黄金の薔薇姫と銀の薔薇姫
この星の唯一の大陸は虹の大陸と呼ばれていた。というのもそもそも、虹色に輝く宝石があったという。それは8色の宝に別れて――8つの国に受け継がれた。
国は宝石の色の名前で呼ばれており、宝は国の至宝としてそれぞれの国が大事に守っている――。
黄国はその一つ、砂漠と宝石の国と呼ばれている。
黄(シトリ-ノ)国には”黄金の薔薇”と呼ばれるほど美しいお姫さまがいました。
お姫さまはとても愛らしく、すべてが小さく華奢で守ってあげたくなるようだと言います。
肌は砂漠には降らない雪のように白く陶器のように滑らかでけぶるような見事な黄金色の巻き毛で伏し目がちの長い睫毛がえもいえぬ影を作り王女さまに退廃的な美しさを与えていました。
まるで人形が座っているような完璧な美しさを持つ王女さまでした。
王女さまは国民が望む王の条件をすべて持っていました。
黄金色の髪に青い瞳。
王女さまの容姿は神から愛された者の証と言われていました。神から愛された――つまり神秘の力を持つ者。代々、青い瞳を持つ者が王となると定められていた国にとっては理想の王女さまでした。
王女さまは完璧でした。
口を開かなければ――。
黄国が誇る王女の名前はアステリア・ルスティカ・ナジュム・アル・マリーブ・シトリーノ。黄国の第一王女で当然、次期女王に目されていた。なにせ王の子供は彼女しかいないのだ。否――彼女だけになってしまった。
現在の王で彼女の父――ダール・ナジュム・ハリーブ・シトリーノはもともと婿養子で王家の直系ではない。女王の夫――王配という立場だった。しかしルスティカが1歳の時に悲劇が起こった。女王は亡くなり、ルスティカの双子の妹――”銀の薔薇”と呼ばれたマレーナ・アマラントス王女は行方不明となってしまったからだ。敬愛する女王の死と国の宝である王女を失い国民は嘆き悲しんだ。
唯一生き残った王女が幼かったためダールが中継ぎの王として登位することになった。ルスティカが成人し、結婚した暁には王位を譲ることを条件に傍系の王族であるダールが王に立つことを国民は許した。
ルスティカはもうすぐ18になる。18歳で成人とされているこの国の民はその日を待ち望んでいた。正当な主が王に立つ日を。
「姫さま、シャクール大臣がお見えです」
「また?追い返しなさい。わたし、政治のことなんてなにも分からないのに。書類を見るより物語を読んでいる方が面白いもの」
繊細な刺繍が施されている椅子に造作なく座り、お気に入りの物語の本のページをめくりながらルスティカは言った。
「さようでございましょう、姫さま」
「お茶のお代わりはいかがですか?姫さま」
ルスティカの側に侍る侍女が笑いながら言う。まるでさざなみのようだ。
「ですが、姫さま……」
大臣の到着を告げた侍女は困り切って眉尻を下げた。主の意向とはいえ大臣の訪問を無下に断ることなどできない。
「モタモタしないで。わたしは会わないと言ったでしょう?」
「けれど姫さま。毎日そのようにお断りしては、その……」
断る理由にも困るというものだ。
「それを考えるのが貴女の役割じゃないの?」
お茶の入ったカップを掲げ、ルスティカは侍女を睨んだ。薔薇の棘のように。
「もう、いいわっ!興醒めよ。逢えばいいんでしょう、逢えばっ!」
ガチャンと乱暴にカップを戻したためカップから紅茶が零れたがルスティカが構うことはない。
不協和音に侍女たちは肩をすくめた。
すくっとルスティカは立ち上がる。そしてタペストリーの近くにいる侍女に声を掛けた。
「大臣に逢うと伝えなさい」
「はい、ありがとうございます!」
助かった。侍女は笑みを浮かべて頭を下げ、部屋を後にした。
「大臣と面会されるならお召替えなさいませんと、姫さま」
「なに言ってるの?」
ルスティカは甘く香る薔薇のように笑ってみせる。花びらを押し当てたように赤く柔らかそうな唇が蠱惑的に見えた。
「わたし、そんなこと言っていないわ。あの子が早とちりして勝手に逢うと言っただけよ。――そうでしょう?」
絹のような黄金色の髪が華奢な肩を撫でた。
「はい、そうでしたわね」
「まったくいやになってしまう。あの子ったら」
侍女たちはくすくすと笑う。侮蔑を含んで。
「でも、可哀想だから行ってあげるわ。――すぐにじゃないけど」
「まあ姫さま、お優しい」
砂糖菓子のように甘い世界でルスティカは生きていた。
どこまでも優しくて甘くて――美しいものばかりに囲まれた、母の腕の中で眠った時に見る夢の世界のように。
ルスティカは幸福の中に生きていた。
それが当たり前だと信じて。
「そうよ、たまにはシャクールを労ってあげないと。でも――あの子はダメね。あんなのがわたしの侍女なんて、王位継承者としての品性が疑われるわ。王宮の格が問われるっていうものよね」
「さようでございますわ、姫さま。まったく困ったことです。あのような不始末をしでかすなんて……教育が行き届いていないんですわ」
「主の名に傷をつけるなんていけない子ですわ」
「本当に困った子ですわ。あの子のせいでわたくし達も困ってしまいますわ」
「そうよね。一人のせいでみんなが困ってしまうわ。――どうしようかしら?」
困ったように首を傾げてみせる。
侍女たちは笑いさざめく。
「それは、姫さまの望まれるようになさるのがよろしいですわ」
「姫さまがなさりたいようになされませ」
「そう?――なら、頚にしてしまいましょう。バシラに言って、今日にでも。善は急げというものね」
青色の瞳を煌めかせ、楽しそうな笑みを刷いてルスティカは言った。彼女は理解していなかった、なにも。
自分の言葉の重さも、頚になるということが――職を喪うということが、王宮から放逐されることがどういうことか理解できていなかった。
それがどれだけひとの人生を狂わせることか分かっていなかったのだ。
「そうなさるとよろしいですわ、姫さま」
侍女たちは諌めることなどせずルスティカに追従する。
当たり前だ。王女の機嫌を損ねたら次は自分の番なのだから。
「シャクールもいいかげん、気づいてくれないかしら?わたしは政治をするつもりなんてないってことに。そういうことは全部、伯父さまとアシュガルお兄さまに任せるって決めているのに」
ふうと溜息をつくとルスティカは背凭れに寄りかかりながら言った。その気だるげで物憂げな様子はなんとも悩ましく見える。
暫定的ではあるが国王になったルスティカの父は身内を重用した。父の兄アヒメレクは政治の中枢を担う立場についていた。そしてその息子――いとこであるアシュガルはルスティカの夫になる予定だ。
順風満帆だった。なんの曇りも瑕もない人生を歩んでいた。
「お父さまがそれがいいって仰ったもの。――それでなにも問題ないのにどうして大臣はわたしに会いたがるのかしら?どうしてわたしに政治をさせたがるのかしら。分からないわ」
ルスティカにとって大臣の話は煩わしいことでしかなかった。ただただ面倒で迷惑でしかなかった。
「お父さまの仰ることは正しいんだから。お父さまの仰るとおりにすればいいだけなのに。大臣は何がそんなに気に入らないのかしら?」
大臣の考えがルスティカには分からなかった。けれどだからといって耳を貸そうともしなかった。
なぜなら話を聞けば考えなくてはならないから。悩まなくてはならないからだ。
そんなことをルスティカがする必要ない。雑事を請け負う者は他にいる。そんなものに思い煩わされる必要なんて自分にはない。
自分はただ――笑えばいいのだから。貴石がついた豪奢な赤い椅子に座って優雅に、王の威厳を漂わせて微笑んで見せればいい。
なにせ自分は至高の存在――この世の奇跡と呼ばれるほど尊い者なのだから。黄金色の髪に聖眼と尊ばれる青い目を持って生まれた。そのように生まれついた者は神跡と称され、遍く人々から敬われるべき存在だ。
ただそこに在るだけで人々は頭を垂らすほど神々しい者なのだから。
だから彼女は民のことを思い遣ることもなかった。その暮らしに心を砕き、他人を理解しようという努力が欠けていた。
為政者としての心構えなど何もできていなかった。政は彼女にとって瑣事でしかなく、民の暮らしを考えるなど煩わしいことでしかない。
ただ、その庇護欲をそそる愛らしい容姿と神の奇跡を顕す色を授かって生まれた自分は特別だという自信だけは持っていた。
厄介なことに、王としての威厳と風格は持ち合わせていたのだ。見る人は傅き、頭を垂れる魅力が香水のように漂っていた。民を心服させ、陶酔させるほどの魅力は王としての資質とも言えただろう。
そういう意味ではルスティカは完璧だった。誰も彼女を諌める、諭すということをしない。
花に戯れる蝶のように美しいものに囲まれ、蜜のように甘い幸福の楽園の中でルスティカは生きていた。
悲しいことも苦しいことも何もない。ただ笑っていればいい。そういう――世界に。
幸せが満ちている世界。けれども変化のない世界は少しだけ退屈で。退屈を持て余したルスティカは傲慢に振る舞うことで、我儘を言うことで不満を解消していた。
ずっとこの変化のない緩慢とした時間が続くのだと思っていた。父が決めた相手と結婚しても。女王になってもルスティカの生活は、日常は変わらないのだと。
そう――思っていた。
しかし時として運命は急速に動く。歯車は廻る。
ルスティカが気付いていないだけで。
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