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第26回

「よろしくお願いしまーす!」

 マトリョンの声は,いつもよりトーンが高い。そばにいるメイリンは,当然だが無言だ。彼女なりの笑顔で,通行人にビラを差し出している。マトリョンが両手に抱えているのは,うちわ。うちわと言っても,昔ながらの物とは違う。厚紙に指を入れる穴を空けただけ。よくある宣材用の安っぽいものだ。それでも,ないよりはマシだと痛感していた。

 俺は,少し離れた木陰から2人を見守っている。時刻は,14時を少し過ぎたところ。汗がとめどなく全身から噴き出す。東京の暑さはよく知っている。だが,海沿いというから,少し油断していた。とにかく予想以上の暑さだ。拭うのはとっくに諦めて,流れるままに任せることにした。それでも,何もしないと耐えられない。俺は,持ち込んだうちわで風を起こし続けている。ずいぶん長い間同じ姿勢で立っていた。紙が傷んで,マトリョーシカの写真に皺が寄っている。

 俺たちは,世界最大級と言われるアイドルフェスの会場にいる。ステージと別のステージをつなぐ通路。その脇の芝生に,2人は陣取っていた。思ったより,ビラ配りしているアイドルは少ない。数年前から規制が強くなったのが原因らしい。まあいい。それほど本気で宣伝をしたいわけではなかった。半分客,半分営業。俺は,そんなつもりでいた。

 左手のブレスレットを見る。ターコイズが数珠のように連なったタイプだ。それが,汗まみれで,手首のあたりをさまよっている。見た目は涼しげだが,こうも暑いと…

「角脇さんですよね?マトリョーシカのマネージャーの。」

 いきなり声をかけられた。振り返ると,男が立っている。場違いなほど涼し気な表情だ。30歳くらいだろうか。ヲタクという感じではない。180センチ近くあるだろう。背も高い。そこらにいたら,普通にイケメンで通るタイプだ。

 どこかで見た気がする。が,思い出せない。とりあえず答えることにする。

「はい。失礼ですが,どちら様ですか。」

「すいません。いきなり声をかけまして。佐々本といいます。『アイドル異種格闘技』の…ファンです。」

「そうでしたか。それで…」

 佐々本は,笑顔でうなずいた。

『今日は1日フェスの会場にいます。』

 ツイッターにそう書いた。もしかしたら,マトリョーシカを探して,ここに来たのかもしれない。それにしては,物販等で見かけた覚えはないが。佐々本は,少し気まずそうに口を開く。

「実は,僕もご当地アイドルのマネージャーをやっていまして。名乗るのも恥ずかしい弱小アイドルなんですが。」

「そうなんですか…いや。こちらも,まだまだ無名ですよ。たまたま2回勝てただけというか…」

 俺は,かなり照れくさく思った。佐々本から目をそらし,マトリョンを見る。予定とは違う熱心さでうちわを配っている。そう。今日俺たちは,自分たちの「小ささ」を思い知った。なにしろ,日本最大のアイドルイベントの会場だ。嫌でもそう感じてしまった。

「何をおっしゃるんですか。今年は,かなりのエントリーがあったと聞いています。『異種格闘技』に出られただけでもすごいのに,準決勝に進出するなんて…それに,角脇さんは,アイドルのプロデュースは初めてですよね。なおさらじゃないですか。謙遜する必要ないですよ。」

 佐々本は,あくまでも低姿勢だ。それだけに,余計逃げ出したくなる。とりあえず話題をそらせよう。

「ところで,佐々本さんは,どちらで活動してらっしゃるんですか。」

「はい。僕は…東京です。」

 答えるのに少し間があった。理由はわからない。東京で勝負しているなら,もっと胸を張っても…

「そうですか。自分のような田舎者から見たら,東京で活動しているだけでも立派ですよ。もしかしたら,ご存知かもしれませんが,本業は公務員なんです。」

「はい。元は市の公認アイドルで…あっ…この話はNGでしたっけ?」

 佐々本は,すまなそうに顔をゆがめた。好青年だ。だが,そう言い切るには,何か違和感がある。

「いいえ。全然オッケーです。だって,マトリョン本人が,進んでネタにしてますから。『公認取消ですが,公式にはクビじゃないので,黙認に格下げです』って。」

「知ってます。彼女のMCには,いつも楽しませてもらっています。MCも角脇さんがある程度アドバイスされてるんですか?」

「いや。放任です。基本的に全部彼女に任せてますから。まあ,マネージャーなんて言っても,ほとんど何もしてないようなものですよ。今だってそうです。ただの付き添いのおじさんですよ。」

 これも本音だ。マトリョンのトーク力の予想外な高さ。そして,もちろんメイリンの「身体能力」。それがなければ,きっと一度も勝てていない。

「違いますよ。彼女たちは,心強く感じているはずです。やっぱりちゃんとした大人が近くにいるのといないのでは大きな違いですから。」 

「いえいえ。恥ずかしながら,職業の話をしたのには理由があるんです。というのは,アイドルの運営なんて言っても,みなさんのように人生を賭けてるわけじゃない。安定を確保したうえで,安全な範囲でやってるだけです。だから,ほめられたりすると,申し訳なく思ってしまうんですよ。」

「いいえ。僕から見たら,そこがすごいんですよ。」

 佐々本は,大きく首を振った。やはりそうだ。相手を立てながら,自分の意見は曲げない。本気で関わったら,やっかいなタイプだ。

「すごい?何が…」

「だって,定職に就いてるってことは,言い換えれば,他のことをしなくてもいいってことです。それなのに,本業だけでもたいへんなはずなのに,こうやって休日に別の活動をする。すごいエネルギーだと思います。」

「いや。単に中途半端なだけです。いい年をして,諦めきれないだけですよ。なんとか,退屈な日常から抜け出したい。音楽に関わっていたい。そんな身勝手な人間なんです。」

「身勝手…ですか…」

 佐々本は,黙り込んだ。通り過ぎる人たちを,遠い目で見ている。俺も,つられて,人波を見つめる。

「同じようなものです,自分だって。いえ。自分だけじゃないと思います。アイドルの運営にしても,ヲタクにしても,そうでしょう。ガチ恋と呼ばれる人を除いたら,代理戦争をさせてるようなものかもしれません。」

「代理戦争?」

「ええ。自分の人生は今さらどうにも変えられない。けど,若い人が自分の好きな道で輝けるように力になりたい。そうやって,自分もまったくの無力ではないと感じたい。それは,代理戦争と言ってもいいんじゃないでしょうか。」

「確かに。」

 俺も同じことを考えたことがある。アイドルブーム。夢を叶えたい少女にとって,それは追い風だろう。俺も,「アイドル冬の時代」を知っている世代だ。だから,余計にそう感じる。だが,無責任に背中を押すのはどうだろう。目標が達成できるアイドルは,ほんの一握り。人生を狂わせる一因になりかねない。それは,身勝手以外の何物でも…

「角脇さん。さっき東京で活動していて立派だ。そう言ってくださいましたが,違うんです。上京したのは,ただの成り行きというか。それに,運営といっても,僕は途中参加なんです。ある程度軌道に乗ったアイドルのマネージメントを引き継いだだけですから。」

「そうですか…」

 人には誰でも事情がある。この男には,それがコンプレックスというわけだ。細かいことは,本人しかわからない。お互いないものねだりなのかもしれない。

「そのうち,今のアイドルと並行して,新しいアイドルのプロデュースをしようと考えているんです。そしたら…」

 佐々本は,真っすぐに俺の目を見た。逸らせてはいけない。そう感じて,精一杯見つめ返す。

「来年の『異種格闘技』で挑戦させてくだい。優勝者が出場してはいけないというルールはありません。連覇を目指すのも悪くないと思いますよ。」

 佐々本は,マトリョーシカ優勝を確信している。この男のアイドルを見る目がどの程度なのか。それはわからない。でも,その言葉に嘘はなさそうだ。佐々本は,時計に目をやって,また俺を見た。

「すみません。営業中に長話しまして。」

「いいえ。楽しかったです。また…」

「角脇さん。もうお気づきだと思いますが…ガチ恋には注意されたほうが…」

 佐々本は,ゆっくりと視線を動かした。せわしなく動き回っている2人の向こう。俺も,気づいていた。芝生のベンチに横川が腰かけている。いつもの光景だが,メイリンを凝視して続けていた。俺は,即答する。

「ああ。それなら大丈夫です。対策は考えてますよ。」

 対策も何もない。人類でメイリンに勝てる者はいない。浅岡のせいもあって,最近プロレスネタが多くなった。あれを見て,何かしようと思うはずがない。

「そうですよね。余計なことを言いました。では。」

 丁寧に頭を下げると,佐々本は歩き出した。ビラ配りとは逆の方向だ。マトリョーシカではない。佐々本は俺と話すためだけに…

「やっぱりお知り合いだったんですね。」

 振り向くと,マトリョンが笑っている。ビラを抱えたメイリンも,どこか楽し気に見える。

「いや。さっき初めて…いや,どこかで会ったような気も…」

「そうなんですか?柿沼さんのLINE仲間だから,角脇さんとも,って…」



「お待たせしました。」

 頭上から声が降ってきた。俺は,スマホの画面から目を上げる。そこには,少し日焼けした根本の顔があった。飲み物が乗ったトレーを手にしている。

「いや。適当に時間をつぶしてただけだから。」

「すいません。意外と物販で待たされて。」

 根本は,俺の正面に腰を下ろす。フェスのオフィシャルTシャツ。それに,デニムの短パンというラフなスタイルだ。

「このフェス,初めて来たんだけど,ほんと快適だね。ロックフェスだと,こうはいかないから。」

「そうですね。今日は特に暑いから,いい避難場所になります。」

 ドーナツショップに運よく空席があった。それで,会場内にいる根本と合流することにしたわけだ。マトリョンたちは,ショッピングモール内を散策中だ。

「角脇さん。楽しんでます?」

 アイスティーを一口すすってから,根本が訊いた。自覚はないが,疲れて見えるのかもしれない。無理もない。こうしている間にも,場内では熱いライブが繰り広げられている。こんなところに座り込んでいたら…

 俺は,これまでの出来事を振り返ってみる。今朝始発列車で地元を出た。会場に入って,いくつかのステージを観て回った。それから,屋台で昼食を済ませて…午後はビラ配りだった。

「ああ。思ったより楽しめてるよ。でも,実はね,ビラ配りだけにしておけばよかった,って気持ちもあって…ほら,やっぱり人気のあるアイドルって,それぞれすごいんだよね。だから,それを観ちゃうと,俺たちなんかまだまだだって…」

「ええっ?そうでもないですよ。大きいステージは別にして,そうじゃなければ,マトリョーシカがパフォーマンスしても,違和感ないと思いますけど。」

 今日は,妙にほめられる日だ。また照れくさくなって,話を逸らす。

「根本さんは,かなり楽しんでるみたいだね。」

 推しのアイドルのグッズだろう。根本の肩には,ビニールのショッパーがいくつもかかっている。

「はい。満喫してます。アイドルのイベントにはしばらく来れなくなりそうだから。最後にこのフェスに参加できてほんとによかったです。」

「え?最後って…」

「お邪魔してよろしいかな?」

 突然会話を遮られた。振り返ると,そこには意外な顔があった。戸惑いから,思わず声がもれる。

「事務長…」

「あ。どうぞ。」

 根本が,隣の席を勧めた。事務長は,軽く頭を下げると,ゆっくり腰かけた。

 もう1人合流する,とは聞いていた。だが,それが事務長とは知らなかった。いつからプライベートでもつき合うようになったのか。以前,根本は,ただのお爺さんと言っていたような…

「事務長さん,毎年このフェスに来てるんですよ。」

 事務長は,根本の言葉にうなずいた。俺は,素直に驚きを口にする。

「毎年ですか?」

「ええ。第1回から毎年参加しています。でも,そろそれ限界かもしれない。だんだん厳しくなってきましてね。」

 それはそうだろう。俺も,それなりにきつい。事務長は,今年度いっぱいで退職のはずだ。還暦目前では,さぞかし…

「あ。もちろん,年齢的にもですが,そればかりではなく,居心地の問題もあって…」

「居心地,ですか?」

「はい。このフェスも,少し前までは,メインステージの前方に椅子が置かれていましてね。野外ですが屋根もあって,それは快適でしたよ。」

 事務長は喉を鳴らして,アイスコーヒーを飲んだ。その話は,マトリョンから聞いていた。スタッフが人数を数えながら,フロントエリアに客を入れていたらしい。

「そうみたいですね。今より動員がずっと少なかったって聞いてます。」

「そうです。老人に優しいフェスだったんですが,今ではすっかり様子が変わってしまいました。最前では,若い連中が場所取りをしていたりして,居心地が悪いんですよ。」

 それも知っている。ネットで問題視されているのを読んだことがある。今回は,ゆるく観ようと思っていたから,直接見たわけではないが。

「年を取ると,居場所が減るのは,覚悟していましたが,実際こうなると,楽しみを奪われたような気がしましてね。」

 そう言って,事務長は黙り込んだ。確かに,会場内は,予想以上に若い客が多い。

 アイドルが好きだ。抵抗なくそう言えるのは,いい時代だと思う。でも,その陰で嫌な思いをしている人がいる。この世の幸福の量は一定で,幸福な人がいれば,その分不幸な人もいる。インタビューでそう語ったミュージシャンがいた。時々,本当にそうだと思う。特にフェスのような多幸感が漂う場所では…

「次長さん。さっきから,気にしておられるようですが…」

 事務長は,思い出したように言った。右手で,左手首のあたりをなでている。

 そう。俺が驚いたのは,彼の登場そのものだけではない。事務長は,サマーニットをゆるく着こなしていた。ちょっと小洒落た感じだ。だが,目を引いたのはアクセサリーだった。ペンダント,リング,ブレスレット,ウォレットチェーン。誰でも知っている高級ブランドで固めている。

「はい。職場での姿からは想像できなかったものですから…」

「そうだと思います。まあ,数少ないオヤジの道楽ですよ。最近,若者を気にせず楽しめるものが少なくてね。もちろん,もともと興味はあったんですが。」

 言いたいことはわかる。90年代のことだ。このブランドのTシャツを着た若者をよく見かけた。だが,全身にアクセサリーをまとっているのは少数だった。今ほどではないが,高価だったからだ。浅岡が,吐き捨てるように言ったのを覚えている。

『やるなら,一式揃えて世界観を感じろよ。無理して,安いものだけ買うなんてダセえ。』

 これは言い過ぎかもしれない。アイテム1つでも,うまくコーディネートしていた人はいる。でも,うなずける部分もある。ブランドの知名度を安易に利用しようとした者は多かったから。それから,時は流れた。価格の上昇もあるだろう。それに,ファッションに対する若者の関心が,低くなったと…

「おわかりいただけたようですね。年を取ると,趣味ひとつ楽しむにも,一苦労ってことですね。」

 事務長は,さみしそうに笑った。すると,聞き役に専念していた根本が口を開いた。

「いろいろあるんですね。でも,こうして好きな格好で,好きな音楽を楽しめるって,やっぱりフェスっていいですよね。」

 うまくまとめてくれた。せっかくの「非日常」の空間。それに,喜びの量が決まっているならなおさらだ。楽しんだほうが勝ち。それでいいだろう。根本は,ポケットからスマホを取り出す。事務長に見せて,次に観るアイドルについて話し始めた。

 中高年の愉しみとしてのアイドル。運営として意識すべき一面だろう。「先輩」からのメッセージを確かに受け取った。俺は,そう感じた。

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