第18回
「勝者 マトリョーシカ!」
プロデューサーが叫ぶようにアナウンスした。マトリョンが,メイリンを抱き寄せる。大きな拍手が会場を包む。
「しゅかりーん!!」
「リョン様!!」
コールには,チェリー・フォー以外の声も交じっている。2人は,手を振って応えた。マトリョンの顔に,安堵の色が見える。
俺も,大きく息を吐き出した。フロアの反応を考えたら,結果はほぼわかっていた。だから,書類審査のときほどではない。それでも,緊張しながら結果を待った。こんなことも,このプロジェクトに関わってからのことだ。
不思議な感覚に襲われる。まさか,この年になって,オーディション,のようなものを経験するとは。しかも,運営側で。
高校時代。大学受験でも,それほどプレッシャーを感じなかった。どんな大学に行くか。それは,重要ではなかった。東京に出ることが,最優先だったからだ。
東京でも,浅岡とバンドを組んでいた。その当時,オーディションを受けたことはない。
『大人の評価なんてどうでもいい。』
そんな風にカッコつけていた。実際には,自信がなかっただけだ。賞を獲るのも,プロでやっていくのも。上京する前の根拠のない自信。そんなものは,いつしか失せていた。あの頃は,浅岡も同じだった。仲間内で本気でプロ志向なのは,木崎だけだったわけだ。
大学4年の春。テレビのオーディション番組に,木崎と柿沼のバンドが出ることになった。演奏の撮影も終わった後のことだ。木崎を気に入っていたスタッフが,事件を起こして逮捕された。結果,番組は打ち切りになり,木崎のプロへの道も絶たれた。
『すまん。あの話はなくなった。わるいな。』
木崎の紹介で,俺たちも,その番組に出ることになっていた。木崎は,それを詫びた。自分がいちばん辛いのに笑っていた。それをよく覚えている。
「ありがとうございます。これからも勝ち進めるように頑張りますので,応援よろしくお願いします。」
マイクを渡されたマトリョンが笑顔で言った。メイリンは,タブレットに何か打ち込んでいる。気づいたマトリョンが,画面をのぞき込む。
「はい。しゅかりんから皆さんにメッセージです。『ありがとうございます。次のパフォーマンスも楽しみにしていてください。』…ということです。」
大きな拍手が起こる。マトリョンに笑みがこぼれる。それを見て,メイリンも表情を変えた。感心する。五十嵐が自慢するだけの学習能力の高さだ。ずいぶん笑顔らしくなった。思えば,2人は,もうそれなりに時間を重ねてきた。きっと,俺のいないところでも…
「えーっ!!」
そんな感慨は,突然断ち切られた。会場がどよめいている。複数の頭越しに見えるのは,予想外の光景だった。ロリータ服の少女たちが泣き崩れている。雄叫びを上げているのは,覆面の集団だ。
『勝者 パンチ・ドランク・チャンスメイカーズ!!』
アナウンスはそう告げた。動揺は,ステージ上でも変わらない。結果発表を信じられず,あっけに取られるアイドルもいた。ロリータ服のほうは,参加者のなかで群を抜いて知名度が高い。それなりの数の固定ファンもついていた。それにひきかえ,覆面軍団は,前回初戦敗退。今回も,前評判は高くなかった。
赤い覆面の女が,スタッフからマイクを引ったくった。「ハンセン元木」と名乗るリーダーだ。
「マッスルズ・ネバー・ラーイッ!!!」
渾身のシャウトだった。だが,反応は小さい。元木は,じれったそうに続ける。
「お前ら,英語わかんねえのか?筋肉はウソつかない,って言ってんだよ!!」
やっと拍手が起こった。客たちは,少しずつ衝撃から解放され始めている。だが,まだ顔に「やっちまった」という色が見える者もいる。
『自分が面白がって投票しても,どうせ結果は変わらないし。』
そう思った客が意外に多かった。それが,絵に描いたような番狂わせにつながった。そういうことだろうか。
「まあいいや。やっとあたしらの良さがわかってきたみたいだな。ところで…」
元木が,マトリョーシカを見た。マトリョンが,身構えるように身体を硬くする。
「次は,そこのお嬢さんたちだ。」
なめ回すように,元木は2人を見比べる。視線が定まった。ターゲットは,メイリンのようだ。
「チビのお嬢ちゃん。ずいぶん運動神経がいいみたいだが,プロレスはどうだ?」
プロレス?これは,アイドルのイベントだ。いちおうではあるが。ふと気になって,プロデューサーを見る。面白いから好きにやれ,という表情だ。予想通り明らかに喜んでいる。
メイリンは,定番の「観察モード」…じゃない。思わず冷やっとする。瞳の動きが違う。「警戒レベル」ということか。一歩間違えたら,大参事だ。まさか元木も手を出したりしないだろうが。
「わかるか?小手先だけじゃ,勝てないのがこの世界なんだよ。」
ドヤ顔で決めた元木。会場からは笑いが聞こえる。アイドル界を語れる実績がないのは,みんな知っている。
「おいっ!!」
突然元木が慌て始めた。目を疑ってしまう。マトリョンが,元木からマイクを奪い取っていた。チェリー・フォーが,拳を突き上げた。
「プロレスができない?見くびらないでほしいですね。」
マトリョンは,最高に「悪い顔」になっている。メイリンの肩に手を置いて,元木を睨んだ。
「しゅかりんは,レスラーとしても超一流です!!」
「おい!!ちょっと…!!」
思わず声が漏れた。そう言いながら,耳を覆う。ひどく不愉快な音が響き渡った。叩きつけられたマイクが上げた悲鳴だった。
「やってくれますね。きっと弁償ですね。」
聞き覚えのある声だった。振り返ると,根本が笑っていた。
「わるいね。わざわざ来てくれて。」
「いいえ。それより,おめでとうございます。」
思い出したように根本が言った。「場外乱闘」のインパクトが大き過ぎる。すっかり勝利の喜びがかすんでいた。
「ありがとう。でも,終わってからもバトルがあるなんて思ってなかったよ。まあ,マトリョンは,決めつけてなかったからね。」
「あ。パンドラちゃんが勝つかも,って。」
「うん。」
大方の予想は,相手の楽勝だった。でも,マトリョンは違った。暇があると,プロレスの動画を見ていた。実は,俺も気になっていた。度を超えた筋肉バカぶり。それは,ネットでも,一部で話題になり始めていた。
「でも,なんか信じられないですね。マイク破壊ですよ。あの諒ちゃんが,こんな大胆なことするなんて。」
「うん。スイッチが入ったんだよ。病院坂との対戦でやり切ったと思ったら,まだ切れてなかったんだね。」
設定通りの毒舌ドSキャラ。今回も,見事に演じ切った。それだけこのイベントに賭けているのだろう。最初で最後の勝負。マトリョンは,そう思っているに違いない。
「やりたいことができているって,すごいですね。こんなに変われるんだから…」
一瞬,根本の笑みに影が差した。初めて見せる表情だった。
「どうかしたの?いつもとキャラが微妙に違うというか…」
「なんでもないですよ。それにしても,大きなアドバンテージじゃないですか。」
そう。普通に考えたら出来過ぎだ。勝負に勝っただけじゃない。マイクパフォーマンスでの快勝。次の対戦に向けても,有利な展開にしたのだから。でも…
パフォーマンスは,プロレス限定になった。ステージで,メイリンがプロレスをする。そう。プロレスだ。で,一体誰と?
「勝っちゃいました!」
気づくと,結果発表は終わっていた。マトリョンが,メイリンの肩を抱いて近づいてくる。少しほっとする。誇らしげな様子。ではあるが,いつもの照れ笑いが交じっている。
「根本さんも,ありがとうございます。」
「おめでとう!」
根本がマトリョンを抱きしめる。「観察モード」は数秒で十分だった。メイリンも,根本の身体に手を回す。
「お疲れさま。じゃあ,飯にしようか。よかったら,根本さんも…」
「あの…」
声がしたほうを振り返る。…6,7,8人。予想外に人数が多い。声をかけた女性には,見覚えがある。と思ったら,「探偵」。病院坂のメンバーたちだ。
「すみませんでしたっ!!」
探偵が,深々と頭を下げた。他のメンバーも,それに従う。みんな若い。間違いなく学生だと…思い出した。ライブハウスの入口で挨拶した集団だ。考えてみれば,あの時間は,まだ客の入場前だった。
「淑華さんが滑ったのは…おそらく,このせいです。」
探偵は,気まずそうに男の1人を指差す。キヨスケ役だったのだろう。服にべったりと血が…
「あ…」
キヨスケの血のりで滑った,ということか。バグではなかった。
「すみません。もっとよく掃除しておけば…」
「いいですよ。別に問題なかったですから。」
マトリョンが答えた。まあ,結果オーライだ。あれが,ダメ押しになったと言っていい。メイリンは,成分を分析しているのか。男のシャツの赤い部分を凝視している。
「みなさん,ずいぶんお若いんですね。」
根本が,感心したように言った。こういうとき,コミュ力の高さが救いになる。
「私たちは,北峯学院高校の演劇部です。あ。私は,臨時顧問の岸田と言います。顧問の先生が…その…病んでしまって…そのあいだ指導を任されたんです。それが…」
探偵が口ごもる。羞恥,後悔,自責。そんな感情が見える。
「岸田先生,辞めさせられるんです。春にやった公演が原因で。」
別のキヨスケが,寂しそうに言った。容易に想像できる。趣味に走って猟奇的な劇を上演したのだろう。それで,教師やPTAに睨まれて…
「だから,最後に思い出を作ろうって。でも,本当にすみません。恥ずかしいです。レベルが全然違いました。」
探偵は,消え入りそうな声だ。キヨスケたちも,身体を小さくしている。でも,それより居心地が悪そうなのは…マトリョンだ。自己嫌悪を隠せない様子で聞いている。
「本当にすみませんでした。次も絶対勝ってください。応援しています。」
彼らは,もう一度頭を下げる。部活動らしい揃った礼だ。頭を上げると,少し表情が崩れた。あとは,それぞれ謝罪を口にしながら去って行く。
「はぁ…」
マトリョンがため息をついた。小刻みに左右に首を振る。
「やりすぎちゃいました。高校生相手にあんな…」
「仕方ないよ。データがなかったんだし。それに,これは,アイドルが無茶やってつぶし合うイベントだろ?美宙祈も,古沢莉世も,SNSにそう書いてたし。」
「…そうですね。」
「ほら。なにより次は叩きのめしがいのある相手だろ?」
「…確かに…」
マトリョンは黙り込んだ。初めて勝つことの意味を知った学生。横顔は,そんな雰囲気だった。
「ドウシテマトリョンハ出テ来ナイノデスカ?」
帰宅してからも,マトリョンは落ち込んでいた。部屋に入ったきり出てこない。でも,自己嫌悪だけではないだろう。慣れない舌戦で疲れたはずだ。
「いろいろ考えてるだけだよ。ほっといてやろう。」
天井を見上げて言った。2階からは何の気配も感じられない。メイリンが,また口を開く。
「ヒトツ訊イテモイイデスカ?勝ツコトハ嬉シイコトデハナイノデスカ?」
勝つことの意味。マトリョンだけじゃない。メイリンも,それを考え始めている。でも,訊く相手が違う。俺だって,基本的に勝利とは無縁の側だ。
「うれしい。確かにそうかもしれない。でも,相手がいることだからね。相手のことを考えたら,喜んでばかりいられない,ってことだよ。」
「対戦相手デスカ?」
「うん。自分が頑張ると,相手が努力してきたこともわかるからね。」
「努力デスカ?」
努力。メイリンには必要ないものだ。だから,それに伴う感情を理解するのも無理がある。やれやれだ。また難易度の高い説明が要求されている。
「そうだな。メイリンは,ヒューマノイドだから,プログラムがきちんとされれば,人間に期待される動きができる。すぐにね。でも,人間は違うんだよ。目標ができたら,そのレベルに届くように,技術とか体力とかを上げないといけない。時間も手間も要る。」
「ソレヲ努力ト呼ブノハ分カリマス。」
「うん。それで,自分が努力していると,相手も努力していると思うようになる。だから,感情移入が起こるんだよ。」
「感情移入ノ定義ハワカリマス。デスガ…」
メイリンが口ごもった。瞳が小刻みに震えている。思考系統がうまく繋がらないのだろう。悪いのは俺だった。感情移入。メイリンへの説明ではNGの部類だ。
「そうだな。わかりやすく言うと,自分と同じくらい,とか,それ以上に相手が努力したと考えると,気の毒…という表現が適切かわからないけど,相手のことをいろいろ考えてしまう,ってことかな。」
一瞬瞳の揺れが収まる。と思うと,すぐに微動を再開する。
「トイウコトハ,負ケルト,努力ガ無駄ニナルノデスネ?」
「うーん。ムダというわけじゃないと思うよ。負けたことで,いろいろ見えてくるものがあるんじゃないかな。それに,ずっと頑張っていれば,次に勝てる確率が高くなる。」
「勝ッテモ,ソレホド嬉シク思エナイノニ,勝ツタメニマタ努力スルノデスカ?角脇サンノオ話ダト,負ケルホウガ価値ガアルヨウニ聞コエマス。」
その通りかもしれない。やっぱり説明は苦手だ。でも,ここで投げ出すわけにはいかない。こういう場合は,自分の経験に引き寄せて…
「もちろん,勝つことの意義は大きいよ。だって,音楽に関わっていたら,誰だって,自分がやってる音楽を広めたいと思う。努力して曲を作ったり,頑張って楽器の練習をしたりしてきたわけだから。つまり…相手の努力に敬意は払うけど,やっぱり,それより自分の努力のほうが大事ってことじゃないかな。」
勝つことの意味。今まで深く考えたことはなかった。でも,売れることの意味なら,バンドをやってた頃,よく考えたていた。
「ソウデスカ。デハ,今マデノ話ヲマトメマスト,勝ツコトニモ負ケルコトニモ意義ガアル。デモ,勝ツコトノホウニ少シダケメリットヲ感ジルコトガ多イ。コレデヨロシイデスカ?」
うなずくしかない。今の俺には,これが精一杯だ。まったく。この歳になって,こんな…
「オ時間ヲ取ラセテ申シ訳アリマセンデシタ。感情ニ関シテハ,教エテモラワナケレバ理解デキナイノデ。ソレデ,スミマセンガ,モウヒトツオ聞キシテヨロシイデスカ?」
「構わないよ。何?」
「結果発表ノ時ニ気ヅキマシタ。ドンナ表情ヲスレバイイノカ入力サレテイナイ,トイウコトデス。今ノオ話デ,勝ッタ時ノコトハワカリマシタ。デハ,負ケタ時ニハ,ドンナ表情ヲシタライイノデショウ?」
そこまで考えていなかった。というより,考えたくなかった。考えるのを避けていた,と言うべきか。やはり,優先すべきなのは,マトリョンだ。社会人になってから,初めて勝負らしい勝負をしている。それも,一大決心での大勝負だ。
俺は考える。俺にできなくて,メイリンにできること。浮かんできたのは,結果発表で見た光景だ。パンドラちゃんに負けたグループの姿…
「そのときは…表情なんて大事じゃない。そばにいて,抱きしめてやってくれないか。」
メイリンの瞳が運動を停止した。今度は…数秒経っても動き出さない。納得したようだ。
「ワカリマシタ。行動デ感情ノ代用ガデキル,トイウコトデスネ。ヤハリ,感情ヲ完全ニ理解スルノハ不可能デス。」
そうだろうか。メイリンのほうが,ずっと敏感だ。無神経に惰性で生きてる人間よりも。
『いや。そうでもないかもしれないよ。そのうち…』
そう言おうとして止めた。言ったら,また混乱させるだけだ。でも,メイリンは,こういうやり取りを繰り返していたら…なんて思える。
『アイドルってすごいと思わない?』
浅岡の言葉を思い出す。本当にそうだ。高校時代,物理はいつも赤点ギリギリだった。その俺が,ヒューマノイドの技術革新について考える。ありえないことだ。俺は,メイリンに気づかれないように,笑いを噛み殺す。
「角脇さん!!」
突然,居間のドアが開いた。振り向くと,マトリョンが顔を出している。ほっとする。気まずそうだが,目は輝いている。いや。違う。安心している場合じゃない。この顔は…
「パンドラちゃんとの対戦ですけど,必勝法思いついちゃいました。」




