表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/34

第19回

「おう。来たな。」

「ああ。差し入れ持ってきた。と言っても,もう終わったみたいだな。」

 俺は,抱えていた袋をカウンターに置いた。木崎が,何か言いたげに,それを見つめる。

「言いたいことはわかる。いつも同じ菓子じゃ芸がない,って言いたいんだろ?でもな,この時間じゃ,開いてる店も限られる。都会じゃないんだから,選択肢が…」

 俺は,ふと気づいて言葉を切った。カウンターの奥に同じ袋がある。

「柿沼か?」

「ああ。さっきまでいたんだが…」

 木崎は,少し疲れたという雰囲気だ。思い出したように,コーヒーを淹れ始める。

「あいつ,どんな様子だった?」

「すっきりした感じだったよ。いよいよ覚悟を決めた,ってところか。まあ,ほとんどがどうでもいいバカ話だったが。」

「そうか…」

 俺は思い出す。最近柿沼と話したのは,2,3日前だ。電話で,マトリョンの職場での様子を聞いた。開き直った人間には,いろいろ言いにくくなる。表面上は,特に何もないようだ。もちろん,予想はできていたが。今のマトリョンにとっては,「アイドル異種格闘技」がほぼ全てだ。職場での立場なんて気にならないだろう。

 だから,それは口実だった。知りたかったのは,柿沼の様子だ。MV撮影のときの投げやりな態度が気になっていた。まあ,そっちも,想定内の答えが返って来た。

「あいつ,ツアーの話してたか?」

「ああ。聡子のライブだな。その話のときは,楽しそうだったな。『授業参観ツアー』とか,勝手なタイトルつけて…」

 美宙祈が,夏のライブハウスツアーを行う。柿沼は,全日程に同行すると言っていた。移動には,レンタルのワゴン車を使うらしい。確かに,その話をする声は弾んでいた。

 レンタカーのワゴン。学生の頃を思い出す。木崎と柿沼は,遠くのライブハウスに出るとき,よく使っていた。俺や浅岡も同乗して,一緒に地方を回ったこともある。当然車中泊で,快適さとはほど遠い道中だった。トラブルも,いろいろあった。でも,思い返すと,全部楽しかった気がする。もし俺に「青春」と呼べるものがあったとすれば,あの頃だった。そんな気さえした。

「また勝手に回想に浸りやがって。」

 木崎が,カップを手渡しながら言った。俺は,軽くうなずいて受け取る。

「いいだろ。お前だって同じじゃないのか?」

「まあ,そんなとこだ。今でも時々夢を見ることがある。ワゴンに楽器を積んで,柿沼たちと全国を回る。途中で,お前や浅岡が,勝手に乗り込んできて,車内が狭くて,ほんと迷惑なんだが。」

 期間限定だから輝きがある。よくそう言われる。俺たちも,そんな時間は長く続かなかった。今,美宙祈も,そんな時期なのかもしれない。

「お前のほうが重症だよ。それに,人数が多いほうが楽しい,って言ってただろ?」

 皮肉なものだ。4人のなかで,1人だけ「大人」になることを選んだ。そんな柿沼が,また「ガキ」に戻ろうとしている。

「ところで,何か言うことがあるだろ?」

 そう言って,木崎は店のなかを見回す。殺風景だったロビーは,すっかり様子が変わっている。使い古したソファーがない。代わりに,テーブルと椅子が何組か置かれている。

「なるほど。ずいぶんマシになったな。すっかり場末感がなくなってる。」

「お前,もう少し言い方ってもんがあるだろ?リニューアル準備完了おめでとう,とか。」

「なに言ってんだよ。ほとんど甲田君と瀬田ちゃんにやらせたくせに。」

 2人の姿はない。でも,木崎は,こんなセンスを持ち合わせてない。安いバイト代でやらせたのは間違いない。

「ああ。暇そうにしてたからな。特に,凌平は。」

「それにしても,お前が,ほんとにカフェを始めるとは思わなかったよ。俺は,冗談で言っただけなのに。」

「勘違いすんなよ。お前に影響されたわけじゃない。前から一度やってみたかったんだよ。喫茶店のマスターってヤツをな。」

 そういえば,美宙祈や仲間たちは,木崎を「マスター」と呼んでいる。それで,そんな気になったのかもしれない。

「わかってるよ,それくらい。まあ,お前は,昔からコーヒーを淹れるのだけはうまかったからな。」

 そう言って,俺は,カップから一口すする。くやしいが,本当に美味い。でも,本気で弾いたら超絶テクのギタリスト。そう認めるのは,もっとくやしい。

「とにかく心配すんな。経営に失敗したって,お前のせいにしたりしないからな。」

「ほお。そりゃ,ありがたいね。じゃあ,ひとついい情報をやるよ。アキバじゃ,メイドカフェは,平均1年しかもたないらしい。長続きしなくても,自分を責めなくていい。」

 アイラの受け売りだ。いつか店で言っていた。まあ,俺に言われるまでもなく,木崎もわかっているだろう。店を続ける難しさくらいは。

「そこらのメイドカフェと一緒にするなよ。本格コーヒーが飲める硬派な店だ。でも,それなら,リニューアル1年を迎えたら,祝ってもらうことにするか。」

「ああ。飯くらいおごってやる。正直言うとな…」

 俺は,カウンターの丸椅子に腰かける。木崎に向き直ると,いつものように鈍い音を立てた。新しい椅子より,こっちのほうが落ち着く。

「ここが本格的なたまり場所になるのは,ありがたい。」

「やっぱりな。お前や浅岡のたまり場になるのがオチだってことか。まあ,金を使ってくれるなら,文句はないけどな。まあ,このカウンターは『おっさん専用』にして,あっちと隔離すれば,問題ないだろ。」

 木崎は,奥の真新しいエリアに目をやる。カウンターとは,スタジオに向かう通路で隔てられている。

「隔離か。まあ,そっちのほうがありがたいけどな。町のカフェでも,若いヤツらがはしゃいで,静かにコーヒーも飲めやしない。」

「それはわかるが,残念ながら,ここは東京じゃない。カフェは静かな場所,なんて,この田舎じゃ,ただの幻想だ。」

 マトリョンとも同じ話をしたことがある。ただの若者ならいい。最悪なのは,センスのないヤンキーが群れることだ。まあ,とりあえず,木崎も,それなりに調査はしているということだ。

「へえ。そこまでわかっててやるなら,いいんじゃないか。これからは,名実ともにマスターとして頑張って…」

 入口のドアが開いた。振り向くと,汗だくで甲田が立っている。

「瀬田ちゃん送ってきました。」

「おお。ご苦労さん。」

 木崎が,何か放り投げた。冷えたおしぼりだ。受け取った甲田は,首筋に当てながら言う。

「どうも。ビラ配りもバッチリしてきました。」

 甲田の手には,紙が何枚か握られている。ネット印刷だろうか。明らかに金がかかっていない出来だ。

「すっかり使われてるな。嫌なことは嫌って言わないと…」

 俺は,そう言いながら手を伸ばした。甲田が,どこか気まずそうに1枚手渡す。

「おいっ!!聞いてねえよ。」

 思わず声がもれた。画素の粗い写真は,マトリョーシカのものだ。

『開店記念!アイドル・ナイト開催!話題のロコドル・マトリョーシカが給仕します!』

 木崎は,それには答えない。思い出したように,笑いながら言う。

「おっと。言い忘れてた。コーヒー,ゆっくり味わえよ。それが最後の無料の一杯だからな。」



「改めまして,こんばんは。『アイドル・ナイト』へようこそ。」

 マトリョンが,丁寧に頭を下げた。拍手が起こるが,どこか寂しく感じる。無理もない。一度東京のイベントを経験すると,落差に戸惑う。

「第1回ということで,どれくらいお客さんが来てくれるかわからなかったんですが…」

 言葉を切って,マトリョンは店の奥を見る。カウンターを背にして,ハンドマイクで話している。ライブハウスのロビーだから,実際はマイクも必要ない。ただの気分だ。

「なんとソールドアウトです!ありがとうございます!!」

 マトリョンの右手が,左の肘あたりを叩く。マイクを持ったままでの拍手。アイドルがやる定番の動作だ。15人ほどの客が,それに従う。1つ空席があるが,「第1部」では満席だった。

 冷静に考えれば,寂しい,なんて言えない。こういうイベントに興味を持つ人自体が少ない。悲しいが,ここはそういう町だ。それが,いちおう売り切れになっている。しかも,平日の夜にだ。感謝しないといけない状況だろう。

「今日は,深夜まで一緒に楽しみたいと思うんですが,少しこのイベントの趣旨について説明させてください。」

 マトリョンは,そう言って視線を送ってきた。俺は,店の隅で壁にもたれている。ビデオカメラを回すためだ。軽くうなずくと,マトリョンが続ける。

「この町では,この時間って,開いている店は限られてますよね。居酒屋とか,あとは…エッチなお店とか。」

 笑いが起こる。客は,ほとんどが男性。しかも,というか,やはり年齢層は高い。つかみはオッケー,というところだ。

 時計を見る。9時過ぎだ。メイリンは,少し前に引き揚げさせた。年齢は公表していない。でも,いちおう労働基準を意識した体にした。

「わたし,悪い癖かもしれませんが,つい東京と比べてしまうんです。ほら,東京だと,夜遅くまで開いている店とかありますよね。ただの居酒屋じゃなくて,店の外に椅子があったりして,相席になった人同士が,気軽に声をかけて会話が始まったりして。ね。そういう店ありますよね?」

 店の規模が小さいからだろう。マトリョンは,リラックスした様子だ。うなずいた客とアイコンタクトする余裕もある。

「それから,マネージャーから聞いた話なんですけど,東京のメイドカフェでは…」

 そう言って,マトリョンはスカートに手をやった。木崎が用意した安物のメイド服だ。どこが「硬派な店」だって?「アイドル・ナイト」なんて微妙なネーミングにして。「メイドカフェ」というと,いろいろと面倒だからだろう。間違いなくそうだ。

「全部ではないですけど,夜になると,お客さん同士が話しやすい雰囲気になって,仲良くなると,オフ会とかするようになる店もあるらしいんですよ。楽しそうですよね。」

 これも,アイラから聞いた話だ。俺がアキバ通いをやめた理由のひとつだった。休日の昼間だけ通っても,それ以上ディープには楽しめない。そう悟ったわけだ。

「だから,この町でも,仕事帰りとかに,ふと思い出して立ち寄って,同じ空間に居合わせた人たちと楽しく過ごせる。そんな場所ができたらと思って,マスターからのお話を受けることにしたんです。まだ,次の開催も決まってなくて,しばらく不定期になると思うんですが,できる限り頻繁にやりたいと思ってます。」

 また拍手が起こる。和やかな雰囲気だ。毒舌ドSキャラ。すっかり定着したが,この場では必要ないようだ。

「それに,いつかあっち…」

 マトリョンは,通路の奥を指差す。金属製の扉の取っ手が鈍く光っている。

「ステージとフロアを使ってできたら,って思ってます。もっと工夫して,集客力をアップしないとダメなんですけどね。でも,頑張りますよ。」

「すぐできるよ。」

 俺の近くに座っている甲田が言った。賛同した他の客が手を叩く。

「もちろん楽しみ方は自由ですが,地方に暮らすサブカル好きとして気持ちを共有できれば,なんて思って,こんな話をさせてもらいました。」

 マトリョンと目が合う。俺は,大きくうなずいた。言いたいことは言ってくれた。それに,締めも予想以上によかった。

「おつきあいいただき,ありがとうございます。柄にもなく,語っちゃいました。では,ここからは,少しゆるくいきたいと思います。クイズ大会なんてどうでしょう?クイズ大会というからには,もちろん賞品もありますよ。」

 マトリョンは,スカートのポケットに手を入れた。取り出したのは,小さな紙だ。折られていたのが,パラパラと広がった。折り目のついた回数券になっている。

「このカフェのコーヒー無料券です。このイベントを盛り上げるために,マスターが快く提供してくれました。なんと30枚つづりなんです!これさえあれば,毎日ここに通えますね。みなさんもご存じかもしれませんが,マスターは,あの美宙祈さんのアドバイザーなんですよ。さすがですね。」

 拍手が起こった。カウンターの木崎を見る。持ち上げられて,悪い気はしない。木崎は,照れくさそうに目をそらせた。

「ありがとうございます。では,クイズのタイトルですが…ここは,やっぱりマスターに感謝して…『マスターについて知ろう!クイズ木崎丈』!!」

 今度は笑いが起こった。また木崎を見る。予想通り,俺と甲田を交互に睨みつけている。

『聞いてねえぞ。ネタにしやがって。』

 顔にそう書いてある。それなら,おあいこだろう。マネージャーを通さないオファー。言ってみれば,今回は「闇営業」だ。マトリョンが振り向いて,木崎に言う。

「マスター。顔がこわいですよ。ダメですって。お客さん相手なんだから。ほら。スマイル!」

「勝手にしろ。」

「そうさせていただきます。」 

 2人のやりとりに笑いが起こる。ふと思う。きっとこれが,マトリョンの「素」なのだろう。いじめに遭う前の。本人が意識しているかはわからない。ともかく,マトリョンは,本来の自分を取り戻しつつある。

 客には,違って見えるかもしれない。地元だからリラックスしている。いいだろう。それは,世間一般では,極めて健全な状況だ。意外と「ロコドル」としての才能が…

「では,第1問です。早押しでお答えください。マスターこと木崎さんが,小学3年生のとき,近所の川に落ちた理由は何でしょうか?」

「はいっ!!」 

 食い気味に手が挙がった。もちろん甲田だ。

「早速ありがとうございます。では,甲田さん。お願いします。」

 甲田は,ゆっくりと立ち上がった。カウンターを見ないように目を伏せている。木崎が店の奥に消えたことに気づいていない。

「好きな女の子に見とれてて,足を踏み外した。」

「惜しいっ!惜しいです!甲田さん。」 

 マトリョンは,手にしたメモで答えを確認する。そして,今日一番の笑顔を見せた。

「それは,中学3年のとき。川に3度目に落ちた理由です。」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ