第21回
「あれから調べてみたんですが…」
スマホを片手にマトリョンが言う。身を乗り出すまでもなく画面の文字が読める。「アイドル異種格闘技」の楽屋は狭い。それだけではない。元々狭いうえに,今日は「装置」が多いから,なおさらだ。
「握手会のこと?」
「はい。わたしも,そんなに行ったことないから,他の人の考えを知りたいと思って…」
握手会。その言葉にメイリンが反応した。身につけるべき知識としてリストに残っているのだろう。
いずれにしてもいいタイミングだと思う。対戦前の緊張した時間をうめる話題。適当なものが欲しいと思っていた。
「やはり,単純に本人に会ってみたい,というのは多いようです。それに,承認欲求っていうんでしょうか。有名人に『認知』してもらうことで,自分に価値があるって思える,とか。それから,本気で恋愛感情を抱くパターンもあります。『ガチ恋』ってやつですね。」
うなずきながら聞く。俺が調べたのも,まあそんなところだ。メイリンの瞳が映す光が揺れている。何か言いたいのだろう。でも,ここでは「無口モード」だから,話は後で聞いてやろう。
「うん。だいたいわかったけど,マトリョン自身はどうなの?何回かは行ったわけだろ?」
「わたしですか…」
マトリョンは,少しためらった。上目遣いで,言いにくそうに口を開く。
「こんなこと言うと,中二病確定なんですけど。子どもの頃,いえ,実は,今も時々あるんですけど,ふと思うことがあって。テレビに映ってる人って,本当に実在してるのかな,って。あ。頭おかしいですよね,こんな…」
「いや。」
思わず口を挟んだ。俺にも思い当たることがあった。
「どうかしました?」
「いや。そう言えば,俺にも同じようなことがあったな,って。まあ,大昔のことだけど…」
まだ本番まで時間がある。中二病エピソード披露会も悪くない。
「俺も,ガキの頃から時々そんなふうに思うことがあってさ。俺の場合,有名人だけじゃなくて,同級生とか教師とか,俺以外の人間全部にそういう感覚だったんだけど。で,高校のとき,市内のライブハウスでライブやると,終わった後,浅岡と深夜のファミレスで『反省会』をしてたんだ。手持ちぶさただったんだろうな。何かがきっかけで,浅岡にそんな話をしたんだよ。そしたら,『ザッキーもそんなこと言ってた』とか言い出して。」
「え。マスターも?」
あれ以来,マトリョンも木崎をそう呼ぶようになった。まあ,実際カフェのマスターとしてなんとかやっている。
「うん。で,2人で木崎の家に行って。当時は,携帯なんてないから,窓を叩いて,家から連れ出してさ。で,3人で歩いてたら,浅岡がいきなり駆けだして。それだけなら問題なかったんだけど,走りながらそこらの家のチャイムをめちゃくちゃ押して。」
「もしかしてピンポンダッシュですか?大迷惑じゃないですか。」
大迷惑?まさにそうだ。仲間うちでは「流鏑馬ピンポンダッシュ事件」として語り継がれている。
「当然俺たちも走って逃げるはめになって。俺なんて,浅岡の分もだからギター2本抱えてるってのに。立ち止まったら,あいつ満面の笑みで,灯りがついた家を指差して,『実在してたね。』とか言って…」
「昔から破天荒な人だったんですね。でも,安心しました。もっと重症な中二病の諸先輩がいて。」
マトリョンから笑みがこぼれた。薄暗い室内が少し華やいだ気がする。
「でもさ,マトリョンの場合って,中二病っていうより,むしろ『田舎あるある』じゃないか。何年か前だったけど,木崎のライブハウスに東京からちょっと有名なミュージシャンが来たんだ。それで,その人がステージに登場したら,後ろからささやき声がしてさ。『本物!』って。」
「本物,って…」
「うん。ものまねしてる芸人がいるほど一般的に知られてるわけじゃないのにな。」
「そうか。住んでる場所の問題なんだ…」
マトリョンは,少しほっとしたように言う。考えてみれば,ロコドルとその運営だ。中二病だとしても別に…
「!!」
前触れなくカーテンが開いた。顔を上げて,マトリョンと同時に叫ぶ。
「出た!!」
「なに慌ててんの?中二病師弟コンビ。」
浅岡だった。外で様子をうかがっていたようだ。
「おい。来るなら来るって先に…」
「地域の問題じゃないから。2人とも中二病確定だよ。それに,こっちは,ワッキーの中二病を治してやろうと思っただけだからね。」
「そうは見えなかったけどな。」
「そういえば,今日は派手な演出するらしいけど,気をつけてね。くれぐれもスタッフやお客さんに迷惑かけないように。」
浅岡は,過去の奇行を棚に上げて笑う。彼女なりに和ませようとしているのだろう。だから,俺も乗っかることにした。
「お前が言うな!」
『あんなの八百長でしょ。』
『スポーツとして認められてないし。だって,新聞に結果とか載らないから。』
それがどうした,と思う。プロレスで大事なのは,そういうことじゃない。
『自分がアクションなしの映画に出たら,どんなに頑張って演技をしても,一流と言われる俳優には敵わない。』
以前有名なアクションスターが言っていた。
プロレスが八百長だろうとなかろうと構わない。台本があって,結果が決まっていたとしても問題ない。だって,そうだろう。急角度でマットに頭から叩きつけられる。なのに,間髪入れず立ち上がって反撃。こんな「演技」はアカデミー受賞者にも,きっとできない。
それから,マイク・パフォーマンスだ。俺の思考回路は,体育会からほど遠い。スポーツマンシップというものが理解できない。プロの世界では,たった1回の勝敗で人生が変わったりする。だから,相手に対して憎しみが生まれても無理はない。
『ぶっ潰してやるから,覚悟しとけよ。』
それくらい言いたくもなるだろう。舌戦もプロレスの愉しみのひとつだ。マトリョンも,そのあたりは勉強済みだったわけだ。
スポーツに興味がなくても,プロレスにはハマれる。そう言われることがある。俺も,まさにそういうタイプだ。
元々サブカル好きで,プロレスも好きになった。だから,俺はシャレがわかるほうだ。でも,ガチのプロレスファンは,そういう人ばかりではないらしい。
『プロレスをバカにするな。』
実際,ネットにそんな投稿があった。パンドラちゃんのパフォーマンスについてだ。
『レッツ・ハヴァ・パーティー!!ウィ・ラヴ・プロレスリーング!!イエーッ!!』
彼女たちは,そう叫びながら登場した。リング。メンバーはステージをそう呼んでいる。
「リング」には,バンド編成の楽器が置かれている。だが,誰もそれを手にしていない。音楽の体を保っているのは,元木1人だった。
赤いマスクの彼女は,抱え込むようにマイクを握っている。デスメタル調の曲に合わせ,渾身のシャウトが響く。メロディーはない。そう言っていいだろう。それに,歌詞も。言語として成立しているのか微妙だ。所々,往年のレスラーや技の名が聞き取れる。
『ジャスト・ライク・オクラホマ・スタンピート!!』
それにしても,音が大きすぎる。爆音のライブに慣れていても,不快に感じる。フロアの後ろでも,この状態だ。最前にいたら,確実に耳をやられる。
以前見た動画では,生演奏をしていた。それが,このイベントからCDが流れるようになった。元木以外のメンバーは…ひたすらスクワットをしている。
『!…』
疲れた,ということか。緑のマスクが,よろけて倒れ込んだ。ブルー,イエロー,ピンク。残りの3人は,構わず「トレーニング」を続行する。マイクを手にしたまま,元木がグリーンに近づいた。
『気合いだーっ!!』
いきなりビンタをかました。顔をそむけるグリーン。元木が,鼓舞するように肩を揺さぶる。
100人近くいるだろうか。俺の前で,シルエットになった後頭部が重なっている。去年までなら,このやり取りは見えない。だが,今年はステージがリニューアルされていた。後方の壁に大型のスクリーンがある。1回戦で台湾の写真を写したものだ。だから,この茶番の一部始終がわかる。
『オッス!!』
力いっぱい叫ぶと,グリーンが立ち上がった。よろけながら,スクワットの輪に戻る。元木が,うなずいて,絶叫を再開した。
「予想通りですね。」
そう聞こえた。隣を見ると,マトリョンと目が合う。うっすらと呆れ笑いを浮かべている。俺は,笑みを返して,「リング」に視線を戻す。突然音が小さくなったからだ。
『よーし。ここからが本番だ。本邦初公開,パンドラちゃん名物,アート・プロレス!!』
元木が叫んだ。名物なのに初公開。細かいところで笑いを取りに来ている。
『なんか誤解があるみたいだけどさ,うちらはただの筋肉バカじゃない。だから,今日は,芸術的な一面を見せてやるよ。』
バカじゃない。言われてみれば,元木の英語は意外と正確だ。文法的な間違いは見当たらない。でも,それと芸術は…
『始め!!』
一旦姿を消したピンクとグリーンが,長い棒を持って現れる。ブルーとイエローは,白い布を手にしている。4人は,布の隅に棒を取り付ける。そして,アイコンタクトを交わすと,一気に持ち上げた。いつか見た光景を思い出す。書道パフォーマンの最後にやる作品披露だ。ただし,布に文字はない。
「…!!」
突然会場の照明が消えた。暗闇の中,ざわめきが広がる。だが,それもつかの間,すぐに明かりが点いた。天井のではない。布の向こうに置かれたスポットライトが点灯している。黄色い光のなか,2人のメンバーが影絵になっていた。
『おりゃーっ!!』
メンバーが,もう1人を背後から抱き上げた。そのまま後方に倒れ込む。腕で受け身を取る音が響いた。ひねりを加えたバックドロップ。と思うと,明かりが消えた。
『次は,これだ!!』
スポットが再点灯した。緑色の背景に2人のメンバーが浮かんでいる。すぐに,スクラムのように肩が組まれた。1人が,腕を伸ばしながら重心を落とす。トランクスに手をかけて,相手の腰のあたりを掴んだ。上半身を起こして,やはり背中から「リング」に。垂直落下式ブレーンバスター。そこで,また暗転。
『まだ,まだぁーっ!!』
メンバーカラーなのだろう。今度は,青いフィルターがかかっていた。ブルーが,後ろから相手の胴に腕を回している。足元を確かめると,両脚を踏ん張った。相手の足が浮いて…ブリッジの体勢に。ジャーマンスープレックスホールドの完成だ。
笑い声が聞こえる。ブレーンバスターのときから気づいていた。技をかけられた相手の脚が不自然だ。
マトリョンを見る。まんざらでもない表情に見える。どうやら楽しみ始めているようだ。その横顔が闇に沈んだ。
『これでフィニッシュだ!!』
「リング」が淡い桃色に染まった。ピンクが,もう1人の左腕を取る。首の後ろに左足をかけて,後ろに倒れ込んだ。その勢いで相手を転がし…上半身を起こす。予想外の関節技が決まった。
「トライアングルランサー!!」
耳元で大きな声がした。マトリョンではない。振り向くと,浅岡の顔があった。興奮を抑えきれない,といった表情だ。
そうだった。浅岡も,筋金入りのプロレス好きだ。「プ女子」。そんな言葉が生まれる遥か昔からの…
高校時代,土曜の夜はライブをしたくなかった。プロレス中継があったからだ。当時はまだビデオが普及していなかった。だから,見逃すとそれまでだった。
「なるほど。そうきたか。」
浅岡は,感心したように声をもらした。最近テレビで目にする機会がない技だ。明らかにマトリョンは知らない。気のせいだろうか,悔しそうに見える。
気づくと,スポットは消えて,地明かりが舞台を照らしている。次第に拍手が大きくなってきた。ブルーとイエローが,視線を交わす。棒を支える手の力を緩めた。
『6人目のメンバー・『箱推し君』に拍手!!』
元木が,「リング」中央を指差した。布が落ちて,「3人」のメンバーが視界に飛び込む。グリーンとピンクに肩を組まれているのは,黒いマスク。等身大の人形だった。
マスクは物販で買えるグッズだ。メンバーカラー以外に箱推し―グループのファン―用の黒が用意されていた。そういえば,動画サイトで見たことがある。美宙祈の初代マネージャーが被っていた。
『いいね。今日のお客さんは,男のロマンがわかるようだ。』
元木が,誇らしげに言った。いちおう女なのだが。ブルーとイエローが,布を引きずり退場する。
『続いて,パンドラちゃん名物その2・プロレスあるあるだ!!』
元木が「パチン」と指を鳴らした。それを合図にBGMが流れ出す。プロレスファンには懐かしい名レスラーの入場テーマだ。
ゴングが鳴った。グリーンとピンクが,互いを目がけて駆け出す。ラリアットを狙うピンク。グリーンが身をかがめてかわした。振り向きざまにドロップキック。倒れたピンクを踏みつける。5発,6発…ピンクが動かなくなった。グリーンが,ドラムの後ろから何か引っ張り出す。パイプ椅子だ。ピンクが,よろよろと立ち上がる。グリーンが椅子を振り下ろした。と,ピンクが「蘇生」!前蹴りを繰り出した。足の裏が座面をとらえる。押し戻された椅子が…グリーンの顔面を直撃!もんどりうって倒れ込む。
どよめきが会場を包んだ。近くにいた女性客は,あっけにとられている。マトリョンは…想定内ということか,いたって冷静に見える。元木が,マイクを手に取った。
『プロレスあるある・その1,凶器は,かなりの確率で,持ち出したヤツがやられる。じゃあ,その2!いってみよう!』
両脇にグリーンの脚を抱え,ピンクがはけていく。代わって,ブルーとイエローが入場した。2人は,徐々に距離をつめる。ブルーが誘うような仕草を見せた。イエローの水平チョップ。2発,3発…倒れない。逆に,ブルーの張り手。乾いた音が響いた。よろけたイエローのバックに回るブルー。スリーパーホールド!がっちり入った。舞台の照明が落ちる。ピンスポットだけが,2人をとらえている。イエローは,両腕を振り回してもがく。逃げられない。すると,ブルーの右手が,イエローのマスクにかかった。目のあたりに指を入れて…一気に引き裂いた。あらかじめ切れ目が入っていたのだろう。覆面は簡単にはがれた。顔を覆ってうずくまるイエロー。ブルーは,勝ち誇って仁王立ちしている。そこに,何か投げ込まれる。拾い上げて,顔を隠すイエロー。
『プロレスあるある・その2,マスクがはがされると,いいタイミングでタオルが飛んでくる。って,おい!』
元木が,慌てた様子でイエローに近づいた。かがんで,手にした布を確認する。キラキラした素材の…
『これタオルじゃないだろ!!』
スポットが横に移動する。円のなかにピンクが収まった。「しまった!」という表情で…
『お前が,顔さらしてどうすんねん!!』




