第二章ー嵐の夜・3ー侵入者
砂漠の設定とか風土とかガバガバですみません……。
その晩。ルスティカは興奮冷めやらず、なかなか寝付くことができなかった。
こんなことははじめてだった。心が躍るとはこういうことなのだと知った。
寝台の中で寝返りを打ちながら今日のことを思い返す作業に勤しむ。充足感で胸がいっぱいで――満ち足りていた。
(みんなが笑っていて――良かった……)
久し振りに活気に満ちていたと誰もが口を揃えて言っていた。――まるでアルベルティーヌ陛下が――母が生きていた頃の王宮のようだった、と。
母との思い出がなかったルスティカにとって彼女は先代の女王という印象が強い。残っている肖像画も若く聡明で美しい女王としての顔をしている母だ。ルスティカは自分は母と容姿が似通っていないのでなおさら母に対して親近感を懐けなかったのだが。
(わたしにも――あったんだわ。お母さまに似ているところが)
それだけで心がじんわりと温かくなった。自分の中に眠る母を感じられた気がしたから。
ぬるま湯に浸かるような心地よさに包まれながらルスティカは微睡んでいた。頭は冴えていたが、身体は休息を欲していた。
だから――すぐに気付いた。物音と、……気配に。
「――?」
なんだろう、新米の侍女が粗相でもしたのだろうか。主の眠りを妨げるような不心得者がいるハズがないのに。
(バシラったら教育不足の侍女がいるなんて怠慢ね。朝になったら叱らなくちゃ)
せっかくいい気分だったのに水を差されて不快になったルスティカは侍女頭を叱ることを明日の予定に入れた時――だった。
扉が開く音がした。
(え――?)
不思議に思う間もなく気配が滑り込んできてすぐ近くで止まった。
(誰かいる)
天蓋の向こうに。その誰かが紗の帳を掻き分けた瞬間ルスティカは怒りではね起きた。
(――主の許諾なく、寝室に入って来て声も掛けないなんて!)
「無礼者!それでも王宮勤めなの!?」
誰かが息を飲む。ゴクリと唾をのんだ音すら聞こえそうだった。それぐらいの静寂で――
「さすが王女といったところか」
相手が笑ったのが気配で分かった。――知らない男の声だった。
「ルスティカ姫とお見受けする」
「無礼者に名乗る名などないわ。大人しく縄につきなさい」
夜目でも体格のいい男だと解った。ルスティカなど簡単に捻り潰されてしまうだろう。力に訴えられたら勝てない。声が震えたら負けだと自分に言い聞かせて相手を見据えて恫喝した。
男は肩を揺らして笑った。
「お姫さまがどうやって俺を捕えるんだ。――そんな細腕で何ができる」
「ッ――痴れ者!」
男の腕が動いた瞬間触られまいとルスティカは身体を揺らし叫んだ。
「誰か!ココに来て!!知らない男がココにいるわ!!」
聞こえたはずだ。控えの間には常に侍女たちがいるのだから。けれど誰も出て来ない。虚しく時間が過ぎていくのをルスティカは苛立ちながら待ったがやがて耐え切れずに叫んだ。
「っ、誰か!!いないのっ!?」
「誰も来ないさ、ルスティカ姫」
苛立つルスティカと正反対に男の声は落ち着いていた。それがますますルスティカを苛立たせた。
「どうして――。お前は……、何なの?」
第三者が姿を現さないことに心細さを感じながら改めてルスティカは男と対峙した。ここで取り乱すことをしなかったのは王女としての矜持からだ。
「俺はアカシア。砂漠の民の長だ。――アンタを攫いに来た」
アカシアは笑って宣言した。
一瞬、彼が何を言っているのか理解できなかった。あまりにも自然に。かつ自信たっぷりにいうものモノだから。
「――攫う?何を言っているの、蛮族如きが」
理解が追い付いた途端、抱いたのは侮蔑と怒りだった。アカシアの身の上を知って恐怖はどこかに吹き飛んでいた。
「砂漠の民だなんてよく言えたものね、白々しい。大罪人のくせに」
憎しみを露わにルスティカはアカシアを睨み付けた。相手が屈強な男であることなど頭になかった。
「大罪人、か」
それをアカシアは気にした風もなくいなした。まるでルスティカの怒りなんて大したことがないかのように。
「っ――何を飄々としているの!お前たちのせいでお母さまが亡くなったんじゃないっ!お前たちが――お母さまを殺したのに!」
ルスティカの悲鳴が夜の静寂を切り裂く。まるで絹を破いたように。
喉が焼けたように痛い。こんなに大きな声を出すのははじめてだった。
「――そうだな、俺たちが殺したようなものだ。アルベルティーヌさまは」
「――っようなもの、じゃないわっ!!殺したじゃないっお前達がっ!!」
あくまで白を切るアカシアが憎らしかった。詰る自分を前にして凪いだような表情のアカシアにますます苛立ちは募った。のに。
「違う」
「何を――」
砂漠の民が――蛮族がアルベルティーヌ女王を殺した。それは周知の事実だというのにアカシアはあくまで否定した。
「俺たちはアルベルティーヌさまを裏切ってなんかいない」
「いい加減にしてっ!!あなた達がお母さまを殺して――マレーナを奪って行ったんじゃない!!その上、今度はわたしを攫うですって?どこまで王家に反抗的なの?さすが蛮族ね」
燃え滾るような憎しみをはじめてひとに向けた。胸焼けしてしまいそうだ。
「……まぁ、その話はおいおいするとして、だな」
「おいおいって何?話すって何をよ?そんな予定はないわ。二度も王家に刃向った逆賊にそんな機会、与えられないわ」
腹立たしさよりも過ぎた愚かしさが可笑しくて嘲笑った。この男にそんな自由はない。自分がこの男と関わる時間など訪れない。――そんなことは許さない。
「どうしてそう言える?」
なのにアカシアは呑気に構えている。少しも焦る素振りを見せない男にイライラした。
「すぐに人が来るわ。お前は捕らえられて絞首刑よ。良くても一生牢獄の中よ。どの道断罪されるのよ――女王になったわたしに!」
(絶対に許さないわ、この男……今度は、逃がさない)
「楽に死ねる、なんて思わないことね。この先、安寧など訪れないと知りなさい、反逆者」
冷たくルスティカは言い捨てた。暗い誓いを胸に立てながら。
「そうしていると本当に女王みたいだな」
「はっ――?」
「でも残念。それは叶いそうにないな、王女さま」
複数の足音が聞こえて両開きの扉が開いた。――が。それはルスティカが待ち望んだ者たちではなかった。
(誰――!?)
てっきり騒ぎを聞きつけた侍女か近衛兵がやって来たのかと思っていた。が、そこに現れたのは影だった。――闇に紛れるよう黒い衣を纏った賊たち。アカシアの仲間だった。
「首尾は?」
「国王陛下には逃げられました。アヒメレク大臣にも」
影の一人が答えた。その内容にルスティカは目を見開いた。
「お父さまと伯父さまが逃げた!?」
(有り得ない。だって、そんなことっ……!)
賊が王宮に忍び込むという非常事態に際して我先に逃げ出すなど王のすることではない。率先して陣頭指揮を取るべき立場だ。まして、次期女王である自分はまだ王宮にいて賊の手の内にあるのならばなおさらだ。
脱力してその場にへたり込んだ。
「相変わらず、逃げることに関しては天下一品だな」
アカシアは嘯いた。現実感が増して崩れ落ちた影の中でルスティカは呟いた。
「嘘よ……だって、わたしは……?」
信じたくなかった。信じられなかった。自分が――
「そうです。見捨てられたんですよ、あなたは」
冷然と事実を突きつけて来る声はアカシアに比べていくぶん若くて細い。――まるで針のように。
「……どう、して――」
「自分可愛さじゃないですか?娘より保身を選んだんですよ、あなたの父親は」
「おい、ナジブ」
アカシアがナジブという青年を諌めるような声を出した。ルスティカにはそれに気付く余裕がなかった。信じていたものが、世界がガラガラと崩れ落ちていく音がした。
「お父さまはそんな、そんな――」
薄情なことするひとではない、と口の中でルスティカは言った。
「往生際が悪いですね。それとも理解する頭がないんでしょうか?気の毒に」
絶望の中でもルスティカが顔を上げたのは王女としての矜持だった。自身に対する侮蔑を許せなかったのだ。
「お前如きに心配されるわたしではないわ」
「はっ。矜持だけは一人前ですか。たいそうな王女さまだ。――何もできない癖に」
「何ですって?」
「ナジブ!言い過ぎだっ」
あまりの暴言にルスティカは気色ばんでナジブと呼ばれる若者を見た。もっともフードのせいで顔の造作など解らないのだが。
「よくもそんな無礼なことを――人を謗るのなら顔を見せてからにしなさい卑怯者」
怒りでどうにかなりそうだったが少し冷静さを取り戻すと相手を非難した。
「それもそうですね」
ナジブはあっさりと批判を受け入れた。
しかも――
「もう隠す必要もないですし――いいでしょう、取りましょう」
フードの下から現れたのは繊細な顔立ちの青年だった。女性とも見紛う容姿の彼がこんな野蛮なことを行ったのかと思うと信じられなくてルスティカは何度も瞬きをした。
「あなた――本当に、蛮族なの?」
砂漠に住む蛮族は卑劣な輩だとルスティカは教わっていた。何せ王からの恩情を仇にして仕えていた主――ルスティカの母である先代女王を亡き者にし、マレーナ姫を攫った。二つの大罪を犯した彼らは以後蛮族と謗られることになり、ヒトが住むには過酷な土地である砂漠に追放された。であるからルスティカは今まで蛮族に逢ったことがなかった。ただ蛮族だからきっと屈強な男ばかりだと思っていた。粗野で言葉が通じない卑怯者ばかりなのだと。
ルスティカが想像した蛮族像と青年はかけ離れていた。蛮族ではなく王宮に勤める文官だと言われた方が信じられた。
「貧相な想像力ですね。もう少し頭を働かせてはいかがですか、王女殿下」
ナジブは不愉快そうに顔を歪めた。
「……なんですって」
「我々が悪だと決め付けて思考停止ですか。まったく、おめでたいお姫さまだ」
「さっきから何なの?無礼な口ばかりきいて――」
気色ばむルスティカをナジブは鼻で笑った。
「身の程知らず、と?それはどちらでしょうか。無力な貴女に何ができるんです?今、この場に貴女の味方はいないんですよ?そして応援が駆け付けてくることもない――。立場を弁えるべきはどちらでしょう?」
目を眇めた彼の色の瞳は鋭い。まるで白刃のように。気丈に振る舞うルスティカも言葉を飲み込んでしまうほどだった。
悔しいがナジブの言う通りだ。助けはいない。この場にいるのは賊だけだ。ナジブとアカシア以外の人物は口を開かないが彼らがルスティカに友好的なハズがないのだから。
孤立無援。四面楚歌だ。ここにいる誰もが腕に覚えのある武人である蛮族にルスティカの細腕で太刀打ちできるわけがない。
蛮族たちの良いようにされるのか。また――。何もできない自分が歯痒くて腸が煮えくり返る思いだった。
「……お前たちはどうするつもりなの、どうしてわたしを攫って逃げおおせられるとでも?今度はわたしなの?今度こそ破滅の道を進むのね、お前たちはっ」
かつての凶行の折、蛮族と貶められている彼らが一族諸共皆殺しにならなかったのは決定的な証拠が出なかったためだ。つまり――マレーナの行方だ。攫われたはずの姫がどこを探しても見つからなかった。
しかし今回は違う。ルスティカを攫うと言っているのだ。ルスティカは人質にもなり得るが、同時にこれ以上ないくらいの証拠だ。
「本当に口だけはよく回る。そんなことわざわざあなたに教えられなくても考えてありますよ」
「いちいち突っかかるな、ナジブ」
アカシアがナジブを窘めるが彼は堪えた様子を見せない。
「そうだ。気持ちは解るが落ち着け」
見かねたアカシア達の仲間の一人が焦れた声で言った。彼もナジブと同意見なのだ。今まで黙って見ていただけで彼もルスティカに敵意を抱いている。それにルスティカは身が凍る思いを抱いた。大の男が、自分よりも力の強い男たちが自分に隔意を持っている。いつその牙が向けられるか知れないのだ。それはルスティカが生まれてはじめて知る、身に迫る脅威だった。
「っ……」
なんとか、何とかしなくては。このままこの男たちの思い通りになってはいけない。彼らはルスティカを攫うという。どこに連れて行かれるか、その後どうなるか――解らない。今のルスティカには対抗手段がない。
こんなに歯痒い思いをしたのははじめてだった。どうにかしたいのに、どうにもならないという状況に置かれたことがルスティカはなかったのだ。
(……悔しい)
負けてなるものかと歯を食いしばり表面上強気な表情を崩さなかったルスティカだが気合だけで持たせている実に危ういものだった。賊たちが数にものを言わせて卑劣な手を使えばそれから逃れる術はないとルスティカも解っていた。それでも命乞いをすることも投げやりになることもしない。そんなことは許されない。
(わたしは王女なのよ、そんなこと、できないわ)
母を殺し、妹を攫った者達に恐怖に駆られて頭を下げるなど言語道断だ。
妹を――そこでルスティカはハタと気付いた。
「マレーナは?マレーナはどこ?あの子をどうするつもりなの?」
ようやく取り戻した半身。やっと再会できた妹。
賊は自分を攫うと言っていた。だが――妹はどうなるのだろう?彼女のことも連れて行くのか、もしくは――
「へえ。自分の身も危ういってのに妹の心配するとは――。少しはマシみたいだぞ?ナジブ」
今まで黙っていたナジブとアカシアの仲間である賊の一人が顔を隠したまま言った。それでもフードから覗く口元は笑みの形を取っており声には揶揄とも嘲りとも取れる色が滲んでいてルスティカは不快になる。
「顔を隠したままの男に馬鹿にされる謂れはないわ」
「さすが。……姉妹だな。いや、親子というべきか。その顔はアルベルティーヌさまに似てらっしゃる」
感心したように、懐かしむように男は言った。
「どういうこと?どうして蛮族ごときが、なにを知ってるっていうの?」
顔を隠しているので男の正確な年齢は解らない。声だけでなので性別と、成人しているだろうと判断できるぐらいだ。
母のことは二十代だと仮定してギリギリ物心つく年齢だ。知っていたか覚えていたとしても可能性はある。
だが――問題はマレーナだ。マレーナは母が命を散らした夜、略奪された。その面貌を若い蛮族が知っているハズがないのだ。
考えられる可能性は一つだ。蛮族たちがルスティカも知らないマレーナの顔を知っている、それは――
「やっぱり、おまえたちが攫ったのね……!」
怒りで腸が煮えくり返りそうだった。目の前で火花が散った。烈しく、熱い。滾る思いのまま不利なことも忘れてルスティカは男達を睨み付けた。
蛮族と呼ばれ、砂漠に追いやられた彼らは元々はその高い身体能力から代々、王の身辺を警護する近衛を務めていた。当然その夜も蛮族が警護に当たっていた。
武人として名高いその一族は武族と尊称され、王の懐刀として名を馳せていた。誰もが彼らがいれば王は安全だと思っていた。
なのに――あの悲劇は起こった。
賊は誰一人として彼らに見つかることなく侵入し、彼らと交戦することなくことを成した。――そんなこと、彼らの手引きがなければ不可能だ。確たる証拠は出なかったが状況から言って彼らの関与は明白だった。それゆえ、事件の責任を取らされて武族は近衛から外され、砂漠に封殺された。忌まわしい事件以来、彼らは蛮族と蔑称されるようになった。
「俺たちはマレーナ姫を攫ったんじゃない。……保護したんだ」
「見苦しい言い訳ね」
アカシアを切り捨てながら、その顔に引っ掛かりを感じた。弁解している彼はひどく苦しそうなのだ。いや、痛ましい、か。それは自らに対して向けられたものではなく自分に向けられた憐憫だった。
(……どうして、そんな顔するのよっ……)
訳が分からなくて腹立たしかった。どうして自分が蛮族風情に憐れみをかけられなければいけないのか。なぜ蛮族は自分達の罪を悔いることなくまして自分に弁解してくるのか。
「――」
「アカシア。時間が惜しい。今言うことじゃないでしょう、それは。それに言ったってどうせ理解しませんよ、このお姫さまは」
口を開きかけたアカシアを止めたのはナジブだった。
「ナジブの言う通りだ。逃げることに関してだけは有能なあの男のことだ。時間を掛けたらここに近衛が雪崩れ込んでくるかもしれない。それはマズイだろ?」
男は冷静にアカシアを説得した。アカシアは男としばし視線を見交わした後――
「そうだな」
「ちょっと、ちゃんと説明なさい!」
「それはまたおいおいってことで」
飄々とアカシアは嘯く。
「おいおいって――」
「とりあえず、眠ってくれや、姫さん」
冷静さを欠いてアカシアに食ってかかろうとしたのがまずかった。
大きく口を開けて息を吐けば次は吸うしかない。その呼吸を読まれた。
「っ――!」
口を覆うハンカチ。
宛がわれた布を通して吸い込んだ空気はほのかに甘い香りがした。
それが最後の記憶だった。
意識は奈落の底に引き摺り込まれた――。
ルスティカの認識ではマレーナを攫った誘拐の実行犯と協力者が別にいると思っていたのでマレーナが蛮族と共に砂漠で育ったという考えは持っていなかったのでああいう発言になっています。
穴だらけの認識だし突っ込みどころは沢山ありますがそれはおいおい。