危機一髪
「危ない!!」
少し幼く感じるその声とともに、背後から思いっきり引っ張られた。
そして、ジュッという何かが溶けたような音がした。
突然のことに唖然としていると、切羽詰まった声で、
「っ!・・そのまま動かないで!」
と言われるとほぼ同時に、その声の主は小柄だったが、一回りは大きいであろう俺の身体を横向きに抱え上げて胴体と脚を両腕でしっかりと持ち上げた。
何をするつもりだ。と言う前に浮遊感に包まれた。
思わず下を見ると、さっきまで立っていた場所が下に見える。
闇夜で誰かは分からないが、俺の身体を持ち上げて前方に跳躍したようだった。それも3mほどの高さ。
驚愕だった。
そして華麗に着地すると、
「僕から離れないで!」
早口でそう言って俺の身体を降ろし、俺の手を掴んで先導するように走り出す。
その背中は小さいが、俺よりも力強く俊敏だった。
明かりがなく迷路のような街を2人で駆け抜けていくが、後ろからさっきの肉塊達が群れを成して追いかけてくる。
俺は何が起こったか理解できないまま、手を引っ張られながら走る。
狭い路地を通ると、暗闇でほとんど何も見えなかった。しかし、その少年は迷わずに道を選んで進む。
少しの段差に転びそうになりながらも、ついていく。
ようやく追っ手を振り切ったようで走る速度が遅くなる。
そして、走りながらこっちをチラッと見た。
「この先に僕の家があるからそこなら安全だよ」
安心させるような口調で言った。
顔は見えなかったが、にこりと笑っている気がした。
そう言われて、先を見ると闇夜の中に灯のともっている家がある。
さっきまで追われていたため、気づかなかったが、俺が握っている手が人間の手触りと違う事が分かる。
犬や猫の毛並みのようなさわり心地だった。
手袋でもしているのだろうか。空が曇っているのか月光が届かず、暗くてよく見えない。
少年が俺がまじまじとつながれた手を見つめているのに気づいた。
突然、少年が手を放し、
「もう時間がないから君は行って!」
震える声でそう言い残して、逃げるように反対方向に駆け出して行った。
後ろ髪を引かれる思いだったが追いかけることはせず、言われたとおりに灯のともる家に向かった。
道中、肉塊達に襲われることは無かった。きっと注意を引いてくれているのだろう。
家に入るとすぐさま扉をしめた。
扉の前で気配が無いことを確認すると、その場にへたり込んでしまった。
走り続けて、足が棒になったように動けない。
結局、あの肉塊は何だったのか。そして、俺を助けてくれたあの少年。時間がないとはどういう事だろうか。また、謎が増えた。帰ってきたら訊いてみようと思い、玄関でしばらく待ってみることにした。
玄関のランタンに灯がともっている。持ち運び可能なようで、簡単に取り外せた。安全な家というだけで、かなり落ち着けた。安心しきったせいか、喉の渇きを思い出した。
「そういえば、昼から何も飲んでいないな。」
家主がいないのに部屋に上がるのは気が引けるが、水分補給しないと干からびて死にそうだ。
「お邪魔します」
一応、一声かけてから入ることにした。
この家も他の家と構造がにているため、蛇口や水道が一切ないことが安易に想像できる。
もちろん、ガスや電気もないから真っ暗だ。ランタンがないと何も見えないほど暗い。
すぐさまキッチンへ向かい、水がないか探してみる。
意外と簡単に見つけられた。戸棚を開けると、透明で大きな入れ物の中にほんの少量の水が入っていた。入れ物を抱えて傾け、その出口が口に来るようにして飲む。
しかし、一口分だけだった。それでは全然足りなかった。
一口水を飲んだせいで、さらに飲みたいという衝動が強まり、探すのをやめられなかった。
部屋を一つ一つ探す。調べていない部屋はキッチンを除き4つだ。
キッチンから最も近い部屋に入ろうとした。
しかし、鍵がかかっているのか開けることができずに断念した。
次は、寝具などが置いてある部屋だ。
おそらく、寝室になっているだろう。
正直、入ってはいけないと思うがその時は水欲しさに、躊躇せず部屋に入る。
扉を開けると、獣臭さがあった。この家全体がほんのり獣臭がしたが、この部屋は他よりも少し濃い臭いだ。
個人的に嫌な臭いではないが、人によっては臭いと感じるだろう。
何か動物がいるのかと、警戒しながらランタンで部屋を照らすが、それらしいものはいなかった。
軽く部屋を見渡したが、水らしいものはない。
あとは、収納スペースにしまってあるのを祈りながら、3つの引き出しがあるタンスを開けることにした。
タンスの一番上の引き出しを開けると畳んだ服や小物がしまってあった。
どこに服や小物があったのか、水はどこで手に入れたのか。
帰ってきたら訊いてみようと思いながら引き出しを閉める。
真ん中の引き出しを開けて、中に何が入っているか認識するとすぐさま閉じた。背徳感があるなか、最後の引き出しを開けると包帯やピンセットなどの医療品が入っているだけだった。ここにも水は無い。
水が無いことを残念に思いながらも部屋に入った痕跡をすべて隠蔽して、部屋から出る。
次の部屋に移動しながら、さっきの引き出しの中を思い出す。
勝手に少年だと決めつけていた。特に見つけて困るものもないだろうと思っていた。
「いや、まさか、女物の下着が入っているとはな…。」
部屋を漁ったのは悪かった。ただ、水が欲しかったのだ。
事故だ。と自分に言い聞かせて次の部屋を開ける。
書庫のようだった。部屋に入るなり本独特の匂いがした。小さな部屋ではあるが、たくさんの本が並べられている。これも収集したものだろうか。
ランタンをかざして、内容を確認したいのはやまやまだが、書庫に水があるとは思えない。
すぐさま引き返す。
最後の部屋に希望を抱き、扉をあける。
そこには、ランタンの光が反射する水面があった。
それに飛びつき、早速飲み始める。
バケツのようなものに入っていたが、気にせずがぶがぶと飲んだ。
バケツ一杯の水が半分になるほど飲んでしまった。
「ふうー。生き返ったぜ。久しぶりの水がこんなにうまいとはな。」
水を得た魚のように生き生きと動き回りたい気分だ。今の場合は、本当に水を得たわけだが。
ふと、この部屋は結局何の部屋か気になり、ランタンをかざす。
見渡すと、桶や浴槽があった。
「じゃあここは風呂場か。今飲んだ水は浴槽に溜める用かな。」
勝手に自己解決して、風呂場から出る。
先ほど気になった書斎へ向かう。
もし、その中に使える情報があるのならば読んでおくべきだと考える。
書斎に着くと、窓から月光が入って机の上を照らしていた。
「まさに、本を読めと言っているようだな。」
そんな冗談を言ってみたが、聞くものはいない。
静けさだけが訪れる。
月光が差したおかげで外がよく見えるが、何もいない。やはり安全なようだ。
本棚の本をいくつか手に取って読んでみたが、正直あまり役に立ちそうなものはない。
先ほど睡眠をとったが、長時間眠れていない。少し眠気が襲ってきた。
机の中に古びた本があった。
本をペラペラとめくると日記のようだった。
この日記は途中途中破れているが読める部分はありそうだ。
そして、ページをめくり読み始めた。