第6回
「まったく。進歩ってヤツと無縁の人生だな。」
独り言がこぼれた。俺は,煙草の火をかばうように手をかざす。風が強く,腰に提げた鍵の束がガチャガチャと音を立てる。
隠れてタバコを吸う。意味もなく高い場所が好き。気づくと,くだらない思考に迷い込んでいる。それから…
変わらないことを数え上げたらキリがない。三つ子の魂百まで,とか言うが,本当かもしれない。少なくとも,だいたい半分までは続くみたいだ。
大きく煙を吐き出し,両手を広げた。目を細めて,周囲を見回す。かわり映えのしない山に囲まれた景色。太陽が山の稜線にかかって,斜面の集落で明かりが瞬いている。視線を移すと,グラウンドのライトも点灯している。その下を部活中の生徒たちが走り回って…
1日の仕事が終わりに向かう頃,ここに来るのが日課になりつつある。鍵は,事務室で管理している。だから,屋上に出るのは,事務職員の特権みたいなものだ。
「ああっ!やっぱりここだ!」
大きな声がして,思わず振り向いた。西日を浴びながら,根本が近づいてくる。
「なんだ。驚かすなよ。」
ほっとして,背中に回した右手を元に戻す。反射的に煙草を隠していた。昔取ったなんとかだ。俺の指先を見ると,根本は,頬をふくらます。
「もう!またタバコ吸ってる。規則違反ですよ。敷地内禁煙ですってば。」
「めんどくさいんだよ。いちいち校門の外に行くのは。だから,堅いこと言わないで…」
「とにかくタバコ消してください。お客さんがいるんです。」
客?こんなところまで連れてきたというのか。俺は,煙草を落として,踵で踏み消した。暗がりになった出入口に目を凝らしてみる。
「ほら。早く。」
じれったそうに根本がせかした。少し間があって,無言で人影が現れる。思わず声を上げそうになった。
オレンジ色の情景のなか,若い女が立っている。目を引くほど整った顔立ちだ。そこに,はにかんだ笑みが浮かんでいる。髪は,ショートボブというのか。風になびくたび,反射した光をまき散らしている。
彼女は,長い影を連れて,距離を縮めてくる。一歩,また一歩。貧困な語彙がもどかしくてたまらない。すべてが綺麗で…見慣れた場所なのに,別世界に迷い込んだように…。
「こ,こんにちは。」
彼女が,丁寧に頭を下げて言った。校庭から響く声にかき消されそうな音量だ。
「こんにちは。」
根本を恨みたくなった。俺は,視線で伝えようとする。どうしてもっと早く連れて来なかった。そうすれば,あんな…
「じゃあ。私は,まだ仕事があるんで,これで。」
俺たちに軽く手を振ると,根本は背中を向けた。そのまま小走りで戻っていく。
「おい。ちょっと。」
俺の声は届かない。階段を駆け下りる音が小さくなっていく。
「なんだよ。もう…」
根本を諦めて,彼女に向き直った。彼女は,気まずそうに目を伏せている。俺は,沈黙を避けたくて口を開く。
「ほんと困りますよね。どういうつもりなんだか…」
反応はない。彼女は,風を気にしているようだ。なびく髪をしきりになでつけている。
本当に根本の意図がわからない。的場のことは,いちおう報告した。友達のことを悪く言うわけにいかない。もちろん,脅されたことも口に出せない。俺は,重くならない程度に話した。
『メンバーになりたいみたいだけど,やっぱりソロでいこうと思うんだ。根本さんからもうまく言ってくれると助かるよ。』
根本なりの「罪滅ぼし」だろうか。アイドルに詳しくないけど,ルックスが一番いい友達を呼んでくれた,とか。いや。それにしては雑すぎる。紹介もなしで放置状態だ。
いずれにしても,話をしないと始まらない。世間話でもいい。俺は,彼女をのぞき込むようにして言う。
「あの,お名前訊いてもいいですか。」
「えっ,名前…やっぱり!」
彼女が笑い出した。ますますわけがわからなる。俺は,取り残されたように見つめるしかない。
「あの,角脇さん,私…」
笑い疲れたような声だ。声。え?俺の口から年甲斐もなく大きな声が飛び出す。
「えーっ!?マトリョン!?」
「どうして先に言ってくれなかったんだよ!?」
俺は,事務室の扉を開けながら言った。すっかり根本の「サプライズ」にやられたわけだ。
「あ…すいません。つい…」
慌てて謝った。時間的に根本しか残っていない。そう思っていたら,目の前に事務長がいた。
「いえ。いえ。私は,これで失礼します。後をお願いしますね。」
事務長は,軽く頭を下げると,背中を向けた。いつもの飄々とした物腰だ。
「…お疲れ様でした。」
俺は,事務長を見送って,中に入った。根本の姿を見つける。いたずらが成功したガキのような笑顔だ。
「髪を切ったなら先に,というか,まず来てることを携帯とかで…」
「なんかうれしそうですね。角脇さん。」
根本は,ますますドヤ顔になる。仕方ない。俺も,笑みが浮かぶのが抑えられない。自分でもわかるくらいに。
『用事があって近くまで来たから,ちょっと寄っただけです。』
そう言って,マトリョンはすぐに帰ろうとした。そして,去り際に,振り向いて言った。
『やっぱりダメですか?』
ずるい。上目遣いで,不安げな表情だった。だが,確信犯かもしれない。返事はするまでもないから。
「だから言ったじゃないですか。いい子がいるって。」
根本は責めるような口調だ。主導権を手放した俺は,ふてくされて言う。
「だって,あれは別人だろ?あそこまで変わられると…どこをどうすればあんな…」
俺は,いちばんの疑問を口にした。変貌というより変身といったほうがいい。
「そうですね。どこまで話していいのかわかりませんが…」
根本は,言いにくそうに前置きした。あの変わりようは,訳ありに決まっている。
「あんなふうに前髪を伸ばしたのは,中3のときだって聞いてます。このあいだも言いましたが,すごくモテてたらしいから,元々きれいなんだと思います。」
俺はほっとする。少なくとも最悪の答えではなかった。このプロジェクトのために整形してきた,なんて言われたら…
「わたしもそうなんですが,あの子が住んでる地域って,すごい田舎なんです。だから,ヤンキーが多くて。それで,よくガラが悪い男に言い寄られることがあったらしくて…」
「ああ。番長みたいなヤツは,一番かわいい子とつき合う,みたいな。」
思わず苦笑する。「田舎あるある」パートⅡだ。俺たちが中学のときは,まさにそうだった。それがまだ続いてるなんて。県内にも,まだまだ未知の世界があるってことか。
いや。感心してる場合ではない。根本は,深刻な表情で続ける。
「まあ,しつこくされる程度ならまだ良かったんですが,拉致されそうになったり…それから,ヤンキーの女の子にも目をつけられて,いじめが始まったって…」
「ああ。『あたしのほうがずっとかわいいのに,なぜ男子はあんな子に…』って?」
「そうです。しかも,仲がよかった子たちも,ターゲットにされたくないからって…」
なるほど。「田舎あるある」は,まだ終わりそうにない。俺は,角度を変えようとする。
「それで,彼女は,自分をいじめたヤツらや裏切ったヤツらを見返したくて,アイドルになろうと思ったとか?」
「さあ,そこまでは…とにかく,高校で,わたしと会ったときには,あの姿でした。さっきの話も人から聞いただけで。詳しいことは知らないんです。」
「え?友達,ってわけじゃなかったの?」
根本は,ちょっと遠い目になった。過去の記憶とシンクロするまで少し間がある。
「わたし,軽音部だったんですけど。軽音,って言っても,ロックが好きな子だけじゃなくて。それで,わたしのバンドにアイドル好きな子がいて,放課後部室でアイドルの曲を練習してたことがあったんです。そのとき,廊下から覗いてたのが…」
情景が目に浮かんだ。マトリョンが,ドアのガラス越しに熱い視線を送っている。リズムを取ろうとしているのだろう。身体が小刻みに揺れて…
「ああ。怖くて覚えてたんだ。」
「はい。軽くトラウマになりました。」
気持ちはわかる。おっさんでも恐怖を感じたほどだから,女子高生ならなおさら…
「それじゃあ,特につき合いがあったわけじゃなくて…」
「はい。最近偶然会ったんです。ライブを観てたら,近くにいて。すぐにわかりました。全然変わってなかったんで。それで,こっちを見てるようだから,声をかけました。でも,なぜでしょうね。ふだんなら絶対しないんですけど,そんなこと。ライブでテンション上がってたからですかね。」
根本は普段からテンション高めだ。でも,トラウマの原因に自分から近づくことはないだろう。それほどハイになれる場所って…
「ちなみに,それ誰のライブ?」
根本の表情が一瞬で晴れた。楽しい記憶が空気を変えたようだ。
「美宙祈ちゃんですよ。角脇さん,知り合いですよね?」
「また美宙祈か。」
段ボールを開封する手が止まる。帰宅途中コンビニで受け取ったものだ。
「どいつもこいつも…」
美宙祈は,春にこの町を出た。今は,東京で大学に通いながら活動している。彼女が残していったもの。それは,想像以上に大きいのかもしれない。
「まあ,俺もだけど。」
自分につっこんで,中身を取り出す。軽く落胆した。通販で買った服は,予想よりショボい。
「ソレハ衣装デスカ?」
俺は,とっさに飛びのいた。メイリンが,いきなり視界に入ってきたからだ。同居生活が始まり2週間ほど経つが,まだ慣れない。
「あ,ああ。今日届いたばかりだよ。」
「試着シタホウガイイデスカ?」
「ああ。どうぞ。」
衣装を手渡すと,メイリンは丁寧にお辞儀した。顔を上げると,背中に手を伸ばして…
「ちょ,ちょっと何してんの!?」
俺は慌てて立ち上がる。肩をつかまれても,メイリンの表情は変わらない。
「着替エデス。」
「それはわかってるけど,あっちでやって。」
背中を押して,メイリンを隣の部屋に押し込んだ。ふすまを閉めると,大きく息を吐く。
1人暮らしには広すぎる一軒家。管理が面倒だとぼやいてきた。でも,今は,部屋が多いのを感謝したい気分だ。
「着替えが終わるまで出てくるなよ。」
俺は,そう言ってスマホを手に取った。着信履歴から見つけた番号にかける。
『はい。五十嵐です。またどうかしましたか?』
また?そう。五十嵐にとって,俺はトラブルメーカーに認定済みだ。でも,気にしている場合ではない。
「ちょっとプログラムを改変してほしくて。メイリン,俺の前でも平気で着替えたりするから。」
『特に問題ないと思いますが。』
五十嵐の声は,冷静そのものだ。まあ,予想通りではあったが。
『だって,これから角脇さんも,いろいろ調整することもあるでしょうし。そのたびに恥ずかしがっていたら,時間のムダじゃないですか。』
そうかもしれない。でも,姿かたちは人間そのものだ。頭ではわかっていても,割り切れないこともある。
「でも,ただでさえ,若い女の子と暮らしてるみたいで,いろいろと…その…違和感があるというか…」
『やっぱりそういうことですか。』
「それは,そうだろ。いちおう男と女なんだから。少なくとも見た目は…」
『いえ。そうではなく…あの…もしかしてなんですが…』
五十風は,声を潜めた。電話の向こうで笑いをこらえているのがわかる。
『メイリンの顔って,角脇さんの好きだった子がモデルなんですか。』
「………」
正解。言葉が出てこない。俺が沈黙すると,五十風は,大きく息を吐いた。明らかに笑いが交じっていた。
『そうですか。だから,変に意識して,たいへんなんですね。』
「たまたま浮かんできたんだよ。引きずってるわけじゃない。」
『私には関係ないですけどね。どんな感情を持つのも自由ですから。でも,安心してください。』
五十嵐は,また囁くような口調になる。嫌な予感しかしない。
『角脇さんが変な気を起こしても,どうにもなりませんから。あの子には,ラブドールのような機能はないんです。うちのチーム,女性が多いんですよ。』
さらりと言った。顔が紅潮したのが自分でもわかる。もうこれ以上…
「もういい。こっちでなんとかする。」
早口で言って,電話を切った。スマホを放り投げて,床に寝転がる。
「ふざけるな!」
天井に向けて怒鳴った。でも,情けないくらい細い声しか出ない。
最近ずっとそうだ。若い女に振り回されっぱなし。まあ,木崎に言ったら,渋い声で応えるかもしれない。
『それがおっさんってもんだろ。』
おっさん。俺も,若い頃は思ってた。おっさんって哀しい生き物,だなんて。それが…
「オ待タセシマシタ。」
ふすまが開いて,メイリンが顔を出した。気を遣っているのか。出てこようとしない。俺は,身体を起こして,うなずく。
「いいよ。」
「失礼シマス。」
メイリンは,ゆっくり近づいてくる。赤いチャイナドレスの裾が揺れている。脇に入ったスリットがかなり深い。予想以上に大胆なデザインだった。メイリンに感情はないはずだ。でも,どこか恥じらっているように見える。
「いいね。」
思わず口に出していた。安物だけど,それが味になっていなくもない。
「デハ。」
メイリンは,軽く頭を下げた。振り向いて、隣の部屋へ戻る。今度は,自分でふすまを閉めた。「学習モード」は正常に機能している。俺は,手を伸ばし,スマホを拾い上げた。
「もう一着注文しないと…」