第 3回
やっぱりおかしなことだらけだ。
俺の意識は,どこか遠いところを彷徨っていた。これまでの人生の断片が,浮かんでは消える。それも,選んだように不可解な出来事ばかり。俺の前から消えた人たち…いや,それ以前に,俺自身が消えたことがあった。
まだ3歳かそれくらいだった。
どうやってたどり着いたのかわからない。気づくと,俺は知らない場所にいた。おぼろげな記憶しかないが,見たのは「近未来」の光景だった。具体的に見たものを訊かれたら,答えられない。「近未来」。貧しい俺の語彙では,そんな表現しか浮かばない。
次の日,俺は家から近い公園で「発見」された。ベンチで目を開けたら,たくさんの大人たちに囲まれていた。覚えてるのは,そのくらいだ。でも,すべてが新しくて,胸が躍ったのは覚えてる。ちょっと怖いけど,わくわくして…まるでサーカスを見てるような。近所では,神隠しと騒がれたようだが,俺にとって嫌な記憶ではなかった。
俺は,目を開いた。天井の高い部屋だ。ベッドに寝かされている。薄暗いが,それだけはわかった。顔を上げてみる。痛みは…どこにもない。手足を動かしてみた。拘束も…されてない。周囲を観察する。何もない。殺風景な部屋だ。特に気になることは…
「!!…」
誰かいる!壁に同化していた影が動いた。悪寒が駆け抜けて,全身が強ばる。目の前にいるのは…あの少女だ。路地裏で見た光景が,一瞬で蘇る。
あのとき…俺は,少女を追って別の路地に駆け込んだ。今度は見失わなかった。だが,驚きは,逃した時より大きかった。そこにいたのは,少女だけじゃない。見たことのない体格のいい男が一緒だった。男の顔は,苦悶で歪んでいた。少女が腕をひねり上げていたからだ。俺に気づくと,少女が無表情のまま手に力を込めた。響き渡ったのは,男の悲鳴と,初めて聞く音だった。見てはいけないものを見た。直感がそう言っていた。俺は,後ずさって,振り向いた。そこには…別の女がいた。黒いスーツで…眼鏡をかけた…ショートカットの…若い女だ。俺は,もう一度身体の向きを変えようとした。すると,女の手がこっちに伸びて…
記憶はそこまでだった。
「気がついたようですね。」
ドアが開いて,灯りがつく。声のほうに目をやると,あの女だった。黒いスーツの上に白衣を羽織っている。
「ここは…?」
俺は,ゆっくりと上半身を起こした。視界の端に少女をとらえながら。
「そうですね。研究開発施設,とでも言えばいいでしょうか。」
女は,俺を観察しながら答えた。冷めた表情に似合いの低い声だ。
研究?そうだ。路地裏から少女が消えた理由。そして,あの馬鹿力。いや。違う。俺は,一瞬浮かんだ考えを打ち消そうとする。すると,女の口元が動いた。笑ったようだ。
「超能力とか,その類の非科学的な場所ではありません。」
先回りされた。じゃあ…残る可能性は…
「その子は,ロボットなのか?」
女の口から息がもれる。今度は,はっきり笑った。
「ほんとアナログな方ですね。ヒューマノイドです。少なくとも,アンドロイドくらいに言ってほしかったですね。」
呼び方なんてどうでもいい。俺は,少女を見た。攻撃してくる様子はない。それにしても,人間にしか見えない。少女は静かに成り行きを見守ってる。どう見ても,大人の会話を聞いてる子どもだ。
「こんなに技術が進んでるとは思わなかった,ですか?」
「ああ。あんな場面に遭遇してなきゃ,絶対に信じられない。」
「そうですよね。」
女が少女を招き寄せる。パタパタと駆け寄る姿は,やっぱり人間だ。女は,少女の長い髪をなでながら言う。
「この子たちのプロトタイプは,医療用に開発されました。介護やリハビリが主な用途でした。それが,実用に移ろうと準備を始めた頃,研究を自分たちの物にしようとする組織が現れました。」
嘘を言ってるようには見えない。でも,だとすれば,本格的にSFの世界だ。現実味がなさすぎる。
「じゃあ,あの男が,その組織の一員だったって…」
「はい。ああいったことがありますので,この子のように戦闘能力に特化したタイプが開発されました。そうでなくても,組織に奪われないよう,ヒューマノイドはすべて,高い戦闘能力を備えています。」
あの男はどうなった?とは訊かない。まあ,そんな気を遣ったところで,俺もただで済むはずはない。でも,不思議と怖さはなかった。現実離れし過ぎてるのが,救いになってる。
「なるほど。で,今の話が冥土の土産ってわけだ。」
「冥土,って…」
女が吹き出した。20代半ば…根本と同年代だろうか。表情が緩むと,すいぶん印象が変わる。
「考えすぎです。私たちは,一般の人に危害を加えるような野蛮な集団ではありませんよ。それに,口を封じるなら,あの場で済ませています。あの男と一緒にね。」
それもそうだ。でなければ,どこだか知らないが,わざわざ俺を運んだりはしない。
「じゃあ,帰っていいのか?」
女が,少女の肩に手を回した。軽く抱き寄せながら,俺を見る。
「もちろんです。でも,こちらも大事な時期です。お互いのためにも,しばらく監視をつけさせていただきます。」
あれから数日。「それ」は,約束の時間にやって来た。
あの研究員−五十嵐と名乗った−は,「お届けします」と言った。だが,それは,自分でチャイムを押し,文字通りやって来た。
そう。研究所が監視のためによこしたのは,少女型ヒューマノイドだった。
「ハジメマシテ。」
ドアを開けると,ぺこりと頭を下げて,そう言った。
「淑華…」
俺は,息を飲む。その顔は,学生時代に会ったあの留学生だった。
『かまわないけど,ちょっと考えてくれないか。あんな場面を目撃してるんだし。』
ヒューマノイドに監視されることになる。そう知ったとき,俺は五十嵐に言った。
部屋の中にあの少女がいる。想像してしまう。夜中目が覚めたとき,心臓に悪い。骨が砕けても,表情が変わらない顔が,目の前にあるなんて…
『顔は選べます。お望みの顔にできます。』
あの後,五十嵐の案内で,別の部屋に入った。そこにあったのは,奇妙な装置だった。SF映画に出てくる洗脳用の機械のような…
俺は,ヘルメットのようなものを被せられた。そして,希望の顔を思い浮かべるように言われて…
「それにしても,ここまで…」
恐るべき再現率だ。五十嵐は,脳波を読み取る,と説明した。それで,目を閉じて,浮かんできたのが彼女―李淑華―の顔だった。
ふと気づく。端から見たらおかしな光景だ。玄関で,おっさんと少女が無言で見つめ合ってる。
「とりあえず入ろうか。」
俺は,彼女を招き入れて,ドアを閉めた。
「オジャマシマス。」
彼女は,器用にスニーカーを脱いで,俺について来る。とりあえず,居間のソファーに座らせることにした。
向かい合って座り,改めて全身を見る。パーカーにジーンズというラフな姿で,髪はポニーテール。背は,155センチはなさそうだ。淑華のほぼ等身大フィギュアと言っていい。
ただひとつだけ。気になるのは目だ。部屋のなかを観察しているのだろう。眼球が小刻みに揺れている。でも,それだって,注意して見なければ,気づかないレベルだ。
『日常生活に必要な動作や発話は,プログラムしてあります。それに加え,生活するなかで経験から新しい情報を取り込むようになっています。』
五十嵐はそう言った。
実は,少し疑ってた。以前見たドラマを思い出したからだ。主人公が,偶然手に入れたヒューマノイドに言葉を教える場面を覚えてる。まるで,「偉人伝」で読んだヘレン・ケラーとサリバン先生みたいだった。俺も,あんなふうに…なんて思ってた。でも,その必要はなさそうだ。
確かに,ここまでの動作は自然だ。言葉がぎこちないのを除けば,普通の女の子にしか見えない。
「ヒトツヨロシイデショウカ。」
「あ,ああ。うん。」
ちょっと慌てる。彼女から訊かれた。勝手な想像だが,人間の言葉に応答するだけと思っていたからだ。
「ナントオ呼ビスレバヨロシイデスカ?」
会話は普通に成立してる。やはり,あとは音声の面だけだ。コンピューターに歌わせることができる時代だ。それでも,人間らしくしゃべらせるのは難しいということか。
「そうだな。角脇さん,でいいよ。」
「ワカリマシタ。角脇サン。」
俺は,スマホを取り出して,連絡先を開く。無事「届いた」と五十嵐に連絡するためだ。コール音を聞きながら,彼女に目をやる。無表情のままで、前触れなく口が開いた。
「角脇サン。ワタシノ名前ハ?」
覚悟はしていた。でも,実際そうなってみると…
「もう少し離れてくれないか。」
俺は小声で言った。腕が触れ合う距離から返事が届く。
「プログラム上不可能デス。オ仕事中以外ハ離レラレマセン。」
ため息がもれた。機械だけに融通が利かない。仕方ない。しばらく経って,多少信用されたら,プログラムを改変してもらおう。
土曜日の午後。「スカウト活動」も,習慣になりつつあった。俺たちは,駅の北口に出て,イベント中の広場に向かう。いつも通りだ。風が,肉の焼けるにおいを運んでくる。
「みなさん,まだまだいけますかぁー!?」
元気な声が響いてくる。1組目のライブはもう始まっていた。自然と急ぎ足になる。駅に向かう客とぶつかりそうになり,彼女の手を取った。
一瞬,『しまった!』と思う。が,今度は,安堵の息がもれた。特に反応はない。彼女は,歩調を合わせてついてくる。「セクハラ防止機能」は設定されてないようだ。少なくとも,俺には。
「角脇サンハ,有名ナノデスカ?」
予想外なことを訊かれた。早くもバグか?と思ったら,そうでもない。確かに,すれ違う人の視線を感じる。俺は,手を離して答える。
「そういうわけじゃないけど,どうやら援助交際と思われてるみたいだ。」
「援助交際デスカ?金銭目当テノ男女ノ交際デ,特ニ中年男性ト女子学生ノ組ミ合ワセガ多イトイウ。」
下世話な知識もそれなりに入っているようだ。また少し安心する。
「狭い町だからね。年が離れたカップルは珍しいんだろう。とりあえず座ろうか。」
屋台の前に並んだ椅子に腰かける。ステージから見て一番後ろだが,規模は小さい。だから,十分表情もわかる。歌ってるのは2人組で,熱心なヲタ3人が最前にいた。
2人は狭いステージを精一杯駆け回る。力まかせに拳を突き上げて,会場を煽り続けている。髪が,汗で額に張りつき,幾筋か束を作っていた。
『これもいまいちだな。』
全力投球。この言葉に悪いイメージを抱く人は少ない。実際,キャッチフレーズに取り入れてるアイドルもいる。
「部活なら,いいんだけど…」
無意識につぶやいていた。彼女の視線に気づく。何でもないよ。俺は,軽く首を振って見せる。通じたみたいだ。俺は,また思考の渦に意識をゆだねる。
スポーツはもちろん,文化系だってそうだ。部活では,全力投球が好まれる。技術がない場合の精神論に利用されることもある。でも,音楽は―特にアイドルは―技術も全力もなしで成立することがある。だから,惹かれる人もいるんだと思う。
アイドルが歌うゆるいラップが好きだ。
『あんなのヒップホップじゃない。』
そう言う人もいる。でも,音楽に限らず,海外の文化をそのまま取り込むのは無理がある。今さらインスタントラーメンを偽物と言う人はいないだろう。俺は,アイドルのラップにも,インスタントラーメンにも,中毒性を感じる。
全力でゆるくやる,いや,ゆるさが武器になるように磨く,とでも言うのか。俺が,やりたいのは,きっとそういうことだ。
ポケットからタイムテーブルのコピーを取り出した。✖をつけようとしたら,誰かに肩を叩かれる。
「よお。」
立っていたのは,柿沼だった。ポロシャツにチノパンというカジュアルな格好をしてる。手には缶ビールで,完全な休日モードだ。
「…土曜に…こんな…」
柿沼が何か言ったが,音楽のせいで聞き取れない。
「えっ…聞こえな…あ…!!」
まずい。見張り役同伴なのを忘れてた。なんとか無関係なふりを…と思うが,もう遅い。彼女は,既に「観察モード」だ。いつの間にか立ち上がって,柿沼を見上げている。可能な限り情報を集めようと,眼球がせわしなく動き回る。
「なんだよ。連れがいたのか。」
今度ははっきり聞こえた。ライブはMCに入ったようだ。
「みなさん,盛り上がってますかぁー!?」
ハイテンションな声が響き渡る。悪いけど,それどころじゃない。思いきり沈んだ気分で,俺はふらふらと立ち上がる。
「いや,これは…」
「ハジメマシテ。蔡美玲トイイマス。台湾カラ来マシタ。ヨロシクオ願イシマス。」
敵ではないと認識したのだろう。彼女は自己紹介を始めた。
海外からの留学生。もちろん,言葉のぎこちなさをごまかすための設定だ。メイリンというのは俺が適当につけた名前だった。ネットで「台湾によくある名前」とかで検索して見つけたものだ。
俺は,心底ほっとする。あの頃は,本当に悔やんだ。淑華と写真を撮らなかったことを。それが,今になって助けになるとは。だが…
「おい。もしかして…」
柿沼は,メイリンの顔をのぞき込む。バレた?やっぱり,目か?よくできてはいるが,所詮作り物だと…
「あのな,柿沼。これは…」
「なんだ。もう見つけたんだな。そうか。そうか。」
アイドル候補?思い切り勘違いしてる。バレてない。俺は,大きく息を吐き出す。
「なるほど。今日は,この子と組むメンバーを探しに来たってことか。」
やっぱり気づいてない。ん?え?いや,そうじゃなくて…ってことは…?
ようやく言葉の意味がわかる。そうだ。バレるとかじゃない。これは,もっと…
「うん。この子いけるぞ。それにしても,お前って,ほんと台湾と縁があるな。」
柿沼は,満足げに何度もうなずく。俺の全身から大量の汗が吹き出し始めた。