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第27回

「お疲れ様です。」

「えっ!?来てくれたんですね。」

 タバコから口を離して言った。「アイドル異種格闘技」準決勝。機材を運び込んで,少し落ち着いた。俺は,1人で駐車場にいる。

「ええ。まあ。いちおう『最古参』なんで…」

 照れくさそうに中江が言った。「チェリー・フォー」のヲタ2人。その太い―いや,体格がいいほうが中江だ。体型だけではない。分厚いメガネのせいもある。典型的なヲタクという風貌だ。

 一方,内川は,ずいぶん印象が違う。中年太りの影響を感じないスリム体型だ。メガネもかけていない。だから,ヲタクに見える要素は見当たらない。唯一本人が気にしているのは,髪が薄いことだ。プライベートでは,常にキャップを被っている。

 デブのほう。痩せてるほう。陰では,そう呼ばれているらしい。ヲタクというカテゴリー。それが,職場での彼らのアイデンティティだった。人畜無害を絵に描いたような人たち。それ以上2人に興味を持つ者はいない。まあ,それが「大人の距離感」ということだろう。

「でも,夏の週末といえば,いろいろイベントとかあるでしょうし…」

「まあ,そうですけどね…」

 中江は,また気まずそうに笑った。来てくれたのに,気の毒になる。

 元々2人はアイドルヲタクではない。アニメや鉄道方面の人たちだ。柿沼は,何かのマニアというわけではない。ジャンルにはほぼ無頓着だった。いかにもヲタクっぽい。彼らは,それだけでサクラ候補にされたわけだ。

「いえ。来てくれてうれしいですよ。でも,他に予定があったりしたら,申し訳ないと思っただけで…」

「そうですね。正直,最初は,頼まれたからやってる感じでした。でも,アイドルの現場のほうが,参加してる感じが強いっていうか。なあ。」

 中江が,振り返って,目くばせする。内川は,無言でうなずいた。そう言えば,この男がしゃべるのをほとんど見たことがない。

「だって,僕たちが拍手したり,声を出したりすると,他の客も始めるし…なんか,気分が良かったりして…」

 他の現場のことはわからない。俺が体験したヲタク関係の場所。そう考えると,コミケくらいしか浮かんでこない。それも,学生時代に一度連れられて行っただけだ。とにかく人が多い。そんな記憶がある。確かに,難易度はずっと高いだろう。ああいう場で存在感を発揮するのは。

「でも,最近,ちょっと寂しい気もします。盛り上がってきたのは,いいんだけど。僕たちが先導しなくても,自然にコールやケチャが始まったりして。なんか,僕らの手を離れていってしまうような…」

 そう言うと,中江は口をつぐんだ。少し間をおいて,笑いながら続ける。

「あ。これって,どんな分野のヲタクも同じですよね。」

 ヲタクならではの葛藤だ。自分が好きな人や物。その魅力をわかってほしい。でも,有名になってほしくない。そんな気持ちの板挟みになることが多いようだ。

 マトリョーシカの最古参。この男も,そこに自分なりの存在意義を見出していた。中江のこれまでの人生。それがどんなものか俺は知らない。どこでどうこじらせたのだろう。

 地方公務員という仕事。大企業もない地方都市では,それなりの立ち位置と言える。「勝ち組」の部類に数える人もいるだろう。だが,そこに意味を見いだせない。それは,俺も同じだった。

 アイドル現場になじんだこじらせ中年。ちょうどいい。今度,美宙祈のライブに誘ってみよう。「異種格闘技」も残り2戦のみだ。打ち上げを兼ねて,みんなで行ってもいい。それに…

「あの…」

 内川だ。ずっと黙っていた彼が,中江の肩越しに言う。

「すごいですよ。角脇さんは…」

 久しぶりに声を聞いた。と思うと,内容まで唐突だった。俺の何がすごいというのか。

『人間,ある程度の年になると,同世代の同性に認められて本物ってことだよな。』

 何かの折に木崎が言ったのを思い出す。よくわからないが,ほめられて悪い気はしない。

「だって,なかなかできないですよ。若い女の子に自宅を開放して,アイドル運営をいちから始めるなんて…」

 促してもいないのに理由を語り始めた。一度火が点いたら止まらない。これも,ヲタクならではかもしれない。

「だって,県庁や市役所で,いろいろ言われてるわけじゃないですか。」

 いろいろ言われてる?まあ,それは否定しない。放っておいても,耳に入ってくることもある。中江と目が合った。目をそらした中江は,そのままうつむいてしまった。

「ほんとひどいんですよ。非常識とか,恥知らずとか,もっと極端なのは,ロリコン野郎とか…」

 どうでもいい。でも,ほめるかディスるか,どっちかにしてくれ。



「失礼します!お時間少しよろしいでしょうか。」

 明るい声が聞こえた。薄暗い部屋に不似合いな響きだ。控室のカーテンを開けると,若い女性の顔があった。スタッフではない。それにしても,予想以上の人数だ。マトリョンが立ち上がって,笑みを見せる。

「大丈夫ですよ。もしかして,わざわざ挨拶に来てくださったんですか?」

「はい。お互い頑張って,決勝で戦いたいと思って…」

 ツインテールの小柄な少女が言った。視線は,覗き込むように楽屋の奥に注がれている。偵察だろうか。少女の表情に,かすかに失望の色が見えた。

「前回の対戦,興奮しました。すごかったです。あんな大技が見られるなんて,思ってませんでしたから。あっ。すみません。わたしも『プ女子』なんで…」

「ああ。そうでしたか。すみません。しゅかりんは,ちょっと仕込みで…今はいないんです。」

 気の毒そうに,マトリョンが答えた。目当てはメイリンだったようだ。

「いいえ。お時間取らせまして,すみませんでした。では,失礼します。」

「はい。お互い頑張りましょう。」

 マトリョンと少女は,しっかりと握手を交わした。他のメンバーが,うなずき合って,声を揃える。

「よろしくお願いしまーす!」

「こちらこそ。よろしくお願いします。」

 少女たちは,軽やかな足取りで楽屋から出て行く。カーテンを閉めながら,マトリョンが言う。

「元気ですね。やっぱり若い…」

「うん。平均年齢は17歳くらいだっけ。」

「17.4歳です。」

 マトリョンが即答した。俺の付け焼刃の知識が補足される。

 彼女たちは,「アクト・ローカルズ」。マトリョーシカと同様,「アイドル異種格闘技」でベスト4に残っている。ネットの下馬評では,優勝候補だった。

 なるほどと思う。彼女たちは,平均してビジュアルがいい。歌とダンスも安定している。それもそのはず。「アクト・ローカルズ」は,複数のグループからの選抜チームだった。しかも,それなりに知名度が高いご当地アイドルばかりだ。必勝を期しての布陣といっていいだろう。

 パフォーマンスもユニークだ。彼女たちに決まった立ち位置はない。ライブのたびに,ルーレットで決めていた。誰がセンターになるのか。わかりやすく客の興味を引くやり方だ。

 セットリストもその場で決まる。曲は,それぞれのグループの持ち歌から,同じ方法で選ばれていた。だから,レパートリーが異常に多い。覚えるだけでも相当の労力だろう。それを,彼女たちは,高いレベルでクリアしていた。

「いよいよ『異種格闘技』にも,大所帯アイドルの波が来たか。やっぱり,大人数だと,いろいろエピソードもあるし,毎回化学変化というか…」

 マトリョンは,スマホの画面をじっと見ている。うつむいているから,表情はわからない。でも,明らかにいつもと様子が違う。

「どうかした?」

 覗き込むようにして言った。マトリョンは,慌てて顔を上げる。その顔には,どこか自嘲的な笑みが浮かんでいた。

「親にメールを送ったんです。『今日のライブを観てほしい』って。」



 このイベントで,ある意味最も異色。それが準決勝の相手だった。

 ステージ上では,バンドが演奏している。彼女たちは,全員黒いドレスを着ていた。フリルが全体を覆う重厚な感じのものだ。メイクも統一されている。黒や濃紺のアイシャドウが目を引く。ゴスロリ。そう呼ばれるジャンルのファッションだ。

 それだけなら,それほど異物感はないだろう。実際,「異種格闘技」には,複数のガールズ・バンドがエントリーしている。それに,最近では,ゴスロリを異様だと思う人も減った。異質なのは,彼女たちの紡ぎ出す音だった。

 プログレッシブ・ロック。全盛期は70年代前半と言われる,クラシックやジャズの要素を融合させたロックだ。

 プログレを要素として曲に取り入れる。そういったアイドルはこれまでも存在した。だが,彼女たちは,王道のシンフォニックロックを追求しているらしい。

 メンバーは3人。ベース,ドラム,それにキーボード。いわゆる「ギターレス」で,キーボードがボーカルを兼ねている。ドラムとベースが作り出す変拍子を織り交ぜたリズム。それに絡むのが,キーボードによる壮大なオーケストレーションだ。高度なテクニックを要するジャンルだが,彼女たちは,なかなか様になっていた。

 昨今のアイドルブームは,音楽界に様々な影響を与えた。そのせいで,苦戦を強いられている女性シンガーやガールズ・バンドも多い。アイドル要素を取り入れて,間口を広げる。いつの間にかそういった売り方も定着した。だが,彼女たちからそんな戦略は感じられない。アイドル性とダークな世界観が無理なく共存している。

 彼女たちをアイドルたらしめているもの。それは,衣装だけではない。彼女たちは,ルックスのレベルも高かった。ネットでは,この対戦を「ビジュアル対決」と呼んでいる者もいる。

 フロアを見渡してみる。最前は,若い女性でうめられていた。衣装を真似ているのだろう。ヘッドドレスが静かに揺れているのが見える。後方は,中年男性が多い。俺と同年代。いや,むしろ上か。音楽性でファンになるのは,この年代というわけだ。

 曲が終わった。拍手が起こるが,彼女たちは無反応だ。虚ろな目で,すぐに次の曲の準備に移る。ネットで読んだことがある。彼女たちは,人形という設定だ。真夜中に動き出して,誰もいない部屋で演奏会を…

 演奏が始まった。聞き覚えがある曲だ。おそらくカバーだろう。俺は,無意識に記憶をたどり始めていた。それが,ほんの数秒で止まる。俺の脳裏に,狭い部屋の情景が浮かんだ。学生時代,浅岡が住んでいたアパートだ。

 部屋の隅に,安いステレオセットがあった。流れていたのは,ジャパニーズ・プログレの名盤と言われるアルバムだ。思い出した。中性的な声で歌われる歌詞。そのモチーフは,女性の吸血鬼だった。

 つながった。彼女たちのバンド名は「カーミラ」という。名前の由来は,ゴシックホラー小説に登場する女吸血鬼だ。まさに,この曲に登場する…

 俺は,もう一度周囲を見回す。浅岡の姿はなかった。「やはり」と思う。俺たちのあいだで,プログレは「禁句」のようになっていたから。

 大学3年の夏だった。突然,浅岡がプログレにハマった。当時,ジャパニーズ・プログレのアルバムが続々とCDで再発された。たまたま「ジャケ買い」したアルバム。それが,ツボにハマったようだ。事あるごとに,浅岡はその魅力を熱く語った。

 浅岡は,バンドのアレンジに,クラシカルな要素を持ち込み始めた。様式美というのだろうか。俺は,いまいちなじめなかった。そんなある日,キーボードを弾いていた後輩が,バンド辞めた。キーボードの音色について,浅岡にいろいろと注文をつけられた。それが息苦しいということだった。すぐにベーシストとドラマーも脱退した。残った俺たちは,解散を選んだ。

 半年ほど過ぎて,俺たちは,それぞれ別のバンドを組んだ。浅岡は,ますますテクニック志向を加速させた。その結果,病んでしまうメンバーが続出したようだ。無理もない。テクニックの追求は,心身に負荷をかける。プロのバンドでも同じようなことがあった。そう聞いたことがある。

 一方,俺は,メロディー重視のポップ路線を選んだ。浅岡への反発もあったと思う。ルックスのいい女性ボーカルをフロントに立てた。あえてわかりやすい方法で,一般受けを狙ったわけだ。最初は,順調だった。ライブハウスの動員も徐々に増えていった。しかし,終わりは突然訪れた。ボーカルの子をめぐる恋愛関係のもつれ。ありきたりのショボい結末だった。

 その後,浅岡とバンドをやることはなかった。木崎や柿沼と4人でつるむことはあった。だが,お互いに気まずさを抱えていたのだろう。「またやろう」と言い出すことはなかった。

 それからずいぶん時が経った。今では,アイドルの運営とアレンジャーだ。アイドルがまた結びつけてくれた。浅岡は,そう言って笑っていた。

 実際,そうかもしれない。今では,全然気まずさはない。仕事を離れたら,浅岡が近くにいるのが普通になっている。それでも,一緒にプログレを聴く気にはなれない。そこだけは,アイドルをもってしても…

 気づくと,曲はアウトロに入っていた。演奏は,尻上がりに熱を帯びていく。

『こんなに長い曲だったかな…』

 概してプログレは曲が長い。1曲20分を超える組曲もある。だが,記憶のなかで,この曲に長い印象はなかった。浅岡に何度も聞かされたから,間違いない。

 3人が一瞬だけアイコンタクトを交わした。ドラマーの口が,ゆっくりと動く。残り時間の確認だろう。ネットの動画で見た光景だった。彼女たちは,そのまま即興になだれ込んでいく。

 主導権はドラムにある。コロコロと拍子を変えながら,テンポを上げていく。と思うと,一気にスローダウンする。得意なのは,早打ちだけではない。タメの効かせ方も憎いくらいだ。なのに,彼女の表情はまったく変わらない。難易度に左右されず,無表情を貫いている。     

 対照的なのは,ベースだった。明らかに,ついていくのが精一杯だ。決められた演奏をしているうちはよかった。だが,こうなると話は別だ。インプロビゼーションの応酬。そこでは,残酷なほど技量の差が浮き彫りになる。テクニックだけではない。むしろアイディアのほうが大きいかもしれない。どれだけの「引き出し」を持っているか。それを披露する場所と言ってもいいだろう。

 その点,キーボードは身軽だ。リズムに縛られずに済む。いわゆる「ウワモノ」の特権だろう。しかも,「ライバル」になるギターもいない。彼女は,全身で自由を謳歌していた。バレエの経験があるのかもしれない。時々,つま先立ちで身体を回転させたりしている。一瞬だが「背面弾き」も見せた。

「いいね。このドラム。」

 耳元で声がして,気づく。浅岡だ。振り向かなくてもわかる。俺は,前を見たまま言う。頬が緩みそうになるのを隠そうとしながら。

「ああ。末恐ろしい逸材かもな。」

 演奏が終わった。最後の一音の余韻が空気を満たしている。そのなかで,3人は静かに楽器を置いた。そして,ぎこちない動きで,ステージ最前まで歩いて来る。

 すっかり設定を忘れていた。彼女たちは「人形」だった。パフォーマンスにこれだけインパクトがあれば,それも不要という気もするが。

 それぞれ違うポーズを決めた3人。動きが止まった。すると,突然照明が落ちる。それが合図なのだろう。闇に包まれた会場から拍手が沸き起こった。

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