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第23回 

「おめでとう。今日は,完敗だよ。」

 振り返ると,知らない女が立っている。でも,どこか見覚えが…それに,声も…

「あっ。そうか…あたしだよ。」

 女が懐から赤い物を取り出した。マスクだ。そういえば…

「ハンセン元木!」

 浅岡が叫んだ。物販が終わって,客の姿もない。ライブハウスのロビーに,その声が大きく響いた。

「そんなに驚くなよ。いちおう素顔オッケーなんだけど,あたしは。っていうか,今日からあいつもだけど。」

 元木が,通りかかった女を指差す。やはり,見覚えが…と思ったら,「ピンク」だった。「ピンク」は,軽く頭を下げて出て行った。売れ残ったグッズの片づけで忙しそうだ。

 思い出した。前回大会の1回戦。美宙祈との対決で,元木はマスクを外した。それを動画サイトで見ていたから,なんとなく顔を…

「それにしても,やってくれるな。ハシゴを使った大技2連発でフィニッシュとはね。美宙祈も空中戦が得意だけど,あんたは250倍すごいよ。」

 元木がメイリンに言った。感心半分,あきれ半分,といった様子だ。もちろん,メイリンは,いつもの無表情。だが,それでも「塩対応」には見えない。いつのまにかそんな雰囲気が身についたようだ。

 マトリョンと目が合った。元木は噂通りの天然ぶりだ。得意,ではないだろう。美宙祈は,客席にダイブしただけだ。たまたま頭がぶつかって,仕込みの客が大けがをした。柿沼からそう聞いている。まあ,ダイビング・ヘッドバットに見えなくもなかったが。

「他にも,いろいろできるんだろ?スターダストプレスとか,シューティングスタープレスとか,スワンダイブ…」

「できるよ。」

 答えたのは浅岡だ。技の名が連呼されて,たまらなくなったのだろう。前のめりで会話に加わってきた。

「あ。えーと。あんた,どこかで…あっ!美宙祈のアレンジャーの人か。そうかぁ。だったら,なおさら負けたくなかったな…」

 口ではそう言ったが,悔しそうに見えない。前回大会の決勝。舞台上で,美宙祈と浅岡がすり替わった。元木は,あのパフォーマンスを覚えていたのだろう。

「まあ,腐れ縁だからね。美宙祈の親父と…この人…」

 浅岡は,一瞬俺に視線を向けた。すぐに元木に向き直って続ける。

「マトリョーシカのマネージャーとは,同級生なんだよ。だから,格安でアレンジしろ,って無茶ぶりされてるわけ。」

「へえ…」

 元木は,浅岡の腹のあたりを見ている。相変らず締まりのない…

「いい身体してんな。あんたも,プロレスを?」

 コケそうになった。またマトリョンと顔を見合わせる。天然にもほどがある。浅岡は,ただの中年太りだ。長年の不摂生がたたって…

「まあね。と言っても,今は引退してるけどさ。これでも,大学じゃプロレス同好会のエースだったんだ。」

 浅岡の負けず嫌いに火がついた。もちろん,口から出まかせだ。所属していたのは,同好会ではなく,研究会だった。

「ふーん。」

「最近は,アレンジやりながら,この子のコーチをしてるってわけ。」

 ドヤ顔だ。浅岡は,胸を張って,メイリンの肩に手を置いた。

「なるほどね。でも,投げ技は得意じゃないみたいだね。あたしだったら,あの大男をジャーマンで投げられるよ。」

 渾身のドヤ顔返し。似た者同士のようだ。元木は,俺たちをひと通り見てから,マトリョンで視線を止める。そして,軽くうなずいて,背を向けた。

「じゃ。優勝しろよ。そしたら…」

 歩き出そうとして,元木が振り返る。笑顔だ。そういえば,元木が笑うのを見たのは…

「2年連続で優勝者に負けた悲劇のヒーローになれる。」



「今日はお疲れさま。ありがとうね。」

 ライブハウスのロビー。出て行こうとする瀬田に声をかけた。「装置」の運び出しは終わっている。今頃,駐車場で甲田たちがワゴン車に積み込んでいるはずだ。

「あっ。いえ。大丈夫です。」

 忘れ物がないか確認しに来たのだろう。瀬田は手ぶらだ。それを見て,少し話してみようと思う。

「緊張してたみたいだね。」

「はい。やっぱり舞台袖で装置を動かすのと違います。わたしなんかがお客さんの前に…」

 本番中の様子を思い出したようだ。瀬田の頬が軽く上気している。

「でも,初々しい感じで良かったよ。会場からコールもあったし。」

「…あれは,たまたま…お客さんのノリが良かっただけです。」

「でも,仕込みの3人以外から声が飛んだのは事実だよ。それで…もし違ってたらわるいんだけど…」

 俺は,言葉を切って,瀬田の目を見た。瀬田も,まっすぐ見つめ返してくる。

「やっぱりアイドルやりたいんじゃないのかな,って。」

「えっ…」

 瀬田の顔がますます赤くなった。初めて会ったときを思い出す。瀬田は言っていた。

『わたしには,アイドルなんて無理です。』

 歌やダンスがどれだけできるかわからない。でも,アイドルの魅力はスキルだけではない。

「実は…マトリョーシカのスタッフをするようになって,ますます悩むようになったんです。2人のパフォーマンスを見て,わたしもやってみたいって気持ちが強くなったのは間違いないです。でも,同時に思ったんです。キラキラしてる2人を見て,やっぱりわたしのルックスじゃ無理だって。」

 ルックス。確かに,2人と比べると見劣りするのは否定できない。だが,瀬田には別の魅力がある気がする。

「ルックスか。でも,ルックスって好みの問題なんじゃないかな。実際,人気が出る芸能人だって,全員が美女やイケメンなわけじゃないから。」

「それはわかるんですが…それに,将来のこととか考えると…」

 瀬田は黙り込んだ。ちょっとだけ後悔する。話はすぐに終わると思っていた。瀬田がステージに上がる機会を増やしていく。そう伝えたかっただけだ。

 だが,活動が続けば,いずれ直面する問題だ。マトリョンたちには車内で少し待ってもらおう。俺は,近くのソファーを勧めた。うながされるままに瀬田が腰を下ろす。

「リスクはあるけど,本当にやりたいことを目指すのか,それとも,それなりに勉強を頑張って,無難に就職して,安全に暮らすのがいいのか。そういうことだよね。」

「はい…」

 瀬田は黙り込んだ。しばらく前に親からの干渉は収まったらしい。だが,自分で決められるようになると,余計に…

「まあ,俺の話をすると,無難なほうを選んだわけだけど,やっぱり後悔がないと言ったら嘘になる。」

 安全と引き替えに望みを放棄した。その結果,もれなく退屈がついてきた。

「それに,無難だったはずが無難じゃなくなってきた,っていうかね。俺が若い頃は,公務員は一番安全に窓際ができる仕事だった。あ。窓際ってわかる?」

 瀬田が黙ってうなずく。撤収が完了したのだろう。元木と仲間たちが,会釈して去って行く。

「マトリョンが,言ってたように,簡単にはクビにならない。でも,公務員も数が減ったり,世間の風当たりが強くなったりして,決して気楽な仕事じゃない。好きなことを選んでいたら,って思うことがしょっちゅうあるんだ。この前も話したよね。美宙祈の初代マネージャーが柿沼の家に来たとき,やりたいことをやらないと一生引きずる,って説教されたって。でもね…そうかと言って,やりたいようにやるのも,相当なリスクがあると思うよ。前にテレビで,芸能人は稼ぎ過ぎだって言われたタレントが,『それだけリスクを冒して選んでるんだから』って…」

 様子がおかしい。瀬田は,明らかに不満そうだ。今まで見たことのない表情になっている。

「瀬田ちゃん。どうかした?」

「ごめんなさい。でも…」

 瀬田は,気まずそうにそう言った。少しのためらいの後,口を開く。

「角脇さんの言葉で話してくれませんか。なんか,他の人の言葉の引用っていうんですか。担任と話してるみたいな気になっちゃいました。あの先生,いつも自信がないみたいで,はっきりしなくて…」

 瀬田の担任。確かにまだ若く,経験値は低そうだ。でも,無責任とか,やる気がないとか,そんな印象はない。彼なりに慎重に考えているはずだ。

 正直心外に感じる。俺も同じだ。できるだけ押し付けにならないように話そうとした。それだけだ。だが,それでは,瀬田には伝わらないということか。

「そうだな。大人がみんな答えを知ってわけじゃないよ。先生だって例外じゃない。」

 瀬田の表情が変わった。少なくとも,今の言葉は「俺らしい」。瀬田は,そう感じたようだ。

 背中を押してほしい。おそらく,それが瀬田の本音だ。だから,アイドル運営のおっさんに相談した。そういうことだろう。でも,申し訳ないが,俺の本業は公務員だ。いい年して,中途半端なこじらせ野郎だ。良くも悪くも,その立場からしか話せない。

「だったら言わせてもらうよ。進路の選択について,俺なんかにたいしたことは言えない。でも,確かなのは,情報は大事だっていうこと。俺たちが受験した頃,よく言われたんだ。『東京じゃみんな死にもの狂いで勉強してる』って。でも,実際大学に入ってから知ったんだけど,都立じゃトップクラスの学校でも,そうでもなかったって。けっこう楽しい高校生活を送ってたらしいよ。当時は,ネットもなかったし,そんな情報入って来なかったけどね。結局,受験産業や実績を稼ぎたい教師に振り回されてただけだよ。」   

 ふと甲田との会話を思い出す。廃墟アパートの庭で話したときだ。

『今は,親のほうが情報弱者なんすよ。』

 似たような展開だ。あの場でも,成り行きで真剣な話になった。それから,他に話したのは…

「でも,これは問題ないか。俺なんかに言われるまでもないよね。今は高校生のほうが,情報収集能力が高いから。」

 瀬田は,軽くうなずいた。少なくとも,異論はないように見える。

「それから…あともう1つは,自信満々で『こうしなさい』って言う人間は信用できないってことかな。もちろん,進路もそうだけど,決まった答えがない問題に関してだけどね。だって,数年後は何がどう変わってるか全然わからない時代になってるんだよ。聞いたことあるかもしれないけど,今ある仕事の何割かは将来必要なくなる,なんて言われてる。こんな状況で,自信を持って自分が正しい,なんて言える人間は,少なくとも俺には信じられない。まあ,いい年して,『大人を信じるな』なんていうのも,おかしな話だけど。それに,ほら,俺たちの学生時代は,ロックバンドが『大人に逆らえ!』って叫んでた。それが,最近じゃ,アイドルがそれをやったりしてる。やっぱり,何が起こるかわからないよ。」

 瀬田の横顔を見る。今度は,はっきりとうなずいた。ガラス戸の向こうから甲田が覗き込んでいる。俺たちが遅いから呼びに来たのだろう。

「だから,自信がないのは悪いことじゃない。きっと,みんな迷いながらやってるんだと思うよ。それを隠さない先生って,正直なだけなんじゃないかな。」



「申し訳ありません。アイラとレミは,会場から直帰しました。」

 給仕担当の女性が,すまなそうに言った。長身を折り曲げて,深々と頭を下げる。エプロンのネームプレートに「まどか」。

「いいんですよ。一言『お疲れさま』って言いたかっただけなので。」

「それは,わざわざありがとうございます。2人には私から伝えさせていただきます。」

 まどかは,もう一度丁寧にお辞儀した。俺が礼を返すと,マトリョンとメイリンもそれに従う。

 結果発表の後,話す機会がなかった。それで,秋葉原のカフェに寄ろうと考えた。もしかしたら店に出ているかもしれない。すると,マトリョンが同行したいと言い出した。当然,メイリンもセットだ。申し訳ないが,甲田と瀬田には先に車で帰ってもらった。

「それから,申し訳ありません。準決勝で戦えなくて。レミから聞きました。マトリョーシカの皆さんと約束していた,って。」

 最敬礼。ここまでの対応をされると,さすがに気まずくなる。

「気にしなくていいですよ。それより,まどかさんもお疲れさまです。他でイベントがある日にシフトって,たいへんですね。」

 しかも負けた後だ。ステージ袖でのまどかの姿が浮かぶ。彼女は,泣き崩れた仲間にずっと寄り添っていた。

 店内を見回してみる。土曜の夜にしては空いている。人気メイドがいないからだろう。出演していたメンバーらしきメイドは他にいない。

「そんなことないです。イベントの応援に来てくださったご主人様が,ご帰宅されることがあるから,メンバーで誰かお店にいたほうがいいと思っただけです。」

 まどかは笑顔で言う。年長者としての責任感なのだろう。前回は準決勝,今回は2回戦で敗退。本当は,部屋で泣いていたいはずだ。

「あっ。ちょっと失礼します。」

 今度は,素早く頭を下げた。まどかは店の奥に向かう。どうやら,壁際のテーブルのようだ。そこには,若い客のグループがいる。まだ20代だろう。金髪や茶髪で,ラッパーのような服を着ている。3人のメイドが,空のトレーを手に談笑中で…

「どうかしたんですか?」

 マトリョンが訊いた。まどかがメイドたちに声をかけるのが見える。

「ああ。あの若いメイドたちが,ホール全体を見ないで,自分たちを推してる常連客とだけ話してる,ってとこじゃないかな。」

「ああ,そういうことですか。」

 たぶん俺の推測どおりだろう。まどかが,たしなめるように何か言っている。だが,3人が素直に聞く様子はない。

 メイリンを見る。こちらも予想どおり「観察モード」発動中だ。瞳がせわしなく微動している。帰ったら,質問責めにされるのは必至だ。メイドカフェについて「復習」する必要がありそうだ。

「メイドさんってたいへんですね。客の対応だけじゃなくて,新人の教育もあるなんて。」

 他人事のような口ぶりだった。普段のマトリョンは新人公務員だ。でも,思い返せば,俺にもそんな意識はなかった。

 メイドたちが散って行く。3人は渋々という表情を隠そうとしない。近くにいたら,舌打ちも聞こえたかもしれない。

「申し訳ありません。お話の途中で…それにお恥ずかしいところをお見せして…」

 まどかが戻ってきた。その視界は,店内をくまなくカバーしている。3人を信用していないのは明らかだ。

「いや。たいへんですね。今話してたんです。新人の指導もたいへんだって。」

 俺の言葉にマトリョンがうなずく。まどかは,気まずそうに小声になる。

「あの子たち,新人ってほどじゃないんです。だから,余計に許せないんですよ。」

「そうなんですね。でも,いずれにしても,立派だと思います。俺なんか,いい年して,後輩をしかったりできない。」

 今のところ仕事上で大きなミスはない。でも,いつやらかすかわからない。そんな状況で,他人のことをとやかく言えやしない。

「いいえ。ダメですよ。わたしの言葉に説得力がないから,伝わらないんです。あの…」

 まどかは,ひどく深刻な表情を浮かべる。初対面の人間と話す雰囲気ではない。

「アキバは変わりましたか?」

 唐突な問いだ。まどかの意図がわからない。確かに,俺は10年前のアキバを知っている。それをアイラから聞いたのだろう。それにしても…

「すみません。突然こんなこと…少し前に店に来なくなったお客さんのSNSを見たら,自分の好きだった頃と変わったって。言われてみると,わかるんです。わたしがメイドになった頃は,小説やドラマの影響のブームも落ち着いていました。だから,みんな危機感があったんです。頑張らないと,お客さんが離れていく,って。」

「うん。いろいろ言われたけど,メイドカフェは文化として定着しましたからね。なくなる店はあるけど,新しい店もできてるって聞いてます。だから,危機感のない子が増えたのかもしれませんね。」

 言いたいことはわかる。アキバを離れた直接の原因ではない。でも,俺も同じことを感じることがあった。

「まどかさん。」

 マトリョンが立ち上がった。1秒と遅れず,メイリンの腰が浮く。

「わたしは,その頃のアキバを知りません。でも,まどかさんたちが頑張ったから,今があるんです。だから,自信を持ってください。」

 こんな熱い口調は初めてだ。ふと思う。マトリョンの頭には,アイドルシーンの現状があるのかもしれない。アイドル市場は飽和状態と言われることがある。それを当時のアキバと重ねて…

「ありがとうございます。」

 まどかは,また大きく体を屈める。直るまでの時間が気持ちを語っているようだ。

「そうだ。マトリョンさん…」

 何か思いついたのだろう。まどかは,右手で腰のポケットを探る。取り出したのは,リボンだ。見覚えがある。確か今日の衣装で使っていた…

「よかったら受け取ってくれませんか。もしかしたら,ラッキーアイテムになるかもしれません。」

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