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第14回


「なんだよ。別にたいしたことねえな。」

動画の再生が終わった。スマホを置くと,木崎は興味なさそうに言った。「マトリョーシカのテーマ」のMVだ。アクセスはかなり増えている。が,比例して,「低評価」も多い。

「この程度で問題になるんだから,やっぱ俺には絶対無理だな,公務員なんて。」

 木崎は,本気で嫌そうな表情だ。昼下がりのライブハウスのロビー。開店までには,ずいぶん間がある。ソファーで,マトリョンとメイリンが身体を沈めている。

「まあ,あの子らが大丈夫なら,いいんじゃねえか。」

「ああ。それなら,問題ない。」

MVをネットに上げる前,いくつか問題があった。

曲が終わった後,裏側を見せるという案が出された。甲田が撮った別アングルの動画を加えるというものだ。メイキングというのか。昔流行った香港映画をイメージすればいいだろう。メイリンが柵を超えた後。落下しながら木の枝をつかんだ。俺と話したとき,甲田がもたれていた木だ。それから,手を離し,回転しながら着地した。

これは2つの理由で脚下された。見た人の想像に任せる。そのほうが,話題になる可能性が高い。それが,ひとつ。もうひとつは,五十嵐からの反対だった。さすがにやりすぎなのは否めない。不服そうな甲田をなだめて,カットすることにした。

だが,それより問題だったのは,カメラワークだ。階段でのローアングル。監督のおっさん要素が炸裂しまくった場面だ。だから,このままアップしていいかためらった。もちろん,やけくそなコンセプトのアイドルなら構わない。だが,マトリョーシカは違う。たいしたメリットがないとはいえ,市公認だ。

かと言って,編集もできなかった。ワンカットというコンセプトが壊れるからだ。もちろん,俺にこだわりはなかった。でも,浅岡は別だ。

『あの階段のシーンがあるからいいんだよ。上って行ったら,どこに着くのか。ワクワクするでしょ?階段の上から撮った動画があるならまだしも,カットなんてありえない。』

怒りを露わにして言った。マトリョンも,それに同意した。だから,とりあえず編集はしなかった。浅岡のこだわりは,メイリンの尻かもしれなかったが。

 それで,俺たちは,判断を柿沼にゆだねた。何かあったら,責任は柿沼に課される。だから,最終的には,柿沼の意向に従う。誰も異論はなかった。

「あとは,柿沼か。そうだな。そりゃ,筋としちゃ間違ってねえよ。立場上決めるのは,あいつだからよ。だけどな…」

 木崎が,まっすぐ俺の目を見る。あの時と同じだ。

もう30年近く前になる。大学卒業を間近に控えた時期だ。俺が地元に戻る前に,最後に飲むことになった。木崎と浅岡と当時の仲間が数人。木崎と顔を合わせたくないからだろう。柿沼は来なかった。夜も更けた頃,木崎が脈絡もなく言った。

『俺は,お前ほど暴力を愛してるヤツを知らねえよ。暴れるのはいつも俺だが,きっかけはいつもお前が作ってる。』

 豪快で単細胞。木崎に関して,こんな誤解が多い。確かに,たいていのことには無頓着だ。だが,時々鋭い視点で人間観察をする。

「お前は,こうなることを予想してたんだろ?今までの柿沼なら,きっとNGだっただろうな。でも,最近はちと違う。夫婦の問題か何か知らないが,どうも様子がおかしい。」

「そうだな。昔の用心深さがない。」

 俺にも,ずっと違和感があった。柿沼は,撮影もろくに見ていなかった。信じて任せる。というのとは,少しニュアンスが違う。やらかすなら勝手にやれ。そんな印象だった。

「これは,ただの推測だ。間違ってるなら,言ってくれ。まあ,最初は,良かったんだろうな。話題作りに,市のお墨付きってヤツは。だが,お前の性格からすれば,息苦しくなってきたんじゃないのか?いろいろと規制があったりして。」

 黙ってうなずく。そうだ。まず,立ち上げの段階からすいぶん違う。怪しまれながら路上スカウトを繰り返してメンバーを集めた運営もあると聞いた。その点,市公認だから,警戒されることも少ない。結果的に,スカウトの必要はなかったが。

 だが,マトリョンが毒を吐くたび,抗議の電話があると聞く。職場では,冷たい視線を浴びているはずだ。

『別にいいですよ。偉くなりたいわけでも,周りと仲良しごっこしたいわけでもないんですから。中途半端に話しかけられるより,気が楽です。』

 マトリョンは,そう言っていた。でも,ふつうに考えたら,ひどく気まずい。それに,何も言わないが,柿沼が「防波堤」になっているはずだ。

「そんなタイミングで,テンションが上がった浅岡がやらかした。それで,始末を柿沼に任せた。もちろん,柿沼が冷静に処理する可能性だってあった。まあ,どっちでもいいと思ってたんじゃないか?もうしばらく市の御威光をプロモーションに利用するのも悪くない,ってな。」

 木崎は,思い出したようにコーヒーをすすった。俺は,こみ上げる笑いをかみ殺す。

「否定はしない。ほぼその通りだ。」

「認めると思ったよ。もちろん,柿沼も,もうおっさんだ。自分の始末は,自分でつけるだろうさ。でも,まったく,相変らず食えないヤツだな。あのな…いまだから言うが,実は会ったばかりの頃,お前のことが嫌いだった。」

 突然のカミングアウト。木崎は,珍しく気まずそうだ。でも…

「気づいてたよ,そんなの。それより,いつからなんだ,俺のこと好きになったの?」

「バ,バカ。今でも好きじゃねえよ。別に嫌いじゃないってだけだ。で,そうだな。大学に入ってからだよ。留学生がいなくなって,オロオロしてるお前を見た時かもな。意外と人間らしいところもあるってわかったから,なんじゃないか。」

「そりゃどうも。俺も,別にヒューマノイドじゃないんでね。うろたえることも,落ち込むこともある。」

 ずっとこうだった。木崎の指摘に驚かされる。で,慌てて,でも,それを顔に出さない。

「とまあ,こんなところか。だが,今回は,もうひとつ。」

 木崎が,意味ありげに笑った。隠し玉があるというのか。俺は,少し身構える。

「ちょっとおかしいと思うところもあってな。というのも,お前だって,市じゃないが地方公務員だ。火の粉が降りかかることもある。そこで,背中を押した共犯者,いや,すべてを仕組んだ黒幕がいるんだって気づいたわけだ。違うか?」

 木崎の視線はロビーの隅。ソファーで寝落ちしたきれいな横顔に向いていた。



「そうですか。木崎さんがそんなことを…」

 マトリョンは,上目遣いで笑った。ライブハウスから徒歩数分のオープンカフェ。テラス席のテーブルに木漏れ日が揺れている。

「あいつ,昔から意外に鋭いところがあるからな。普段は,ただのガサツなおっさんだけど。」

「でも,さすが,美宙祈ちゃんの相談相手ですね。」

 あくびをかみ殺すように言った。マトリョンは,まだ眠そうだ。目を覚ましたところで,連れ出したからだ。メイリンは,街路樹の下でスマホをいじっている。いろいろな意味で便利な発明品だ。スマホさえあれば,理由ができる。1人突っ立っていても,不審に思われない。

 メイリンの好奇心に邪魔されずに話したかった。マトリョンも,それに同意した。前置きはもういいだろう。俺は,本題に入ることにする。

「それで,これが前に言ってた復讐ってヤツなのか?」

「そうですね。そう思っていただいて,差し支えないかと。」

 少しバツが悪そうではある。でも,悪びれた様子は,微塵もない。もちろん,問題はなかった。マトリョンの復讐と俺の「祭り」。お互いに手伝うという約束で始めたことだ。

「そうか。まずは,あの写真だ。」

「はい。でも,あれは予想外でしたよ。あんなに反響があるとは思いませんでした。」

 オフショット撮影。そう称して浅岡が撮った写真。そのうちの1枚が,ネットで話題になっている。

廃墟アパートの一室。白ビキニと白のライダース。差し込む光のなか,静かにたたずむマトリョン。その瞳には,もっと強い光が宿っている。「奇跡の1枚」。そんな過大評価さえあった。浅岡が狂喜乱舞したのは,言うまでもない。

「実際,きれいに撮れてたよ。しばらく浅岡のドヤ顔から逃げられそうにない。」

「そうですね。自分で言うのもなんですけど,偶然とはいえ,よく撮れてます。カメラマンもモデルも,まったくの素人なのに。」

 ここまでは,よくある話。自分をいじめた連中をアイドルになって見返す。これも,その一種だ。ネットで拡散された美貌を見せつける。その点では,十分に成功したと言える。

「うん。でも,それより大事なことがあるんじゃないか?」

「はい。もうお気づきだと思いますが。わたしが,電話を無視し続けてるから。」

 そう言って,マトリョンは,スマホのロックを外す。画面を見て,苦笑いした。

「ご両親?」

 無言でうなずくマトリョン。電源を切って,スマホを置く。

「でも,さすがに,もうあきらめたみたいです。数日前までは,着信だらけでしたけど。」

「そうか。俺の想像なんだけど,こんな感じじゃないのか。『アイドルになる』と宣言して家を出る。厳格な親は,当然激怒する。でも,それが市公認だとわかる。すると,権威に弱い良識的な大人としては,『それだったら』と考え始める。で,その矢先,あの動画だ。ちょっといい気分にさせてから,思い切り突き落とす。と,まあ,こんなところかな。」

『パンチラMVで公認取り消し』

 実際,ネットには,そんな書き込みもある。市のホームページからも,コーナーは削除された。マトリョンの親は,俺と同年代のはずだ。ネットくらい見るだろう。近所でも,それなりに話題になっているかもしれない。

「はい。気づいてると思ってました。それは,角脇さんも同じだからですか?」

 スマホを置くと,マトリョンは,真っすぐに俺を見た。出会って少し経った頃に話したことを思い出す。

 マトリョンには3つ年上の兄がいた。「いた」。過去形なのは,行方不明だからだ。いわゆる受験ノイローゼだったらしい。高3の冬のある日。学校から帰らないまま,今日まで何の連絡もないという。

 優秀だった兄を失った後。マトリョンは,両親が話しているのを聞いた。

『いなくなるなら,あの子のほうがよかったのに。』

 ひどい話だ。でも,見捨てられるなら,そのほうがマシだった。いつからか両親の関心はすべてマトリョンに向けられる。出願直前のことだった。マトリョンは,兄と同じ高校に志願変更させられた。

『勉強も部活もそこそこの,ゆるく過ごせる高校がよかったんですけどね…』

 そんな生活は許されず,勉強に追われる日々が待っていた。それがどれほど苦痛か。俺にはよくわかる。いや,違う。俺たちの時代より,受験に対する世間の熱は冷めていただろう。スマホも普及して,娯楽も多い。その状況だから,もっとつらかったはずだ。

 それでも,ただひとつだけ希望があった。難関大学に行くという理由で上京する。俺も同じだ。勉強は,東京に行くための手段に過ぎなかった。

『高校に入学した日から始めたんです。卒業までのカウントダウンを。』

 だが,それも許されない。両親は,マトリョンまで離れていくことを恐れた。それで,地元の国立大に行くことを強要した。

「角脇さん?」

 俺が黙っていたからだろう。マトリョンが,きまり悪そうに言う。

「すみません。やっぱり子供過ぎますよね。社会人になってまで親に反抗するとか。ひいちゃいますね。ほんとダメダメで…」

「いや。親がいないのは,孝行したい時って言うけど,復讐したい時にも,いないことがある。大学を出て,こっちに戻ってからも,父親とはずっと会話がなかった。そのまま死んだよ。まあ,生きてるうちに反抗すんのも,ある意味孝行のうちかもしれないな。まったく無関心っていうより。それに,最近じゃ,結婚できないのは親のせいだ,とか言って,あっさり縁を切るケースもあるって聞いてる。」

「らしいですね。でも,とにかく…」

 マトリョンが上目遣いに見つめる。気まずさは,どこかに消えていた。

「お互い自由になれましたね。」

 笑った。なるほど。木崎の言う通りかもしれない。「共犯者」の顔だ。俺も笑みを浮かべる。でも,喜んでいられない事情もある。

「まあ,とりあえず足かせは外れたな。でも,気になるのは…」

「柿沼さんですよね。」

 マトリョンもわかっていた。話しておくべきもうひとつの問題。2人で話すだけだから,家でも構わなかった。理由はよくわからない。でも,帰る前に済ませたいと思った。それは,きっとマトリョンも同じだ。

「メールにも,短い返信しかなくてさ。『別に問題ない』って,それだけ。あいつ,職場ではどんな様子?」

「表面上は変わりませんね。もちろん,狭い職場ですし,こんな田舎だから,気まずいことだらけだと思いますが。わたし,一度謝ろうとしたんですけど,その前に逆に謝られて,何も言えなくなっちゃいました。」

 目に浮かぶようだ。市役所のロビーに2人がいる。柿沼が,頭を下げて言う。

『ごめんね。おかしなことに巻き込んで。』

 昔からそうだ。柿沼は,自分の気持ちを後回しにする。木崎のバンドを辞めたときも,きっと同じだ。一人っ子のあいつは,親の意向を優先させた。そういうことだろう。

「ちゃんと謝りたいんで,メアド教えてもらえませんか?ショートメールだと…」

「その必要はないと思うよ。ほら。動画をアップする前に話した通り,あいつが自分で決めてやったことなんだから。マトリョンが責任を感じることはないんだよ。木崎も言ってたけど,あいつもいい年なんだから。若者に心配されなくても,自分でどうにかするさ。」

 それに,心配なのは仕事の面だけじゃない。大きいのは,家庭の問題のほうだ。まあ,ここで話題にすることでもないが。

 マトリョンは,言葉を探しているように見える。まだ割り切れていないようだ。

「でも…」

「これは,言ってみれば,遅れて来た反抗期みたいなものなんだ。半世紀も生きてきたおっさんが反抗,なんて言うと,それこそひくだろうけど。」

「そんなことは…」

 日差しが強くなってきた。枝葉をすり抜けて目に刺さるようだ。それを避けるように,姿勢を変える。

「こじらせたヤツが,若くなくなるとさ,突然周りが驚くような行動をとることがあるんだ。それは,きっと今までうやむやにしてきた問題を解決しておきたいって思うからじゃないのかな。意識してか,無意識かわからないけど,残り時間が少なくなってることが大きいんだろうね。」

 去年柿沼から聞いた話を思い出した。美宙祈が活動を始めた頃のことだ。

「こじらせたら一生ひきずる。だから,やりたいことは若いうちにやらせるべきだ。」

「えっ?」

「美宙祈の初代マネージャーの言葉だよ。アイドルになることに反対してた柿沼の奥さんを説得する時の決め台詞だったらしい。」

「そうですか。そんなことが…」

 マトリョンは,考え込んだ。自分なりに意味を噛みしめているようだ。急かせないほうがいい。俺は,思い出したように,グラスを手にした。水滴がひざに落ちて,生地に染みて広がる。

「わかりました。」

 落ち着いた響きだった。覚悟を決めたように,マトリョンがうなずく。

「お言葉に甘えて,気にしないで好きなようにさせてもらいます。若いうちに,やりたいことをやります。って言っても,もう十分こじらせてますけどね。きっと,手遅れです。でも,できるだけやってみます。」

 俺も,うなずき返す。少しほっとした。甲田とのやり取りが,頭の片隅にあったからだ。いい年して,若者に励まされてばかりじゃいられない。

「ああ。そういえば,あと2週間だな。『異種格闘技』まで。」

「はい。行けるところまで行きましょう。公認取消で,逆に話題になってる部分もあるから。」

 風が出てきた。マトリョンが,目を細めながら髪をかき上げる。季節は夏に向かって加速を始めた。こんな心地よい風も最後かもしれない。

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