戦鎚と嘘(ブラフ)
女は【魔法陣】のタペストリーをひと睨みすると、男を伴いさらに奥へと足を踏み入れる。床の軋む音は次第に大きくなってくると、眼前へと届くのは時間の問題だと理解出来た。
どうする? どうする?
ナイフを握るユランの後ろで、僕は迷いに迷う。
何か打開する術は? 手にイヤな汗が滲み出ると焦燥感をさらに煽る。
優先すべきは⋯⋯アベール。僕に出来る事は⋯⋯。
そっとひと呼吸し、ユランの肩に手を置くと僕は立ち上がった。ユランは目を剥き、咄嗟に足を押さえてきたが、それを静かに振り払い前へと一歩出る。
月明かりに浮ぶフードを深く被り顔を隠す男が、闇に浮び上がると、女と男の足は止まった。女の醜く歪んだ口元が月明かりに照らせれ、不気味に浮かび上がる。
「ほぅ~ら、出て来たよ。怪しいったらこの上なし、早速捕まえて戻りましょう」
女は男に指示すると、兵士とおぼしき男がアーウィンの前に立った。僕は目を伏せたまま、生唾を飲み込む。
「“僕の家”で、君達は何をしているのかな? しかも、たくさんの人を引き連れて、ここの人達があなた達に何かしたとでも言うのか?」
女はキョトンと、とぼけた顔を見せる。
「何かさっきも同じ事を言っていた気がするのだけど⋯⋯誰だっけ? ここには、不法侵入をした罪人を捕まえに来たのよ。もしかして、あなたじゃないの? 何かめちゃくちゃ怪しいわね」
今度は女がにじり寄る。これに似た不気味な圧を感じた事があると、僕の頭は警鐘を鳴らす。女の手にしている布がハラリと解かれると、鈍い銀色が月明かりを反射し、腰程の高さの戦鎚が現れた。先端には左右にこぶし大程の鎚があり、先端は短い矢尻が備わっていた。
女はその戦鎚をタペストリーに打ち付ける。次から次へとタペストリーを打ち抜き、その度に小さな爆発を繰り返した。爆発の勢いに削れた壁や柱がパラパラと床へと巻かれ、土埃が舞い上がる。僕は見誤った、心のどこかで治療師=攻撃力はないと決めつけてしまっていた。勝手にマリアンヌと重ねていたのだ。
僕は月明かりが照らす戦鎚を構える女の姿に、ゴクリと生唾を飲み込み、緊張を解こうとしたが、心臓は早鐘のようにさらに警鐘を鳴らすだけ。そんな僕の事を気にする素振りもなく、タペストリーのあった場所を戦鎚で雑に指して冷ややかに笑った。
「これって【魔法陣】でしょう? って事はあなた【魔法陣】の使い手じゃないの? バレバレよ。罪人を匿う人間も同罪、サッサとあなたを指し出せば、助かった命もあったのに残念ねぇ~」
不遜な女の言葉に何かが弾けた。
早鐘のように打ち付けていた心臓の鼓動が落ち着きを見せ、僕はフードの下から女を睨む。僕は一歩ゆっくりと下がり、女との間にある床をゆっくりと指差した。
「フフ。ねえ、そこにある【魔法陣】は踏まない方がいいよ。あなた勇者でしょう? 違う? もし勇者なら、あなたの【気魂】に反応して、その【魔法陣】は、あなたの体を引き裂く」
女の顔から余裕が消えた。未知の物に対する疑念と恐怖が湧き上がる。女は目を細め、必死に真意を探った。だが、口元しか見えない目の前の男から、その言葉の真意は伝わらない。
女の焦燥はこちらへと伝わり、僕は口端を上げて見せる。
その余裕の笑みに女は顔をひきつらせていった。
「ほら、あなた行って、捕まえて来てよ。勇者じゃなきゃ大丈夫⋯⋯よ、ほら、早く」
女は男を突き飛ばすと、つんのめるように恐々とアーウィンへと突っ込んで来た。アーウィンは黙ったまま立ち尽くす。
その刹那、後ろからユランが飛び出し、男に向けて回し蹴りを見せた。
ユランの大きく振り抜いた踵が無防備な男の顔面を捉えると、見事なまでのカウンターとなり、男は壁に激しく背中を打ち付け小さな呻きと共に沈黙する。だらしなく崩れ落ちている男を一瞥し、僕は今一度、女に顔を向けた。
「可哀そうに、あなたは酷い女だ。踵を返してサッサと帰るといい、これ以上我が家を汚さないで欲しいね。ましてや、血溜まりなんて、掃除するのもイヤなものだよ」
フードの下で不敵に笑って見せると、女は唇を噛み悔しさを露わにする。
勇者と分かった上での見せる余裕。女の思考は真意に辿り着けず、疑念と恐怖の圧に焦燥していった。
僕はそこからジッと動かない、厳密にいえば動けない。
嘘を見抜かれれば終わる。だけどアベールまで手は届かないはずだ。それならそれで構わない。ユランもひとりなら何とかなるはず。アベールとユランが助かれば、この場は僕の勝ちだ。
女の話が本当なら、原因を作ったのは僕達だ。その思いは先程からチクチクと心に突き刺さる。ただ、何もしなければ子供達が犠牲となってしまっていた。命の天秤にどちらが重いなんてあるはずがない。許せないのは、やはりこの人達の所業なのは間違いない。この人達は、他人の命を軽く見過ぎている。それが腹立たしいんだ、それに僕は怒っているんだ。ただ、この惨状の原因、その一旦を担っていると思うと心苦しくやるせないのも事実だった。
「だったら、こうすればいいのよね!」
戦鎚を握り締め、女はアーウィンに元へと飛び込んだ。横から振られる戦鎚はアーウィンのこめかみを狙う。
「しゃがめ!」
ユランは叫び、戦鎚に目掛け逆手に握るナイフを振る。アーウィンはギリギリの所でしゃがみ込むと頭上でナイフと戦鎚が切り結び、激しい火花が散った。
「クッ!」
弾かれるユランのナイフ、戦鎚は間髪入れずにユランに目掛け振り抜かれる。アーウィンはユランの足元に飛び込み、ユランを壁へと突き飛ばし、すぐに見せかけの【魔法陣】の上に立つと女を睨んだ。
僕は口元に笑顔を浮かべ強がりを見せると、思わせぶりに一歩後ろに下がる。
「チッ!」
女は舌を打ち、こちらを睨む。まだ怯むという事は、この嘘に警戒はしている。ユランも痛む頭を振りながら、僕の横へとまわり込んだ。真正面からだとキツイ。戦力にならない僕では、下手したらユランの足手纏いになってしまう。かと言って、ユランひとりで勝てる相手ではない。
打開する術と、僕に勇気を。
静かな睨み合いは、すぐに破られる。女が再び飛び込んで来た。振り下ろされる戦鎚をアーウィンは後ろに跳ねて避ける。
メキッ!
空を切った戦鎚が、鈍い破砕音と共にアーウィンの立っていた床に、いとも簡単に穴を開けた。
こんな物を受けたら、骨なんか簡単に砕け散る。
震えがきそうな程の一撃を目の前にして、体は強張ってしまった。
間髪入れずにまた振り下ろされる戦鎚に、アーウィンの強張った体は待ち構えてしまう。
しまった。
刹那、体に衝撃が走り、横へと突き飛ばされた。背中を床に激しく打ち付け、床をゴロゴロと転がって行く。聞こえるはずの床の破砕音が聞こえない。咄嗟に顔を上げると、ユランの右腕が抉れ、激しい出血を見せていた。
女は好機と踏み、幾度となく戦鎚を振り下ろす。床が抉れ、ささくれ立った板が何ケ所も作られて行く。
ユランは何度となく刃を弾かれ、僕は床を無様に転がっていった。鎚が目の前を何度も叩き、生きた心地はしない。それでもユランは満身創痍の中、ナイフを構え、鋭い視線を女へと向けた。女は面倒そうな顔をし、ユランと切り結ぶ。鎚と剣がぶつかりあった瞬間女の左足がユランの抉れた腕を叩く。
「カハッ!」
あまりの衝撃にユランは目を剥いた。
僕は思わず叫びそうになるが言葉をぐっと飲み込む。けして名前を叫ぶなとカルガから口酸っぱく言われていたのを思い出す。敵にまんまと情報を渡すなど、愚の骨頂だと何度となく言われていた。
悔しさと恐怖がこみ上げ、叫びたい言葉を飲み込んだ。ユランは抉れた右腕を押さえ、顔をしかめる。ユランの痛みと焦燥がこちらにも伝わり、僕達の足元には手詰まり感がにじり寄る。
諦めるな。最後まで足掻け。
男の落とした剣を拾い、切っ先を女へ向けた。女は“プッ”と吹き出し無様に構える僕の姿を笑い飛ばす。
「アハハハ。いやだ、ド素人? こんなに剣が似合わないヤツも珍しいわね。はぁ~、笑った。でも、手加減はしないけどね!」
女の鋭い振りが唸り上げて、アーウィンを狙った。
キン!
切り結ぼうと向けた刃は、軽い金属音だけを鳴らし簡単に弾かれ、鈍い銀の曲線はアーウィンの左肩を打ち抜く。
バギッ。
体の中を鈍い破裂音が響いた。その音は間違いなく肩を砕いたと壁に吹き飛びながらアーウィンは感じ、理解する。
にじり寄る女の背後から、ユランは片手で飛び込む。女は直ぐに背後に向けて鎚を振ると力ないユランの刃は簡単に弾かれ、壁へと飛ばされた。
まだだ!
背後に回っている鎚。
ガラ空きの前面へとアーウィンは突きを見せる。
女は眉をひとつ上げ、吠えた。
「舐めるな!」
「かはっ!」
アーウィンの突きを簡単に躱し、脇腹へと鋭い蹴りを見せる。渾身の突きはいとも簡単に躱され、アーウィンは膝から崩れ落ちた。
女はその姿を見逃すはずはなく、卑しく口端を上げると、戦鎚の軌道はアーウィンの頭を狙い打つ。




