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鍵屋の憂鬱  作者: 坂門
不穏の種、不協の種

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19/95

扉の開く音

 大した時間は経っていないジョゼフとのあの出来事。ざらついたノイズが掛かる。記憶にしっかりと焼き付いてはいるが、どこか現実感のない出来事として頭の隅に鎮座していた。疲れの抜けきれない体に鞭を打ち、体を起こした。路面に跳ねる微かな水の音。


「雨か」


 アーウィンは雨戸を開け放つと、しとしとと静かに降り続ける雨を見つめ首に手を回す。


「今日はヒマ⋯⋯かな」


 もう一度体を伸ばして、朝食の準備を始めた。

 大概こういう時の僕の予想は外れる。数時間もすれば激動が扉を開けて現れる。この時はそんな事も露知らず呑気に固くなったパンをスープに浸して食べていた。


◇◇


 雨の日にわざわざ出歩くのは物好きだけだと、誰かが言っていた。誰だっけ? ニアンさん? サイモンさんだっけ? 予想通りの開店休業状態に、カウンターにだらしなく顎を乗せていた。薄暗い一日になりそうだ、水の跳ねる音を聞きながら、意識に膜が張っていく。

 カラン。

 唐突に扉の開く鐘の()に、ぼやけていた頭が覚醒する。お客さんだ。


「いらっしゃい! ⋯⋯ませ? 坊や、どうしたの? お使い??」


 くせ毛の男の子が扉から現れ、真っ直ぐアーウィンを見つめていた。雨具も着けず歩いてきたのか、ウエーブのかかる髪がびっしょりと濡れ、水滴が滴り落ちていた。


「それだと風邪ひいちゃうよ。今、拭く物持ってくるからちょっと待っていて」

「いや、いいよ。大丈夫。鍵師さんは元気そうだね」

「うん? かな? そうだね。元気⋯⋯かな⋯⋯」


 ずぶ濡れの少年が、不敵な笑みを浮かべていた。直感的に背筋に冷たい物を感じる。

 何だろう、この気味の悪さは。得体の知れない不気味さが襲ってきた。


「そう? 人ひとり殺しておいて、平気なんだ」

「何を言っているの? 殺すなんて物騒な事しないよ」

「へえー。そうなの」


 (ねぶ)るようにブラウンの瞳を向ける。粘着質な気味の悪い視線に僕は既視感と共に、吐き気を覚えた。

 何だこの子は!? 普通じゃない。

 ゆっくりとカウンターへと近づいてくる、びしょびしょの足跡が少年の後を追うようについて行く。床に垂れ落ちる水滴が床の色を変え、少年は伏し目がちに歩み寄って来た。

 僕の体は凍りついたかのように動かない。どうすればいいのか、全く分からない。とりあえず僕は、必死に取り繕った。


「今日は何を買いに来たのかな? おつかい? 頼まれた物は何かな?」

「今日はお前にご挨拶だよ!」


 少年が顔を上げると酷く歪んだ表情でアーウィンを目を剥いて見た。

 ご挨拶? 何? どういう事? 逡巡するアーウィン。

 少年はカウンター越しに戸惑うアーウィンの喉元をお構いなしに握り締めた。


「かはっ!」


 何だ、この子。しかもこの力、子供の力じゃないぞ。

 アーウィンは振りほどこうと少年の手に手を掛ける。びくともしない少年の力は増々強まっていった。

 まずい。息が⋯⋯。必死にもがいてみるが逃げ出す事も出来ない。

 苦しい⋯⋯。何とかしないと。目の前にチリチリとノイズが走る。

 まずい。まずいぞ。振りほどこうとする手から力が抜けていく、意識が遠のく。

 空いていた小さな左手。小さな手とは思えない握力で、アーウィンの両頬を握り締める。


「ほらほら、口を開けろ。その汚ねえ舌を引き抜いてやる」


 ガラン!


 激しく扉の開く音、少年に飛び込む影が見えた。


「チッ! 何だって! お前が!」


 舌を打つ少年に間髪容れずに、影が腕を振るう。

 少年目掛けて鋭い振りを見せた。少年は後ろへ跳ねると、アーウィンは解放される。睨み合うふたりを僕は涙目で見つめていた。


「ぜぇー、ぜぇー、かはっ、ふぅふぅふぅ⋯⋯」


 膝から崩れ落ちると喉を押さえ、僕は必死に空気を求めた。

 ミヒャさん?! なんで? 少年に飛びかかる影にアーウィンは驚いた。なぜ、ミヒャさんが。

 狭い店内で、ふたりは激しくぶつかり合う。子供とは思えぬ、素早い腕の振りでミヒャを狙い打つ。ミヒャも両手にナイフを握り応戦の構えを見せた。


「【硬化(フェルムフォルマ)】」


 少年の腕が黒く光る。何あれ? 人の腕が黒く光るの? どういう事? 呆然とする僕の目の前でミヒャの握るナイフと黒く光る腕が激しく切り結んだ。ナイフの刃と少年の腕が甲高い音を鳴らしぶつかり合った。あんなもの人の腕ではない。なぜ、僕を狙った? 舌を引き抜くと言っていた⋯⋯まさか⋯⋯。


「⋯⋯アサト。何しに来た」

「もう、バレたか。ご挨拶だよ。懐かしの顔にな」


 ミヒャの言葉に僕の心臓が激しく鼓動した。辻褄は合うが⋯⋯いや⋯⋯しかし⋯⋯死んだのでは⋯⋯。

 いや、死んだから、もう一度転生? そんな事あるのか? でも、今こうして目の前にいる少年の中身がアサトなら一連の行動は納得だ。

 逡巡していた、僕の耳に激しい衝突音が届く。ミヒャが店の棚に吹き飛んでいた。


「ミヒャさん!」

「来るな! 隠れていろ!」

「ミヒャ、大層な余裕だ事。人の心配している場合じゃねえぞ」


 少年の左右の黒い腕が、倒れ込むミヒャに打ち下ろされる。体をよじり半身で避けたが、硬質な腕が避けきれなかった脇腹を抉った。


「ぐっ!」

「チッ! 外れた」


 体勢の崩れたアサトへ、目元に苦悶の表情を浮かべながら蹴りを見舞う。アサトは腕を交差させ、蹴りを受け止めたが、勢いのまま後ろへと飛んで行く。商品棚は激しく揺れ陳列してあった鍵が床へとバラ撒かれた。


「ちくしょう、いってえなぁ」


 腰をさすりながら少年は立ち上がる。大きなダメージは見られない。脇腹を押さえるミヒャの左手から血が滲み出していた。見た目では分からないが深手を負ってしまったようだ。何も出来ない僕は見守る事すら出来ない。隅っこで縮こまる事しか出来ず、惨めな思いにギリっと奥歯を噛み締めた。

 ミヒャの赤い瞳が少年を睨む。少年は粘着質な視線を向けた。それはアサトの視線と同じ気分の悪さを覚える。

 脇腹を押さえながらナイフを構え、間合いを計る。飛び込むそのタイミングをじりじりと計っていた。

 僕は、ゆっくりと腰を上げていく。狭い店内、ミヒャに気を取られているアサトの死角へゆっくりと動いた。一瞬、一瞬でいいんだ。僕は口から飛び出しそうな心臓の高鳴りを感じながらゆっくりと動く。

 ミヒャの動きが、一瞬止まった。


「こんのぉー!」


 僕は少年の脇腹めがけ、タックルを仕掛ける。一瞬驚いた顔を見せたがすぐに少年の口元が笑みを見せる。


「バレバレだっての」


 振り下ろす黒い腕が僕の背中を襲う。


「⋯⋯【加速(ラピッド)】」


 目の前にいたミヒャが消える。僕に向いていた黒い腕は背中を掠め、その瞬間、少年はうつ伏せに地面へとひれ伏していた。黒い腕が掠めた背中に激痛が走り、顔をしかめ一瞬息が出来ない。

 馬乗りで押さえつけているミヒャが、少年の頬先にナイフを突き立てた。ナイフを睨みながら少年は抵抗を止めた。僕はその姿に嘆息していると、ガラン! と扉の音が激しく鳴り、見知った男が飛び込んで来た。


「カルガ!」


 思わず声を発してしまった。カルガに僕の声は届いていない。ブラウンの瞳には怒りしかなく、剣の切っ先をミヒャに向け激しい怒りを見せた。


「その子から離れろ! クソ勇者!」

「ちょ、ちょっと待ってって。ミヒャは僕を助けて⋯⋯」

「うるせえ! 黙っていろ! 早くしろクソ野郎!」


 聞く耳を全く持たない。今にもミヒャに斬り掛かりそうな勢いに僕は痛む背中を押して、カルガの剣先とミヒャとの間に体を滑り込ませた。


「カルガ! 話を聞いて! この子は⋯⋯」

「どけ。今回は容赦出来ねえ。お前でも斬るぞ」


 怒り一色のカルガは、冷ややかに言い放つ。目を剥くその姿にこちらへ対する慈悲は感じない。斬るという言葉に嘘はない事が伝わる。いつもの飄々とした気配は微塵もない、そこにあるのは殺意だけだった。少年を助けたいという一心なのかも知れないが、あまりにも盲目だ。助けようとしている者はアサト。助けた所でカルガの首も狙うに違いない、ここで助けるのは自殺行為だ。

 どれくらい睨み合っている、数秒? 数分? 時間の感覚が(ほど)ける。僕は荒い呼吸で、カルガが静まるのを待つしかない。


「おい、ミヒャ。オレはラムザの人間だ。殺したら戦争だ。勝てるのか?」


 アサトは静かに囁いた。好機が来たとほくそ笑む。ヤツまで来るとはツイているぜ。まとめてぶっ殺してやる。

 アサトの言葉に、ミヒャの瞳は険しさを増した。打開策を模索する。カルガ⋯⋯こいつのテンションはマズイ、鍵師と違って、単純なアンチ勇者だったって事なのか?


「コイツは子供のなりをしたアサトだ。僕らを斬ったあと、君はコイツに()られるだけだ」

「でたらめ言うな!!」

「そんなでたらめ言ってどうするって言うの!? 何もしない子供に手をかけるわけがない!」

「うるせえ! 黙れ!」

「斬るなら、斬ればいい。君とミヒャに救って貰った命だ。恨みはしない」


 僕は、カルガの剣の切っ先を喉元に当てた。

 目を剥くカルガが視界に入り、ミヒャが叫ぶ。


「止めろ!!」


 刹那、アサトの口角が上がる。

 チャ~ンス。

 一瞬だけ緩んだ拘束を見逃さない。スルリと抜け出るとすぐに立ち上がりカルガに向かって突進した。

 カルガは何が起こったのか分からず、放心状態で腕をだらりと下げた。僕はカルガを反射的に突き飛ばす。少年の不快な笑みを見ながら、僕は激しく後ろの棚へ吹き飛んだ。ガシャガシャと鍵の擦れる音と地面に落ちる音、激しい背中の痛みを覚えている。

 僕の記憶はそこで途絶えた。


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