入っていた。やっぱりお金がありませんでしたなんてオチもよかったかも知れないが、幸か不幸か、僕の財布はおっさんのと違って丸々と太っていた。僕はそこから千二百円きっちりを取り出し、この善良なおっさんの人生に幸多からんことをと願いながらおっさんの前に突き出した。
そしておっさんの顔を見た。
僕はすぐさま体の向きを変え、顔を背け自転車を漕ぎ出す。
幸いにも目の前の信号は青だった。
背後から「ありがとう」という声が聞こえてくるが決して振り返らずに、ペダルをできるだけ強く踏む。
僕は思いっきり自転車を走らせるために車道の左側に行く。そこをできる限り一杯のスピードで駆け抜ける。
早く家に帰って眠ろう。
ビュンビュンと風を切って自転車をただひたすらに漕ぐ。
早く、早く帰って眠ってしまおう。
おっさんの存在を僕の世界から一刻も早く除かなければならない。
闇よ、僕の思考を奪っておくれ。
朝よ、今日の記憶を夢とともに攫っておくれ。
家に着いた僕はシャワーを浴びて歯を磨いてベットに入る。今日一日の倦怠感は僕を容易く眠りへと誘った。
朝、目が覚めた僕の頭には昨日のおっさんの顔が黴のようにこびりついたままだった。僕の願いは届かなかった。僕は窓から差し込む朝日を恨んだ。
忌まわしい記憶の話をしよう。
僕がお金を渡した時、おっさんは笑ったのだ。感謝の言葉を出す前に、より正しくは、言葉を紡ぐ妨げになるほどに口角を吊り上げて笑ったのだ。その時のおっさんの顔は僕が見てきた中で最も汚い笑顔を形取っていた。黄色い歯を見せ、街灯に照らされたその魚のような目を灰色にギョロギョロと輝かせて、心底嬉しそうに笑っていた。しかもおっさんの顔から伝わる嬉しさと言うのは、決して感謝に由来するものではないことは驚くほどよく分かった。散々善良なおっさんを想定し、信じようとした僕をして一瞬でその幻を抱くことすら嫌悪させる表情だったのだ。そこにあるのは明確な悪意だった。してやったりという顔。馬鹿を見る目。それらは完全に僕が信じたものを否定していた。
そして同時に恐らくそれらは、僕にとってこれ以上なく相応しい罰だったのかも知れない。そのおっさんの笑顔を実際に見ていない時の僕なら、きっと何の抵抗もなくそう言うだろう。よくない考えを抱いたのだから、それに相応しい罰として甘受せよと良心は呟いただろう。しかし、実際僕はそのようなことを到底思えなくなっていた。動機を重視したとて、結局は結果によって心持ちというものは左右される。何とも悲しいことではあるが、僕はそれを嫌という程感じていた。散々に並べ立てた理屈も綺麗事も見事にその表情の前に崩れ去ってしまったのだ。それは僕もそれを要求した良心も望まぬ罰であって、そして恐らく僕にとって最も酷な罰であることには違い無かった。もし、おっさんが少しでも演技を続けて、感謝の情をほんの少しでも顔の上に載せてくれていたならきっと僕は感傷に浸る贅沢を味わえた筈だ。疑ってすまなかったとそう思い、僕の良心が嬉々として行う説教をきっと楽しく聞いていられた筈だ。僕はそれすら許されなかった。僕はただ惨めだった。
あの時、お金を渡すその瞬間、交差点にいた人が驚いたようにこちらを見ていたのを僕はおっさん越しに確認した。第三者に見られていたということが、僕の惨めさに拍車をかけた。別に知り合いではなかったが、見られるという行為はその現実を確定するようで、僕という存在の惨めさをありありと浮き彫りにするようで酷くいたたまれない。
一つ僕に救いがあるとするなら、僕が得たそれが救いと呼べるのならば、僕が良心を殴りつける為の事例を獲得したということだろうか。まだまだ続く先の人生の中で似たような事が起こった時に今回の経験はきっと僕の良心と戦う為の最高の武器になる筈だ。僕の中のこいつがまた嬉々として暴れ出したなら、僕はおっさんの笑顔を思い出してやろう。そしたらきっとこいつは黙りこくってしまうだろう。或いはそのまま黙りこくったまま二度と話しかけて来なくなるかも知れない。そんな時が来たら、僕はその事実を恐れる事ができるだろうか?長く連れ添ったこいつを見捨てるのに何の躊躇いもなく覚悟を決めてしまうだろうか?
先のことは分からない。今はただ疲れてしまった。ただそう、一つ僕がおっさんに文句を言うのなら、千二百円を払っておっさんの汚い笑みと惨めさを買った僕がただ一つだけ強がりを言うのならば、
かの世界的なハンバーガーチェーンを見習え。あそこはゼロ円でとびきりの笑顔をくれるぞ。お前の笑顔は千二百円貰えたとしても二度とお断りだ。
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別の日、バイト先の友人二人とシフトが被った時、今回の事を話題に出した。すると、友人の一人がどうやら全く同じおっさんから全く同じ手法で金を取られようとしていたらしい。おっさんめ、常習犯だったか。
「その時、どうしたの?」
僕がそう聞くと、友人は答えてくれた。
「交番に行くように言ったよ」
その時の僕が受けた衝撃は凄まじいものだった。これほどまでに知識不足を呪ったこともないかも知れない。詳しく聞けば、何でも千円くらいなら交番で貸してくれるらしい。さすが日本だ。愛しい我が祖国よ。万歳!
またこれは後で調べたのだが、「公衆接遇弁償費」と言うらしい。僕は全く聞いたこともなかった。このことをご存知だった方には鼻で笑われるかも知れない。しかし、言い訳をさせて貰うならば、冒頭に僕の地元は田舎だと述べたが、そこではお巡りすらいなかったのだ。つまり、交番がなかったのだ。治安はいつだって噂好きの町の人の好奇な目によって支えられていたのだ。まぁ、それが浅学に甘んじる理由になるとは思っていないが。
僕はいいことを聞いたと思った。そして、次また似たような事があれば交番に案内してあげようと思った。ちなみに、これも後で調べた事だが、日本の軽犯罪法で物乞いをする行為とさせる行為は禁止されているようだ。とすると、あのおっさんが返金すると言ったのはそこに対する予防線だったのかも知れない。実に強かだ。
「へぇ、そんな制度があるんだ。知らなかった」
かなり能天気なことを考えてそう返した僕にその友人が尋ねる。
「えっ、じゃあどうしたの?まさかお金渡したの?」
そう聞かれた時、僕は大変困惑した。
「ううん、そのまま横断歩道渡って逃げたよ」
僕は嘘を吐いた。僕はまた惨めな気持ちになった。
ーーーーーーーーー
また、別の日、そのおっさんに遭った事のない方の友人と一緒に帰宅していた。自転車道が作られた歩道を通って、二人並んで同じ方角にあるそれぞれの家へ向かう。取り止めのない会話をしながら、深夜の空いた道をスイスイと行く。
そこで僕の目は左側前方にある二つの人影を捉えた。背丈の低いのと大きいの。片方は僕と同じか僕より年下で、眼鏡をかけている青年。そしてもう一人は黒い縒れた服を着て禿げかかった頭をしたおっさん。そう、あのおっさんだ。おっさんはどうやら新しいターゲットを見つけたようで今その手腕を存分に振るっている最中だったようだ。
自転車が徐々に近づくにつれて、僕は込み上がってくる笑いを堪える事ができなかった。それまで友人と話していたのも忘れて何の脈絡もなく、僕は笑い声をあげた。その笑いが何に起因するのか僕にも正直なところ分からなかった。それはおっさんに騙された自分への嘲笑であったかも知れないし、また性懲りも無く情けなさそうな顔を作っておっさんが一生懸命に青年を騙そうとする滑稽な姿を想像したからかも知れないし、あるいは僕のような被害者がまた今日一人生まれるかも知れないということに対しての失笑だったかも知れない。隣で自転車を漕ぐ友人が驚きを含んだ目で突然笑い出した奇異な僕を見て困惑している。それすら今の僕には何だか愉快に思えた。
おっさんに騙された僕にはただ笑うことしか出来なかった。友人たちの前で吐いた嘘を確固たるものにするためにはおっさんとの接触は避けたかったし(あっちだって僕が来たら相当慌てふためくだろうからそれはそれで面白そうではあるが)、そして何より、僕はおっさんに関する嫌な記憶について考えないようにしていて二度と関わりを持ちたくなかった。そして、自転車で移動している現状がおっさんと青年をただ流れ行く背景にするという事にこれ以上ない言い訳を与えていた。ただ無関係な僕の友人は僕が自転車を降りておっさんに向かって行って憤慨し出したらいよいよ気が狂ったのではと思うだろう。それにそうだ、僕のような馬鹿はそうそういない筈だ。賢明な青年ならばきっと黄ばんだ毒牙を軽やかに躱して見せるだろう。
僕の口煩い良心は今日はどうやらお休みしているらしい。きっと疲労困憊になってしまったのだろう。僕はおっさんたちに近づくにつれて笑い声を大きくした。
願わくは、僕のこの笑い声が、おっさんの心に細波を立てて、おっさんが改心して騙すのをやめんことを。又はおっさんが騙眩かすのに失敗せんことを。
こい願わくは、僕のこの笑い声が、青年の意識を外に向けさせ、青年がそのおっさんの胡散臭さに気付き、僕のような馬鹿を見ぬことを。そして彼が素晴らしい朝を迎えんことを。
僕たちは自転車で二人の側を通り抜ける。笑いながら自転車で駆け抜ける僕をおっさんと青年が訝しげに見る。僕の笑い声は深夜の道路に高らかに響いていた。