第24回
「ナゼマトリョンハ,アノヨウニハシャイデイルノデスカ?」
前触れなくメイリンが言った。まあいい。この質問は難しくない。俺は,波打ち際を走るマトリョンを見ながら答える。
「珍しいからだよ。海がない地域の人間は,海を見ると,テンションが上がるんだ。俺たちが住んでる町も,そうだろ。周りを山に囲まれてて,海が見えないからね。」
俺たちは,浜辺にいる。いちおう新しいMVの撮影という名目だ。
「異種格闘技」は,2週間あけて準決勝が行われる。メジャーなアイドルフェスとのバッティングを避けるためらしい。大型フェスとイロモノ歓迎のイベント。出演者がかぶることは,あまりない。おそらく,スタッフが客としてフェスに行きたい,というだけだ。
「ソウデスカ。デモ,ソレナラ,東京モ同ジデハナイデスカ?日頃目ニシナイ巨大建造物ガ多数アリマス。」
簡単,どころではなかった。確かに,高層建築を見て,ハイテンションにはならない。上階に行けば,話は別かもしれないが。
次に上京したらスカイツリーに行こうと思っていた。だが,プラン変更を検討したほうがいい。どうして高い場所が好きなのか。そう訊かれるに決まっている。
「なるほどね。まあ,そう言われると,そうだよね。ちょっと考える時間をくれないか?」
メイリンは,黙ってうなずいた。安易に思いついたことを言えば,墓穴を掘る。さすがに経験からわかってきた。俺は,答えを探すように辺りを見回す。
平日だからだろう。予想より人が少なかった。それでも,真夏の海水浴場だ。カラフルな水着やパラソルで,砂丘に花が咲いたようだ。
着いてすぐ,俺たちは天気雨に襲われた。それで,慌ててパラソルの下に避難した。今は,それが嘘のようだ。手に触れる砂が少し湿っている。名残りといえば,その程度だ。
改めてメイリンを見る。水着で,行儀よくレジャーシートに正座している。
『日常生活レベルでは,防水機能に問題はありません。深海に潜ったりすることはできませんが。』
五十嵐の言葉を思い出す。メイリンは,雨を浴びるくらいなら平気だろう。それでも,やはり濡らすことには抵抗がある。
『それに,危険なレベルなら,察知して回避するようプログラムされています。』
わかっている。でも…俺は,すっかり過保護になっていた。ちょっと可笑しくなる。だが,すぐに笑いを押し戻した。通り過ぎる若者と目が合ったからだ。
「メイリン。せめて体育座りにしようか。なんか俺が説教してるみたいに見えるから。」
姿勢を崩すメイリン。それでも,刺さる視線は減らない。仕方がない。水着の美少女と中年のおっさん。明らかにおかしな構図だ。
「まあ,何に反応するかなんて,その人次第だからさ。だって,近所のババアをここに連れて来ても,あんな風にはならないからね。」
そう言って,マトリョンを指差した。飽きもせず打ち寄せる波と戯れている。いい笑顔だ。単純に,解放感もあるのだろう。設定したキャラを演じるのは,ストレスが伴う。仕事はもちろん,それが「趣味」でも。だから,今回ここに来たのは,慰労会の意味もある。
「個人差ガアル,トイウコトデスネ。」
「うん。俺たちは,山なんて見飽きてるけど,平野に住んでる人は,高い山を見て,テンションが上がるかもしれない。」
「ソウデスカ。好ミト言ワレルト,ワタシニハ何モ言エマセン。」
陽射しが強くなってきた。逆光になったメイリンの表情はわからない。でも,瞳が超高速で微動しているのは,間違いない。
「生物ノ起源ハ海ダト言ワレテイマス。ダカラ,本能的ニ海二惹カレルノカモシレマセン。」
いい落としどころだ。そう言えば,最近よく「ワタシ」と言うようになった。思考回路も進化して…
「遺伝子ノレベルデ惹カレルトイウ表現ガアリマスガ…」
急にメイリンが黙り込んだ。俺は,周囲に目を走らせる。すると,柿沼が近づいてくるのが見えた。
「おい。勘弁してくれよ。」
柿沼は,飲み物を抱えて,汗だくになっている。すっかり疲れ切った表情だ。じゃんけんに負けた柿沼は,「おつかい係」に任命されていた。
「視線が痛いんだよ。こんな場所をおっさん1人でうろついてたら,すっかり不審者扱いだ。」
アロハのおっさんが2人に増えた。隣には,膝を抱えた少女。ますますややこしい組み合わせになった。
「お前はまだマシだろ?こっちは,援交オヤジだ。」
「援交?もう慣れただろ。地元でも,同じような状態なんだから。」
隣に座った柿沼が,アイスコーヒーを差し出す。一口飲んで,大きく息を吐いた。
BGMを除けば,悪くないシチュエーションだ。雨上がりの海辺。はしゃぐ水着の女たち。時折吹き抜ける風。古き良きシティーポップスでも聴きたい気分になる。
流れているのは,若いバンドの最近の曲だ。ビーチに設置されたスピーカーは,ずいぶん古いのだろう。音が割れて,ひどく聞きづらい。しかも,風で歪められ,一時も音量が定まらない。
「そう言えば…」
ビール片手に柿沼が俺を見た。今夜,横浜で美宙祈のライブがある。「それまではヒマだから。」そう言って,こいつも来ることになった。
「お前,アルコールはダメなんだよな。就職するまで知らなかったけど,すごいな。」
「今さら何言ってんだよ。で,すごいって,何が?」
確かに,俺はアルコールを受け付けない体質だ。うかつに蕎麦もゆでられない。保存料に使われている酒精。あの白い粉が蒸発する湯気だけで酔うからだ。
「だって,お前,シラフで酔った俺たちと同じように騒いだり暴れたりしてたってことだろ?だから,全然気づかなかったよ。」
「協調性がある,って言えよ。」
酒を飲めないと人生の半分を損する。そう言われることがある。でも,たいしたことじゃない。フェスで,ウイスキーのキャンペーン・ガールとからめない。思い当たるのは,それくらいだ。
「ほんと昔から言い逃れだけはうまいな。」
「おかげさまで役に立ってるよ。マイナスをプラスに変換するってのも,アイドルのプロデュースには必要だからな。」
引きこもり。いじめの被害者。果ては,少年院帰り。普通なら隠したい面を売りに換える。最近では,珍しいことじゃない。
「それにしても暑いな。」
柿沼は,タオルを手放せない。ぬぐっても,次々と汗がにじみ出す。
「お前。文句言うなら,来なきゃいいだろ?横浜のカフェででも時間をつぶして…」
「いや。違うんだ。暑いのは悪いことじゃない。だろ?」
柿沼は,悟ったような口ぶりだ。意図がわからない。だから,適当に答えることにする。
「ビールが売れて,金の回りが良くなる,とか?」
「いや。それもあるかもしれないけど,昔…」
昔?そういえば…あれは新宿の路地裏だったか。深夜の喫茶店の光景が脳裏に浮かぶ。あの時も,目の前にこいつがいた。茶髪で,もっと尖った目つきで…
「そうか。あの時は珍しく意見が一致したんだったな。」
「やっと思い出したか。東京に夏が来なければ,って言い出したの,お前だろ?」
「まあな。」
そうだった。将来は,東京でバカやって暮らしたい。でも,不安定な生活は嫌だ。特に,エアコンのないアパートはきつい。そんなことを話したのを思い出す。思わずため息がもれた。
「まったくショボいな。エアコンで人生が決まるなんて。」
「まあな。でも,エアコンは人類最高の発明の1つだと思うよ。それに,それだけじゃないさ。冷房は1つの例に過ぎない。まあ,どっちにしろ,俺たちには,それだけの強い気持ちがなかったってことだろ?」
強い気持ち。そう。ずっとバカをやるにも覚悟が必要,ということだ。大学に行くため地元を出る時,二度と戻らないと誓った。だが,それも,数カ月で揺らいだ。
東京の暑さは殺人的だ。大学1年の夏,そう思い知った。風通しの悪い狭い部屋。柿沼や木崎が来て,扇風機の奪い合いになった。
あの時の感覚が蘇ったからか。俺の身体からも,汗が噴き出し始める。ふと思い出して,メイリンを見る。視線は海に向けられたままだ。傍からは,オヤジトークに無関心な少女に見えるだろう。だが,間違いなくAIで俺たちの会話を解析中だ。
メイリンに皮膚感覚はない。だが,「改良」で発汗機能が追加された。暑さについて,どんな考察が行われているのか。帰ったら,訊いてみよう。
「まあ,世の中よくできてるよ。東京が常春の街とかだったら,誰も会社員とか公務員なんてならないからな。みんな刺激を求めて,そこらじゅうミュージシャンや役者やお笑い芸人だらけになっちまう。」
そう言って,思う。この年になっても,まだ世のなかを語る資格がない気がする。息を大きく吐き出してから,柿沼が口を開く。
「想像もしなかったよ。あれから30年くらい経つけど,水着の若い子を見ながら,相変わらず自分が中途半端なのを,冷房のせいにするなんて。」
メイリンが首の角度を変えた。さすがにはしゃぎ疲れたのだろう。引き揚げて来るマトリョンが見えた。うっすら日焼けし始めた顔。そこには,心地よい疲労感が浮かんでいる。
俺は,足を止めて,元来たほうを見る。パラソルの数もずいぶん減った。海の家は,店じまいを始めている。その向こうに,帰りを急ぐ人たち。少し前,柿沼も人込みに消えていった。夕暮れ時の海岸に,さみしさが漂っている。だが,俺たちには,ここからが本題だ
にぎやかだった浜辺の反対側。マトリョンとメイリンが立っている。2人がまとっているのは,白い水着。そう。あの物議をかもしたMVで使ったものだ。なびく2人の髪から,潮風が強くなったのがわかる。
「ドローン,行きます。」
甲田の声に続き,低い振動音が伝わる。振り返って視界にとらえると,機体は地面を離れていた。風にあおられながら,高度を上げていく。
「ほんと何でもできるんだな。」
俺は,感心して言った。五十風は当然として,マトリョンに甲田。機械にうとい俺には,本当にありがたい。
「だから,言ったじゃないですか。役に立ちます,って。」
「ああ。そうだったな。」
甲田は得意気だ。午前中は,地元でイベントの手伝いをしていたらしい。退屈な町で,少しでも楽しく生きる方法。日々,それを探しているのだろう。
「じゃあ,そろそろ始めるとするか。」
三脚に載せたカメラの液晶画面を見る。マトリョンとメイリンは,スタンバイ完了だ。録画ボタンを押すと,大きく右手を振る。それを合図に,2人が駆け出した。
カメラから少し離れた砂の上。無造作にワンピースが脱ぎ捨てられている。これも,前作のMVで使ったものだ。拾い上げて,脚を通す2人。風にあおられて,うまく着ることができない。もどかしげだが,それでも,笑みがこぼれる。2人は,互いに背中のファスナーを上げた。一瞬だけカメラ目線。すぐに背を向けて,渚に向けて走り出す。
2人の姿が小さくなっていく。カメラを固定すると,俺はタブレットを手に取った。画面には,ドローンからの映像。カメラは,2人を真上からとらえていた。
『ここまでは順調だな。』
心のなかでつぶやいた。夕焼けの色はイメージ通り。砂に伸びた影の感じも絶妙だ。マトリョンが,メイリンから離れる。追いかけるように,ドローンがゆっくりと降下を始めた。カメラが,マトリョンの前に回り込む。と,そのまま地面すれすれで固定された。
マトリョンが,前かがみになって,手を伸ばす。そこには,古いラジカセがあった。捨てられて,砂まみれという設定だ。
マトリョンは,細い指で再生ボタンを押した。それを見届けると,ドローンはまた上昇を始める。しばらく加速し続けて,急停止した。今度は,さっきよりも高い。波打ち際までフレームに入っている。
俺は,また大きく手を振る。2人は,歩み寄ると,背中合わせに立った。メイリンまで直立不動だ。イントロが流れ出した。割れた音が,波音を縫うように聞こえる。やはり,風のせいで,ひどくいびつだ。だが,それさえ俺には味に思える。
『おバカとノスタルジー』
マトリョーシカのコンセプト。いつだったか,マトリョンがノリで言い出した。はじめは,根本に言われたように,ノープランだった。それが,気づかないうちに定着し始めていた。
『ノスタルジーと言ったら,夕方の海でしょ。』
そう言ったのは浅岡だ。思いつきだろうが,俺のなかでもしっくりきていた。おそらく昔見た映画の影響だろう。
発案者にして前作監督。その浅岡は欠席だ。地元で仕事がある,と恨めしそうに言っていた。根本と五十風からは,応援のメッセージが届いている。コンセプトだけではない。いろいろなことが形になり始めている。マトリョンの言った通り,チームらしくなってきた。
「そろそろですね。」
操作に集中していた甲田が,耳元で囁いた。俺がうなずくと,ドローンが旋回を開始する。高度が少しずつ下がって行く。
2人を取り巻く光が,姿を変え続ける。レンズフレア。ゴースト。撮影前に,甲田が言っていた。映像のことはまったくわからない。それでも,画面にくぎ付けになった俺がいる。刻々と変化する光は,ただただ美しい。
ドローンが下降を止めた。カメラは,2人の顔の高さだ。そのまま何周かすると,曲は間奏に入った。キラキラした電子音が駆け巡る。80年代を意識したエレポップ。アレンジに関する要望はそれだけだった。信頼していると言えば聞こえはいい。だが,我ながら抽象的過ぎるとも感じていた。それでも,浅岡は見事に注文に応えてくれた。
バンドを始めた頃を思い出す。当時の俺たちには,どうやっても作れなかった音だ。高価な機材とかなりの時間が必要だったから。それが,今では数時間で可能になった。
近未来。いつからだろう。ガキの頃,未来の想像図だったもの。それが,いつの間にか現実になった。それどころか,もう過去になりつつある。「近未来」は,レトロな響きを伴うようになった。
2人は,上半身だけで踊り出す。そして,背中合わせのまま位置を変えていく。ドローンの旋回は,それより速い。2人の姿が,陰になったり,夕陽に染まったりする。逆光と順光。その繰り返しのなか,ゆっくりと時間が流れ始める。




