第15回
「ちょっといいですか?」
細い指がスマホを走る。目当てのモノを見つけたのだろう。マトリョンは,画面をこちらに向ける。俺の前に,十数人の頭がある。みんな椅子に座って,飲み物を手にしている。
「ほら。これ,ネットの掲示板なんですけど,『パンチラ商法のロコドル,公認解除』ですって。」
笑いが起こった。少し大げさな声もある。「チェリーフォー」のものだ。
「他にも,ありますよ。『パンチラアイドルの地元で盗撮事件』とか。」
マトリョンは,マイクの位置を確かめた。視線を画面に向けたまま口を開く。
「町役場の職員の人が,駅の階段で,女性のスカートの中を撮影,って。これ,タイミング悪過ぎじゃないですか。」
県内で働く公務員の不祥事だ。折悪く,今回のMVの騒動と重なるように発生した。
「こんなこともあったから,えらい人たちがピリピリするのもわかるんですけど。でも,もともと…」
マトリョンは,背後の暗がりに向けて手招きした。メイリンが現れて,並んで立つ。拍手が起こった。深々と頭を下げるメイリン。
「そう。これですよ,これ。」
マトリョンが,メイリンの肩に手を置く。MVと同じ白いワンピースだ。
「ご存知のように,あのMVはワンカットで撮影してます。だから,階段を上るとき映ったのは,水着なんです。」
2人はアイコンタクトを交わした。メイリンが,ワンピースの肩ひもをずらす。別の肩ひもが顔を出す。あの日着ていた白い水着だ。
「水着になるロコドルはいっぱいいるのに,水着の上にワンピース着たら問題,っておかしくないですかぁ?」
マトリョンは,「毒舌モード」に入った。甲田が,すかさず突っ込む。
「色がダメ!」
「色,ですか?ああ。白いからパンツに見えるんだ。」
わざとらしく感心してみせるマトリョン。あちこちで笑いが起こった。
「じゃあ,次回は黒にします。それだったら…」
「黒はもっとエロイ!っていうか,まだやるんかい!?」
また笑いが起こる。いつの間にか,2人のやりとりも板についてきた。
「結局ダメじゃないですか。というか,水着だけじゃなくて,いろいろと矛盾してるんですよ。たとえばですね,そう!エコのために,車じゃなくて電車を使え,とか言いますよね。でも…」
そう言って,マトリョンは筒状の物を手に取る。床に転がしてあったポスターだ。
「今日は,出張の帰りなんですけど,これですよ,これ。市役所に貼ってください,って手渡されたんですけど,わたし,車じゃないんです。電車通勤の人のこと全然考えてないんですよ。」
電車通勤あるあるだ。田舎あるある,と言ってもいい。地方は「車社会」だから,こういうことが起こる。
「これ,地元の農産物をもっと食べましょう,っていうキャンペーンらしいですけど,実はわたしたちが載る予定だったんです。でも,今回の件で,急遽差し替えです。」
マトリョンがポスターを広げる。見えるのは,新鮮そうな果物,とのどかな田園風景だ。
「本当はですね,これをきっかけに,将来は『文科省推薦』を狙ってたんですよ。だって,笑えませんか?物販で売ってるCDに,『文科省特選』ってシールが貼ってあったら。」
「ジャケットはスク水で!」
「はい。文科省のお墨付きなら,スクール水着だって着ますよ。あ。話がずれました。」
マトリョンは,舌の先を出して見せる。あざとい仕草も様になってきた。
「とにかく,よくわからないことで騒いだり,少数派の人を無視して,自分は普通だとか思ってる人が多いから,差別やいじめがなくならないんです。」
会場は,拍手に包まれる。こんなところに来るのは,少数派ばかりだ。マトリョンは,今回もうまく場を掌握したようだ。ここで,2度目のアイコンタクト。メイリンが,一礼して店の奥に消える。
「というわけで,今日のライブです。わたし,どうしてもこのカフェでライブがしたかったんです。」
マトリョンは,店内を見回す。カウンター席の他には,テーブルが3つ。店の奥を仕切ったスペースがステージになっている。狭いが,きれいにまとまっていて,インテリアも洒落た感じだ。
「ご存知の方もいらっしゃると思うんですが,ここは,去年美宙祈さんがライブをした場所なんです。『アイドル異種格闘技』が近いこともあって,その前に一度ライブをしてみたかったんです。あ。場所を提供していただいて,ありがとうごいざいます。」
そう言って,マトリョンが最敬礼する。カウンターのなかで,店長が笑顔でうなずいた。このやりとりを見て,また笑いが起こる。
「ほら,だって,わたしたちのこと,『パンチラ売名』とか『地元の恥』とか言う人もいるんですよ。出してもらえるだけでも,ありがたいじゃないですか。」
「市の関係は出禁!!」
「そう!それ!市の施設でやるイベントには,もう呼ばれないと思うんですよ。でも,わたし,毎日市役所で働いてる,っていう。これも変な感じですよね。」
マトリョンが,ステージ袖に視線を送る。メイリンは着替えを終えている頃だ。
「すいません。また脱線しました。さて,『アイドル異種格闘技』ですが,1回戦の相手は,『病院坂四十九日』さんに決まりました。ただ,いくらネットを検索しても,このグループの情報がなかったんです。おかしいなと思ってたら,昨日,ようやく公式サイトが出来たみたいです。それで,『異種格闘技』本番が初ライブだとわかりました。」
店内がざわつく。あまり聞かない例だが,本当だった。まあ,何でもありのイベントだ。文句を言う筋合いもない。
「そこで,今日は,『病院坂』さんがどんな衣装なのか予想したいと思います。これからしゅかりんが,何パターンかコスプレして出て来ます。ライブのアンケートに解答欄があるので,帰りに出して行ってくださいね。正解者には,プレゼントがあります。」
食い気味に拍手が起こる。「チェリーフォー」だ。マトリョンが,直立不動の姿勢になった。
「では,聴いてください。『マトリョーシカのテーマ』。」
イントロが響いた。すかさずMIXで迎え撃つ4人。マトリョンが歌い出す。相変わらず安定の歌唱だ。というより,いつになく声が伸びているような気さえする。最近「1人カラオケ」の時間が増えた,と言っていた。ストレス解消と個人練習。見事なコスパの良さだ。
Aメロが終わりに近づいた。ふらふらとメイリンが現れる。よれよれの着物を着て,帽子をかぶっている。お釜帽というのか。誰でもテレビで見たことがある探偵のコスプレだ。メイリンが帽子を取った。下は,ボサボサのカツラだ。
ゆっくりと店内を歩き回るメイリン。中央辺りで,足が止まった。と思うと,おもむろに髪をかきむしった。辺りにぱっと粉が舞い散る。もちろん,本物のフケではない。客たちが,スマホを向けて,シャッターを押す。
気づくと,マトリョンがスケッチブックを掲げている。「1番 さえない探偵風」とある。メイリンが駆け足で引き上げていく。
「しばらくお待ちください。」
間奏に入ると,マトリョンが言った。予想以上の違和感だ。普通なら,客を煽る場面だろう。いつもは,コサックダンスがあるから間がもつ。それが,今日は,舞台には「地蔵」が1体だけ。
場内が,拍手と笑いに包まれる。メイリンが再登場したからだ。定番の高速コサックダンス。ただ,いつもとまったく雰囲気が違う。無表情がデフォだが,比にならない無機質感だ。メイリンの頭部を,白いゴムマスクが覆っている。小気味よい動きとのギャップがすごい。不気味とコミカルがせめぎ合っている。
スケッチブックがめくられる。今度は「2番 沼に沈められる男」だ。マトリョンは,上手袖に視線を送る。そこには,大道具が置かれていた。段ボールに,池のようなものが描いてある。これが沼というわけだ。学芸会の劇で使うようなチープな作りだ。
メイリンがステージに駆け戻る。そのまま「沼」の背後に消えた。と思うと,脚だけが現れる。ネタばらしすると,ただの三点倒立だ。それでも,客席は,予想以上に沸いた。
『明日のライブでやりたいことがあるんですけど。』
昨夜,マトリョンが言い出した。この「コスプレクイズ」のことだ。もちろん,対戦相手をけん制するのが目的だ。容易に「出落ち」狙いが予想される。そのインパクトを削っておくのは,得策と言える。さすが「共犯者」だと思った。実は,俺も同じようなことを考えていた。
「ここで,ゲストです。わたしたちのアレンジャー・浅岡さんです!」
浅岡が,ギターを抱えて登場する。その顔には,やはり白いゴムマスクが…
「今日は,来てくれてありがとう。」
物販の片づけをしながら言った。ワンマンライブといえば、そうなる。それでも,冷やかしが多いことも予想された。だが,意外なほど好感触で,グッズの売れ行きも悪くない。
「心配おかけして,すみません。もう大丈夫です。」
瀬田が,軽く頭を下げた。どうやら親との問題は解決したようだ。
「ごめんね。嫌な思いをさせることになって。」
「いいえ。うちの親が厳しすぎるんです。」
最初はそう思った。でも,今は仕方ないと思っていたりする。瀬田がイベントに通う名目。それは,公務員の広報活動の見学だった。それに間違いはなかった。だが,公認が解除になれば,話は別だ。しかも,あの「パンチラ騒動」ときた。中高生の娘を持つ親が激怒するのも無理はない。
「いや。親御さんの言うこともわかるよ。まあ,子どもがいない俺が言っても,説得力ないけど。」
「いいえ。甲田さんに聞きました。角脇さん,うちの親と話してくれようとしてた,って。」
「いや。甲田君に言われたよ。余計な口出しするな,って。最近の若者は,簡単に大人に言い負かされたりしないから,ってね。」
「あ!それです。」
瀬田の目が輝いた。ポケットからスマホを出して,操作を始める。
「これ,親に見せたんです。」
「おい!」
思わず声が出た。画面に,俺のブログが表示されている。
「リョン様が教えてくれたんです。タイトルもキャッチコピーも最高ですよね。『未婚子なし 独身男が綴る子育て論 かわいい子には族をさせろ』って。」
瀬田が,読み上げて笑う。ちなみにワープロの変換ミスではない。いくらなんでも「たび」を「ぞく」と間違えるポンコツPCは存在しない。
内容はこんな感じだ。子どもが真っすぐ育ちそうにない。そう思ったら,思い切ってグレさせたほうがいい。厳しく育てれば,とりあえず大人しくなるかもしれない。表面上は問題ないし,親戚や近所の目も気にしなくて済む。だが,そう考えるのは,愚かなことだ。どうのこうの言っても,ヤンキーは縦社会。だから,意外と社会復帰もしやすい。それに比べ,こじらせたら,やっかいだ。こじらせに終わりはない。わかりやすく言えば,こうだ。グレてバイク事故で死んだり,ヤクザになったりする。そんな確率は,ごくわずかだ。でも,周囲を見ればわかるはずだ。一生未婚でダメ人間を続ける。または,エンドレスの引きこもりになる。こういうケースのほうが多いだろう。
「でも,すごいですよね。逆転の発想っていうんですか。ふつう,親って,グレさせないようにするものじゃないですか。それを,暴走族に入れてしまえ,って…」
「いや。自分に子供がいないから,適当なこと言えるんだよ。それに,逆転の発想って言うなら,引きこもりこそ,すごい発明だと思うけどね。だって,俺たちが若い頃は,どうやって家を出ようか考えてたんだよ。それを,家から出ないって…」
これは本音だ。どのくらい前になるだろう。「引きこもり」という言葉が一般化した頃だ。「その手があったか!」と仲間内で話したのを覚えている。
「とにかく助かりました。最後には,これが決め手になったんですよ。」
瀬田が,スマホの画面を向ける。のぞき込むと,数日前に書いた記事があった。
『更生した元ヤンは,早く結婚して,それなりに幸せに暮らす。でも,こじらせたら,エンドレスの負け残りゲームの始まり。』
元になったのは,美宙祈の初代マネージャーの話だ。先日,マトリョンと話したとき,彼の言葉を思い出した。それで,放置していたブログ内で「短期連載」を始めた。これは,最終回の締めの部分だ。
「わかったから,しまってくれないかな。勢いで書いたから,今見ると恥ずかしいんだよ。でも…まあ,役に立ったんなら,とにかくよかった。」
決め手,ではないだろう。おそらく,瀬田の親は,俺の意見に賛同したのではない。いい年して,こんなブログを書く中年。そうならないように,締め付けるのはよそう。と考えただけだ。いや。でも,ということは…
また甲田とのやり取りを思い出す。これも,「意味」でいいだろうか。戸惑っている俺に,瀬田が笑みを見せる。
「とにかく,受験で忙しくなるまで,お手伝いさせてください。」
「うん。ありがとう。頼むよ。」
「それじゃ,これで失礼します。」
軽やかに礼をして去って行く。俺は,大きく息を吐いた。グッズの整理を再開することにする。とにかく,平和に解決できて何よりだ。
「お疲れ様です。」
背後から声をかけられた。振り向くと,予想外の人物と目が合う。
「五十嵐さん。来てたんですか?」
「はい。ちょっと様子を見に。ライブは,ほとんど終わってましたが。」
五十嵐は,いつものスーツだ。仕事終わりなのだろう。分厚いブリーフケースを抱えている。視線を追うと,瀬田の背中で止まった。
「今の子,確か仕込みの高校生ですよね。」
「ああ。久しぶりに来てくれたんです。親ともめてたみたいで。受験生ですからね。」
「そうですか。でも,解決したみたいでよかったです。」
五十嵐は,グッズの段ボールをのぞき込む。興味深げに,Tシャツやタオルを見ている。彼女には一生縁がなさそうだ。
「五十嵐さんの親御さんは,厳しかった?」
「はい?親,ですか?」
我ながら唐突な質問だったと思う。でも,単純に興味があった。
学生時代,東京出身の同級生と話して驚いた。当時,高校生は,「受験,受験」で追いまくられていた。それは,全国共通だと思っていた。だが,東京では,意外と緩かったようだ。都立の上位校でも,そうだったと聞いた。ネットのない時代だ。県外の情報なんて,簡単に入って来ない。
『東京生まれ,東京育ちは,余裕があってうらやましいな。』
柿沼がそう言った。それも当然だ。物資の面だけではない。東京は,選択肢が多いから,精神的にも余裕が生まれる。そういうことだろう。
「そうですね…普通だと思いますよ。私が研究をしたいと思い始めたのも,親に言われたからじゃないですし。どっちかというと,放任で,時間があったから,コンピュータに触れるようになって,という感じです。」
五十嵐が,どれだけこじらせているか。それはわからない。でも,とりあえず親とのトラブルはなさそうだ。
「それならいいんだ。実は,もう1組親ともめてるお嬢さんがいて…」
「的場さんですね?」
「うん。本当は,瀬田ちゃん…さっきの子の親とも,マトリョンの親とも話をしなきゃいけないって思ってたんだけど…」
マトリョンの姿を探す。気づくと店内には,他に誰もいない。店長も,看板をしまっている頃だ。
「うちに乗り込んで来なくて安心したんです。きっとプライドが高い親なんでしょうね。成人した子どものことで怒鳴り込むなんて,育て方を間違ったことを,自分で広めることになる。そう考えてるのかもしれません。」
「そうですか。いずれにしても,問題なさそうで安心しました。」
訊いてみたくなる。正式には,柿沼にもマトリョンにも処分はない。上司に呼び出されることもなかったという。市のブログから消されて,話題にされることがなくなっただけ。
そこには,大きな力が働いている。そう考えるのは,不自然ではないだろう。だから,試してみたくなった。どこまで無茶が許されるだろう。俺は,別の話を切り出すことにする。
「五十嵐さん。実は,1つお願いがあって。」
俺は,五十嵐の耳元で囁くように言う。いつでも飛び退けるよう身構えながら。俺の無茶ぶりには慣れているはずだ。だが,久しぶりに大きな声を聞くことになる。そう思っていた。ところが…
「角脇さん。あなた何考えてるんですか?」
言葉はきつい。が,責めるような響きはない。気のせいではないだろう,と思う。
後半開始です。もうしばらくおつきあいください。




