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第22回

「けっこう笑ってたね。」

「え?あっ。そうですね。やっぱりわかりやすいじゃないですか,ドタバタって。それにすごくないですか?マスクなんて軽い物を狙った場所に投げるなんて。」

「えっ!?そこ?」

 時々マトリョンのこだわりがわからない。確かに,パンドラちゃんは前回と違う。動画で見た頃のショボさはなかった。動きに切れがあったし,仕込みもしっかりしていた。そのうえで,あえてグダグダ感を残した。そういうことだろう。

「っていうか,プロレスってわかりやすくていいですよね。ギブアップかスリーカウントで終わり,って。」

「ああ。でも,めったにないけど,いちおうノックアウトもある。」

「そうでした。それに,昔みたいに両者リングアウトとか,フェンスアウトで,うやむやにすることもなくなった,って読みました。」

 高校の頃,特に大きな試合では「完全決着」にならないことが多かった。テレビ中継の翌日,浅岡と不満を言い合ったのを思い出す。

 マトリョンはよく研究している。それだけに,登場した技を知らないのが悔しかったのだと思う。

「まあ,確かにわかりやすいのはいいことだよ。ルールが複雑なスポーツって,どうしても興味が湧きにくいし。」

 やはり高校の頃だ。体育部に入っていない生徒は,県総体で応援に回された。希望に関係なく,適当に会場が割り振られる。2年の時だったか。俺は,剣道部の応援に行くことになった。

 時代劇は割と好きだから,嫌な気はしなかった。だが…見ていても,さっぱりわからない。

『今のあれ,セーフ?真剣だったら,確実に死んでるぜ。』

 周囲からもそんな声が聞こえた。その後,俺は観戦を放棄して,ひたすら寝た。

「あ。角脇さん。あの小説,読み終わったんで,下巻貸してくださいね。」

「ああ。うん。読むの速いな。」

「はい。動作は遅いですけど,昔から本を読むのだけは速かったんです。」

 マトリョンに貸したのは,病院坂四十九日の元ネタになった探偵小説だ。すごいエネルギーだと思う。プロレスの研究をしながら厚い本を読む,なんて。もちろん,仕事も普通にある。

「けっこう律儀なんだな。対戦した相手を,後になって理解しようなんて。」

「そんなんじゃないですよ。ちょっと興味があるだけです。だって,あの後,浅岡さんと熱く語ってたじゃないですか。だから,そんなに面白いのかな,って。」

 初めてのわかりやすい「勝利」。そして,病院坂からのエール。マトリョンは,それを自分なりに受け止めた。だから,こんな忙しい時期でも…

『スポーツが得意なヤツはいいよな。その場で反応が返ってくるから。いい成績を取っても,面白くないから勉強する気が起きないんだよ。』

 柿沼が言っていた。確かにそうだ。でも,後になって思った。勉強は,敗者もその場では見えにくい。まあ,合格発表の掲示板前を除いて。だから,くだらないエリート意識が生まれるのかもしれない。

「角脇さん。」

 気づくと,マトリョンが上目づかいに見ている。口元にはいつもの…

「角脇さんだって,あるじゃないですか。スポーツマンシップ。」



『しゅかりんはどうした?』

 そんな声がフロアから聞こえる気がした。客の視線が,ステージのあちこちに向けられる。立っているのは,マトリョン1人だけ。定番の直立不動で「おいで東風」を歌っている。歌う,と言っても,1回戦とは違う。中華風のフレーズの繰り返し。それは変わらない。だが,それに乗せたポエトリーリーディングではない。フレーズを追いかけるようにラップが入る。台湾の風景を盛り込んだ英語だった。

 背後には,大型スクリーン。写っているのは台湾の景色,だけではない。これまでのマトリョーシカの歩み。ライブ,イベント,オフショット…様々な場面が浮かんで消える。

 すると,男がステージ上手から現れた。背が高く,体格がいい。上半身は裸で,厚い筋肉で覆われている。誰が見ても格闘家。そんな絵に描いたようなマッチョマンだ。

 ところが,男を迎えたのは,失笑だった。というのも,顔にパンストを被っているからだ。

『あの女はどこだ!?』

 男が叫んだ。もちろん,声は,曲にほぼかき消された。だが,その行動だけで伝わるほど,男の動きはわかりやすい。せわしなくステージ上を移動し,キョロキョロと周囲を見回している。と思うと,ふいに立ち止まる。そして,手持ちぶさたにまた歩き出す。

 当然だが,マトリョンはぶれない。何も気になっていない。急な乱入者も,メイリンの不在も。そんな雰囲気だ。ただ歌だけに集中している。そう。今度は「歌」だ。もう1つの違い。それは,サビのメロディーが加わったことだ。

『二人を乗せた小船は/そっと夜に紛れる/揺れる角燈ランタン背にして』

 歌詞は,秘めた恋の歌になっていた。サビの歌詞は,急遽俺が書くことになった。

『恋愛モノは苦手なんで。』

 マトリョンは,そう言って書こうとしなかったから。

『おおーっ!!』

 フロアが沸いた。チャイナドレスの少女が,下手から入って来た。メイリンの登場を待ちわびた客からの歓声。だが,それもすぐに途切れた。

『ヒカルちゃーんっ!!』

 代わって,叫んだ男がいた。甲田とヲタ2人。「チェリー・フォー」久々の勢ぞろいだ。

 瀬田は,無表情でカートを押している。運んでいるのは壷だ。大きいだけが取り柄で,芸術的価値はない。骨董の目利きでなくても,それくらいわかる。そんな安っぽい品だった。

『ヒカルちゃーん!!』

 瀬田の表情がちょっと緩んだ。ステージ上手寄り。マトリョンの後ろを過ぎて,足を止める。そこで瀬田はフロアに身体を向けた。カートから手を離し,ドレスの両袖を合わせる。そして,身体を傾けてお辞儀した。少しだけはにかんだ笑みが見える。

『かわいい!!』

 3人以外からも声が飛んだ。いい傾向だと思う。いつの間にか瀬田は「プレイング・スタッフ」のような存在になっていた。本人は否定しているが,瀬田もアイドル志望だ。だから,表舞台に立つ機会があるのはいい。

 男は,相変らず動き回っている。去って行く瀬田は見えない体だ。

『!?』

 音楽に奇妙な音が交じり始めた。どこか金属的な乾いた音だ。ステージ袖にいる俺にも,はっきり聞こえる。タイミングはリズムに合っていた。だから,違和感を持たない客もいるようだ。だが,明らかに異質な音だ。

『!?』

 辺りがざわめき始めた。視線が,舞台上の1点に集まり始める。マトリョンの後ろ,壷が揺れている。わずかだが,置かれた時とカートの位置が違う。それに気づく者が,少しずつ増えていく。

『!!』

 壷から黒いものがのぞいた。どこか見覚えがある。そう思う者もいるはずだ。そして…

『ああっ!!』

 こらえきれなかったのだろう。あちこちで声が上がった。出て来たのは…メイリンの頭だ。音が鳴るたび,見える部分が増えていく。

 そう。壷には,メイリンが入っていた。関節を外した状態で。それが今「復元」されている。元ネタは,中国の古い芸「壷中美人」だ。

 病院坂のパフォーマンスを見て,懐かしく感じた。それで,物置にある本棚を見返してみた。すると…ほんの偶然だった。何気なく手にした本の表紙。それが,チャイナドレスの女と壷のイラストだった。

『角脇さんだって,あるじゃないですか。スポーツマンシップ。』

 マトリョンの言葉を思い出す。でも,きっとスポーツマンシップとは違う。まあ,対戦相手に共感を覚えることをそう呼ぶなら,否定できないが。とにかく,「探偵」が見てくれたらいい。俺は,そう思った。もしかしたら,これが,エールを返すという…

『そんなところにいたのか!?』

 また男が叫んだ。メイリンが,壷の縁に両手をつく。そのまま,するりと抜け出て来た。仕組み自体は,ネットで検索してもほとんどヒットしない。だから,参考動画なんてない。だが,ガキの頃見たドラマに似た場面があった。霧隠才蔵だったか。外した関節を元に戻して戦ったのを覚えている。

 メイリンが両手を突き上げた。意外な登場方法に,会場が歓声に包まれる。メイリンも,瀬田と同様,お辞儀でそれに応えた。

『中国雑技団にいたことがあるらしい…』

 雑な設定だったが,ここで活きた。まあ,「ヨガの秘術をマスターしていた」でも良かったわけだが。

 メイリンは,「団子」にしていた髪をほどいた。長い黒髪が,照明を受けて,光をまき散らす。それから,両手を背中に回すと…

『おおーっ!!』

 今度の歓声には,口笛が交じった。チャイナドレスが,するりと床に落ちる。メイリンは,レオタードを着ていた。赤い生地に,金糸で龍の刺繍。やはり,中華風になっている。瀬田が,数日かけて施したものだ。

「おいで東風」が,ここで終わる。同時に,ゴングの音が響いた。2曲目は,カバーだった。かつて人気があった覆面レスラーの入場曲。誰でも,どこかで一度は耳にしたことがあるだろう。有名な英語詞の曲だ。

「おっ!!キタね。」

 黙っていた浅岡が初めて口を開いた。やはり,世代的に反応してしまうのだろう。

 メイリンと男は,ステージの最前に歩み出た。数秒の睨み合い。男が一歩踏み出す。一気に加速して襲いかかった。バックステップでかわすメイリン。

「タイガーステップ!」

 浅岡の「解説」が始まった。そう。こいつは,黙ってプロレスを観ることができなかった。いちいち技の名を口にしないと気が済まないらしい。

 ステージを一周すると,メイリンの足が止まった。フロアを背に追いつめられた形だ。メイリンが姿勢を低くして…左足で床を蹴る。

「スピアー!」

 低空タックルを仕掛けたメイリン。肩で男の膝のあたりをとらえた。だが,倒れない。メイリンは,崩れるように両膝をついた。

「やっぱりダメか。体格が違い過ぎる。」

 浅岡が,ため息をもらした。違う。普通なら,男は簡単に倒れている。そう。普通の男,というか人間なら。

 これがマトリョンの言う「必勝法」だった。最初ためらったが,俺も後になって思い直して…

『もう1体借りられませんかね,ヒューマノイド。』

 メイリンがプロレスをする。それ自体はいい。だが,問題は対戦相手だった。見た目は小柄だが,破壊力はケタ違いだ。もちろん,プログラムでセーブできる。それでも,身体を合わせたら,人間でないとバレる可能性がある。

 それで,また五十嵐に無茶ぶりしたわけだ。当然,彼女のあきれた声を聞く羽目になった。それでも,答えは「アイドルナイト」で聞いた通りだ。

「ああーっ!ダメ!」

 浅岡だけではない。いくつも悲鳴が上がった。メイリンが逆さに抱え上げられている。男は,いったんメイリンを肩に乗せた。そして,そのまま反動を利用して,床に叩きつける。

「サンダーファイヤー・パワーボム!!」

 舞台には,いちおうマットが敷いてある。それでも,普通なら失神KOだ。あの勢いで後頭部から落とされたのだから。でも,しつこいようだが,あくまでも人間であれば,の話だ。

 スクリーンに「1」の文字が映った。続いて「2」。ステージにレフェリーはいない。その代わりのカウント表示だ。「2」が消える。と思うと,フロアが沸いた。突き上げられた拳の向こう―画面は,天井のカメラに切り替わっていた。メイリンの右肩が上っている。

「返した!!」

 カウント2.9。なんとか試合終了を免れた体だ。男が,メイリンの髪をつかんで,引き起こした。周囲からまた悲鳴が聞こえる。逆さになったメイリン。男の膝が,その頭部を挟んでいる。

「ツームストン!!」

 男が跳ね上がった。そのまま後方に膝を曲げて着地する。メイリンの頭が,マットにめり込んだ。

「……」

 男がゆっくりと手を離した。メイリンは,力なく床に崩れ落ちる。静寂が会場を支配した。だが,それもつかの間。フロアは,再びどよめきに包まれた。

「ちょっと!やりすぎだよ。ワッキー。もうっ!」

 浅岡が飛び出そうとした。俺は,その腕をつかんで引き戻す。

「大丈夫。計画通りだから。雑技団時代,メイリンは頭が固いのが売りだったらしい。頭突きで物を壊すのが得意だった,って聞いてる。」

 耳元でささやいた。当然,こんなのは出まかせだ。俺は,雑技団の「ざの字」も知らない。だが,これまでメイリンが見せた身体能力。それが説得力を持たせてくれる。俺は,それに期待した。

 浅岡は,ステージ中央に視線を送る。そこには,直立不動のマトリョンがいる。慌てた様子は微塵もない。英語の発音も,それなりに様になっていた。相方の落ち着きぶりが,さらに安心感を与えたのだろう。浅岡は,俺の隣まで戻った。

 いったん姿を消した男が,下手袖から現れた。大きな脚立を肩にかついでいる。慎重に位置を確かめて,それを床に置いた。

『もう止めてくれ!』

 甲田たちが叫んだ。当然,彼らは「筋書き」を知っている。だから,それは煽りに過ぎない。だが,他の客は,事情を知らない。乗せられて,男に罵声を浴びせる者もいる。

 メイリンは,ぴくりとも動かない。ニードロップ。ギロチンドロップ。フットスタンプ…プロレスを知っていれば,次の技は予想できる。男が脚立に足をかけた。そして,2,3段上って…

「うそ!?」

 浅岡から驚きの声がもれた。前触れなくメイリンが立ち上った。手を伸ばして,男の右足をつかむ。それから,引き寄せた脚を抱え込み,身体を…

「ドラゴンスクリュー!!」

 床が大きく揺れた。男が脚立から落下した衝撃だ。やはり,普通の人間より比重が重いのだろう。メイリンが,右手で銃の形を作る。人差し指が,膝立ちになった男に向けられた。

「Vトリガー!!」

 速い。一瞬の助走の後−メイリンの膝がこめかみをとらえた。間髪入れず,左手で髪をつかんで,引き起こす。エルボースマッシュ。固定した男の顎に右肘を叩き込む。2発。3発…

「オイ!オイ!」

 肘打ちが決まるたび,甲田たちが叫ぶ。形勢逆転だ。男が,メイリンの手首をつかんだ。振りほどこうとして,必死にもがく。だが,メイリンは力を緩めない。

「どこにあんな力が…」

 この疑問はもっともだ。それは別にしても…時々考えることがある。浅岡と柿沼には,本当のことを話してもいいかもしれない。と思うと,肩に男の顎を乗せ,メイリンが脚立を駆け上がった。その勢いで後方に倒れ込んで…

「不知火!!」

 男の後頭部が,マットに叩きつけられた。メイリンが,立ち上がって,脚立に足をかける。男も,後を追おうと身体を起こした。だが,腰が立たない。空をつかむように手を振り回しながら,無様に倒れ込んだ。名演技だと思う。

『凶器は用意したヤツがやられる可能性が高い』

 元木が言っていた。読んでいたわけではない。偶然だが,ネタがかぶっただけだ。

『最近,フェスでプロレスをするアイドルもいるじゃないですか。だから,かなりの大技じゃないと,みんな満足しないと思うんです。』

 数日前の話し合い。フィニッシュを決めるとき,マトリョンが言った。確かに,フライング・ボディ・アタック程度なら新鮮味がない。それに,スープレックス系の投げ技もNGだ。相手はかなりの大男。物理的には可能だが,それだとメイリンの正体が…

『行けーっ!!』

 甲田が身を乗り出して怒鳴った。メイリンは,脚立のいちばん上に立っている。床からは2メートル50センチはあるだろう。

 ヴォーカルパートが終わった。マトリョンが,一歩下がって,マイクから離れた。

『今日は,ステージで英語しか使わないじゃないですか。』

 開演前,マトリョンが言っていた。これまでとは違った緊張があったのだろう。歌い切った今は,穏やかな表情だ。

 曲が終わった。と同時に,メイリンが跳んだ。いや,飛んだ。スローモーション。廃墟アパートの屋上―MV撮影と同じだ。メイリンの動きが,脳内加工される。身体をひねって,フロアに向き直った。それから,膝を抱え込んで…前方に回転。さらにもう1回。

「フェニックス・スプラッシュ!!」

 メイリンが,男に身体を浴びせた。足下に振動が伝わる。勢いでバウンドする上半身。メイリンは,膝立ちになると,男の胸を両手で押さえた。

 マトリョンが,背伸びして両手を挙げる。そして,頭上で叩き合わせた。スクリーンには,「1」の文字。

『ツー!』

 甲田やヲタたちも,カウントに加わる。それから,浅岡や他の客も…

『スリー!!』

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