第25回
「みなさんも楽しみにしてると思うんですけど,来年はオリンピックがありますよね。」
みなさんも…も!?もちろん嘘に決まっている。マトリョンは,体育系イベントには興味ゼロだ。それを知っている客から笑いがもれる。
マトリョンの背後には,大きな横断幕。『アイドルナイト第2弾 木崎マスター生誕記念アイドルフェス』とある。ひどく下手な筆書きだ。まだ半乾きで,ところどころ墨が垂れている。
これは,ほんの数分前,メイリンが書いたものだ。書道初挑戦の外国人が見よう見まねでやってみた。そういう設定だった。だから,意図的に文字が乱れている。が,観ている人は,それを知らない。一見すると,微笑ましい光景だった。
「だから,国際理解って,ますます大事になると思うんです。でも,外国語を勉強すればいい,ってわけじゃないですよね。言葉なんて使わなくても,通じ合えることはありますからね。」
これは本音だった。マトリョンの言葉に,毒が交じり始める。
イベントは,トリの1つ前。マトリョーシカは,ライブ中盤のMCに入っていた。メイリンが着替えるまでの場繋ぎを兼ねている。
これまで4組のアイドルがステージに上がった。すべてマトリョンがネットで見つけ,メールで出演を依頼した。感想を言えば…揃いも揃ってポンコツだった。
1組目は,美宙祈のコピーアイドル「美反礼」。彼女は,歌おうとも喋ろうともしなかった。大型フェスでの美宙祈をコピーしたつもりのようだ。しばらくして,曲が流れ始めると,客電が落ちた。それで終わりだった。時計を見ると,ひどく時間が余っている。インタビューでもしようと,マトリョンがステージに近づいた。すると,もうどこにも姿がなかった。
3組目は,「ザ・オロチ」というグループ。音楽に合わせて,ヘビを踊らせる。それがコンセプトだった。途中,メンバーの1人がこけた。それで,壷が割れ,ヘビが脱走して,軽くパニックになった。
こんな感じだが,PAを操作している木崎は終始笑顔だ。まあ,「主役」が楽しんでいるなら,俺に不満はない。それに,地方で弱小アイドルが主催するイベントだ。客からも過度の期待はない。
「マネージャーから聞いたんですけど,昔から海外に進出しようとして,たくさんのミュージシャンやアイドルが英語で歌を歌ったらしいんです。でも,ほとんどの人がうまくいかなかった,って。それが,どうですか。今では,アイドルが,外国で,日本語で歌ってライブしてますよね。」
ホールを見回す。客は30人ほど。まあ,こんなものだろう。反応も悪くない。うなずきながら話を聞いている男もいる。
「ホールの外で待っているお客さんが,テレビのカメラを向けられて,日本語で歌うのを見たことがあります。こんな状況,全然想像できなかったって,マネージャーやマスターも言ってました。」
「ロックの聖地」と言われる海外のホール。そこに日本のアイドルが立つ。もしタイムマシンが発明されたら,過去に戻ってみたい。高校時代の俺たちに,こんな話をしたらどうなるだろう。かなり笑えそうだ。いや,将来自分は頭がおかしくなる。そう悲観して…
「だから,言葉とかあまり関係ないと思うんです。コンテンツとして面白いかどうか。それだけじゃないでしょうか。」
拍手が起こった。アイドル好きなら,よくわかると思う。実際,英語は苦手だと歌っているアイドルが,世界ツアーを成功させた例だってある。
「それを何でも英語が話せないせいにするのも,おかしな話だと思うんです。国際競争で,日本の勢いがないから,『じゃあ,ディベートだ!』とか。」
瀬田の担任から聞いた話を思い出す。今は,高校生のディベート大会があるらしい。教員側も,指導とか運営への協力等が必要になる。仕事が増えた,と彼は嘆いていた。
「日本語でディベートすることだって,まだ文化としてあまり定着していないのに,英語でって,どうなんでしょう。でも,結局,わたしが言いたいのは…」
マトリョンは,言葉を切って,フロアを見回す。場内が静まった。みんなマトリョンの話に引き込まれている。
「さっき歌った『おいで東風』の英語のラップですけど,歌詞はでたらめです。それっぽく単語を並べてみただけなんですが…まあ,なんとかなるってことですよね。」
周囲が笑いに包まれる。マトリョンが視線を送ってきた。時計を見ると,まだ時間がある。トリとゲストは渋滞のせいで遅れる,と連絡があった。美反礼の空けた「穴」を埋める必要がある。俺は,両手を広げて見せた。
「はい。まだ時間があるみたいです。もう少しおつき合いください。何を話しましょうか。そうだ。お客さんのなかに,県外から来た方って,どのくらいいますか?」
打ち合わせ通りだ。ライブ前,急遽ステージ袖で話して決めた。
手を挙げたのは,10人ほどだ。フロアの人の流れで,わかったことがある。どのアイドルにも,「太い」客が2〜3人ついている。彼らは,目当てのアイドルの本番中,最前に陣取る。そして,終わると,周囲に礼を言って下がる。意外なくらい礼儀正しかった。
「ありがとうございます。初めて来た方は,驚かれると思うんですけど,ほんと何もないですよね?」
また笑いが起こった。なかには,自嘲的な声も混じっている。県内から集まった人たちだ。
「信じられないですよね。県庁所在地なのに,駅前にネットカフェも,メジャーなカフェのチェーン店もないんですから。それに,『アイドルフェス』って言いながら…」
「ショボいライブハウスで申し訳ない。」
マイクを通して木崎が言った。客たちが一斉に振り返る。そうだ。県外から来た人には,こいつの存在は謎だろう。「木崎マスター」と言われても。まあ,「地方では有名人」くらいに思ってくれればいい。もちろん,ネット検索すれば,今でも東京時代の姿が見られるのだが。
「ごめんなさい。そういう意味じゃなくて,グダグダで申し訳ない,って話です。」
マトリョンが,すまなそうに手を振った。木崎は,変わらず笑みを浮かべている。
「はい。話を戻すとですね…駅からここまで歩いて来た方も多いと思うんですが,この辺りって,絵に描いたようなシャッター通りですよね。というより,駅の周辺にも何もないじゃないですか。で,どうしてこうなったかというと…」
「ショッピングモール!!」
すかさず甲田が答えた。今日は「最古参」という設定だけではない。「地元代表」としての役割も大きい。マトリョンが,笑顔でうなずいた。
「そうなんです。県外から来た方はわからないと思うんですが,ここから車で30分くらいで行ける隣町に,大型ショッピングモールができたんです。映画館や東京で人気のショップもたくさんあって,たいへんな賑わいです。」
確かにそうだ。実際,行ってみると驚く。全国でもそれほど数が多くないショップも入っていたりする。
「この町も再開発をしている時には,まだ駅の周りにたくさん土地があったんです。だから,作ろうと思えば作れたと思うんですが…」
「忖度!!」
甲田が叫んだ。打ち合わせ通りだ。だから,マトリョンも当惑した演技で応える。
「そうなんですけど…気が早いですよ,甲田さん。順を追って話させてください。はい。このライブハウスとは駅を挟んで反対側になりますが,昔からの商店街があります。だから,そこの売り上げを考えて,市内にショッピングモールを作らなかったんだと思います。もちろん,偉い人は,商店街の人たちの生活を守ることも考えなければならないんですが…皮肉ですよね。簡単に行ける場所にショッピングモールができてしまったんです。結局,忖度もあまり効果がありませんでした。」
会場が静まる。この街だけではない。他にも同じような例は多数あるらしい。そういう町の出身者が,客のなかにもいるようだ。
「ごめんなさい。場が重くなっちゃいました。でも,わたしが言いたいのは…」
マトリョンは,焦らすようにためを作った。いつもの悪戯っぽい笑みが浮かんでいる。
「マスターです!」
フロア後方を指差すマトリョン。名前を出され,木崎が慌てて顔を上げる。
「音楽が根付かないと言われるこの街で,ライブハウスを開店して,もう20年になるんです。今回もそうですが,地元を盛り上げようと,いろいろなイベントを開いてくれてます。」
「よっ!マスター!」
「誕生日おめでとう!」
あちこちから声が飛んだ。照れ隠しなのだろう。木崎は,舌打ちして,顔をそむける。
「それで,今日は,そんなマスターに,わたしたちからプレゼントがあるんです。じゃあ,しゅかりん。お願いします。」
下手の袖からメイリンが現れた。両手で赤いものを抱えている。
「おいっ!まだ10年はえーよ!」
木崎が叫んだ。広げてみると,「ちゃんちゃんこ」だった。拍手が起こるが,笑いのほうが大きい。
「すいません。発注ミスです。でも,ただの還暦グッズじゃありませんよ。東京の有名な刺繍屋さんに特注でお願いしました。」
メイリンが,つま先立ちで,高く掲げた。縦に大きく「地元ラヴ」とある。金の糸がライトに映えている。裏返すと,背中には,果物,郷土料理,戦国武将…
「ね。凝ってますよね。では,いろいろ行き違いはありましたが,せっかくだから着ていただきましょう。」
「ふざけるな!ぜってえ着ねえからな!」
木崎が腰を浮かして身構えた。ゆっくりとメイリンがにじり寄る。無表情だけに圧がすごい。妖怪にでも魅入られたように,木崎の身体から力が抜けていく。
「いやあ。あの時は,参りました。ツイッターにも書いたけど,あの後かなり怒られたんですよ。」
思い出し笑いをしたのは,相田良。サブカル界隈では有名なライターだ。美宙祈のフェス出演時に,舞台演出を担当していた。
「だから,さっきの美反礼さんのパフォーマンス。あまり笑えませんでした。」
「何言ってるんですか。まだ着いていませんでしたよね。」
すかさずマトリョンが突っ込んだ。イベントは,トリ前のトークコーナーに入っている。
「ごめんなさい。その頃は,渋滞で車に閉じ込められてました。」
「でも,感動しました。わたし,ネットの動画で見たんですが,みんなかっこよかったです。祈さんはもちろんですが,良さんも,莉世姉も,あのおじいさんも。」
「まあ,そう言ってもらえるとうれしいです。そう。あのおじいさんですが,最近はマッチョな老人を目指して,いろいろ活動しているみたいです。」
「知ってます。すごく極端だから笑っちゃいました。こんな写真を見つけたんですが…」
おじいさんというのは,莉世の「相方」だった男性だ。「福祉アイドル」という設定に合わせ,車椅子でライブに登場していた。マトリョンが,手にしたコントローラのスイッチを押す。背後のスクリーンに,写真が映された。
「確かにすごい。」
老人の部屋で撮影されたものだろう。ボディービルダーのようなポーズを取っている。上半身裸で短パン。筋肉を誇示すること以外考えていない。部屋中に,トレーニング器具やプロテインの瓶が散らばっていた。
「他にも…」
マトリョンが何かに気づいて,言葉を切った。視線は,フロアの最前に注がれている。
「では,ここで,しゅかりんの様子を見てみましょう。良さんもそうですが,途中から来た方のためにもう一度説明させてください。」
スクリーンが楽屋のメイリンに切り替わった。ぎこちない包丁さばきで,酢だこを切っている。
マトリョンが見たのは,メイリンのヲタだったのだろう。握手会で,「横川」と名乗ったと聞いている。彼は,メイリンにしか興味がない態度を露わにしてきた。きっと出番が少ないことに苛立って…
「しゅかりんは,日本に来たばかりで,今頑張って日本語を勉強中です。それで,しゅかりんの学習の成果を試す企画を用意しました。日本語で書かれたメニューを見て,料理してもらっています。レシピは,オムライスなんですが…ちょっと意地悪しちゃいました。テーブルの上には,オムライスに必要ない具材も並んでいます。」
控えめな笑い声が聞こえる。メイリンは,既にトラップにかかっている体だ。
「いじめじゃないですよ。それに,具材がムダになる心配もありません。出来上がったお料理は,甲田さんが召し上がってくださいます。」
「えっ!!」
これは打ち合わせにない。間違いなく結果はひどいことになる。後ろからは見えないが,甲田は本気で嫌がっている。
「あの!!」
最前で手が挙がった。横川だ。マトリョンが,おそるおそるマイクを向ける。
「甲田君が嫌がってるようなので,僕が食べます。いいですよね?」
マトリョンは困惑を隠せない。良が,見かねて間に入る。
「いいじゃないですか,推しのために進んで身体を張る,って。みなさん,勇者に拍手!」
会場が拍手に包まれた。予定外だが,いい雰囲気になった。温かくて,緩い空気感だ。さすがは,サブカルのご意見番。多くのトークショーを経験してきただけある。
「ありがとうございます。では,県民代表は横川さんに代わっていただきましょう。」
「あっ。ごめんなさい。淑華さんが失敗するのを前提で話してしまいました。」
「大丈夫です。それより,わたし,相田さんに訊きたいことがあるんですが,いいですか?」
「はい。もちろん。」
スクリーンでは,果物を前にメイリンが首を傾げている。もちろんプログラムされた動きだ。メイリンは,数十か国語を理解できる。
「アイドルの…特にアイドルの音楽性について魅力を訊かれたとき,『自由』とか『何でもあり』とか答える人が多いですよね。うちのマネージャーやアレンジャーもそうなんですが,以前相田さんも雑誌のインタビューでそう答えてらっしゃいました。そう思ったきっかけは何だったんでしょうか。」
「ああ。そうですね。理由まで話したことはなかったかな。知ってる方もいるかもしれませんが,僕,若い頃はバンドをやってました。で,いつだったか,メンバーがスタジオに新しく作った曲を持ち寄ることになったんです。僕は,前からやってみたいと思っていて,ラップの入った曲を持って行ったんです。そしたら,メンバーにひどくけなされて…」
「え?どうしてですか?いいですよね,ラップとメロディーが両方ある,って。」
「ええ。僕もそう思ったんですが,メンバーは違ったみたいで。『アコギ1本で成立しないものは,ロックじゃない』って。」
真剣な音楽ネタとのギャップがすごい。スクリーンでは,メイリンがグレープフルーツを手にしている。そのまま力まかせに握り潰す。
「アイアンクロー!!」
いつの間に近くにいたのか。浅岡が叫んだ。振り返ると,うれしそうに笑っている。
「まあ,ゴリゴリの3ピースバンドだったから,違和感が大きかったんでしょう。でも,当時は僕も若かったから,『ロックはもっと自由なものだろ?そんなに不自由なのがお前らのロックなら,もうたくさんだ。』って。バンドを辞めたんですよ。」
「ええっ!意外です。良さん,こんなに温厚そうなのに。」
「あははは。まあ,あの頃は,まだ若かったし…はい?」
突然どよめきが起こった。マトリョンと良が,客の視線を追う。舞台上手から女が近づいてくる。
「莉世姉!!」
「莉世さぁーん!!」
トリを務める古沢莉世だ。「天使」と言われた癒し系アイドル。だが,その面影はない。白いタンクトップに迷彩のパンツ。髪は,金に近い茶髪だ。睨むようにフロアを見回している。
「ちょっと。莉世さん。出番はまだ…」
「うるせえな。いつまでゆるいトークやってんだよ?」
口調もまるで別人だ。「女ギャング」。そう呼ばれるのも,うなずける。莉世は,勝手に2人の間に割って入った。マトリョンからマイクを奪って,ドヤ顔を決める。
「知ってるだろ?乱入は,あたしの芸風なんだよ。」




