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第20回

「盛況ですね。」

「えっ…あ…」

 後ろから声をかけられた。振り向くと,五十嵐が笑っている。

「どうも。お久しぶり,ですかね。」

「うん。いや。そうでもないかな。」

 メールのやり取りはしているから,久しぶりという感覚はない。むしろ…

「もしかして,ヒマなんですか?結構頻繁に会ってるような気がしないでもないというか…」

「心外ですね。暇じゃないです。様子を見に来たんですよ,メイリンの。これでもいちおう研究者ですから。」

 そうだった。病院坂との対戦の後,メールを送っていた。演劇部の生徒から血のりの話を聞く前だ。 

「でも,すぐに知らせましたよね。あれはバグじゃなかったって。でも,それより,こんな時間に…」

「そうですが,まあとりあえず,ですよ。」

 そう言って五十嵐は,周囲を見回す。時計は5時を回っている。17時ではない。「アイドル・ナイト」は最後のプログラム―物販の時間に入っていた。

 第何部になるのだろう。クイズの後も,ひたすらゆるい企画が繰り出された。基本的にすべてマトリョンのさじ加減だ。それで,次第に休憩時間が長くなる。途中から寝始める客もいた。それでも,途中で帰った人は,ほとんどいない。終電を気にする必要がないからだ。こういうとき,「車社会」の地方都市は便利だ。

 メイリンも楽屋から戻っている。深夜はダメでも早朝はセーフ,ということだ。以前そんなイベントがあったと聞いて参考にした。

「これ,ファンにとってはいい企画ですね。客の数は少ないし,時間はたっぷりあるし…接触のイベントとしては,かなり秀逸じゃないですか。」

 五十嵐は,プログラムを見ながら言う。プログラムと言っても,2色刷りのペラペラの紙だ。木崎が予算をケチるから,クオリティーが低い。

「接触。研究してますね,アイドルのこと。」

「研究じゃないですよ。だって,角脇さん,メールで遠慮なくアイドル用語,って言うんですか?使うじゃないですか。検索してるうちに自然に覚えます。」

「確かに…」

 用語。気づかないうちに当たり前になっていた。職場でも根本には通じるから,つい…

 俺もすっかり運営の人間になった,ということか。それより,五十嵐だ。ずいぶん口数が多くなった気がする。あの「省エネ」なしゃべりが嘘のようだ。

「角脇さん,ちょっと!」

「うん。」

 言いたいことはすぐわかった。中年の男がメイリンと握手している。手を離そうとしないのだろう。マトリョンが間に入るのが見える。すぐに「はがし」にかかった。すまなそうな表情で場を収めようとしている。それで,ようやく男が諦めた。しぶしぶという顔でメイリンから離れる。

「厄介さん,ですね。」

「うん。でも,それ,今までメールで使ったことないような…」

「そうでしたっけ。でも,よかったですね。マトリョンさんじゃなくて。メイリンだったら,推しがストーカーになっても,心配ないですよ。最悪相手が骨を折られるくらいで済みますから。」

「まあね。」

 思い出した。あの席。第2部では空席になっていた。マトリョンには興味がない。だから,どこかで時間をつぶして戻って来た。そういうことだろう。

「でも,ほんとにいるんですね,ああいう人。」

「そうだね。ただでさえ,人との距離感って難しいのに,こういう非日常というか,特にこんな町じゃ特殊な状況だから。余計に距離の感覚がわかりにくくなるのかもしれない。」

 男が,俺たちの前を通り過ぎる。一瞬目が合った。俺と同年代だろうか。いや。少し下かもしれない。髪は薄いが,肌はそれほど老けていない。男は,ドアを開けて出て行く。振り向こうとしたが止めた。そんなふうに見えた。

「そうかもしれません。アイドルとファンのトラブルって地方のほうが起こりやすいって言う人もいますから。」

「ああ。いずれにしても,気をつけるに越したことは…」

 最後の客との握手が終わったようだ。マトリョンが,マイクを手に取る。

「みなさん。ありがとうございます。これで本日の日程はすべて終了となります。本当に長時間ありがとうございました。」

 マトリョンが深々と頭を下げる。メイリンも自然とそれに従う。拍手が起こり,周囲が温かい空気で満たされていく。

「来た人たちは,きっと達成感がありますよね。なにしろ長時間ですから。これでマトリョーシカが有名になったりしたら,自慢するんでしょうね。伝説のイベントに参加した,なんて。」

「確かに。最古参を名乗るには,いいエピソードかもしれない…」

 ふと思う。そう言う五十風自身,見ておきたかったのかもしれない。彼女も,ある意味スタッフだから。それに,もしかしたら個人的な興味も…

 マトリョンがメイリンの肩を抱いた。手を振りながら楽屋に消えていく。手を振り返す人。拍手を続ける人。それぞれのやり方で2人を見送る。

「さて。私も帰ります。」

 とりあえず見届けた。五十風からそんな雰囲気が伝わってくる。と思うと,俺の耳に口を寄せてささやく。

「角脇さん。私,しばらく来れなくなるかもしれません。実は,敵対する組織の拠点が見つかりました。これから攻撃を仕掛けることになりそうです。」

 その声は,遠い世界からのように響いた。きっとたくさんの血が流れる。路地裏の光景がフラッシュバックした。腕を折られた男。無表情のヒューマノイド。それから…

 どうやっても繋がらない。退屈が支配する寂れた町。場末のライブハウスの和やかなひと時。地続きの出来事とは思えない。

「でも,角脇さんは大丈夫です。」

「え?俺?」

「いえ。何でもありません。それよりひきました?こんな物騒な話を普通にして…」

 マトリョンとメイリンが楽屋から出て来た。五十風に会釈して入口に移動する。客をハイタッチで見送るためだ。

「いや,別に。他人の研究を力づくで横取りするような連中が何人死のうが俺にはどうでもいい。」

「そう言うと思ってました。」

 五十風は,安心したように笑みを見せた。珍しくドヤ顔以外の笑顔だ。

「ブログに書いてましたよね。刑事ドラマは見ない。犯人に発砲しない警官を見てるとストレスがたまるから,って。」

 やっぱり似ていると思う。思えば,五十風とマトリョンにはほとんど接点がない。いつかマトリョンが言った。もうマトリョーシカはチームだ,と。その際,マトリョンは五十嵐の名を挙げなかった。女の世界はよくわからない。近親憎悪のような感情だろうか。

「ああ。アメリカに生まれたら警官になってたかもね。」

「あ…じゃあ。私はこれで。」

 客が動き始めた。その前に,ということだろう。五十風は,ショルダーバッグのストラップを直した。そして,2,3歩踏み出して振り返る。

「そうでした。例の件,なんとかOKが出ました。」



 朝の光が現実に引き戻す。駅の南口は,県庁や市役所に向かう人たちを吐き出し続ける。それは,ひどく地味なパレードに見える。俺は,「行進」に逆らって歩いている。隣には,マトリョンとメイリンがいる。

 もう夏休みに入った学校もある。でも,社会人には関係ない。俺とマトリョンは年休を取っていた。動き続ける人波。そのなかに知っている顔をいくつか見つけた。向こうも気づいたかもしれない。だが,互いに挨拶することはなかった。俺たちは,それほど異質に見えるということだろう。

「なんかあっけないですね。始まる前は,けっこうたいへんかも,とか思ってたのに。」

 マトリョンが空を見上げて言った。猛暑になることを確信させる青さだ。でも,どこかあっけらかんとしたこの感じ…

 思い出した。大学の学園祭だ。模擬店の片づけの後,校舎の窓から見えた空。あれは,11月だったから,感じる空気は全然違う。でも,どこかあっけなくて,それでいて,達成感もなくはない。なんとなく似ていると思う。 

「おい。角脇。何やってるんだよ,こんなところで。」

 誰も声をかけてこない。そう思い込んでいた。驚いて足を止めると,見たくもないツラがあった。感情が顔に出るのがはっきりとわかる。

「なんだ。中林か。早いな。重役出勤ってのは,もっと…いや。悪い。まだ部長だったかな。」

 高校の同級生だ。この近くの会社に勤めていると聞いたことがある。早く話を終わらせたくて,思い切り皮肉を言った。上から目線な野郎で,昔から合わないと思っていた。

 言葉を探しているのか。それとも,ただ気になるだけか。中林の視線が,盗み見るようにマトリョンとメイリンを行き来する。

「まあ今のところはな。でも,暇そうでうらやましいよ。事務次長さんは。」

 会いたいヤツには個々に会えばいい。というか,自然に会うようになる。だから,同窓会というものに出たことがない。こいつとは一生顔を合わせることもないと思っていた。

「別に暇というわけでもないんだが。でも,暇が悪いわけじゃない。今どき長時間労働がかっこいいいなんて,とんだ時代錯誤だ。」

 ふとマトリョンを見た。緊張した表情で,俺を見上げている。メイリンはいつもの「観察モード」。のはずだが,どこか敵意のようなものを感じる。俺が声を荒げれば,中林を殴り倒しかねないような…

「なるほど。考え方はそれぞれだ。お前とわかり合おうなんて思ってないよ。俺には,お前のやってることが全然理解できないからな。ご当地アイドルとか,もうさっぱりだ。」

 本当に面倒だ。時計を見る。帰りの電車まであまり時間がない。

「そうだろうな。でも,楽しいよ。そういえば,お前ら,高校の学祭の合唱の音源だっけ?カセットテープが見つかった,とかで大騒ぎしてるみたいだな。」

 経緯は覚えていない。が,高校のクラスのメーリングリストにはいちおう入っている。それで,どうでもいいメールが時々届く。ろくに読みもしないが,そんなタイトルを見かけた気がする。

「ああ。それがどうした?」

「俺なんて,毎日学園祭やってるみたいなもんだ。しかも,口うるさい教師もいない。ほんと楽しくてしょうがねえよ。さて。そろそろ行くか。お忙しい部長さんをこれ以上引き留めちゃ申し訳ない。じゃ。」

 そう言うと,俺は一歩踏み出した。最後のほうは中林の顔を見ていない。

『!』

 マトリョンの腕が,俺の右腕にからみついた。一瞬遅れて,メイリンは左腕に…

『おい。ちょっと…』

 俺は,両側から腕を組まれる形になった。すれ違う人たちの視線を感じる。マトリョンが,耳元でささやく。

「角脇さん。たとえば,あの人の奥さんの実家がどんなに裕福でも,あの人の子どもが通う学校の偏差値がどんなに高くても,今は角脇さんが勝ち組です。」

 いつもの悪戯っぽい笑みがこぼれる。俺は,振り向こうとして,止めた。そして,心のなか,人生いちばんのドヤ顔を作ってやった。



 エアコンの風が前髪を揺らしている。俺は,座椅子で眠るマトリョンに毛布をかけてやった。

『なんか眠れません。まだちょっと興奮してるのかなって…』

 2階からマトリョンが降りて来た。だから,俺も部屋に行かず,居間のテレビをつけた。それなのに,10分もしないうちに寝息が…

 朝の情報番組は,芸能ニュースを流していた。画面には,アイドルの握手会の様子が映っている。レーンに並ぶ人は,数千人というレベルだ。グループの主力メンバーが卒業するとかで,握手会への参加は最後だったらしい。

「角脇サン。質問シテモイイデスカ?」

 メイリンが「元気いっぱい」に言った。深夜から早朝にかけて,楽屋で充電を済ませていたからだ。

「うん。構わないよ。」

 暇つぶしにちょうどいいと思う。眠気のピークを過ぎた,とでもいうのか。すぐに眠れる気がしなくなっていた。

「アリガトウゴザイマス。ナゼ人ハ,オ金ヲ払ッテ握手ヲスルノデスカ?」

「握手…」

 また難問だ。俺自身,握手会に参加したことはない。だから,金を払ってタレントと握手したいという心理は理解できない。

「歴史ヲ辿レバ,握手ノ起源ハ,敵意ガナイコトヲ相手二示ス手段デス。ソノ後,友好関係ヲ表ス行為トシテ定着シマシタ。」

 それはわかっている。確か,武器を持っていないことを伝えるために…

「ナゼソコニオ金ノヤリ取リガ発生スルヨウニナッタノデショウカ。ソモソモ握手ヲスル必要性ガ見当タリマセン。並ンデイルノハ,芸能人ノファンデス。関係性ニオイテ敵意ハ存在シナイハズデハナイデショウカ。」

 メイリンの言葉が止まった。答えを待っているのか。それとも何かデータを検索して…

「訂正シマス。敵意ヲ持ッテ参加スル人モイマス。デモ,ソレハゴク少数デス。」

 メジャーアイドルの握手会で起きた事件。そのことを言っているのだろう。メイリンは,データを統合して思考を「形成」しようとしている。

 俺も考えてみる。握手。接触。それは,好きな相手に触れたいという感覚なのか。それもあるかもしれない。でも,それだけでは…

「答エラレナイヨウデスネ。申シ訳アリマセン。質問ガ難シ過ギタデショウカ。」

「ごめん。ちょっと考えがまとまらなくて,時間をもらえれば,また…」

 メイリンの瞳は,微動が止まらない。事態を収束させるのは,俺には不可能だ。追い打ちをかけるように,またメイリンの口が開く。

「モウヒトツワカラナイコトガデキマシタ。角脇サンハ,握手会ヲ企画スル立場デス。マーケティングノ観点カラスレバ,ユーザーノ心理ヲ分析スルコトハ必須ノハズデス。」

「それは…まあそうなんだけどね…」

 正論だ。でも,考えるまでもない,と言っていいだろう。アイドルと握手会。それは,切っても切れない関係だ。今の日本では,そう考えるのが当然になっている。だから,いちいち物販で握手するかどうかなんて…いや,違う。

 祭り。アイラとそう話した。それは間違いじゃない。でも,学園祭とはもうレベルが違う。巻き込む人の数も,金の額もだ。的確な分析なしでは乗り切れないだろう。相手について,だけじゃない。観客についても。

『普通のやり方じゃ勝てません。』

 マトリョンはそう言った。パンドラちゃんとの2回戦。その「必勝法」を提案したときだ。無茶な思いつきに,俺は難色を示した。だが,真剣に考えていたのは彼女のほうだった。

 余計にメイリンを混乱させることになる。それは間違いないだろう。それでも,答えの代わりに口にする。

「ありがとう。いい質問だったよ。」

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