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第7回


「みなさん。こんにちは。」

 そう言って,マトリョンは,あたりを見回す。「みなさん」というほど人はいない。

「はじめまして。わたしたち,『アイドルハズノーネーム(仮)』です。」

 マトリョンが,深々と頭を下げる。どこかぎこちない動作だ。同時にメイリンもお辞儀した。こちらは,お手本のような最敬礼と言っていい。

「今日が,わたしたちの初ライブになります。よろしくお願いします。」

 2人は,また一礼した。それに拍手で応えたのも,2人だけだ。

 日曜日の昼下がり。駅の南口ロータリーの片隅。晴れていて,それなりの人出だが,足を止める人は少ない。

「ありがとうございます。それで…この場所なんですが…」

 そう言って,マトリョンは,足元に目をやった。軽くうなずいてから続ける。

「ご存知の方もいらっしゃると思いますが,この町出身のアイドル・美宙祈さんが初めてライブをした場所なんです。」

 先ほどと同じ男たちが,また手を叩く。タイミングが絶妙で,イベント慣れしている様子だ。

『やっぱり聖地からスタートしたいんですよ。』

 数日前,マトリョンが言った。俺が,公式発表前にゲリラライブをやろうと持ちかけたときだ。マトリョンにとって,美宙祈はやはり特別な存在らしい。

 当時の動画を見たことがある。そこには,まだ初々しい美宙祈がいた。それを数人のヲタクが,盛り立てようとしている。その中心にいたのは,現マネージャーだった。彼らは,当時のマネージャーが用意した仕込みだったという噂がある。確かに、言われてみれば,初めて顔を合わせたというには,息が合い過ぎていた。

 それに倣ったわけではない。が,最前の2人は,「サクラ」だ。ヲタク気質の同僚を,柿沼が紹介してくれた。聞けば,アニメや鉄道が好きらしい。でも,表情からすると,まんざらでもない様子だ。

『最古参になってくれませんか?』

 打ち合わせの際,上目遣いでマトリョンが言った。屋上で会ったときと同じように。それは,期待通りの破壊力を発揮していた。 

「わたしたち,名前もなければ,まだオリジナル曲もありません。だから,今日は,美宙祈さんの曲をカバーさせていただきます。」

「おーっ!!」

 サクラたちが歓喜の声を上げた。俺は,ラジカセにつないだスマホを手に取る。

マトリョンは,右手の人差し指を立てた。それを,ゆっくりと顔に近づける。しかられた子供のようにヲタクが黙った。もちろん,これも演技だ。メイリンは,マトリョンの背後に回ると,背中合わせに立った。

「聴いてください。『気分は上場』。」

 マトリョンは,目を閉じて,大きく息を吸う。2人はゆっくりと両手を広げた。

『この感じ…』

 何度も味わった,でも,久しぶりの感覚。ライブ前のスタンバイのような。いや。少し違う。あれとはまた別の高揚感だ。そう。学園祭の模擬店。開店を待つ間の,あの…

 2人の横顔を眺める。明らかにマトリョンには緊張が見える。足の震えを隠すように,不自然に背を伸ばしている。言うまでもなく,メイリンは無表情だ。それが,ちょっと頼もしく見える。

『じゃ,行こうか。』

 俺は,再生ボタンを押した。音が鳴った瞬間。2人は両手を下ろして,ぴたりと脇につける。直立不動の体勢だ。

「ドル!イェン!ポンド!」

 サクラオヤジがMIXを打つ。これもしっかり予習済みだ。マトリョンを凌ぐエビぞりで,精一杯叫んでいる。

「ギルダァー!!」

 目を開けて,マトリョンが歌い出す。同時に,メイリンが左側に跳び出した。「高速パラパラ」というのか。そのままキレキレで踊り始める。

スタンドマイク前で微動だにしないマトリョン。髪を振り乱して踊り狂うメイリン。静と動。言葉には収まりきらないインパクトがある。

『わたし,踊れません。』

 ゲリラライブが決まった後のこと。マトリョンが気まずそうに言った。

 踊れないアイドル。普通に考えたら致命的かもしれない。だが,俺は動じずに済んだ。既に「分業」を覚悟していたから。歌&MC担当とダンス担当。ちょっとパートが変わっただけだ。

―『カラオケボックスで練習中』―

 数日前,マトリョンからメールが届いた。様子を見に行ったら,歌は安定していた。ライブでも大崩れしそうにない。それに,プログラミングの腕も申し分なかった。五十風から送られたデータと合わせて,一晩でメイリンを踊れるようにした。

『意外にいいかも。』

 欲を言えば,右側にもう1人いると,バランスがいい。もう一体貸してくれ。そう言ったら,五十嵐はどんな顔をするだろう。

「では,コール&レスポンス,お願いします。知ってる方は,一緒にお願いします。」

 気づくと,曲は中間部になっていた。

 カバー。マトリョンはそう紹介した。だが,正確に言うなら,アーリー・バージョンというヤツだ。美宙祈のアレンジは,浅岡が担当していた。音源を借りるとき,俺は,デモテープのほうを頼んだ。粗削りな音のほうが,スタートに相応しい。元バンドマンらしい発想だった。浅岡にも伝わったのだろう。何も訊かず,データを送ってくれた。

「上場するなら,金をくれ!はいっ!上場するなら,金をくれ!」

「上場するなら,金をくれ!!」

 仕込みの他,つられた数人が叫んだ。美宙祈の初期ライブと同じだ。元ネタになったドラマのセリフのままだった。まあ,初見だから仕方ない。

 気づくと,わずかだが人が増えていた。スマホのレンズを向けている者もいる。

「ありがとうございます。最後まで,盛り上がっていきましょう。」

 マトリョンと目が合う。それはほんの一瞬だった。恥ずかしそうに笑って,すぐに顔を反らした。でも,気まずい感じは,まったくない。彼女なりに楽しんでいるのが伝わってきた。

 言うまでもなく,メイリンはプログラム通り。チャイナドレスの裾を気にする様子も,まったくない。細かく位置を変えては,激しく踊り続けている。

『ほんとに上々だな。』

 風はほとんどない。見上げると,雲ひとつない5月の空。柔らかな陽射しが降り注いで,2人を包んでいた。



「やっぱり来てたか。」

「ああ。ちょっと職場にも用事があったんでな。」

 柿沼は,少しバツが悪そうに答えた。見回して,同僚たちに視線で挨拶する。2人は,マトリョンとメイリンに感想でも話しているのか。ありがちなライブ後の光景に見える。

「気になって来たんだろ。とりあえず,それほどクオリティーが低いものじゃない,ってわかって安心したか?」

「ああ。予想以上だったよ。よく準備したな。」

「期待のアイドルのお父上に認められて光栄だよ。」

 俺は,ラジカセをバッグに仕舞いながら言った。片づけと言っても,他にはマイクとスピーカー程度だ。バンドに比べると,簡単にイベントができる。だから,アイドルとして活動する女性シンガーが多い。そう聞いたことがある。確かに,実際にやってみると,納得できる話だ。

「それにしても,まるで別人だな。」

 柿沼の視線の先には,マトリョンがいる。まだサクラとのトークは継続中だ。

「だから,何度も言っただろ。」

「見た目だけじゃない。職場じゃ,笑ったところを見たことがないって,みんな言ってるよ。」

 話題は衣装なのだろう。マトリョンは,恥ずかしそうに,チャイナドレスの裾を押さえている。その仕草も,ヲタクのツボのようだ。2人は,満面の笑みを浮かべていた。

「ああ。実は,詳しくは言えないんだが,今回のプロジェクトには,彼女自身から,なんというか…常軌を逸した売り込みがあってな。」

「そんなに強引だったのか?よほどアイドルになりたかったんだな。」

「そうだな。まだよくわからないが,間違いなく…ややこしい人生を送ってきたクチだ。アイドルになろうと思ったきっかけも,はっきりは言わない。でも…」

 俺は,改めてマトリョンを見る。メイリンの口元に耳を寄せて,何度もうなずいている。「通訳モード」だ。もちろん,実際にはそんな必要はない。メイリンの日本語で,不自然なのは音声面だけだ。でも,それが微笑ましい光景として成立している。

「そのうち話したくなったら話すだろ。それまでは様子見だ。もしかしたら,お前にも迷惑かけるかもしれないが,その時はサポート頼むな。」

「気にするな。お前と同じで,別に出世したいわけじゃない。クビにさえならなければ,たいていのことは目をつむるさ。」

 本気で申し訳なくなる。抱えてる爆弾は1つじゃない。両方だ。ユニット名は「ボンバーガールズ」のほうがよかったかもしれない。

「ところで…」

 気になっていたことを思い出した。たいして重要ではないから,なんとなく聞きそびれていた。

「採用面接の時も,あんな…前髪が長かったのか?」

「マトリョンか?ああ。面接では普通だったらしい。だから,彼女と同期の男子で,『採用試験の時,すごくきれいな子がいたのに,落ちたみたいで残念。』って言ってるヤツがいた。」

「そりゃそうか。目も見せない相手を採用するほどお役所の面接もザルじゃないよな。」

 なぜか俺は,少しほっとする。と同時に別の考えが浮かぶ。

「ということは,それほどお役所勤めしたかったってことか?」

「さあ。そこまでは…っていうか,お前も,お役所の人間だろ?学校に異動したからって…」

 柿沼が,また目で合図を送った。振り向くと,サクラ2人が引き揚げるところだ。俺も,軽く会釈して見送る。

「いらしてたんですね。」

 マトリョンが,近寄って言った。額にうっすら汗がにじんでいる。メイリンには,発汗という機能はない。やはり,2人の様子が運動量に反比例するのは,違和感がある。五十風にリクエストしてみようと思う。

「うん。近くまで来てたし,一応様子を見ておこうと思ってね。」

「ありがとうございます。」

 マトリョンが、丁寧に頭を下げた。メイリンも,それに従う。アイドル活動では,マトリョンをマネすればいい。やはり「学習モード」は正常に機能中だ。

「よかったと思うよ。この短期間でよく準備したって…」

「柿沼さんに見られてたと思うと,なんか今になって緊張します。」

 美宙祈の父親。どうしてもマトリョンは意識してしまうらしい。職場とはまったく違う姿に,柿沼も戸惑いを隠せない。

「何言ってるの?俺は,企画の担当だけど,アイドルに関しては詳しくないよ。」

「そんなことないですよ。だって…」

 そこでマトリョンは,言葉を呑み込んだ。視線が周囲をさまよっている。つられるように振り向いて,見回した。通行人と視線がぶつかる。チャイナドレスの美女とおっさん。どう見ても不自然な組み合わせだ。

「立ち話もなんだし,ちょっと場所変えようか。」

「そうだな。何か飲みながら…」

 柿沼もすぐ同意した。置かれている状況を理解したようだ。

「すみません。ちょっと手直ししたいところがあって…」

 メイリンの肩に手を置いて,マトリョンが言った。柿沼は,少し残念そうな表情になる。

「ああ。ダンスか。仕事熱心だね。」

「はい。覚えてるうちに,やっておきたいんです。」

 プログラム修正を。目的語はしっかり削除した。マトリョンはヘマはしない。でも,まだ試験段階だ。俺は,早く切り上げるのが得策だと判断する。

「じゃあ,送るよ。」

「あ…それなんですが…」

 マトリョンが口ごもった。上目遣いで視線を送ってくる。言いたいことがあるようだ。

「とりあえず,これ俺が持つよ。」

 柿沼が,マトリョンのキャリーケースに手を伸ばす。中身は聞いていないが,かなりの大荷物だ。大荷物?嫌な予感が全身を駆け抜けた。

「すみません。わたし,家出してきました。」



「名前考えませんか?わたしたちの。」

 マトリョンが言い出した。いろいろと唐突だ,と思いながら訊く。

「名前って,ユニット名?」

「はい。いつまでも名なしだとさみしいですよ。ね。」

 マトリョンがメイリンの髪をなでる。2人は,お揃いのスエットに着替えていた。客間のソファーですっかりくつろいでいる。

『ほら。わたし,帰宅部だったから,合宿とかしてみたいって思ってたんです。』

 柿沼の前でマトリョンは言った。どうせ断り切れない。それなら後で説明する手間が省けるほうがいい。俺は,そう考えることにした。運よく使っていない部屋はまだある。

「ねえ。何かいい名前ない?」

 マトリョンがメイリンに振った。アイディアを期待しているわけではない。対応力を試しているのだろう。メイリンの瞳が小刻みに震え出した。と思うと,すぐに口を開く。

「的場サン。『MC的場と踊り手美玲』ハイカガデスカ?」

「えーっ!?それだと,別のMCになるよ。それに,『的場さん』はやめよう。」

 マトリョンが笑いながら言った。そういえば,俺は…

「マトリョンでいいよ。」

「え。いいんだ?」

 思わず口にしていた。マトリョンは,少し意地の悪い表情になる。

「何言ってるんですか。角脇さんも,そう呼んでるじゃないですか。」

「ごめん。つい…流れで。」

 そう。流れだ。屋上で会った日から,なんとなくそう呼んでいた。

「知ってますよ。職場の男性が私のことバカにしてそう呼んでるの。でも,アイドルのニックネームとしては,それっぽいじゃないですか。」

 少し安心する。実は,ずっと気になっていた。初対面に近い女性をあだ名で呼んだことはなかった。メイリンがまた口を開いた。

「マトリョンサン。別ノ候補ヲ挙ゲタホウガイイデスカ?」

「もう大丈夫。ていうか,『さん』もいらないから。で,角脇さんはどうなんですか?」

「え?俺?そうだな…」

 いつもこうなる。会話の主導権を、マトリョンに持っていかれる。おかしい。コミュニケーション能力が高いわけではない。むしろかなり低いはず。それより答えだ。

「ヒューマノイドに,ハッカー。俺は,というか柿沼もだけど,いろいろ『爆弾』を抱えてるんだよ。だから『ボンバーガールズ』とか…」

「えーっ!?センスなさすぎ。ひどいですよ,これは。」

 マトリョンが笑い転げる。ソファーからずり落ちそうな勢いで。メイリンは,「学習モード」だろうか。コウイウ時ハ笑ウ。そう自らにインプットしているのかもしれない。

「じゃあ。マトリョンはどうなんだ?人のアイディアを否定するからには何かあるんだよな?」

「そうですね。わたし,小学生の頃,両親が共働きだったんです。」

 両親。そう口にした時,少し表情が曇った。家出の原因は親との折り合いに間違いない。でも,すぐに笑みが戻る。

「だから,メイリンも同じ境遇だっていう設定にして…『カギッコ』でどうで…」

 マトリョンは最後まで言えなかった。苦しそうに大笑いしている。

「やめて。そういう寂しいダジャレいらないから。」

 俺も吹き出した。ふとメイリンを見る。笑っている?微かに笑みが浮かんでいる。そう見えなくもない。俺は,大昔に教科書で見た言葉を思い出す。

『アルカイックスマイル』。

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