狂犬
「いやだ! なあに? あんたのその恰好? 魔女っ娘? いい歳して?」
「なんじゃあ?! おまえ?? 失礼なヤツだな」
ドアの激しいノックの音に顔を出したアベール・ハルカルの姿を嘲笑する声色が玄関から響くと、コウタの顔色が変わった。その異変にいち早く気が付いていたマインの表情も、険しいものになっていく。勇者であるコウタが激しい警戒を見せる人物。
マインはコウタの腕を引き、奥の部屋へと身を潜める。
「コウタ。リアーナ・フォスだな」
「間違いない。あの声、あの口調。間違いなくヤツだ」
「なあ、コウタ。幸いカルガとキリエは出払っている。コウタが出て行かなければ、追い返す事は可能だと思わないか? 今ここで事を荒立てるのは芳しくない」
マインの言葉に頷けるのだが、そううまくいくものか。不安は残るがマインの言葉が最適解である事は間違いない。コウタが頷き返すと、マインは眉間に皺を寄せているアベールの横へと向かった。
「アベールどうした? お客さんか?」
「はん!? なんか失礼なヤツが突然来よった」
予想していなかった顔が現れ、リアーナの顔に戸惑いが生まれる。それと同時に殺気を含んだ視線。つま先から頭のてっぺんまで、舐る視線をマインに向けた。
「おまえ誰だ? 仲間か?」
「おまえこそ先程から何を言っているのだ? 突然現れて不躾な態度。帰って頂こうか」
睨みを利かすマインとアベールに、リアーナは気にする素振りも見せず部屋の奥を覗こうと目を凝らしていく。その不遜な態度にマインは盛大に眉をしかめて見せた。
「帰れ」
部屋を覗こうとしているリアーナの前にマインは立ちはだかる。リアーナはマインを睨みつけ、さらに覗こうと体を揺らす。
「おまえ、邪魔」
リアーナがマインの体を押しのける。マインが怒りの表情を一瞬見せたが、すぐに落ち着きを取り戻す。コイツの手の平で踊ってはいけない。自らに言い聞かし、湧き上がる衝動を抑え込んだ。
「おまえはここに何を求めているのだ? ここには何もないぞ」
「あるかないかは、こっちが決める」
空気が一気に張り詰める。その危うい緊迫感にアベールは口を挟む事すら出来ない。
一触即発。
絵に描いた静かな睨み合いに、その度合いは跳ね上がって行く。
なるほど、キリエとコウタが警戒をするわけだ。
「何を探している? 言わなきゃ分からんぞ」
マインの言葉にリアーナの動きは止まった。天井を睨み逡巡の素振りを見せる。
「そりゃあ、そうね。てか、あんた誰? 今日はね、落とし物を拾いに来たのよ。ここにあるんでしょう?」
「人に名を訪ねる時は自ら名乗るものだ。それと、ここには私達ふたりしかいない。お引き取り願おう」
「いや、だからそういうのはいいんだって。おまえ、ジョンのパーティー?」
「先程から本当に何を言っている? ジョン? パーティー? いい加減にしろ」
はなから聞く耳すら持たない、不遜な態度にマインは冷静を保つのに必死だった。
落とし物って言っていたな。リアーナの言葉の端を捉え、その答えに簡単に辿り着く。
アーウィン。
狙いは彼か。運がいいのか悪いのか、誰も潜伏しているアウフ・ミルシーラの所在地を知らされていない。彼がこのタイミングで訪れなければ、辿り着く可能性は相当に低いはず。
「だからさぁ、どこに隠しているのよ。面倒臭いヤツらね」
「話の通じないヤツだな。先程から言っている通り、ここには私達ふたりしかいない。他を当たれ」
「そう言うならさ、おまえはこんな人も寄り付かない所で何やっているの? 変なヤツ」
「おまえはいちいち礼儀を欠いているな。まぁ、いい。彼女とは友人同士だ。時間が出来たので訪ねただけだ。これでいいだろう、帰れ」
リアーナは突然粘着質な笑みを浮かべる。気味の悪いその笑顔にマインは背筋に冷たいものを感じた。
「ハハァ。嘘だね」
「何がだ」
「友人同士? 友人を訪ねるのにここの住人にわざわざ所在を訪ねるの? それにここの人達が教えてくれた、ここに来たヒューマン《《達》》ってね。最初から嘘だって分かっていたのよ、おまえの言っている事が。見ない顔のうえ、勇者を見てもビビる素振りを見せない。おまえは誰?」
最初からリアーナに踊らされていたとは。ギリっと奥歯で悔しさを噛み締める。マインの瞳は最大の警戒を示し、目の前のリアーナを睨んだ。
「その目、ムカつくね。あのクソ生意気な鍵屋を思い出す」
リアーナが腰に携える細身の剣に手を掛ける。マインは眉間に皺寄せ、腰の剣に手を掛けた。リアーナはその姿に怪訝な表情を見せた。
「勇者とやる気? 本気? 勝てると思っているの? バカじゃない」
マインは目の前の狂犬から視線を逸らす事なく逡巡する。こちらが勇者であるとバレていいものか? 逃げの一手? ここの【魔法陣】が、バレるのはマズイ。
仕方ない。
マインが迎撃の態勢を取ると、リアーナは少し驚いて見せたが、獲物を見つけた猟犬が牙を剥く。瞬速の切っ先がマインに向けて、何度となく突きを見せる。マインはその突きを事も無げに弾き返し、リアーナを外へと押し出した。
夕闇にはまだ早い遅い午後。銀色に輝くマインの刃が陽光を写し、リアーナの細い切っ先は陽光を反射し鈍く輝く。
「おまえ、何者?」
狂犬の勘が、最大の警戒を感じていた。むやみに飛び込むべきではないと、リアーナは自身に告げる。焦りもなく剣を構えるマインの姿をリアーナの瞳はきつく見つめていく。
「《グラシェ》」
リアーナが静かに詠うと、細身の剣から冷気を帯びた白煙が立ち込める。
本気か。マインはその白煙を見つめながら、諦めたかのように詠った。
「《イグニション》」
マインの剣が炎の揺らめきを見せると、リアーナは驚きの余り目を剥いた。
「おまえ⋯⋯」
絶句するリアーナに鋭い太刀筋を見せる。炎を纏うマインの剣が、激しい連撃を見せた。縦に横に、炎の斬撃と激しい振音を鳴らし、リアーナを襲う。炎と氷が激しい衝撃音を響かせ、辺りに白煙をまき散らす。斬撃が衝撃波を生み、住居を襲う。吹き飛ぶ屋根や、剝き出しの柱が折れていく。
マズイ。ここで戦うべきではなかった。マインの後悔を余所に、リアーナの突きは鋭さを増して行った。
この騒ぎに住人達は物陰から様子を伺う。
危険だ。
その姿を視界に捉えるとマインの動きに迷いが生まれた。
「アハ」
狂犬の鼻はその微細な空気の揺れを見逃さない。一瞬だけ溜めた渾身の突きが斬撃と共にマインを襲う。首を傾け、間一髪の所で致命傷は外したものの、切っ先は左の肩口を捉え、纏う冷気の刃が頬を切りつけ、頬から血が流れ落ちる。渾身の斬撃はマインを吹き飛ばし、住宅の壁に激しく背中を打ち付けると、マインはズルっと膝から崩れ落ちてしまう。
「あら、やだ。外しちゃった。うまいこと避けたわね」
「⋯⋯貴様⋯⋯」
立ち上がる事もままならないマインを見下ろし、リアーナは笑みを深めていく。余裕の笑顔がマインの憤りを倍増させる。思うように動かない体に鞭を打ち、ゆらりと立ち上がって行った。
「おいおい。こいつはどういう事だ。マイン⋯⋯リアーナ・フォスか? 何でてめえがこんな所にいるんだ」
破壊された家を見渡し、怪訝な表情を浮かべるカルガ。そこに佇む、歓迎出来ない顔を見つけ、厳しい顔でリアーナを睨んだ。
「マイン、何遊んでやがる。こんな野郎サッサと片付けておけよ」
「簡単に言うな。割と本気出したぞ」
その言葉にカルガはマインを一瞥すると、すぐにリアーナに向き直した。カルガはリアーナを睨みつつ、辺りを見回し打開策を講じる。物陰にはアベールを筆頭に何人もの住人が息を潜め行方を見守っていた。カルガは不安気に見つめるアベールに視線を送る。
「何? おまえ? そいつの仲間?」
「仲間? おまえには仲間に見えるのか? 目ん玉腐っているんじゃねえのか。このバカが」
「カッチーン! 頭きた。まとめて消してやる」
「やってみろ。このクソビッチ」
カルガはマインから遠ざかるようにリアーナに回り込んだ。リアーナは雑な一撃をカルガに向ける。斬撃がカルガの体を掠め、住宅の壁が派手な音を立て吹き飛んだ。
掠めた腕と足から血が滲む。相変わらずコイツらはデタラメだな。
カルガはリアーナをおちょくるかのごとく、切っ先を軽く振って見せた。狂犬の顔が怒りで醜く歪む。
「弱いくせに吠えるな!」
狂犬が吠えれば、カルガは薄ら笑いで答える。
「キャンキャンうるせえヤツだ」
カルガが体ごとリアーナに飛び込んで行く。リアーナは簡単に避け、そのまま冷気を纏った刃を振り下ろす。
冷気の斬撃。
掠める冷気が、剝き出しになっているカルガの頬や首が凍らせて行く。
体を入れ替え、再びカルガは相対した。首から頬にかけて凍結した顔は、表情を作る事さえままならない。パキパキと音を立て、刺すような痛みが襲って来る。
リアーナの圧にカルガはじりじりと下がってしまう。
その様にリアーナの醜悪な笑みは深くなって行く。どう食い散らかすか、狂犬の頭はそれだけ。狂犬は舌なめずりをしながら、カルガへじりじりと近づいた。それは、硬直するカルガの表情に喜々としている様にも見えた。
この醜い顔が、世界を守る勇者だと? ふざけた話だ。
ゆっくりと下がるカルガ。一定の距離を保ち、詰めることなく、楽しむかのように狂犬は圧を掛けていく。
勝負は決した。後始末をどうするかだ。
リアーナは冷気を纏う細身の剣を高々と振りかぶる。
終わりだ。
リアーナが剣を振り下ろす。
「カルガ! どけ!! 《イグニス》」
アベールに支えられながらマインは切っ先をリアーナに向けた。
カルガはマインの叫びに横へと跳ねる。マインの剣先から轟音を伴う業火がリアーナに向かって走って行く。
業火はカルガの横をすり抜け、狂犬を焼き尽くそうと炎の道を作る。
カルガはその炎の行く末を睨んだ。




