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第16回


「ほら,あれですよ。あれ。」

 マトリョンが,はしゃいだ声を上げた。スマホを頭上に向けて,シャッターを切る。画面に,逆光気味に看板が収まる。だが,俺には,陽射しのほうが問題だ。早く中に入りたい。

「ああ。知ってるよ。」

「テンション低いですね。気になりません?どうやって取り外したのか,とか。」

「どうやって?脚立に上って,電動ドライバーでネジを外したんだろ?」

 俺たちは,「アイドル異種格闘技」の会場に来ている。話題の看板は,ある意味,去年の準決勝のMVP。ネットには,そんな声もある。

「簡単に言いますけど,かなり手間かかりますよ。それにしても,懲りないお店ですよね。去年,いろいろ壊されたりしたのに。」

「そう言うなよ。ここが会場を提供しなかったら,木崎が立候補してた。」

「あ。確かに。」

 マトリョンも知っていたようだ。去年,美宙祈の元カレが「卒業ライブ」をした。ノイズバンドまがいのパフォーマンスで,破壊行為に走ったと聞く。

『問題ねえよ。十分すぎる弁償代をもらったからな。コーヒーメーカーも新しくなったし。』

 木崎は,笑って言った。コーヒーメーカーをはじめ,ロビーの中は無傷だったはずだが。

「とにかく…」

「こんにちは!!」

 俺は,踏み出そうとした足を止める。若者の集団が現れて,大声で言った。マトリョンと顔を見合わせる。とりあえず会釈を返した。若者たちは,軽い足取りで中に入って行く。ロビーから,元気に挨拶する声が聞こえてきた。イベントの趣旨に不似合いの爽やかさだ。

「気が早いな。まだライブまで時間あるのに。よほど熱心なファンなんだろうけど。それにしても,客層も変わったのかな。マイナーなアイドルのイベントは,おっさんがメインのターゲットなのが,相場だけど。」

「時代は変わるんですよ。角脇さんには,お気の毒ですが。ますますついて行くのがたいへんになりますね。」

 からかうように,マトリョンが言った。もちろんわかっている。すべて本番前の緊張のせいだ。テンションが高いのも,軽口を叩くのも。それで,俺も乗っかることにする。

「そうでもないよ。最近,何かの記事で,仕事で褒められるよりSNSに『いいね』がついたほうがうれしい,っていう若者が増えてる,って読んだことがある。俺も,MVをアップしたり,ブログを始めて気づいたんだ。近いものがあるんじゃないか,って。」

「ええーっ!?そう思ってるのは,おじさんの側だけですよ。若い人は思ってます。『全然違う』って。それに,冷静に考えれば,ダメな若者が増えた,ってだけですから。」

「同じことだろ。いずれにしても,時代の空気が,俺に合うようになってきたんだよ。」

 ふと思い出して,メイリンを見る。大きなカートを持つと,身体の小ささが際立つ。

「メイリンはいいよな。歳を気にしなくて済むから。加齢恐怖なんて無縁だろ。」

 メイリンは周囲を見回す。かなり念入りだ。監視カメラの有無も確認中なのだろう。誰もいない。そう判断して,口を開く。

「ヒューマノイドニモ,製造年月日ハアリマス。ソノ点デハ,ワタシハ,カナリ旧型ノ部類デス。」

 心なしか浮かない表情に見える。マトリョンの緊張が伝わっているわけではないだろうが。

「とにかく,中に入ろう。こう暑いとかなわない。」

 俺は,カートを引いて,踏み出す。マトリョンが,後ろから俺の肩をつかんだ。

「そうだ!角脇さん。男子トイレの写真,お願いします。」



「探偵さん!待ってつかあさい!」

 バタバタと女中風の女が駆け寄る。「探偵」と呼ばれた「男」は,足を止めて,振り返る。衣装は,よれよれの着物だ。メイリンが着ていたのとほぼ同じだった。そう。マトリョンの作戦は,成功したと言える。

だが,相手も「クイズ」のことを知っているのだろう。微妙にハズしてきた。お釜帽ではない。かぶっているのは,黄色いチューリップハットだ。周囲から笑いがもれ聞こえる。ひどくマヌケな姿だ。

「どうしました?女中さん。」

 探偵が,歩み寄って言った。女の声だ。園児用の帽子のせいか,幼く見える。だが,声の感じだと,そこそこ歳はいっていそうだ。女中が,不安げにつぶやく。

「あのお屋敷は危険ですだ。魔物が住んでるっちゅう噂がありますきに。」

「魔物?」

 探偵が笑みをもらした。見栄を切るように,マントを翻して,背を向ける。

「心配は要りません。必ず事件の謎を解いて戻ります。」

「では,くれぐれもお気をつけて。」

 女中は,一礼すると,元来たほうへ駆け出す。慌ただしく,上手袖に消えた。ステージには,探偵一人だけ。女中を見送ると,客席に向き直った。ひと呼吸おいて,帽子を取り,うやうやしくお辞儀する。やはり,ボサボサのカツラは必須だ。探偵が,マイクスタンドを引き寄せた。

「病院坂四十九日,始めます。」

 言い終わるのと同時だった。内臓を揺らすような重低音が鳴り響いた。会場にざわめきが広がる。が,それは,すぐに失笑に変わった。

 両方の袖から,次々とメンバーが入ってくる。10人以上いるだろう。衣装は,バラバラだ。スーツもいれば,着物もある。だが,全員白いゴムマスクをかぶっている。

「正解だな。」

 隣にいるマトリョンに耳打ちした。俺たちがいるのは,フロアのいちばん後ろだ。目の前で,黒い影が幾重にも重なっている。その向こうで,頭を抱える探偵。マトリョンも,俺の耳に口を寄せて言う。

「やっぱり,チープなほうでしたね。」

 昭和初期が舞台の探偵小説。その世界を完全に再現する。これは,至難の業だ。メジャーなアーティストは別として,無名アイドルには無理だろう。だから,逆にクオリティーの低さで笑いを取ろうとする。俺たちは,そう予想した。チューリップハットに,雑な方言。正解,と言うよりやぶれかぶれだ。

 このイベントでは,ネタバレは致命傷になる。だから,楽屋は,黒いカーテンで仕切られている。本番前,揺れる布の向こうに,複数の人の気配を感じた。狭いスペースに,この姿で身を寄せ合っていた。そう思うと笑えてくる。

「どうしよう。キヨスケ君が,こんなにいっぱい。しかも,このなかには,犯人が交じっている。これでは…」

 探偵が,頭をかいた。ライトのなか,白い粉が舞い上がる。ここで暗転。周囲にどよめきが起こった。と思うと,唐突に曲が始まる。

 スポットライトが点いた。探偵は,ワイヤレスマイクを握っている。イントロは,不安を煽るような不気味な雰囲気だ。どこかで聞いたことがある。それもそのはず。ドラマのエンディングに使われていた曲だ。まばらだが,拍手が起こる。

「上手いじゃないですか。」 

 感心したようにマトリョンが言う。艶のある声だ。アナクロというのか。原曲を忠実に再現したアレンジによく合っている。

 鮮やかに記憶が蘇る。深夜のドラマシリーズ。小学生の頃,密かな愉しみになっていた。探偵が主役だが,単なる推理ドラマではない。猟奇的な要素も多く,軽くトラウマになったりした。それでも,翌週にはまた続きを見てしまう。そんな抗いがたい魅力にあふれていた。

 音楽と寸劇のクオリティーの差。狙いはそこだろう。探偵は,舞台上を歩き回る。直立不動の「キヨスケ」たち。探偵は,背が低い。150cmもないように見える。見上げるようにして,「キヨスケ」を観察している。正面が終わると,背後に回り込んだ。「キヨスケ」の全身を視線が走る。だが…

『違う』

 そう言いたげに,探偵は首を振った。1人済むと,別の「キヨスケ」だ。探偵は,隣にいる「キヨスケ」に歩み寄って…その繰り返し。

 俺は,飽き始めていた。ふいに大学の頃を思い出す。

 偶然だった。古本屋の店先で,ドラマの原作本を見つけた。ワゴンセールの文庫本コーナーだった。3冊100円くらいだったと思う。その日は,待ち合わせまで時間があった。それで,適当に買って,喫茶店で読んでみた。

 意外なほどハマった。それから,古本屋で同じ系統の本を探すのが習慣になった。気づくと,1日に2冊読むようになっていた。当時,バイトは家庭教師だった。生徒が問題を解いている間も,俺は本を手放さなくなった。

『できました。』

 犯人がわかる直前,生徒が解き終わることがあった。内心,がっかりしたのを覚えている。

 その後,探偵小説から,異端と呼ばれる作家にまで興味が広がった。「日本三大奇書」にも手を出してみた。タイミングもあったと思う。好きだったバンドが,そうした作品をモチーフに曲を作ることがあった。それで,俺は,ますますダークサイドに…

 気づくと,1曲目が終わっていた。

「どうしよう。わからない。」

 また探偵が髪をかきむしった。フケに見立てた粉が舞い散る。そのとき…

「ゲホッ!!」

 不愉快な音が響いた。後を追うように,悲鳴が上がる。近くにいた女性客だ。ステージでは,「キヨスケ」の1人が血を吐いている。と思うと,そのまま,後方に倒れた。探偵が,駆け寄って,助け起こそうとする。

「大丈夫ですか!!しっかりして…」

 もう助からない。そう悟ったようだ。探偵は,「キヨスケ」を寝かせて,立ち上がる。

「シュ…シュトリキニーネだ…」

 わざとだろうか。思い切り噛んだ。だが,リアクションは小さかった。元ネタを知らないから,笑えない。ストリキニーネ。久しぶりに聞く毒薬の名だ。普通に生活していたら,まず耳にしない単語だろう。

「どうかしましたか,探偵さん?」

 男が歩み寄ってくる。茶色いスーツを着て,ひげを生やしている。まだ若い男だ。古臭いスーツが,まったく合っていない。それに,どうみても付けひげだ。

「あっ。警部さん。申し訳ありません。犯人に先を越されました。僕がついていながら…」

 うなだれてみせる探偵。警部は,慰めるように肩に手を置く。

「いいえ。あなたのせいじゃあない。犯人は容易ならぬ奴です。でも,ご安心を。このトドカワが来たからには,犯人に好き勝手にはさせません。」

 警部は,「キヨスケ」たちに鋭い視線を送った。腕組みをしながら,歩き回る。微動だにしない「キヨスケ」たち。気まずい時間が流れる。ふいに警部の足が止まった。フロアを振り返り,手のひらを打ち合わせる。

「よっしゃ!わかったぞ!犯人は,こいつだ!」

 警部が叫んだ。指差された「キヨスケ」が,慌てて首を振る。思わず,笑いがもれた。なんとなく後ろめたく感じる。視線を感じて,ステージから目をそらした。マトリョンが,睨むように俺を見上げている。

『あまりに予想通りで,おかしかっただけだよ。』

 そう伝えようと首を振る。突然マトリョンの白い顔が闇に沈む。また暗転だ。やはり,すぐに明かりが点いた。

「ああっ!!」

「なんてことだ!」

 探偵と警部が呆然と立ち尽くす。客の頭でよく見えない。ステージ中央で,疑われた男がうずくまっているようだ。

「警部。もしかしたら,僕たちは,大きな思い違いをしているんじゃないでしょうか。そんな気がしてならないんです。」

 髪をかきむしる探偵。警部は,腕組みして,硬く目を閉じた。また音楽が流れ始める。

 これも知っている曲だ。そう。やはり,ドラマの主題歌だった。周りの反応でもわかる。俺以外にも,覚えている人がいるようだ。

 1曲目は,単調なメロディーの曲だった。今度は,起伏の多い旋律だ。だが,それも関係ない。探偵は,張りのある声で,それを歌いこなしている。聞き入ってしまうレベルだ。

 またガキの頃を思い出す。土曜の深夜。家族が寝静まるのを,部屋で待った。そして,こっそりと居間に戻った。明かりを消したまま,音を絞って見た。誰か起きてこないか気にしながら。あのときの背徳感。そして,高揚感。それが,はっきりと蘇ってくる。

「また…」

 マトリョンのつぶやきで我に返る。舞台では,もう1人「キヨスケ」が倒れたようだ。バタバタと探偵が走り回る。ここで,また暗転。すぐに点灯。やはり,「キヨスケ」が減っている。よく見えないが,刃物でやられたようだ。再び会場を闇が包む。もうフロアがざわめくこともない。数秒でスポットライトが点く。今度は,「キヨスケ」の胸に矢が刺さっている。そのままステージは,暗転と点灯を繰り返す。曲の展開にお構いなしだ。

 客の反応はさまざまだ。笑いとため息が交じっている。無理もない。若い世代にはなじみの薄い元ネタ。チープで単調な演出。

 だが,感心することもある。退屈した客の私語を貫くように,セリフがはっきり聞こえる。2人とも,いや女中も含めて,よく通る声だ。それに,スポットの位置。点くたびに変わるが,まったくずれていない。

 気づくと,曲が終わっている。立っているのは,3人だけ。生き残った「キヨスケ」に,探偵と警部がにじり寄る。後ずさった「キヨスケ」は,懐から何か取り出した。

『最後に煙草くらい吸わせてくれ。』

 そう言いたげに,手で制した。しぶしぶ足を止める探偵たち。「キヨスケ」は,ライターで火を点けて,大きく吸い込んだ。吐き出したのは…煙と,血だ。

「ああっ!!しまった。」

「煙草に毒が…」

 最後までマヌケだった2人がへたり込む。原始的なリズムの曲が鳴り響き,すぐにフェードアウトして…



「もう!相手のパフォーマンスでウケてどうするんですか?」

 楽屋に戻ると,開口一番マトリョンが言った。でも,本気で怒っているようには見えない。呆れながら笑っている。世代的に理解できない部分が多いだろう。でも,あのチープな演出は嫌いじゃないようだ。

 今日が初めての公開パフォーマンス。まったくの未知数だったわけだ。だが,それがうまく作用した。プロデューサー,サブカル好きには知られたライターだが,に響いた。もちろん,オチは容易に予想できた。それでも,世代的に観たいと思わされるものがある。「ドラマ版」とは違う「怖いもの見たさ」があった。

 カーテンの向こうから,明るい声が聞こえる。彼らなりにやり切った。そんな雰囲気だ。お互いをねぎらう言葉が飛び交っている。

「若いなあ。なんか青春って感じですね。」

 ふいにマトリョンがつぶやく。どこか複雑な響きがあった。微笑ましさと悔しさが入り混じったような。「部活コンプレックス」にとっては,当然かもしれない。

 フロアを出るときから,いや,「病院坂」のパフォーマンス中からかもしれない。マトリョンは,ずっとメイリンの手を握っている。部活。そう。きっと,マトリョンにとって,これが最初の「試合」なのだろう。自分で戦うと決めた初めての…

 俺は,時計に目をやって,腰を上げた。できるだけ何気ない感じで言う。

「そろそろだな。」

「はい。準備は大丈夫です。」

 言いながら,マトリョンも立ち上がった。手を引かれて,メイリンも「アイドルモード」に戻る。その肩に,マトリョンが両手を伸ばした。と思うと,そのままぐっと引き寄せる。2人は,目を閉じて抱き合った。

 いつからだろう。ハグし合う姿も様になってきた。以前は,一方的にマトリョンがじゃれついていた。メイリンのほうは,されるがままだった。それが,今は自然なコミュニケーションに見える。

 マトリョンが,ゆっくり目を開いた。視線がまっすぐ俺に注がれる。言葉が見つからない。こんなとき,何と言うべきなのか。

『頑張れよ。』

 月並み過ぎて,恥ずかしい。選手を送り出す不慣れな運動部顧問。そんな立場になった気がする。マトリョンが,いつもの照れ笑いに変わった。それでも,瞳には,強い光が宿っている。

「見ていてください。叩きのめしてやりますから。」

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