第9回
「角脇サン。ワタシハ人間デハナイト知ラレテイルカモシレマセン。」
メイリンは,いつも唐突だ。しかし,今回はただごとではない。俺は読んでいた本から目を上げる。
「え,バレた!?」
「ハイ。オソラク何社カノパーツデ作ラレタヒューマノイドダト思ワレテイルヨウデス。」
「ちょ,ちょっと話を整理しよう。」
メイリンの情報収集モードは正常だ。ただ,それを統合して伝達する機能は,まだまだ改善の余地があるようだ。
「で,それは,誰が言ってたの?」
「近所二住ム女性デス。マトリョントココニ帰ル途中デ話シテイルノガ聞コエマシタ。」
先ほどまで2人は,一緒に出かけていた。マトリョンが服を買いたいと言い出したからだ。確かに,メイリンには衣装以外の服が少なすぎた。それで,帰り道,数人の主婦に遭遇したということだろう。
ただの井戸端会議だ。メイリンの誤解とわかって,ほっとする。
「大丈夫。多分バレてないよ。そのおばさんたちは,何かSFの話でもしていたとか?」
「サイエンス・フィクションデスネ。違ウト思イマス。小声デ話シテイマシタ。アレハ,秘密ヲ話ス時ノ話シ方デス。ワタシタチガ通ッタ時,不純ダト話シテイマシタ。」
「不純?あ,ああ。」
なんとなくわかった。言われてみると,最近近所の人たちの様子が…
「以前,研究所デ聞イタコトガアリマス。博士ガ,ワタシ二ツイテ『純度100パーセント自社製ノパーツデ出来テイル』ト,五十嵐サン二話シテイマシタ。彼女タチハトテモ嬉シソウデシタ。」
純粋じゃない,それに,秘密が加わって…なんとなく思考回路はわかった。でも,説明するのは面倒だ。後でマトリョンに言って…
「どうかしましたか?」
と思ったら,本人が2階から降りて来た。部屋着に着替えて,すっかりリラックスしている。
そう。この家に2人がいるのが,当たり前になりつつあった。でも,近所の人にとっては違う。おっさんの家に若い女性が2人。いろいろ気になるんだろう。
「もしかして,さっきのおばさんたちの話ですか?」
「ああ。メイリンが誤解して…」
「すみません。角脇さんに迷惑かけて…何も考えずに押しかけたりして。」
マトリョンは,気まずそうに目を伏せる。逆に申し訳ないと思う。配慮のないのは俺のほうだった。マトリョンは成人だから,「未成年誘拐」には当たらない。だから,親が騒いでも大事にならない。その程度に考えていた。
「こっちのほうこそごめん。俺はいいよ。別に,あんなババアたちと仲良くしたいわけじゃないし。」
「でも…」
本音だ。他人のことを詮索するのが趣味のような人種。そんなヤツらの視線を気にしても仕方ない。
「今度のプロジェクトについてだけど,正直言って,村おこしなんて興味ないんだ。マトリョンだって,本気でこの町が盛り上がるなんて思ってないだろ?」
「もちろんです。わたしは,アイドルができればいいんです。まあ,市公認っていうのは大きいですが。」
予想通りの反応だった。俺は,日頃考えていることを口にする。
「この町だけじゃない。東京近県では,みんな飽きるほど議論して意見を出してきたんだ。もちろん,交通網の整備ってのは絶対だと思うよ。神奈川,埼玉,千葉…そのあたりと違うのは,東京との往復が不便だってことだから。でも,それだけじゃない。どこでも他所からの移住を積極的に受け入れてるよね。だけど,住民の意識を変えないと,住みやすくならない。東京にある,いい意味での無関心。必要なのは,それなんじゃないかな。」
「そうですね。東京だと,隣に住んでる人を知らないことがある,って言いますけど,別に問題ないですよ。そっちのほうが気楽だから。」
「まったく。東京への一極集中の緩和,とか騒いでるけど,そんなのまだまだ先の話になりそうだ。ああいうババアが死に絶えるのを待つしかないからね。」
毒づいてはいるが,ちょっと気分がいい。同じ感覚の人が近くにいる,っていいものだ。
「ですよね。それなのに,『田舎の人はいい人ばかり』みたいなテレビ番組がいまだにあったりして,うんざりします。」
「ああ。俺の知り合いで,東京出身で大学からこっちに来て,そのまま住みついた人がいるんだけど,近所でトラブルが起こるのは,自治会が原因だって言ってるよ。昔から住んでるヤツらがでかいツラしてるせいで,雰囲気が悪くなってる,って。まあ,いずれにしても,柿沼も気の毒だよ。どうやったってうまくいかないことをやらされてるんだし。これじゃ,やる気も…」
「リコールシナイノデスカ?」
すっかり存在を忘れていた。気づくと,メイリンが俺たちを見上げている。それにしても,リコールって…
「課長ノ柿沼サンガ分カルコトガ市長二ハ理解デキナイノデス。ソレデハ,市長ノ資質ガ疑ワレマス。」
「この町を盛り上げる,ですか?そうですね…真剣に考えたことがない,っていうのが正直なところです。」
そう言って,根本はパソコンの画面から目を離した。いつもののんきな口調だ。
夕方の事務室。他の職員は少し前に帰り,2人だけの気楽な時間だ。
「もちろん,活気がないって思ってる人が多いのはわかります。でも,私にとっては,小さい頃からそんなに変わってないんで,特に問題だと思えない,っていうか…」
そうかもしれない。俺から見れば,ガキの頃に比べて,ずいぶん寂しくなった印象が強い。高校時代よく通った場所に久しぶりに行ったら,シャッター通りになっていた。そんな経験は一度じゃない。でも,根本の世代にとっては,それが当たり前ということだ。
「でも,東京とのギャップは感じるよね?」
俺は,少し角度を変えて訊いた。根本の表情は変わらない。
「もちろん全然違います。だけど,というか,だからというか,東京って,旅行で行く場所って感じです。」
旅行か。それもわからなくはない。
『そうだったんですね。そんな遠いところから…どうもありがとうございます。』
何度かメイドさんに言われたことがある。秋葉原に週1で通っていた頃だ。
そう。通っていた。でも,俺にとって日常の一部でも,そう感じない人もいる。もちろん,この町がどこにあるかよく知らない人も多い。まあ,それも含めて,東京との「距離」だ。
「でも,どうして突然こんなことを訊くんですか?」
パソコンをシャットダウンする音が聞こえる。今日の仕事が終わったようだ。
「うん。メイリンが,ずっと活性化の対策を考えて答えが出ないのに,それでも議論したり,とりあえず何かしたりするのは,ムダなんじゃないか,って言ったんだ。」
「へえ。美玲ちゃんがそんなことを…」
メイリンが皮肉っぽいのは,きっと五十風に管理されているせいだ。ヒューマノイドはプログラマーに似るらしい。
「うん。日本に来たばかりだから,いろいろ珍しいんだろうね。だって,中国は人口が多いから,過疎化とかあまり縁がないんじゃないかな。よくわからないけど。」
「そうかもしれませんね。ところで,諒ちゃんとはうまくやれてます?」
根本が急に話題を変えた。家出のことを話しておいたほうがいい。なんとなくそう思った。
俺は,少し小声で切り出す。
「ああ。実は…驚かないで聞いてほしいんだけど,彼女,今うちにいるんだ。」
「やっぱりそうだったんですね。」
「え!?知ってたの?」
予想外だった。2人がそこまで仲がいいなんて。根本は,スマホを取り出し,画面を見せる。
『訳あって家出中 心配無用』
ショートメールにそれだけ書かれていた。武士の手紙か!?そうつっこみたくなる。
「なんだこれ?」
「最近時々メールを交換するんですが,だいたいいつもこんな感じです。」
「まあ,絵文字とか使うタイプじゃないけどな。あ,別に変なことにはなってないよ。メイリンも一緒だから。本人も言ってたけど,ちょっとした合宿所みたいなもんだよ。」
「へえ。楽しそうですね。今度差し入れ持って行きます。」
根本は目を輝かせる。若い女性が1人追加。ババアの神経を逆なですることになりそうだ。
「ありがとう。近所のおばはんの目が冷たいけど,気にならなければ来てよ。」
「あ。ごめんなさい。つい,気軽に…でも,そうですよね。それ,田舎だからっていうのはもちろんですが,きっと角脇さんが公務員だってことも原因じゃないですか。ほら。最近は少し景気がいいから,あまり言われませんが,不景気だと風当たり強いじゃないですか,公務員って。」
「それは間違いないね。若い女連れ込んでるヒマがあったら,もっと働け,って。」
景気がいい時は話題にならない。不景気になれば攻撃対象。「公務員あるある パート2」だ。
「さっきの話に戻りますけど,『地域がさびれてく一方なのに,一体お役所は何やってるんだ?』なんて言い出しかねないですから。でも,地域活性化だけじゃないですよ。学校だって似たようなものじゃないですか。」
根本は,机の上に視線を落とした。あるのは,先生たちの出張に関わる書類のようだ。
「うん。なんか研修での出張が増えたね。授業改善だとか資質向上だとか。」
「ええ。時々思うんですよ。なかには,世間にやってますアピールをしたい。それで,予算がついたからやらなきゃいけない。そんな理由でやってるみたいなものも…」
確かに。そんな話をした教師がいる。感じてることは,きっとみんな同じだ。
「そうだね。景気には左右されない。でも,その分,世論には左右される。公務員って,そんな仕事なんだな。時々むなしくなるよ。」
「あの…角脇さんんは,本当は何になりたかったんですか?」
根本の声がトーンを変える。最近時折見せる真剣な表情になっている。
一番なりたかったのは,ミュージシャンだ。でも,俺も柿沼と同じ。安定から遠い生活に不安を抱いて逃げた。それほど強い気持ちではなかったということだ。
だったら?遊んで暮らせるに越したことはない。でも,根本が相手とはいえ,そう言うのは少しはばかられる。若者なら引きこもり志願もいい。でも,俺には,そんな時期はもうとっくに過ぎた。それなら…
「正直何がしたいのかもうわからないんだ。でも,1つ言えるのは,引き継ぎができない仕事,ってことかな。」
答えた声に,軽く笑いが交じった。一瞬だけ俺の記憶が過去に飛んだからだ。今よりはまだ無邪気だった頃に。根本が意外そうに俺を見る。
「引き継ぎできない,ですか?」
「うん。就職して,初めて仕事を任されたとき,前に担当していた先輩が言ったんだ。『大丈夫。誰でもできるから。』って。それを聞いて思ったんだ。自分じゃなければできない仕事がしたい,って。」
ふと思う。「マトリョーシカ」のプロデュース。それは,俺にしかできないことなのか?
「あ,そういえばですね,先週わたしがここで言ったことで,ちょっとおしかりを受けまして…」
マトリョンが,スタンドからマイクを抜き取る。ガサガサと耳障りな音が響いた。
「そうです。あの場にいた方は覚えてらっしゃるかもしれませんが,『これくらいじゃクビにならない』という,アレです。」
初ライブの翌日,市役所に抗議の電話があったらしい。柿沼が,苦笑しながら教えてくれた。
『あれは設定されたキャラですので。』
柿沼は,そうフォローしてくれたそうだ。よかったのは,マトリョンが電話を取らなかったことだ。考えてみれば,当のマトリョンは市民係だ。クレーム処理担当があの発言。かなりのチャレンジャーと言える。
「というのも,実は,わたしたち,あまりに話題になってなくて…だから,多少の炎上は大目に見ていただきたいと思います。」
そう言って,マトリョンは深々と頭を下げた。一瞬遅れて,メイリンが従う。
「いいよ。いいよ。大丈夫。」
「平気。平気。」
声をかけたのは,最前の4人だけだ。15人ほどいるだろうか。後ろにいる人は,それぞれの反応。あきれた顔もあれば,冷ややかな笑みもあって…
駅北側の広場。日曜昼下がりの長閑な時間が流れている。エスニック料理のフェアだと聞いた。屋台が軒を連ね,スパイシーな香りが漂っている。列に長短はあるが,場内はそれなりの活気だ。
「いい雰囲気ですね。」
ステージの上から,マトリョンが会場を見回す。それから,目を閉じて,深く息をする。場の空気をまるごと吸い込むように。
「でも…」
目を開けたマトリョンは別モードに入っていた。物憂げに視線を下げて続ける。
「ここから少し離れると,市街地でも人通りが多くありません。さらにもうちょっと歩くと,いきなりシャッター通りになったりします。あとは,そうですね,さみしい景色が続くだけです。」
マトリョンはまた言葉を切った。反応を確かめるように時間を取る。
俺は気づく。空気が変わった。マトリョンは,場をコントロールし始めている。場,と言っても,たかだか数十人の規模だ。それでも,引きこもり気質の若者には,高いハードルだろう。
それを支えるのもの。それは,自分で言ったように,怒りという感情だろうか。その怒りの源は…
「じゃあ,元も子もない話をします。」
元に戻った。マトリョンは可笑しそうに笑みを浮かべる。その様子は,どこか不敵にさえ見える。
「ご存じのように,わたしたちの役割は,この町を盛り上げることです。でも,そんなの無理です。」
マトリョンは,大げさに首を振って見せる。周囲がざわつき始めた。最前の4人は,黙って見守っている。
「だって,今まで偉い人たちが,さんざん考えて,いろいろ試してきたんです。わたしたちなんかにどうにかできるなんて思えません。わたし,思うんです。いきなり大きいレベルで考えるのはやめよう,って。それぞれが,自分のやりたいことをやって楽しまないと,広がっていかないじゃないですか。だから,これからも,わたしは話したいことを話します。」
拍手が起こった。4人だけ,ではない。少ないけれど,数が増えている。マトリョンも気づいたようだ。ぱっと華やぐような笑みがこぼれた。
マトリョンが狙っているもの。それは,きっとただの「炎上クイーン」じゃない。彼女は,自分なりにバランスを取ろうとしている。少なくともここまでは。
「ありがとうございます。わたしたちは,みなさんの希望にはなれません。ですが,ネタくらいにはなれると思います。やりたいようにやります。なので,みなさんも好きにしかってください。そういうコミュニケーションがあってもいいと思うんです。」
マトリョンは,マイクをスタンドに戻した。メイリンが,小走りで駆け寄り,隣に立つ。
「最後は,わたしたち初めてのオリジナル曲です。聴いてください。『マトリョーシカのテーマ』。」