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第31回

「これで揃ったな。」

 振り向いたまま木崎が言った。ドアを開けて入って来たのは,根本だ。

「すみません。遅くなりました。」

 根本は,すまなそうに頭を下げる。木崎が,近くにある椅子を指差した。

「いや。構わんよ。じゃあ,始めるか。」

 木崎から招集がかかるのは珍しい。呼び出されたのは,他に柿沼,甲田,瀬田,中江,内川だ。ライブハウスのロビーに,マトリョーシカ関係者が久しぶりに集まった。五十風を除いては。

「凌平。お前から話せ。」

「は,はい。じゃあ…」

 話を振られて,甲田が一歩進み出た。だが,話を始めようとしない。1人一人の表情を確かめるように視線を動かす。間違いない。来た時から感じていたが,俺以外とは話がついている。その証拠に,甲田は俺と目を合わさない。

「あの…今日は,提案があって…」

 明らかにいつもの甲田ではない。心配そうに,瀬田が横顔を見つめている。じれったさに,つい言葉が荒くなる。

「いいから話せよ。」

「は,はい。えーと…マトリョーシカの…解散ライブやりませんか?」

 上目遣いに俺を見ながら,甲田が言った。解散ライブ?俺は,他のメンバーの様子を観察する。

 瀬田,中江,内川。それに,根本も。4人は,不安そうに成り行きを見守っている。木崎と柿沼は…いつもと変わらない。いちおう人生経験を積んできた。ダメ人間でも,若者との差は歴然だ。

「ほら。このままだと,中途半端っていうか,みんな次に行けないっていうか,とにかく何かやりたいんすよ。」

 無言に耐え切れなくなったのか。甲田が,吐き出すように言った。援護するように,瀬田がうなずく。中江と内川は,目で同意を示している。

 解散ライブ。今の状況ではありえない。そんなことは,みんなわかっているだろう。だから,きっと…

「最後のライブか。気持ちは…うれしいよ。これまで協力してくれたことにも,感謝してる。だから,みんながそう言うなら,いいんじゃないか。今まで撮った映像を編集して,上映会とか…」

 おかしい。俺を見る目。そこにあるのは失望…だけではない。明らかに不信感が見える。促すような視線を送る木崎。だが,甲田は応えようとしない。見かねたように,柿沼が口を挟む。

「なあ。角脇。勘違いなら,すまないんだが,戻って来てるんじゃないか。」

「戻って来た,って?」

 しまった。わずかだが,声が上ずった。いつもながら芝居が下手過ぎる。確信を得たのだろう。柿沼が,まっすぐ俺を見て言う。

「メイリンだよ。家にいるんだろ?」

「…そうか。だよな。やっぱりわかるよな。」

 認めるしかない。俺の視線が無意識に動いた。甲田が,詫びるようにうつむく。責めるつもりなどない。あの状況を経験したら,誰だって…

「いや。悪いのは俺のほうだよ。いずれみんなにも話そうと思っていたんだけどな。じゃあ,とりあえず,手短に話そう。」

 俺は,覚悟を決めて,呼吸を整える。続けようとして,言葉を呑み込んだ。木崎が大声で笑い出したからだ。瀬田と根本の肩が驚きで震えるのがわかった。

「気にすんな。そんなのいつでもいい。とりあえず,メイリンが無事だとわかりゃ問題ない。」

「でも…」

「心配ない。ここに集まったメンツは,知ってる…いや,想像してることを,墓場まで持って行く。」

 もう一度視線を巡らせる。俺と目が合うと,誰もがはっきりとうなずく。

「ありがとう。でも…」

「わかってますって。今の状況じゃ,解散ライブは無理っすね。だから…」

 ほっとしたのだろう。甲田に笑みが戻った。話し方にも,いつもの軽さがある。

「『解散ライブ』っていうのは,内輪の話で。実際には,しゅかりんが姿を消す前の『未発表映像』として配信すれば,ノープロブレムっすよ。」

 なるほど。それなら,特に心配することもない。いや。それだと,誰が…

「あの…」

 ずっと無言だった瀬田が口を開いた。握りしめた拳に力が込められている。

「わたしじゃダメですか…歌うの。もちろん,歌もパフォーマンスも,リョン様とは比較にならないけど…でも…」

 うまく伝えられない。もどかしそうに,瀬田は言葉を探す。今度は,甲田が励ます番のようだ。瀬田をかばうように,前に進み出た。

「ほら。名目上は,瀬田ちゃんのソロ企画ってことにするんです。で,しゅかりんは,ゲストのダンサーってことにして。それが,こんな状況になったから,急遽しゅかりんの『ラストライブ』映像として公開する,ってことで。ね。どうっすか?」

 のぞき込むように俺を見る甲田。木崎が,また笑い出す。顔には,満足げな笑みが浮かんでいる。

「どうだ?すっかりお前と考え方が似てきただろ。仲間はよく考えて選べ,っていうよな。確かに,よく言ったもんだな。こいつも,もう立派なダメ人間だ。」

「ダメ人間は,立派じゃないだろ。」

 吐き捨てるように言った。だが,悪い気もしない。

 俺が,アイドルの運営を止めることになったら…それで,瀬田が続けたいと言ったら,後は甲田に任せる。そんなことを考えたこともあった。

「それに,お前には,もう1つ理由があるだろ。」

 柿沼が,木崎に目配せした。うなずいて,木崎が引き取る。

「ほら。あのCD−Rだよ。あの男から受け取った…」

 そうだ。CD−R。あの日,ここに寄って2人で聴いてみた。浅岡の後輩が言った通りだ。入っていたのは,未発表音源だった。

「ああ。このままだと,あれは永久にお蔵入りになる。でも…」

 確かに,区切りをつけたほうがいい。ここにいるメンバーにとっても,ファンにとっても。

 それに,あの男の気持ちにも応えるべきだ。俺と木崎との出会い。それは,思い出したくもない過去だろう。それでも,俺に浅岡の「形見」を託した。だから…

 頭ではわかる。これは,「別モノ」だ。だとしても,マトリョンのいないマトリョーシカは…

「お前の気持ちはわかるよ。というわけで…」

 俺への圧を緩めたつもりか。木崎は,言葉を切って,視線を逸らせた。そして,ゆっくりと口を開いた。

「すぐに決めなくてもいい。お前も知ってるだろ。ここは,場末のヒマな店だ。急なライブにも対応できる。」



「一度来てみたかったんですよ。ほら,1人だと来づらいじゃないですか。これでも,女子なんで。」

 数日後,意外な人物に呼び出された。俺は,息を切らしながら,後を追っている。

 迷路のように入り組んだ路地。初めて五十嵐と会った場所にほど近い。構造上,太陽の光が届きにくくなっている。だから,まだ昼過ぎだが,辺りは薄暗い。昭和の時代から存在しているのだろう。古びた酒場が軒を連ねている。

 その一角。鈍色の壁を背に立つのは,ツインテールの少女だ。

「聡ちゃん。テンション上がり過ぎ。もうちょっとゆっくり歩いてくれよ。」

 成り行きで,撮影を押し付けられた。俺は,カメラを片手に,小走りでついて行く。

「角脇のおじさんも,すっかり年ですね。まあ,仕方ないか。うちの父さんと同級生だから。」

 聡子は,無邪気に笑って見せた。表面上は,立ち直っているように見える。だが,そうでないことははっきりしている。この場所に来たことが,何よりの証拠だ。

 中心街から一歩踏み込んだ路地裏。浅岡が,何度かブログで取り上げた場所だ。退屈な地元で,珍しく萌えるスポット。浅岡は,そう紹介していた。

「おかしいですね。このへんのはずなんですが…」

 スマホを片手に,聡子が首をかしげた。のぞき込むと,ファンシーなイラストが目に飛び込んできた。

「それなら,こっちだ。」

「えっ!?」

 驚く聡子に構わず,俺は歩き出した。足早に,目的地を目指す。一本ずれた路地に,その店はあった。

「…どうして?」

「いいから早く買っておいで。何でも好きなものを。俺の分はいいから。」

 そう言って,ポケットから千円札を取り出した。聡子は,軽く頭を下げたが,受け取らない。背を向けて,そのまま店に向かう。

 パステルカラーに塗られた壁。丸文字の看板。いかにも女子ウケしそうな店だ。だから,ひどく周囲から浮いている。

 ブログには登場していない。だが,以前浅岡から聞いたことがあった。廃墟好きがハマりそうな路地裏に,クレープ屋があると。

 タピオカの店なら,市内にいくつかあった。だが,クレープはブームというわけでもない。それに,こんな…

「お待たせしました。」

 気づくと,聡子が戻ってきていた。クレープを持って微笑む姿は,アイドルそのものだ。

「でも,どうしてここの場所を知ってたんですか?特に甘党というわけじゃないですよね。」

「昨日もこの辺りに来た。」

「えっ!?」

 驚きの声が上がった。だが,聡子は,納得したようにうなずく。そして,表情を曇らせ,黙り込んだ。このままでは,気まずくなる。

「俺も,浅岡のブログを見返して,歩き回ってみたんだ。まあ,お互いショックから解放されるまで,まだまだ時間がかかりそうだ。」

 うまくできるとは思えない。それでも,俺は笑おうとする。気持ちを察してくれたのだろう。聡子は,お手本のようなスマイルを返してきた。

「ですよね。まあ,仕方ないですよ。気持ちの問題って,期限を決めるものじゃないし。」

 クレープを一口かじって,聡子が歩き出した。食べながら歩くのに慣れていないようだ。足取りがちょっとぎこちない。それで,少し安心する。上京しても,特に変わったところは見当たらない。

 すぐに元来た通りに出た。屋根がなくなったせいだ。陽射しは弱いのに,やけに眩しく感じる。

「あっ。忘れてた。」

 聡子が,突然振り向いて言った。指さした先は,俺が手にしたカメラだ。

「もう。写真撮る前に,半分以上食べちゃったじゃないですか。って,まあいいか。撮影なんて,口実だし。」

 コロコロと表情が変わる。アイドルとしては,整った顔ではない。それでも,人を惹きつけるのは,この感じがあるからだ。見ていて,飽きないということだろう。

「もうおわかりだと思うんですが…」

 言いかけて,聡子は気まずそうに目をそらした。すぐに察しがつく。まったく,どいつもこいつも…

「わかってるよ。アイドルの運営を続けたほうがいい,ってことだろ?」

「…はい。でも,父さんに頼まれて来たわけじゃないですよ。」

「それもわかってる。」

 あの事件の後。すぐに美宙祈のSNSが更新された。そこには,マトリョンへの気遣いと,それから…

『あの街で盛り上がってきたアイドル熱が冷めないことを願っています。』

 そう書かれていた。聡子には,自分が切り拓いたという自負がある。だが,それ以上に,後に続く者への敬意が大きい。そう感じられる文章だった。

「ごめんなさい。こんなの勝手な気持ちの押しつけだって知ってます。でも…」

 微妙な空気を放っている2人。それも,中年のおっさんと十九歳のツインテールだ。いやでも,人目を引く。でも,それも気にならない。免疫ができた。というより,こういう状況を楽しめるようになった。これも,マトリョンのおかげだ。

「いや。勝手なのは,俺も同じだから。」

「おじさんも?」

「ああ。俺のわがままに巻き込んだばかりに,マトリョンがあんなことに…」

「でも,マトリョンさんは,強引に頼み込んでメンバーにしてもらったって,いつかブログに…」

 聡子は,戸惑いを隠せずに俺を見る。確かに,始まりはそうだ。だが…佐々本の顔が浮かんだ。

「君のマネージャーにも忠告してもらったのに,危機管理の意識が足りなかった。」

「そうでした。すみません。うちのマネージャーが,わざわざフェスの会場まで行って,失礼な態度を取ったらしいですね。」

「いや。そんなことはないよ。俺が甘かっただけだよ。」

「あの人,悪い人じゃないんですよ。何考えてるのか時々わからないけど。」

「大丈夫。それもわかってるよ。」

 これも,「異種格闘技」決勝中止の後。真っ先にメッセージをくれたのは,佐々本だった。それは,慇懃無礼から程遠い真摯な言葉に満ちていた。

「とにかく,ありがとう。これからのことは,しっかり考えてみるよ。」

「そんな…お礼なんて。わたしの思い入れだけで…」

「それでいいんだよ。」

 俺は,ゆっくりと振り向いた。そこには,さっき出て来た路地の入口がある。どこか異世界へのトンネルのように見えなくもない。浅岡でなくても,ちょっとわくわくする。

「柿沼から聞いてると思うけど,東京からこの町に戻って,25年以上経つ。」

「えっ…はい。」

 戸惑いながら,聡子が相槌を打った。俺の横に来て,路地の奥に目を凝らす。

「再開発が進んで,市街地はきれいになったけど,相変らず面白い店は少ないって思うんだよ。もうちょっと楽しめる場所が近くにあれば,って思うし。でも,それだって,勝手な期待なんじゃないかな。」

「まあ。だったら,自分で楽しめる店を作ればいい,って言えますね。」

「そう。店をやる人は,そこに自分の人生を賭けるわけだから。でも,実際店ができれば,そこに通うことは,営業の助けになる。アイドルやその運営に対して抱く感情っていうのも,似たようなものじゃないかな。日常は退屈で仕方ないけど,アイドルを応援することに人生の意味を見つけた。とか,自分が稼いだ金をつぎ込むことで,無意味だと思ってた仕事に意味を感じられる。とか,なんでもいいんだけど。これって,勝手な思い入れだけど,結局は,アイドルを推すことで,夢を実現したい若者を押し上げる,ってことになるわけだし。」

「そうか。応援することを楽しめればいいんですね。」

「そう。悪意があったらダメだけど,純粋に楽しむために思いを注ぐ,っていうなら,それでいいんじゃないかな。」

「わかりました。」

 聡子は,うなずくと,晴れやかな表情を見せる。

「これからも堂々と応援させてもらいます。アイドル運営としての角脇のおじさんを。」

「ああ。前向きに考えてみるよ。」

 照れくさくなって,視線を逸らした。だが,「前向き」の意味は文字通りだ。気が進まない商談の締めのセリフ。それとはまったく違う。

「そうだ。ひとつ訊いてもいい?」

「はい。」

「どうして,佐々本君は,わざわざ俺に会いに来たのかな?忠告だけのため,っていう雰囲気でもなかったし。」

「それは…」

 地雷を踏んだのだろうか。聡子は,きまりが悪そうに目を伏せた。だが,それもほんの一瞬。すぐに,視線を上げて俺を見た。

「たぶんですけど…勝手にライバル意識を燃やしてるんです。角脇のおじさんが,なんか…わたしの前のマネージャーとダブるところがあるみたいで…」

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