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第28回

トランペットによるファンファーレが響いた。誰でも聞いたことがあるだろう。時代劇のクライマックスに使われる効果音だ。

 ステージ中央にスポットライト。それを浴びるマトリョンは,浴衣を着ている。白地に赤い花が描かれ,華やかな印象だ。

 曲が始まる。長寿シリーズとなっている時代劇。その第1作のエンディングのカバーだった。元々ウエスタン調のリズムの曲だ。浅岡のアレンジでは,それが強調されている。だから,嫌でも無国籍感が際立つ。さらに,「チェリー・フォー」がMIXを入れるから,なおさら…

 マトリョンが歌い出した。客席が少しざわつく。無理もない。ある程度知識がないと,この曲に歌詞があることを知らない。マトリョンは,定番の直立不動だ。だが,歌い方がいつもと違う。

 アレンジを別にしたら,メロディーは演歌だ。マトリョンの声との相性が心配だった。元々粘着性のある声ではない。それに,ためを活かした唱法というわけでもない。だから,ボーカリストとしては演歌には不向きだ。それでも,なんとかこぶしを効かせようと頑張っている。粗さが残るが,ビブラートも取り入れようとしていた。

 最近,歌が上手いことがもてはやされることがある。カラオケマシンでいかに高得点を出すか。そこに心血を注ぐ人たちがいる。そんな風潮を批判する気はない。こだわりは人それぞれだから。だが,俺にとってはどうでもいい。声による音程。楽器に比べたらどう考えても精度が低くなる。異物感を楽しんでなんぼ。歌に関して,俺はそんな風に思っている。

 暑苦しくない程度の努力。この曲でマトリョンは、それを体現していた。アイドルがやるラップ。俺には,それと共通の魅了が感じられる。

 衣装と歌詞の世界観がずれている。それは,「狙い」だった。盆踊りの舞台で歌うカラオケ。そんなチープ感を出そうとしたわけだ。とりあえず,悪くない。などと手前味噌なことを考えていたら,もう間奏だ。

 マトリョンをとらえていたスポットが消えた。バックのスクリーンにスライドが映される。夜の江戸の街並みだ。上手から女性が2人現れた。瀬田と「探偵」−病院坂四十九日の岸田だ。画像に合った地味な着物を着ている。町娘という設定だった。

 下手から数人の男が近づく。着物の胸は,大きくはだけている。いかにもごろつきという雰囲気だが,彼らも病院坂のメンバーだ。

『何か協力できることがあったら言ってください。』

 岸田のツイッターをフォローしたら,そう返信があった。以前からパフォーマンスに時代劇を取り入れたいと考えていた。マトリョンも,特に反対しなかった。でも,これまでは実現できないでいた。「キャスト」の人数が足りないからだ。そこに願ってもない申し出があった。それで,準決勝の1曲目でやってみることにした。

 男たちに囲まれる2人。両側から腕をつかまれた。どこかへ連れ去ろうと,ごろつきが引きずって行く。岸田が,男の1人の股間を蹴った。もんどりうって倒れ込む男A。激高した男Bが刃物を取り出した。体当たりするように岸田の腹を刺す。曲がフェードアウトを始めた。

「姉さん!!」

 瀬田の悲鳴が響いた。ゆっくりと崩れ落ちる岸田。悲壮感を帯びたBGMがフェードインする。瀬田が,男たちの手を振りほどいた。

「逃げて!」

 ふいに顔を上げて,岸田が叫んだ。最後の力を振り絞って,男Bに体当たりをかます。もつれ合って倒れる2人。逃げる瀬田。男Cが追いかける。距離がつまったところで,切りつけた。

『きゃあーっ!!』

 瀬田が,ステージから転げ落ちた。水音が響く。川に落ちたという体だ。ステージの灯りが落ちる。

 ほんの数秒で照明がついた。ずぶ濡れの瀬田が,ステージを這っている。上手からメイリン登場。すると,会場が笑いで包まれた。メイリンは,チャイナドレスで自転車をこいでいる。

 異状に気づき駆け寄るメイリン。音を立てて自転車が倒れた。瀬田が,耳元であえぎながら言う。スクリーンに草書体の文字が浮かんだ。

『恨みを晴らしてください。』

 また笑いがもれる。最期の願いをこんな「面妖」な異人に託すとは。だが,通りかかったのが1人だけだから仕方ない。瀬田が,震える手で財布を差し出す。メイリンは,両手で包み込むようにして受け取った。それを見届けると,瀬田は力尽きた。

 メイリンは,自転車のある場所に戻る。かがみ込むと,車輪を支えるスポークに手をかけた。再び暗転。

 明かりがついた。だが,ステージ上ではない。スポットライトは,キャットウォークに当たっている。もう一度ファンファーレが響く。そこには,メイリンがいた。スポークを口にくわえ,柵の上に立っている。1年前,美宙祈が飛び降りた場所だ。

 別のスポットがステージ中央を照らす。音が戻った。何事もなかったように,マトリョンが歌い出す。

 客席がどよめいた。メイリンが跳んだ。視界が,脳内でスローモーション加工される。

 力強い踏み切りから一旦高度が上がる。瞬時に最高点に達した。膝を抱えるメイリン。高速回転しながら下降する。スポットが,その姿を追い続ける。メイリンが両手を広げた。着地。まったくぶれずに静止する。すぐさま駆け出すメイリン。残像を振り切るようなスピードだ。

 客たちの思考が追いつかない。思い出したように拍手が起こる。が,すでにメイリンは,次の段階にいた。 

 フロア中央が明るくなる。男たちが,何か言いながら移動してきた。メイリンの手にはスポークが握られている。いちばん後ろを歩いている男。それが最初のターゲットだ。音も立てずに跳んだメイリン。スポークが鋭い光を放った。と思うと,脱力した男Dが倒れる。異変に気づいた仲間が振り返る。メイリンが男Bの側頭部にハイキックを決めた。もちろん寸止めだ。倒れた男の髪をつかむメイリン。スポークを振り上げ,首の後ろを突き刺した。

「助けてくれ!!」

 男Cが後ずさりする。震える手が背中に回る…匕首が隠してあった。ステージ上で,男Aが立ち上がった。股間を押さえながら,よろよろと歩き出す。メイリンの視線が男Aに向いた。その瞬間。男Cがメイリンに跳びかかった。だが,あっさりかわされる。背後に回ったメイリンが,男を仕留めた。

 曲が終わった。マトリョンがゆっくりと下手にはける。フロアを照らすスポット。暗がりから中江が現れた。捧げものをするように,メイリンに三味線を手渡す。チャイナドレスの裾をまくるメイリン。両方の太ももには,ガーターが装着されていた。左脚からバチを取り出すと,何の準備もなく弾き始める。上手い。プログラミングだから当然だ。だが,わかっていても,引き込まれてしまう。哀愁を帯びた音色が,聴く者の心をとらえて離さない。

 演奏を止めずに,メイリンがステージに歩み寄る。気づいて固まる男A。その顔は恐怖に引きつっている。さすが演劇部。真に迫った演技だ。ふいにメイリンが弾くのを止めた。バチを捨てて,またドレスの裾を…

 鈴の音が響いた。今度は右のガーターだ。そこから組み紐が延びている。メイリンが,男に狙いを定めた。ノーワインドアップで,先端についた重りを放る。二度目の鈴が鳴って,灯りがすべて落ちた。

「おおーっ!!」

 客席から声がもれた。舞台最前には薄い幕が張られている。奥からの照明で,影絵になった男A。その首には紐が巻き付いている。男の身体が浮いた。苦し気な声が聞こえる。だが,もがくこともなく吊り上げられて…

 笑いを抑え切れないのだろう。近くで誰かが吹き出した。どうやらネタに気づいたようだ。

 首吊り状態の男A。その正体は「箱推し君」だった。パンドラちゃんの元木から借りたものだ。

『昨日の敵は今日の友』

 少年漫画によくある世界観。世代的には,まさにど真ん中だ。それに「異種格闘技」も準決勝まできている。なりふり構わず総力戦を仕掛ける。そんなタイミングでもある。

「箱推し君」が視界から消えた。組み紐は,舞台のバトンにくくりつけられている。ワイヤーを巻き上げたのは内川だ。今頃,ほっとしていることだろう。

 手前のスクリーンが取り去られる。ステージにはマトリョーシカ。背中合わせで中央に立っている。2人は,早着替えを済ませていた。銀色のワンピース。ラメの素材がライトに映えている。

 奥のスクリーンには,未来の東京。いや,「近未来のトーキョー」というべきか。CGで描かれたメトロポリス。子どもの頃見たアニメの都市に酷似している。2人は,タイムスリップしたという設定だった。

 曲が流れ始めた。イントロから電子音が駆け巡る。海辺でMVを撮影した曲だ。「江戸パート」では地明かりだけだった照明。それが一気に表情を変える。待ちかねたように,サスライトが舞台に降り注いだ。アンバーというのか。夕陽をイメージしたオレンジ系の色だ。さらに,ステージ袖に置かれた装置からレーザーが放たれる。

『キミガアノヒクレタ/アオイチイサナガラスノカケラヲ/ソラニカザシ/ヒカリアツメ/カゲヲウツシテ』

 マトリョンが歌い始めた。王道エレポップのようなメロディー。今度は,はじめから安心して聴ける。メイリンも,ダンスモードに入った。いつものコサックダンスではない。基本は「ロボットダンス」だ。だが,一般にイメージするものとは,まったく印象が違う。

『高速でロボットダンスしたら面白くないですか?』

 数日前にマトリョンが言い出した。想像できなかったが,任せることにした。普通でないに越したことはない。俺たちが戦っているのは,そういうイベントだ。

 五十風からは,しばらく連絡がない。「悪の組織」殲滅で忙しいのだろう。だが,マトリョンは,もう1人でプログラミングできる。特に不安はなかった。

 高速ロボットダンス。まあ,言葉通りと言えばそれまでだろう。音楽で言えば,スタッカート。メイリンの一つひとつの動作が一瞬止まる。でも,全体としては高速。確かに,新奇な動きではある。

『ダンスは止めが大事』

 どこかで読んだ覚えがある。その意味では,レベルが高いと言えるかもしれない。まあ,俺にはダンスのことはわからない。踊るという文化がなかった世代だから仕方ないが。

『タイクツナキミノココロニヒヲツケル/アワイアコガレヒトツ』

 マトリョンは,定番の直立不動。ここまで歌は安定している。でも,いつもと雰囲気が違う。何かを探すように目が泳いでいる。「おいで東風」での視線。舞い散る桜を見送るパフォーマンスとは異質だ。

 ふとライブ前の会話が蘇る。忘れていた。マトリョンの両親は来ているのだろうか。周囲を見回してみる。中年の男性は,それなりの数だ。しかし,夫婦らしき2人組は見当たらない。

『イトシサガコノムネノオクニアフレルマデ/ダキシメテイタイ/ノスタルジアNo.5』

 メイリンが,ロボットダンスを止める。ステージ最前に進み出て,右手を挙げた。

『アイラビューベイビー/アイニ―ジューベイビー/アイウォンチューベイビー/オーマイベイビー』

 左右に大きく腕を振るメイリン。最前では,甲田が先導しているはずだ。湧き起った合唱が,次第に大きくなる。中江の言葉を思い出した。コーラスは,自然にフロア全体に広がっている。病院坂のメンバーにも協力を要請していた。だが,その必要はなかったようだ。

『シンガロングできるパートがほしい。』

 曲に関する浅岡へのリクエストだ。ライブでの「鉄板」のような曲が欲しかった。いわゆる「アンセム」だ。そう呼ばれる曲の多くには,覚えやすいコーラスパートがある。

『アイラビューベイビー/アイニ―ジューベイビー/アイウォンチューベイビー/オーマイベイビー』

 シンプルな歌詞とメロディー。それが,無理なく循環コードに乗っている。振り返ってみた。いつの間にいたのだろう。目が合った浅岡は,これ以上ないドヤ顔だった。

 メイリンが,ロボットダンスに戻った。曲は2番に入る。

『アカイアメダマヲホウリコンデ/ナミダヲコラエタ/トオイアノヒノヨウニ/シンジアエタラ』

 マトリョンが笑った…ように見えた。ライブが楽しい。そんな感じではなかった。どこか寂し気な,何かを諦めたような…だが,それもほんの刹那。マトリョンは,もう平常モードに戻っている。

 両親は来ていなかった。そういうことだろう。ライブ後に,どう声をかければいいのだろう。人を慰めるというのは,大の苦手だ。浅岡がいるのが救いだと思えた。

『マバタキナンカシテルヒマナイクライ/ジットミツメテイタイ/イトシサガコノムネノオクニアフレルマデ/ダキシメテイタイ/ノスタルジアNo.5』

 突然,メイリンがバランスを崩した。足を高く上げて,後方に倒れ込む。1回戦と同じ光景だ。だが,今回は想定内だった。

 滑った原因は,瀬田の着物。そこから滴り落ちた水だった。袖では,内川がモップを持って待機していた。もちろん,暗転の短時間のことだ。完璧に拭き取るのは期待できない。それを逆手に取ったアイディアだった。

 メイリンは,ネックスプリングで体勢を立て直した。ここまでは,前回と同じだ。だが,メイリンは立たない。そのままブレイクダンスを披露し始めた。

 曲は間奏。サスライトは消え,レーザーだけが飛び交う。ヘッドスピン。メイリンは,頭を軸に高速回転を始めた。そこから,バイシクル。片足ずつ屈伸を繰り返すメイリン。称賛の現れだろう。両手を突上げている客が見える。ネットの情報では,かなり難易度の高い技らしい。

『チリバメタジルコニアガ/パノラマノマチ二ウカンデ』

 メイリンが立ち上る。仰ぎ見るように顔を上げて,動きを止めた。

『テラシダスツヨイユウヒ/ナキダシソウナキブンデ/ズットナガメテタ』

 Dメロを歌うマトリョン。その声が,ほんの一瞬途切れた。マトリョンの目が,大きく見開かれる。

 フロアはオレンジ一色に染まっていた。照明,レーザー…そしてサイリウム。事前に,甲田たちが客に配ったものだ。曲は,最後のサビに入る。

『ナリヤマヌハクシュノヨウナナミガヒビク/アサノウミガミエタラ/ユックリトナガレダストキノナカ/ダキシメテイタイ/ノスタルジアNo.5』

 メイリンが,また最前に進み出た。目いっぱい身体を伸ばし,手を振り回す。

『アイラビューベイビー/アイニ―ジューベイビー/アイウォンチューベイビー/オーマイベイビー』

 あとは,コーラスの繰り返しだけだ。直前にいろいろとプランの変更があったが,なんとか…

「えっ…」 

 反省モードに入りかけていた俺は,思わず声をもらした。マトリョンが…泣いている。ステージでは,一貫して毒舌キャラ。ずっとぶれなかったマトリョンが…

「いいんじゃない?こういうのも。」 

 気づくと,浅岡が隣にいる。驚くことばかりだ。浅岡は,子どもを見守る母親のような表情になっている。

 これが見たかった光景。ということだろうか。目立たないように暮らしてきたマトリョン。学生時代,それから就職後も。でも,人前に立ちたい。その気持ちが消えることはなかった。

「えっ!!なに…」

 予想もしない展開だ。マトリョンが…駆け出していた。涙を振り払うように,首を振りながら。

「行けーっ!!」

 浅岡が叫んだ。マトリョンが,メイリンの横に立った。そして,負けじと激しく腕を振り回す。

『アイラビューベイビー/アイニ―ジューベイビー/アイウォンチューベイビー/オーマイベイビー』

 フロアからの声が一層大きくなる。数人の男が,人波を泳ぐように移動していく。オレンジ色に染まった金髪が見える。甲田だ。合唱の先導はもう不要。そう判断したのだろう。それで,アドリブでダイブを…

『アイラビューベイビー/アイニ―ジューベイビー/アイウォンチューベイビー/オーマイベイビー』

 マトリョンが笑った。そして,泣き笑いのまま,何か叫んだ。マイクがないから,声は届かない。だが,フロアの反応でわかった。ステージ近くで,何人かが跳ねている。

『跳ぶよっ!』

 口の動きで確認できた。飛び跳ねながら,煽り続けるマトリョン。もともと運動神経は良くない。高さはないし,ぎこちなさは拭えない。それでも,十分伝わるものがある。ジャンプする人数が,次第に増えてきた。俺の視界も,遮られ始める。

「ほら。」

 浅岡に促されて,跳ねてみた。そうだ。ライブ中,人はなぜ跳ぶのだろう。そんなことを考えたことがある。

 たかが数十センチ高くなっただけ。それで何が変わるというのだろう。無数の頭と,手と,サイリウム。そのすき間に見える狭い空間。そこにあるのは,音と光…それに笑顔と汗。それだけだ。でも,今,他に何が必要というのか。

 目の前がかすみ始めていた。このライブは,あと数十秒で終わる。こんな日々にも,いつか終わりが来る。記憶に刻みつけるように跳ね続ける。少しでも高く…

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